表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Belong  作者: 雪宮鉄馬
11/17

第十一話 公園のクロさん

 ずっと前、図書館で借りた本にこんな話があった。ぼくくらいの男の子が、生き別れになったお母さんを探して、旅をするのだ。道中色んな苦難が待ち受けていて、挫けそうになったりしながらも、三千里を越えてお母さんと再会する、と言うお話。

 ぼくは本を読むのが大好きだった。難しい漢字が多い小説はまだ読めなかったし、算数の教科書は嫌いだったけど、児童向けの童話の本は特に大好きで、いつも図書館や学校の図書室で借りてはお家で読んでいた。

 お姉ちゃんはマンガが好きだし、同い年のクラスメイトたちも、マンガ雑誌をよく読んでいたけど、ぼくだけはいつも活字を読んでいた。周りには、色々とはやし立てる人もいたけど、大人たちは「拓海くんは、ちゃんと本を読んでて、偉いね」と良く褒めてくれた。だから、図に乗って本を読んでいた、と言うわけじゃない。本当は、マンガも大好きだ。テレビではアニメだって見るし、ときどきお父さんにおねだりして、マンガも買ってもらっていた。

 ぼくが本を好きな理由はもっと別で、本を読んでいると、ぼくもその主人公になったみたいな気がするからなのだ。

「海底二万里」を読めば、ぼくはネモ船長になる。潜望鏡をのぞいて海上を探るんだ。「ピーターパン」を読めば、ぼくはピーターパンになる。不思議なネバーランドの空をティンカーベルと一緒に飛び回る。「トムソーヤの冒険」を読めば、ぼくはトムソーヤになる。アメリカの広大な大地を好奇心いっぱいに駆け回る。

 そうやって、いつも空想しながら、読むのがぼくは大好きだった。お姉ちゃんは、「妄想癖になるよ」と、ぼくを脅したけど、今のところそういう症状はみられない。だけど、例えネモ船長になっていても、ピーターパンになっていても、トムソーヤになっていても、本を一度パタリと閉じれば、ぼくは「遠野拓海」に戻るのだ。

 遠野拓海は、背が低くて、弱虫で、泣き虫。いつもお姉ちゃんの後ろにくっついて、助けてもらってばかり。ネモ船長のように冷静でもないし、ピーターパンみたいに、勇敢でもない。どんな物語の主人公より、ちっぽけな存在なんだ。

 だけど、遠野拓海の物語の主人公はぼくで、他の誰でもない。こうして、お姉ちゃんに手を引かれていることも、こうして、お母さんを探しあぐねていることも、すべて、ぼくが主人公の物語なんだ。

 もしも、変えられるのなら、物語ではなくて、それは、ぼく自身しかなくて、そして、ぼく自身が変わることで、この物語は変わるのではないだろうか。

 ただ、ぼくはぼく一人で生きられないほどの、だだの6歳の子どもなんだ。


 矢和という街へはもう少し。と、思っていたのだけど、歩けど歩けど矢和という街へはたどり着けなかった。ようやく、道に立てられた青色の標識に「矢和」と言う文字が見えたのは、夏祭りの夜から、一週間後だった。それでも、「矢和」の文字の右にはまだ長い距離を表す数字が書かれており、ぼくたちは落胆の溜息を漏らした。

 りんご飴屋のおじさんも、ぼくたちがまさか歩いて矢和へ行くつもりだったとは、思ってなかったのだと思う。まして、子どもの足で歩きとなれば、想像以上に時間がかかることは明白だった。

 いつの間にかあたりは、高い建物も増え、人と車の多い街の真ん中になっていた。商社ビルに出入りする、忙しそうなサラリーマン、学校帰りの高校生、楽しそうにデートするカップル。ぼくたちの前を沢山の人が通り過ぎていく。

