第三話 旅立ちの夜に
月の光は斜めにぼくたちを照らす。その青白い光りが、道標みたいにみえた。世界が全部透明に見えて、僕たちの行く先を示しているみたいだった。
お姉ちゃんと手をつないで、住宅街を抜ける。途中、ぼくたちが住んでいた家に立ち寄って、「行って来ます」をした。
春は庭で、お父さんと一緒に、花壇を作った。お姉ちゃんが植えた花が、一番綺麗だった。夏は、皆で花火をした。お父さんがロケット花火を上げて、隣の叔父さんに怒られた。秋は、ベランダで天体観測をした。お父さんにいくら星座の位置を教えてもらっても、ぼくは見つけられなくって、泣き出した。冬は、玄関口に雪だるまを飾った。一生懸命、近所でも一番大きなものを作ろうってがんばったのに、次の日には、溶けてしまった。
いつでも、家族三人で、笑ったり泣いたり。ずっとそれが永遠に続くと思っていた。ううん、きっと終わりが来るなんて想像もしなかったんだ。だけど、現実には、もうお父さんはいなくて、ぼくの家族は、お姉ちゃん一人になってしまった。
「お母さんのところへ行っても、いつかみんなで戻ってこようね。ここへ」
お姉ちゃんは、月を背にじっとたたずむ家に向かって言った。家は、ただじっとぼくたちを見守っているみたいだった。
「うん、行って来ます」
ぼくは、物言わぬぼく達の家に向かって言った。
家を後にして、ぼくたちは駅へ向かった。吉村さんの住んでいる場所は、この町から私鉄に乗って、終点まで行かなくちゃならない。そのくらい遠いんだって、お姉ちゃんは言った。駅前は、繁華街になっていて、ロータリーを中心に大勢の人がいた。お酒を飲んでほろ酔い気分の小父さん、ギターを爪弾いて声を枯らしながら歌うお兄さん、携帯電話片手に楽しそうにお話しする高校生。
「私、駅員さんに電車の時間、聞いてくるからね。拓海はここで待っててね」
お姉ちゃんは、駅の入り口でそう言うと、ぼくの手を離して駅の奥へ入っていってしまった。駅はとても大きくて、すぐにお姉ちゃんの姿は見えなくなった。
ぼくは入り口の太い柱に寄りかかって、少し心細く思いながら、お姉ちゃんを待つことにした。柱にはポスターが貼ってあったけど、まだ見たことがない難しい漢字ばかりでぼくには読めなかった。ただ、美人のお姉さんが、変なサングラスとマスクをつけた小父さんを叱り付けている絵が、何となくおかしかった。
「ねぇ、君何してるの?」
ロータリーで友達と楽しそうに話していた高校生のお姉さんが三人、ぼくに気がつき近付いてきた。ぼくは、ちょっと怖くなって身構えた。
「もう10時過ぎてるよ。お家へ帰らないの?」
「お父さんは、お母さんは?」
お姉さんたちは次々と質問してきた。ぼくは背中を柱、左右と前をお姉さんに囲まれて、少し怯えたみたいになった。
「あの、あの」
何か言わなきゃって、必死に言葉を探したけど、ぼくはすっかりすくんで、なかなか言い出せない。お姉さんたちは、別にぼくを脅そうとか、悪いことを考えてるようには見えなかったけど、ぼくよりうんと年上の人に、囲まれてしまってどうしたら言いか分からない。
「拓海っ」
高校生のお姉さんたちの後ろから、聴きなれた声がした。お姉ちゃんだ。お姉さんたちも声に気付いて振向いた。お姉ちゃんが高校生のお姉さんたちをかき分けて、ぼくの方へ駆け寄ってきた。ぼくは半ば、怖くって泣き出しそうだった。必死にお姉ちゃんにしがみついた。
「あなた、この子のお姉さん?」
高校生のお姉さんがお姉ちゃんに尋ねた。お姉ちゃんは少し睨みつけるような顔をした。
「そうです。うちの弟に何か用ですか?」
「用ってこともないんだけどさ、こんなちっちゃい子が一人でいるから、どうしたのかなって思っただけよ」
「私たち、親戚のお祖母ちゃん家へ行くんです。用がないんだったら、弟に話しかけないでっ」
お姉ちゃんは、語気を強めてそう言うと、ぼくの手を引っ張って高校生の輪から飛び出した。勿論、お祖母ちゃん家へ行くなんて、まるで嘘だ。高校生のお姉さんたちは、呆気に取られたようにしばらくぼくたちを見ていたけど、すぐに何もなかったように、また楽しそうなおしゃべりに戻っていった。
お姉ちゃんは、ぼくの手をぐいぐい引っ張って、改札口のほうへ向かっていく。
「痛い、手引っ張らないで、お姉ちゃん」
ぼくはもがいてお姉ちゃんの手を振り解こうとした。あんまり強く引っ張られるものだから、手が肩から引っこ抜けそうに思えた。
「ごめん」お姉ちゃんは慌てて、ぼくの手を離す。「ごめん。拓海を一人にしとくべきじゃなかった」
そう言われて、はじめてお姉ちゃんが少し怯えているのに気が付いた。そうだ、お姉ちゃんは10歳で、それよりも年上の高校生はとても大きい。少し怖かったのかもしれない、と。
