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Belong  作者: 雪宮鉄馬
12/17

第十二話 ごめんね

 鳥の声で次の朝、ぼくは目を覚ました。お姉ちゃんはぼくが起き上がる気配で、目を覚ましたのか、眠そうに目をこすっていた。テントの中には、クロさんはいなかった。その代わり、ダンボールで作った小さなテーブルの上に紙が置いてあった。新聞の裏紙。

「仕事に言ってくる」

 と、無愛想な科白に似合わず、丁寧な字で書置きされていた。クロさんはぼくたちが目を覚ますよりも先に、目を覚まして日雇いの仕事へ出かけたのだ。書置きには、まだ続きがあった。

「朝飯食っていけ。それと矢和までの地図だ、もって行け」

 書置きの傍に、パンと牛乳が置かれていた。どちらも賞味期限の切れていないものだった。さらにその下に置かれた紙切れに、矢和までの地図が書かれた紙が置いてあった。

 ぼくたちは、朝食を食べて、それからクロさんの鉛筆を拝借して、書置きの隅に「ありがとうございました」と書き添えておいた。地図を手にすると、ぼくたちはテントから出た。朝日がビルの間から、まぶしく輝いている。まだ午前の日差しは緩く、とても涼しい。他のホームレスの人たちも出計らっていて、公園は静かだった。

 お姉ちゃんはぼくの手を引くと、公園を後にして、矢和を目指して出発した。

 会社員の人たちが右往左往し始めるビル街を抜け、川沿いの土手を歩く。子犬を散歩させていたおじいさんとすれ違う。土手を降りて、アーケードの商店街をすり抜けていく。お店を開けるシャッターの音が、ガラガラと響き渡る。アーケードを抜けると、大通りがあって、車が行き交う大通り沿いの街路をあるく。やがて大通りは海に続いていた。海を見るのは、桜ヶ浜以来、久しぶりだった。水平線の向こうには、もくもくと入道雲が見える。あの雲の下は今頃大雨だというけれど、あんなに大きくて綺麗な雲からは想像もつかなかった。

 地図に従い、海岸沿いを矢和へと向かう。整備されたレンガの歩道がのびて、街路樹の代わりにやしの木が、風に揺れていた。レンガの道を進むと、やがて「矢和市」という標識が目に止まった。

「やったあ、着いたよ、矢和にっ!!」

 お姉ちゃんが、両手を青空に向かって掲げ、喜ぶ。だけど、問題はこれからだ。矢和の街の何処に志郎叔父さんの家があるのか、全く分からないのだ。

 ぼくたちは、とにかく今分かってる情報を頼りに、叔父さんの家を捜し歩いた。いろんな人に場所を尋ねる。怪しまれても素直に、「親戚の家なんです」といえばよかった。やがて、太陽が西の空へ沈みかける頃、ようやく目の前に一軒のお店が現れた。

 そこは、他の商店が並ぶ、古い商店街の一角で、お味噌屋さん、呉服屋さんに肩を並べるようにして建っていた。表には古びた黒い木の看板に金色の文字で「桑名酒店」と書かれていた。桑名は、お母さんの旧姓で、志郎叔父さんの苗字だ。そう、そここそが志郎叔父さんの家だった。

 ぼくたちは、心の中では飛び上がりたいほど嬉しかった。やっと、叔父さんの家へたどり着いたのだ。でも、その反面、叔父さんにどう切り出せばいいだろう。疎遠になってしまった叔父さんは、ぼくたちを快く思ってくれるだろうか? そういった不安が、今更頭にもたげて、なかなか叔父さんの家へ近づけず、通りでぼんやりと立ちつくしていた。

 すると、お店の置くから、バケツと柄杓を持った女の人が、パタパタとスリッパを履いて現れた。打ち水をしようとしていたその女性は、お店の入り口まで来て、ぼくたちに気がついた。白いエプロンが似合う、女の人、その人は若葉叔母さんだった。

「あら、いらっしゃい」

 若葉叔母さんがぼくたちに言った。お姉ちゃんは、何か言い出そうとしていたけど、どうしても言葉に詰まる。叔母さんは少し怪訝な顔をしながら、ぼくとお姉ちゃんの両方をちらちらと交互に見た。