「蝉の声、聞こえないね」

 お姉ちゃんが街路樹を見上げて言った。街路樹の下に木で作られた小さなベンチがあって、ぼくとお姉ちゃんは、少し休憩を取るため、そこに腰掛けていた。

 街の片隅にあった公園で汲んだ水道水は、とても生ぬるかったけれど、カラカラの喉を潤してくれる。

「こんな都会には、蝉は来ないのかな」

 ぼくも、街路樹を見上げて言った。木の葉と木の葉の隙間から、夕暮れ時の金色の光が、少し眩しい。

「田舎じゃ、あんなに沢山泣いていたのにね。ここじゃ、蝉より人の声の方がうるさいし」

「うん。でも、ぼく、蝉嫌いだよ」

「どうして?」

「ぼくが近付くと、いつもおしっこかけて行くんだよ。ひどいよ」

 と、ぼくが言うと、お姉ちゃんはあはは、と笑った。

「まあ、私は虫が苦手だし。そう言えば、お父さん、虫取り上手だったんだよ」

「そうなの?」

「うん。私が小一のとき、虫の研究っていうのが夏休みの宿題で出たの。でも、私、虫なんか捕まえたことないし、どうしたらいいか分からなくって、お父さんに聞いたら、じゃあ捕まえてやろうって。ほら中学校の裏山へ行ったことあるでしょ、覚えてない?」

 そう言えば三年前、買ったばかりの虫網とかごを持って、お父さんが勤める中学校の裏山へ行ったことがある。

 ぼくたちよりお父さんの方が虫取りに夢中になっていた。お姉ちゃんがぼくの耳元で「ああいうのを、童心に帰るって言うんだよ」と、苦笑しながら囁いた。

「あの時、はじめて蝉は一週間しか生きられないって知って、私ものすごくかわいそうに思ったんだよね」

 お姉ちゃんは感慨深げに、遠い目をして言った。ふわりと、夏風が街をすり抜けていく。さらさらと木の葉を揺らす風は、額の汗に当たって涼しい。

「さて、行くか。今日の寝床探そう。明日はきっと矢和にたどり着けるよ」

 お姉ちゃんはそう言うと、すくっとベンチから立ち上がった。ぼくたちは、今夜の寝床を確保すべく適当な場所を捜し求めた。

 街路樹の立ち並ぶこの道の突き当りには、JRの駅があったのだけど、ショッピングモールと隣接するほど大きな駅だったため、子どもが寝ていれば、当然誰かが声をかけてくるに違いない。補導されたり、警察の人に捕まったり、叔母さんの家へ帰されるのだけは、何としても避けたいので、駅に泊まるのは諦めることにした。

 駅を反対に抜けると、そこはビル街だった。大手保険会社のビル、銀行のビル、何の会社か分からないけど、大きなビルが立ち並び、さながらビルの森だった。街路樹通りの方は、繁華街で騒がしかったけど、こちらはずいぶん静かな場所だった。

 しばらくビル街をくねくねと、曲がる道を歩き続けると、やっとぼくたちは、適当な寝床を発見した。

 公園だった。ビルとビルに囲まれて、少し薄暗いそこは、遊んでいる子どももいないし、遊具だって誰かが使っている風はなかった。ここなら、休めそうだと思い、ぼくたちは公園へ足を踏み入れたその時、後ろからしゃがれた声が飛んできた。

「おい、お前たち」

 びっくりして振り返ると、いつの間にか、ぼくたちの後ろに知らない小父さんが立っていた。小父さんは髭もじゃで、白髪交じりの髪も伸び放題、ボロボロの服は汚れが目立つ。どこからどう見ても、みすぼらしい格好をしていた。

「お前たち、何処のガキだ?」

 小父さんの問いに、お姉ちゃんは声を詰まらせてしまった。答えが思いつかない、というより、小父さんが怖かったのだ。それに気がついた小父さんは、口許に笑みを浮かべて。

「あ、いや怖がらせるつもりじゃねぇんだ。ただ、この公園に遊びに来るガキは少ねぇから、ちょっと不思議に思ったのさ」

 小父さんの言葉に他意は感じ取られなかった。それでもお姉ちゃんは警戒の眼差しを向けている。

「私たち、ここへ遊びに来たんじゃないんです」

「何だと? ガキが公園へ遊びに来なくて、何をしに来るんだ? まさか、市の連中が送り込んだ交渉役ってわけでもないだろう?」

 小父さんが何を言っているのか良く分からなかったけど、「コウショウヤク」なんてものじゃない。お姉ちゃんは、かいつまんで事情を説明した。小父さんは真剣な眼差しでお姉ちゃんの言葉を聞いて、それから髭を二度さすった。

