第五話 ヒッチハイク
今度のバスは、朝のバスに比べて、幾分か綺麗で、エンジンもうるさくなかった。でも、ぼくらには、そんなことを気にしている余裕はなかった。
「お姉ちゃん、これからどうするの? お母さん探すのを止めるの? 叔母さんのところへ帰るの? ぼくヤだな。俊哉くん乱暴だし、叔父さん怖いし」
ぼくは、窓際に座り窓の外をぼんやりと眺めるお姉ちゃんに、矢継ぎ早に言った。お姉ちゃんはゆっくりぼくの方を向く。
「帰らない。叔母さんのところへなんか。吉村さんは、お母さんが何処にいるのか知らなかったけど、お母さんのもう一人の友達、小西さんって言う人なら、お母さんのいるところを知ってるかもしれない、って教えてくれたの。だから、今度は小西さんに会いに行くよ」
「遠いの?」
「うん、ちょっとね」
お姉ちゃんはすこし曖昧な言い方をする。
小西さんと言う人は、桜ヶ浜という場所で小さな会社を営んでいる人らしい。吉村さんとお母さん、それに小西さんはみんな高校時代のクラスメイトで、一番仲の良かった三人組だったらしい。吉村の小母さんは、お母さんとお父さんが離婚したころ、吉村の小父さんと知り合って、結婚しこの田んぼの街へ引っ越してきた。そのため、連絡のやり取りもなくなっていたけれど、もしかすると、小西さんなら何か知っているかもしれない、と言うことだった。
バスに乗ってぼくたちは、来た道を引き返し、朝の駅まで戻った。それから電車に再び乗り込むと、製鉄工場の煙突が立ち並ぶ湾岸の駅で降りる。桜ヶ浜へ行くには、ここでJRに乗り換えて、行かなければならない。
ところがお姉ちゃんは電車を降りると、駅を出てしまった。夏の日差しに熱気がムッとする駅前を少し歩いてからお姉ちゃんは、道路の端で立ち止まった。
「拓海ちょっと持っててね」
と言われて、ぼくが手を出すと、お姉ちゃんはポシェットからノートを一冊取り出した。いつの間にこんなものを入れておいたんだろう。ぼくがそんなことを思っていると、姉ちゃんは更にがさがさとポシェットを探り、その手には、黒いマジックが握られていた。
「どうするの?」と、ぼくが尋ねると、お姉ちゃんはニッと白い歯を見せて笑い、ぼくの手からノートを取って、それにマジックで何かを書き始めた。
ノートには、太い文字で「さくらが浜」と書かれていた。
「ヒッチハイクするの。お金だって沢山あるわけじゃないから」
「ヒッチハイク?」
ぼくが小首をかしげると、お姉ちゃんはくるりと踵をかえして、道路に向かって右腕を突き出し、親指を立てた。更に左手で、ノートを高く掲げる。
「テレビで見たことあるの。こうやって、同じところへ行きたい人の車に乗せてもらうんだよ」
お姉ちゃんの説明は良く分からなかったけど、ぼくもお姉ちゃんの真似をして、ヒッチハイクをすることにした。
ここは、湾岸のメイン通りらしく、車の往来が激しい。特に製鉄所へ用のある大型トラックが多く、騒音と排気ガスは相当なものだった。ぼくたちは必死に車を呼び止めようとしたけれど、誰もとまってくれる人がいないまま、一時間近くが過ぎた。
「止まってくれないね」
いい加減腕が疲れて、お姉ちゃんに言うと。お姉ちゃんは溜息混じりに。
「もうちょっと頑張ろう。きっと吉村の小母さんみたいないい人が、止まってくれるよ」
と言った。炎天下で熱射病にでもなるのではないか、と思い始めた頃、通りがかった一台の大型トラックが急ブレーキを立てて止まった。
そのトラックは、所謂「デコトラ」と呼ばれるものだった。
車体のあちこちに、赤や黄色のランプがピカピカしている。フロントには「風神号」と太い毛筆調の文字が書かれており、貨物室に、怖い顔をした鬼が描いてある。鬼は白い袋を持っていて、袋の口からはごうごうと、今にも唸り声が聞こえてきそうな風が吹き出していた。
