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Belong  作者: 雪宮鉄馬
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第十四話 いさかい

 次の日、朝から食料調達に出かけて、夕方にはいつもどおり、カホちゃんのところへ行った。お客さんの居ない間に、手際よく掃除を終えると、カホちゃんとぼくは、裏路地で休憩を取ることにした。

「拓海は、このままこんな生活を続けるの?」

 カホちゃんが、タバコを吹かしながら、ぽつりとぼくに言った。

「分かんない」ぼくは頭を左右に振りながら答えた。

「その、小原の叔母さんって人のところには帰らないの? 嫌な人でもさ、一応はキミの叔母さんなんでしょ?」

「うん。でも、帰らない。保険金とか、遺産とかぼくには良く分からないけど、叔母さんはぼくたちが嫌いだってことは分かってる。だから、帰れない」

 ぼくが言うと、カホちゃんは「ふうん」とだけ返事を返してきた。構わずに続ける。

「あのね、クロさんが言ってたんだけど」

「クロさんって、ホームレスの人?」

「そう。それでね、クロさんがね、ぼくが15歳になるまで、ぼくとお姉ちゃんの面倒を見てくれるって言うんだ。15歳になったら、ぼく働けるようになるからって」

「拓海が15歳って言ったら、あと9年もあるよっ!? その間学校も行かないの?」

 カホちゃんが目を丸くした。更に「行かない」とぼくが断言したように言うと、カホちゃんはさらに驚いた顔をした。

「あのさ、拓海。煙草吸ってる不良なやつが言うような科白じゃないけど、そんなのダメだよ。ホームレスの人に育ててもらうなんて、途方もなく無理なことだよ。教育上良くない」

「教育上? クロさんたち良い人だよ。カホちゃん、大人の人みたいなこと言うんだね」

 と言うと、カホちゃんは急にしゃがんでぼくと視線を合わせた。

「私はまだガキだけど、拓海よりは大人だよ。クロって人が、どんな良い人だって、ホームレスなんだよ。私のお父さんが言ってた。あいつらはみんな、世間の落伍者なんだって」

「ラクゴシャ?」

「おちこぼれってこと。どんなに、アウトロー気取りだろうが、あの人たちにキミたちを育てることは出来ない。あの人たちの居場所は、拓海と拓海のお姉ちゃんの居場所なんかじゃないんだよ」

 カホちゃんの眼は真剣そのものだった。いつもニコニコしてるカホちゃんらしくない顔つきだった。

「じゃあ、カホちゃんは叔母さんのところへ帰れって言うの?」

 クロさんの事を「おちこぼれ」といわれて、腹が立ったのかもしれない。ぼくはひどく語気が荒々しくなっていることに気が付いた。

「私は、その方が良いと思う。もしも、叔母さんの家がいやなら、叔母さんと良く話し合って、施設へ入ることだって出来る」

 大人の顔をするカホちゃんからぼくは視線をずらした。

「ね、そうして。私のお父さんに話してみるから、お姉ちゃんと一緒に、ホームレスの所を出た方が良いよ」

「何でそんなこと言うのっ!?」

「だから、私は拓海と巧みのお姉ちゃんのこと心配してるんだよ。お姉ちゃん元気ないんでしょ? でも、あんなところ居たらもっと元気がなくなるよ」

 カホちゃんがぼくの両肩に手を置いた。でも、ぼくは無意識のうちにカホちゃんの手を振り解いていた。たぶん、ぼくはひどく顔を高潮させていたと思う。肩も震えて、今にも泣き出しそうな顔をして。