「ほお、母ちゃんを捜して、ここまで来たのか。ここまで良く来れたな。だけど、ここは寝床にするにはちょっと、そぐわねぇなあ。蚊は多いし、それに……」

 小父さんが神妙な面持ちになる。その時、通りからぞろぞろと、小父さんそっくりなみすぼらしい格好の人たちがやって来た。

「おう、シマさん。ご苦労さん。収穫はどうだった?」

 小父さんが尋ねると、先頭を歩いてきた、痩せぎすな人が、ニカっと笑う。

「食いもんはあんまり見つからなかったがよ、賞味期限切れのタバコが5カートン手に入った。ほれ、クロにも一つやるよ」

 シマさんという痩せた小父さんが、クロさんにタバコを一箱投げ渡した。弧を描いてたばこはクロさんの大きな手の中に、すっぽりと納まる。

「タバコか、久しぶりだな、ありがとよ」

 クロさんが嬉しそうに答えると、シマさんはクロさんの傍らにいるぼくたちに気がついた。

「なんだ、その子らは。お前の息子と娘か?」

「バカ言え、息子は成人したよ」

 クロさんが笑う。シマさんは「そうだったな」とだけ答えて、さほどぼくたちには興味を示さず、他の人たちと一緒に公園の中へ入っていった。

「と、いうわけだ。ここには俺みたいなホームレスが集まってる。別にとって食いやしないが、ガキだけでいる場所じゃねえ」

 クロさんはタバコをポケットにしまうと、ぼくたちにそう言った。お姉ちゃんが肩をがっくりと落とすのがぼくにも分かった。他にいい寝床はあるだろうか?

「まあ、そうがっかりすんな。ガキだけでいるトコじゃないだけだ。蚊が多いのを我慢してくれれば、今日は俺の住処に泊めてやる」

 クロさんは、ヤニだらけの歯を見せてぼくたちに言った。


 ぼくとお姉ちゃんは、クロさんの好意に甘えることにした。田舎ほど都合のいい寝床が見つかる保障はないし、あまりウロウロしていたら、補導員に捕まっちゃう虞だってあった。

 クロさんの住処は、公園の奥にある茂みの中にあった。ダンボールとブルーシートで作られた、家というよりはテントのような場所だった。テントは他にも沢山あって、この公園は、ホームレスの人たちが集まる場所になっていた。そのため、近くの子どもたちが遊びに来るわけもなく、この公園は静かだったのだ。

 テントの中に入ると、以外にもクロさんは清潔好きなのか、きちんと片付けられていて、ぼくたちが寝るスペースも十分にあった。

 とりあえず座ってから、自己紹介。クロさんの名前は、本当は黒田博史というのだそうだ。ただ、ここでは本名は名乗らない、愛称で呼び合うのが慣わしだ、とクロさんは言った。

 外はすでに夕刻を過ぎ、ビルに明かりが灯る時間になっていた。

「そうだ、腹はすいてないか、二人とも?」

 クロさんがぼくたちにそう尋ねた瞬間、ぼくのお腹がきゅーっと鳴った。クロさんはまたヤニだらけの歯を見せて笑うと、テントの端に置かれた、ダンボール製のタンスの中を探り始めた。

「あった、こいつは賞味期限が切れてねぇ。これでも食いな」

 クロさんはぼくたちに、一つずつ菓子パンを放り投げてくれた。ぼくの好きなジャムパンだ。

「いいんですか?」

 お姉ちゃんが、クロさんに問いかけると。

「困った時はお互い様ってやつよ。俺たちホームレスはそうやって生きてる。世捨て人をいきがっちゃいるが、腹はすくし、病にもなる。そういう時はお互い助け合うんだよ。ほれ、ガキは遠慮なんかするな」