「あ、あの、私っ、は、春香です」

 やっとお姉ちゃんが口にした言葉はそれだった。若葉叔母さんは最初、きょとんとしていたが、急に目を丸くして。

「春香ちゃんっ? じゃああなた拓海くん?」とぼくに言った。


 若葉叔母さんは、ぼくたちをお店の奥に上げてくれた。この酒屋は自宅兼お店として建てられており、即ちここはお母さんの実家でもあった。ぼくたちは畳の間に案内されて、卓袱台の前に座らされた。普段は居間として使われているのだろう、テレビが置いてあり、古い壁掛け時計の、時を刻む音が、コチコチと聞こえてくる。

 志郎叔父さんは、町内会の寄り合いがあって出かけていた。お酒を呑んだりするから、遅くなるだろうと叔母さんは言った。

 その叔母さんは、ぼくたちに冷たいお茶を出してくれた。お茶を飲んで、人心地ついたぼくたちに、叔母さんは。

「二週間前にね、小原さんから、あなたたちがこっちへ来ていないかって電話があったの」

 小原さんと言うのは、お父さんの妹、つまりこの前までぼくたちがいたあの家の叔母さんの苗字だ。

「それで、何かあったのかって、事情を聞いたら、あなたたちが家出したって仰るから、心配してたのよ。今、小原さんのところへ電話するから、迎えに来てもらいましょう」

 と若葉叔母さんは言って立ち上がろうとした。すると、お姉ちゃんが慌てて、若葉叔母さんを止めた。

「あの、待ってください。私たち、ただ家出するためにここへ来た訳じゃないんです」

 真剣な眼差しで言うお姉ちゃんに、若葉叔母さんはもう一度座りなおした。お姉ちゃんは、事情を出来るだけ詳しく、細かく説明した。お父さんが死んで、小原の叔母さん家で何があったか、そして小原の叔母さんと叔父さんが、ぼくたちを引き取ったのは、お父さんが残した財産と保険金が目当てだと言うこと。そして、ぼくたちは家出を決意し、お母さんを捜すことにしたこと。吉村さんの家へ行って、小西さんを捜して、手がかりがなくなって、財布をなくして、それで志郎叔父さんなら何か知っているかもしれない、と考えてここまでやって来たこと。すべて話し終わるまで、若葉叔母さんは、じっと黙ってぼくたちの話に耳を傾けてくれた。

 ようやくすべて話し終わると、部屋の中を沈黙が支配する。コチコチと時計の音だけが部屋でする唯一の音だった。おもむろにお姉ちゃんが口を開く。

「それで、あの、何か知っていたら教えてほしいんです。お母さんが何処にいるか……」

 おずおずと尋ねると、叔母さんは瞳を伏せてからお姉ちゃんに返した言葉は、ぼくの想像とは全く別のものだった。

「お母さんか。……神様がいるなら、どうして私にこんな役目を回して来たんだろう。でも、話さなきゃダメよね」

 ぼくは訳が分からず、きょとんとしていた。若葉叔母さんは、深く深く溜息をついてから、ゆっくりと口を開いた。その言葉に、ぼくの足下はぐらついて、目の前が真っ白になって、倒れそうになった。信じられない、というより、訳が分からなかったのだ。でも、叔母さんはけして嘘なんかついていなかった。

「二人とも、落ち着いて聞いてね。あなたたちのお母さんは、去年、病気で死んじゃったのよ。今は、あなたたちのお父さんと同じところにいるの」

 叔母さんの声は心なしか震えていた。お姉ちゃんはぼくの隣で真っ青な顔をしていた。多分ぼくもそうだったのだと思う。

「信じられないかもしれないけど。本当はね、もっと早くにあなたたちや、あなたたちのお父さんにこのことを知らせるべきかも知れないと、思ってたんだけど、志郎さんが伝えなくてもいいって言うから、ついつい伝えそびれてたの。そのことはあやまるわ」

 すべての時間も空気も止まったような空間で、叔母さんは続けた。

 お母さんは、ずっと重い病気に罹っていたのだそうだ。ぼくたちが生まれる前から。それでも、結婚生活にも、子育てにも問題のないくらいだったのだけど、それはぼくが生まれてから一変した。ぼくはひどく難産だったという話は、お父さんからも聞いたことがある。だけど、問題は、難産で体力を大きく消耗したお母さんの体に潜んでいた病魔は一気に、活発になり、ぼくを生んだあと、ずっと家のベッドで寝たきりになってしまったのだ。