「変だよ、カホちゃん。ぼくの話を始めて聞いてくれたときは、カホちゃんそんなこと言わなかったよ」と、怒鳴っていた。

「変なのは拓海だよ。あの時は、私もどうしたらいか分からなかっただけ。6歳の男の子が、毎日、食べ物探して、ゴミ箱漁ったりするのは、変だよ」

「変じゃないっ」

「ねえ、拓海はお姉ちゃん死んじゃっても良いの?」

「やだっ」

「じゃあ、お願い。私の言うこと聞いて」

「やだっ」

「それは、拓海のわがままだよ。拓海が、叔母さんのところへ帰りたくないから、クロさんのところに居たいから、わがまま言ってるだけだよっ」

「やだっ、いやだっ。カホちゃんなんか、大嫌いだっ」

 ぼくは、金切り声を上げるみたいに叫んで、カホちゃんのところから逃げ出した。必死で走って、表通りに出て振向いたけど、カホちゃんは追いかけて来なかった。

 ぼくは、後ろめたい気持ちをもやもやと胸の中に抱えて、表通りの歩道を歩いた。

 カホちゃんなんか、大嫌い、なんて嘘だ。カホちゃんの言うことは、自分でも良く分かっていた。ホームレスのクロさんと一緒にいても、お姉ちゃんは元気になれないだろう。手に入る食べ物だって多くないし、環境だって悪い。クロさんもそれを分かっているから、昨日「さあね」なんて答え方をしたんだ。でも、ぼくにとってクロさんの所は、大変だったけど、居心地は良かった。誰かに邪見にされることはないし、皆優しかった。

 ぼくは、叔母さんの家に帰りたくないから、わがままを言っているのだろうか? いや、叔母さんのところへ帰りたくないのは、ぼくだけじゃない、お姉ちゃんだって同じなんだ、とぼくは思いたかった。


 公園に帰るまでの間に、ぼくの頭はすっかり冷えていた。あんなに、カッとなったのが嘘みたいに。明日、カホちゃんに会ったら、ちゃんと謝ろう。ぼくはそう考えながら、公園に入った。すると、ぼくの姿を見つけたクロさんが、青い顔をして、走ってくる。

「大変だ、拓海っ」

 クロさんの慌てぶりは、尋常じゃなかった。すぐにピンときた。お姉ちゃんに何かあったんだ。

「どうしたの?」

 と、ぼくが尋ねると、クロさんは困ったような顔をしながら。

「春香が、ヒドイ熱を出したんだ。さっきテントに帰ってみたら、春香が全然うごかねぇから」

 と言った。だけど、ぼくはクロさんの科白の半分以上が聞こえなかった。ついさっき、カホちゃんに言われたばかりだ。「お姉ちゃん死んじゃっても良いの?」って。

 地面が崩れていくような感覚に襲われて、ぼくはフラフラした。どうして良いか分からない。呆然としていると、シマさんがぼくの後ろから走ってきた。もう50歳を過ぎている思われるシマさんは、肩で息をしながら。

「中嶋先生と、話をつけてきたぜ。すぐに連れて来いって」と言った。

「分かった。拓海、来い。手伝えっ」

 クロさんは、ぼくを急かすとテントへ戻った。テントの隅に寝かされているお姉ちゃんは、額に脂汗を浮かべ、苦しそうに唸っていた。クロさんは、汚れたタオルで軽くお姉ちゃんの汗を拭うと、お姉ちゃんを勢い良く背負った。

 そして、テントから飛び出すと、わき目も振らず、大股で走っていく。ぼくは必死でクロさんを追いかけた。

「お姉ちゃんを、何処へ連れて行くの?」

 走りながら、ぼくが尋ねるとクロさんは振向きもせず。

「病院だ。中嶋先生っていうやつがやってる、病院だ」と、言った。

「でも、ぼくたち保険証とか、お金とか持ってないよ」

「大丈夫だ。中嶋先生は俺たちホームレスを、ボランティアで診てくれている。金もいらねえし、保険証も必要ねえ」

 クロさんは、ぶっきらぼうな口調で言った。公園を出て、オフィス街をさらに奥へ進むと、住宅街へ出た。普段ぼくは、食料集めのために繁華街の方へは行くのだけど、オフィス街をはさんで繁華街の反対にあたる、この住宅街へ来たのは初めてだった。

 こんなところに病院があるのだろうか? あったとしても小さな町医者だろう、と思っていたら、住宅街の外れに、少し大きめの白いビルが見えてきた。赤い十字のマークと、その下に書かれた「なかじま病院」と言う看板で、そこが病院だとすぐに分かった。