予期せぬ車が停車してくれたことで、ぼくたちは完全に圧倒された。素直な感想を述べるなら、「怖い」だ。
「あんたたち、ヒッチハイクかい?」
運転席から顔を出したのは、タバコをくわえた、お姉さんだった。どことなく、トラックの絵に描かれた鬼のような、いかつい顔をしている。
「は、はい。桜ヶ浜まで行きたいんです。あの、乗せていってくれませんか?」
果敢にもお姉ちゃんは声をかけた。ぼくは、すっかり怯えてしまって、お姉ちゃんの後ろに隠れるようにして、制服の裾を引っ張った。
「桜ヶ浜って、また遠いな。いいだろう、乗りな二人とも」
お姉さんはくわえタバコのまま、顎でぼくたちに指図して、助手席のドアを開けてくれた。お姉ちゃんは、ぼくを引っ張ってトラックに近付く。
「あの、私たちあんまりお金持ってないんです。それでもいいですか?」
助手席に乗り込む前、お姉ちゃんは運転席を見上げるようにして言った。するとトラックのお姉さんは、がははっと、男の人みたいに笑った。
「ガキが、金のことなんか口にするんじゃないよ。ガキは、遠慮せず大人の好意に甘えればいいんだ。それに、桜ヶ浜なら通り道だ」
お姉さんは、「さっさと乗れ」とぼくたちに付け加えた。ぼくとお姉ちゃんはトラックの助手席に乗り込んだ。
車内はとても広くて、ぼくたち二人が乗り込んで足を伸ばしてもまだ余裕があった。ただ、ひどくタバコ臭かった。
トラックに乗るのは初めてで、車高の高いトラックの助手席から見る風景は、どこか不思議で面白かった。
「あたしは、鹿島千鳥。あんたたちは?」
車を走らせながら、お姉さんは名乗った。鬼のような顔から想像もつかないくらい、可愛い名前だった。
「私は、遠野春香。こっちは、弟の拓海です」
「あんたたち、歳はいくつだい?」
「10歳です。拓海は6歳」
お姉ちゃんが答えると、千鳥さんは「ほお」と感心したような声を上げた。
「しっかりしてるねぇ、お姉ちゃん。あたしがあんたくらいの時、あんなところで、ヒッチハイクしようなんて思わなかったよ。世の中、変なやつが多いからね。ああ、でも心配しなくていいよ。あたしは、その変なヤツじゃないからね」
トラックは十分変だと思うけど。
「それで、桜ヶ浜へは何をしに行くんだい?」
「それは……」
お姉ちゃんは答えに詰まった。昨日駅でついた嘘のように「お婆ちゃん家へ行くんです」と答えても、ヒッチハイクをして行くというのは、どう見ても怪しいだけだ。かといって、他の嘘は思いつかない。
しばらくの間、車内に沈黙が訪れた。ぼくも必死に嘘の理由を考えたけど、上手い言い訳が思いつかない。
「言いたくなければいいんだよ。旅って言うのは色々事情があるんだ。訳を無理矢理聞きだそうなんて、あたしは野暮じゃないからね」
「ごめんなさい」お姉ちゃんが元気なく言った。
「だから、言ったろ? ガキは遠慮なんかするなって。旅は道連れ世は情けってやつさ」
千鳥さんはがはは、と笑ってぼくたちに言った。
千鳥さんの運転するデコトラは、やがて高速道路へと登っていった。デコトラという外見とは別に、千鳥さんはとても安全運転だった。快適な車の中で、お姉ちゃんは千鳥さんと色々な話をしていた。
何でも、千鳥さんはこのデコトラで配達の仕事をしているらしい。衣類や生鮮食品などを他府県の市場へ届けるのが仕事なんだそうだ。千鳥さんは良く笑い良くしゃべる人だった。特に女性同士気が合うのか、お姉ちゃんとは楽しそうにおしゃべりをする。一方ぼくはヒッチハイクをして疲れてしまったのか、高速道路に入ってすぐに、急に上瞼と下瞼が仲良くなってしまい、そのまま眠ってしまった。
こうして、ぼくとお姉ちゃんは千鳥さんのデコトラに乗って、お母さんの友達、小西さんのいる桜ヶ浜を目指すことになったのだ。
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