 離婚しよう、と口にしたのは、お母さんの方からだった。お父さんは、お母さんのことが大好きだったし、お母さんはお父さんが大好きだった。だけど、お母さんは子育てと、自分の看病に悪戦苦闘するお父さんを、そのままにしておけなかった。何度も話し合って、喧嘩もして、お父さんとお母さんは離婚を決意した。

「だけど、何処で手違いがあったのか分からない。もしかしたら、あなたたちのお父さんをねたむ人が、悪意をもってしたのかもしれないし、ただの噂話に火がついたのかもしれない」

 と、叔母さんは付け加えた。

 離婚してお母さんは実家がある「矢和」へ帰り、しばらくたってからある日突然に、噂話が起きた。お父さんは、お母さんの看病に辟易して、そとに女の人、つまり「愛人」を作った。それがお母さんにばれて、離婚したんだと。お父さんが完全に悪者だった。どちらが悪者じゃない。ただ、お父さんもお母さんもぼくたちのこと、お互いのことを考えて、決断したことだったのに、興味本位が独走する世間は、それを理解してくれなかったのだ。

 志郎叔父さんは、お母さんの弟で、その話を真に受けてしまった。信憑性にかけていても、ドラマで良くあるようなパターンの噂だけに、信じやすい噂だった。そのため、叔父さんはお父さんを毛嫌いしてしまい、疎遠になってしまった。

「お義姉さんは、何度も誤解を解こうとしたのよ。でも、ウチの人も頑固ものだから、聞く耳持たなくて」

 そして、長い間この「桑名酒店」の二階で寝たきりの生活を送っていたのだけど、丁度去年の今頃、病魔に負けて、志郎叔父さんと若葉叔母さんに看取られて、息を引き取った。

 若葉叔母さんは、すぐにぼくたちにお母さんが死んだことを伝えようとしたのだけど、噂を信じて止まない志郎叔父さんは、お母さんが死んだのはお父さんが見捨てた所為だ、と言って聞かなかった。

「ずっと、あなたたちに会いたがってた。病気が治ったら、すぐにでもあなたたちのところへ飛んで行きたいって」

 叔母さんは最後にそう結んだ。時計の針は、ここへ着いてから二回も廻っていて、ぼくたちはぐったりと疲れていた。

「折角ここまできてくれたのに、こんなことを突然伝えなきゃならないなんて。本当にごめんなさいね。今日はもう遅いから、泊まっていきなさい。明日、ウチの人に小原さんのこところまで、送ってもらうように言っておくから。ね、そうして」

「でも。でも、ぼくたち小原の叔母さんのところへ帰りたくないの」

 ぼくが小さく消え入りそうな声で言う。風がひと吹きすれば、何処かへ飛んでいきそうなくらい。若葉叔母さんは、そっとぼくに手を伸ばして、ぼくの頭を軽く撫でた。

「どんな事情にせよ、あなたたちはまだ子どもなのよ。大人なしでは生きていけない。小原さんたちが、あなたたちのお父さんの遺産を欲しがっているとしても、あなたたちの親権を手にしてしまった以上、責任があるわ」

 若葉叔母さんの声も消え入りそうだった。ぼくたちを哀しい眼で見ながら、そう言うと、叔母さんは立ち上がった。

 ずっと捜していたお母さんは、もうとっくの昔にぼくたちの手の届かない場所へ行ってしまって、ぼくたちは居もしない母親を捜し続けていた。すべてが振り出しに戻ったんだ。ぼくとお姉ちゃんに残された選択肢は、小原の叔母さんの家へ戻る、という道しかなかった。

 若葉叔母さんは、居間にぼくたちを残すと、奥の部屋にある電話で、小原の叔母さんに電話をかけた。襖が邪魔で、小原の叔母さんと何を話しているのか、ぼくたちには分からなかったし、知る必要もなかった。

 ぼくは項垂れて、黙っていた。

「拓海」

 突然、お姉ちゃんがぼくを呼ぶ。ずっと口を閉ざしていたお姉ちゃんの瞳は焦点を得ていないように見えた。

「行こう」お姉ちゃんが立ち上がる。

「行くってどこへ? 小原の叔母さんのところ?」

 ぼくが尋ねたのに、お姉ちゃんは、返事もせずにぼくの腕を乱暴に掴んだ。お姉ちゃんは無理矢理ぼくを引っ張って立ち上がらせると、早足で「桑名酒店」を飛び出した。若葉叔母さんは電話をしていて、ぼくたちに気がついていなかった。