「ここだ」

 と言うと、クロさんはそのまま病院の中へ入っていった。広いロビーは、夕方だから人もまばらだった。ロビーには、メガネをかけた若い男のお医者さんが待っていた。

「中嶋先生っ」

 クロさんはロビーに駆け込むと、そのお医者さんを呼んだ。中嶋先生は、ぼくたちの方にやってきて、しげしげとぼくとお姉ちゃんを見た。

「クロさん。その子ですか?」

「ああ。急に熱を出して。診てやってくれねえか?」

「勿論。診察室へ」

 ぼくたちは、中嶋先生に案内されて診察室へ入った。先生は、手際よく診察していく。ぼくとクロさんは、不安な面持ちでそれを見守るしか出来なかった。

 やがて、診察は終わった。中嶋先生の診断に寄れば、栄養失調で体調を崩したとのことだった。何日か入院して、栄養をつければ、元気になるだろうと、先生は言った。

 すぐにお姉ちゃんは、個室のベッドへ寝かされた。白いシーツと白い布団に包まれて、点滴をれるお姉ちゃんは、まるで息をしなくなったあの日のお父さんみたいだった。中嶋先生への事情の説明はクロさんがしてくれた。中嶋先生は、「あまり、深いことは言及しませんが。もう少し遅かったらどうなっていたか、私にも分かりませんよ」と、厳しい口調でクロさんを叱った。

 その日は、ぼくもクロさんもお姉ちゃんの個室で眠った。


 カーテンの隙間から差し込む朝日が、ぼくの顔をじりじりと照らして、ぼくは眼を覚ました。薬が効いてお姉ちゃんの熱は、すっかり下がって、お姉ちゃんは小さな寝息を立てていた。お姉ちゃんが助かったことが分かったクロさんは、まるで自分のことのように喜んでくれた。

 それからお姉ちゃんが眼を覚ましたのは、お昼になってからだった。丁度、中嶋先生が回診に来てくれたときだった。

「容態も落ち着いているし、二、三日したら退院できるでしょう」

 と、先生はぼくに言った。ぼくは、そっと胸を撫で下ろした。昨日クロさんが、慌てていた時には、もしかしたらお姉ちゃんはこのまま死んでしまうのかもしれない、と思っていただけに、とても嬉しかった。

 クロさんは何度も「良かったな、良かったな」とぼくに言った。

 ところが、先生が次の回診に出て行ってから間もなく、病室にシマさんが飛び込んできた。シマさんの顔は、昨日のクロさんのように、ひどく慌てて落ち着きがなかった。

「一大事だ、クロっ」

「どうした? 何があったんだ」

 シマさんは、唾を飲み込むと、クロさんに「落ち着いて聞けよ」と前置きをしてから。

「市の役人どもが、とうとう行政処分に踏み切りやがった。あいつら、地元の住人と束になって、ホームレスを一掃するとか言いはじめて。ワカや、ケンが何とか抑えてるんだが、役人どもとうとう重機を持ってきやがって」と、言った。

 見る見るうちにクロさんの表情が変わる。

「分かった、すぐ行く。拓海は、お姉ちゃんを看ててやれ。すぐに帰ってくるからなっ」

 クロさんは怖い顔をしてそう言うと、シマさんと一緒に病室を出て行った。ぼくたちが、クロさんのところへ住むようになる少し前から、その話題はあった。あの公園から、ホームレスの人たちを追い出そうと言う計画だ。本来は、子どもたちが楽しく遊ぶために作られた公園なのに、いつの間にかクロさんたちが住み着いてしまった。そのため、近所の人たちは、危なくて子どもを遊ばせられない、と何度となく抗議していたのだそうだ。そして、とうとう、街は強制的にクロさんを追い出す決意をした。

 クロさんたちが出て行って、ぼくとお姉ちゃんは病室に取り残された。昨日は気がつかなかったけれど、やっぱり病院は、どこか薬くさいな、と思ってぼくは部屋の窓を開けた。

 晩夏の風が、ふわりと部屋の中に入ってくる。ぼくは、お姉ちゃんのそばに腰掛けた。お姉ちゃんの手を軽く握る。もともと細い指が、もっとやせ細って、あまりじっと見てはいられなかった。

「拓海、ごめんね」

 不意に、声がした。ボーっとしていたら、風に攫われてしまいそうな小さな声だった。ぼくが顔を上げると、お姉ちゃんがぼんやりとぼくを見ていた。

「ごめんね、ダメなお姉ちゃんで」

 もう一度お姉ちゃんが言った。

「謝らないで、お姉ちゃん。ぼくお姉ちゃんのことダメだなんて思ってないよ。ぼく、お姉ちゃんのこと大好きだよ。お父さんが大好きなのと同じくらい」

 と、ぼくが言うと、お姉ちゃんは微かに笑みを浮かべた。お姉ちゃんが表情を浮かべるのは、本当に久しぶりのことだった。

「早く元気になって」

 ぼくはそう言って、微笑み返した。お姉ちゃんは、再び瞳を閉じると、眠りに入っていった。

 その日、ずっと待っていたのだけど、クロさんは戻ってこなかった。




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