「もうすぐ、最後の電車が出るんだって。駅員さんに、お祖母ちゃん家へ行くんですって言ったら、いろいろ事情を聞かれちゃって。嘘ついたけど、怪しまれずに済んだ」
お姉ちゃんはニッコリと微笑んだ。
ぼくたちが、切符を買って自動改札を抜けると、駅のホームにはもう、最終電車が止まっていた。黄色の車体に緑のラインが入った私鉄の電車。四両編成のその電車に乗り込むと、冷房の涼しい風がぼくの額を通り過ぎていく。ほっと、ひと心地つきながら手ごろな席に腰掛けて、車内を見渡すと、車内にはぼくたち以外にも結構沢山の人が乗っていた。
良く考えたら、お姉ちゃんと二人で電車に乗るのは初めてだった。
「当列車は間もなく、発車致します」
ちょっと鼻にかかったような声で、車掌さんのアナウンスが聞こえてきた。しばらくすると、空気の抜けるような音と一緒に扉が閉まって、電車は静かに動き始めた。
ガタン、ゴトン。一定のリズムを刻みながら、レールの上を走る。ぼくは窓から、夜の街を眺めた。街は、灯をともしている。ビルも、住宅街も。それらが地上に瞬く星のようでとても綺麗だった。
住み慣れた街が、後ろへと遠ざかっていく。電車が出発して間もなく、お姉ちゃんはすやすやと寝息を立て始めた。疲れていたのかな。どのみち、終点まで行くんだから、起こさない方がいいと思い、ぼくは、窓の外をずっと眺めていた。
やがて電車はぼくの見知らぬ街へと入っていく。ぼくたちの住む街よりもずっと大きな街で、小さいぼくからは、それはもう「都会」と言える様な場所だった。立ち並ぶビルに阻まれて、夜空はほとんど見えなかったけど、ビルの灯の向こうに、まだ働く人たちがいた。大通りにはたくさんの車が往来していて、赤いテールランプや、白いヘッドライトの帯が、光の川のように延びていた。
「都会」を離れた電車は、海岸沿いを走る。窓の隙間から潮の香りが、ほのかに香る。昼間はきっと青いだろう水面は、真っ暗だったけど、月の光がその表面に光を映し、とても幻想的だった。今にもその水面から、人魚姫がジャンプしそうだった。
海岸を後に、今度は湾岸の埋立地を走る。潮の香りよりも、煙のにおいがするのは、湾岸の製鉄所のあちこちから空へ向かって、そびえ立つ煙突のせいだった。煙突の先端には、赤や青のランプがついている。それは、飛行機などが煙突に衝突するのを避けるためのランプなのだけど、そのころぼくはまだそれを知らなくって、ただチカチカ点滅するそれが、クリスマスツリーみたいで面白かった。
埋立地を離れると、電車は進路を90度変えて、山の方へ入っていった。その頃にはもう、いっぱいいた乗客はみんな降りていて、車内はとても静かになっていた。
いつのまにか窓の外は、木々と点々とする民家だけになっていて、少し寂しい。
「本日はご利用ありがとうございました。間もなく、終点に到着いたします。お荷物などお忘れ物のないよう、下車してください」
また、あの鼻にかかったような車掌さんの声がする。ぼくは隣で眠るお姉ちゃんの肩をゆすって、起こした。
「お姉ちゃん。もうすぐ終点だよ、起きて」
お姉ちゃんは、まだ少し眠そうに目をこすりながら、目を覚ました。電車はスピードを徐々に落としていき、終点の駅に到着した。
ぼくとお姉ちゃんが、終点駅のホームに降り立つと、他には誰も降りてこなかった。ここへ来るまでのいくつもの駅で、全員降りてしまったのだろう。電車はぼくたちを駅に降ろすと、しばらくして来た道を反対に向かって帰っていった。
「田舎だね」
ぽつりとお姉ちゃんが呟く。お姉ちゃんの言うとおり駅舎は無人駅だった。周りはひどく田舎で、家もお店も見当たらない。誰もいない。ぼんやりとしていたら、駅の電灯が、バチッと音を立てて全部消えてしまった。多分、タイマーで切れるようになってるんだろう。だけど月の光のおかげで、電灯がなくてもホームは十分明るかった。
「今日は、あそこで寝よう。明日、吉村さんの家を探しに行こう」
お姉ちゃんは、ホームの待合室を指差した。暗い待合室の中には、汚れた時刻表と硬そうな木のベンチが二つ置いてあった。ぼくたちはそれぞれベンチに横たわった。想像通りベンチは硬くて、背中が痛い。
「おやすみ、拓海」
お姉ちゃんはそう言うと、すぐに寝息を立て始めたけど、ぼくは中々寝付けなかった。ここにきて、ようやく不安が頭をもたげたのだ。
本当にお母さんに会えるのだろうか?
会えたとしても、お母さんはぼくたちのことを喜んでくれるんだろうか。ぼくがお母さんの顔を知らないように、お母さんはぼくのこと「拓海」だって分かってくれるんだろうか。お母さんはどんな人だろう。それは、すこし楽しみだったけど半面、知るのが怖かった。
虫の鳴き声が聞こえる。
だんだんと瞼が重くなり、ぼくはゆっくりと眠りの世界に落ちて行った。
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