 外に出ると、夜空はどんよりとして、空気が生暖かい。暗い路地をお姉ちゃんに引っ張られて抜けていく。お姉ちゃんはお構いなしに、ぼくの腕を引くから痛くて、何度か「離して」と抗議したのだけど、お姉ちゃんの耳には入らなかった。

 

 どれだけ歩いただろう。風景はすっかり変わり、人気のない街路に出ていた。二車線の道路の両端に、海へ続くレンガ敷きの歩道があり、街灯が道なりに点々としている。

 ようやく、お姉ちゃんの歩みが遅くなり、ぼくたちはとぼとぼとレンガの歩道を歩いた。何処へ行けばいいのか、どうすればいいのか、ぼくは必死に幼い頭で考えたのだけど、一向に、妙案が浮かばない。

 歩道には、ぼくたち以外に、ほかに車も歩行者も見当たらない。ふと顔を上げると、ぽつり、ぽつりと雨が降り始め、すぐに雨足は強くなった。

握り締められた手に力がこもって、痛い。ぼくは、急に不安になって顔を上げた。月は雨雲に覆われ、真っ黒な夜空から降る雨が、アスファルトを叩き、街灯に彩られた歩道を透明にぼやけさせる。お姉ちゃんは肩を雨にぬらしながら、泣いていた。

 お姉ちゃんは絶対に泣かない人だった。気が強いと言うのか、どんなことがあっても絶対泣かない。泣き虫な弟のぼくより、ずっと強い人だと思っていた。それなのにお姉ちゃんは、泣いていた。頬を伝うのは雨なのか、それとも涙なのか良く分からなかったけど、震える肩も、時々しゃくりあげる声も、ぼくに「泣いている」と分からせるのには十分だった。

「ごめんね、拓海。ごめんね」

「どうして謝るの? お姉ちゃん、どうしたの?」

 はじめて、お姉ちゃんの涙をみたぼくは、当惑しながら尋ねた。お姉ちゃんは、肩を震わせて、しゃくりあげながら言う。

「本当は、知ってたの。お母さんがもうこの世にいないってコト。吉村さんの小母さんに教えてもらってたの」

 雨の音に掻き消されそうなほど弱々しい声だった。ぼくは、その時になってはじめて気がついた。吉村さんの家へ言ったあの日、小母さんと何やら話したお姉ちゃんは、真っ青な顔をしていたのは何故か、ぼくたちをバスまで見送った、吉村の小母さんが「叔母さんによろしくね」と言ったのは何故か。お姉ちゃんは、ずっと前にお母さんがもういないということを知っていて、ぼくにはずっとそれを黙っていた。

「拓海に話すべきか、迷ったんだよ。でもね、心のどこかで、お母さん死んじゃったことを本当だって信じたくなくて、お母さんが私たちを残して居なくなるなんて信じられなくて、ちゃんと確かめようって思って、だから、だから。もしかしたら、志郎叔父さんの家のまで来れば、お母さんに会えるかもしれないって、思ったんだ。でも、本当はお母さん、もう何処にもいないのにね」

「お姉ちゃん……」

「ひどいよね、私。ダメなお姉ちゃんだよね。お姉ちゃん失格だよね。ごめんね」

 街路の真ん中で立ち止まり、お姉ちゃんはぼくに、何度も何度も「ごめんね」と繰り返しながら泣き続けた。でも、幼いぼくに何が出来るだろう?

 お姉ちゃんの頬を伝う涙を拭うには身長が足りないし、お姉ちゃんを慰めるには言葉が足りなかった。ただ、ぼくは押し黙って、じっとお姉ちゃんの顔を見つめているしか出来なかった。あまりにも子どもで、あまりにも無力で、お姉ちゃんを元気付けることも、守ることも出来ない、ぼく自身がとても歯がゆかった。

 雨は、無情にもぼくたちの肩を濡らしていく。ざあざあ、と音を立てながら。まるで、お姉ちゃんの泣き声をかき消そうとするみたいに。

 どうして、お父さんもお母さんもぼくたちを置いてどこかへ行ってしまったのだろう。

 ぼくたちはこれからどうすればいいのだろう?


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