 といってくれた。その科白は、以前千鳥さんが言った時と同じ響きがした。ぼくとお姉ちゃんは、遠慮なくパンを食べた。

 夜ご飯を食べ終わると、クロさんはタバコに火をつけた。焦げ臭い煙の匂いがテントの中に漂う。

「小父さんは、ここに住んでるの? どのくらい前から?」

 タバコの煙をくゆらせるクロさんにぼくは尋ねた。

「そうだな。もうかれこれ8年近くこの公園に居座ってるな。はじめは、おれとシマさんとあと数人くらいだったんだがな。お前らには分からねぇかも知れないが、世の中ってのはひどく不親切でな、リストラだの何だのって、一生懸命頑張ったヤツまで、気に入らなきゃ平気でゴミ箱へポイ捨てさ。それで、気がつけば、かなり大勢がここへ住み着いてる。」

「どうして? みんな、お家追い出されちゃったの?」

 と、聞くと、クロさんは大声を出して笑った。

「拓海は面白いことを言うなあ」

「そう言えば、クロさんは子どもがいるんですか? さっき、シマさんと話してたとき、息子が成人したとかって」

 お姉ちゃんが、記憶を手繰り寄せて言う。クロさんはまた声を立ててケタケタと笑った。

「春香は、耳がいいな。その通りだ」と言って、タバコの煙をぷーっと吹き出す。

「これでも、昔はこの公園の裏にあるビルで、エリートビジネスマンってやつをやっていたんだ。給料も、下手な公務員より良かったし、何よりも人の尊敬を一身に集められた。結婚もして、ガキも授かった。全部順風満帆だったんだけどよ、ある日思ったんだ。俺は何をやっているんだろうってね。エリートになって、数多くのヤツを蹴落として、上司に気に入られるために頭を下げて。それで得られた、お金も尊敬も、全部ちっぽけなものじゃないのかって。どうしてそんな風に思ったのか良く分からなかったけどよ、ただ、地位を築くために必要悪と割り切って、汚いことも沢山して、これが現実だと言い聞かせて来たことにはじめて気がついた。一度そう思うと、バカらしくなっちまって、辞表出して仕事を止めたんだ。これからの将来は思いつきもしなかったけどよ、家族はちゃんと理解してくれると思った」

「分かってくれなかったの?」

 と、ぼくが聞くと、クロさんはまるで自分をあざ笑うかのような顔つきをした。

「ああ。俺の嫁は、俺が好きだったんじゃなくて、俺の地位や名誉が好きだった。息子も俺を尊敬してたんじゃない。やっぱり地位や名誉を尊敬してた。息子に関しては、そう育てた俺にも問題があるんだけどな。ただ、俺は家族にひどく叱責され、とうとう家を追い出された。というより、俺が逃げた。それで、どうしたものかと街をブラブラしてた時に、シマさんに出会ったんだ。俺が事情を話すと、シマさんは納得してくれてな、どうせ当てがないなら、ここで俺たちの仲間になれって言ってくれたんだよ。家族にも理解できなかったことが、ホームレスで赤の他人の男に分かる。嬉しかったな、あん時は。それで、俺もここへ住み着くようになったわけだ」

「家族には、会ってないの?」

「ああ、今嫁が再婚してるのか、息子がどう成長してるのか、俺は知らない。知るべきじゃない。俺は家族も捨てて、世捨て人になると決めたんだからな」

「寂しくない?」

 ぼくがクロさんの顔を覗き込むようにして尋ねると、クロさんは微笑んで、ぼくの頭をくしゃくしゃと撫でた。

「そうさな、せめて息子の成人式は見たかったな。寂しいかと聞かれれば、寂しいとは思ってないな。この生活を選んだのは俺だし、毎日食料集めに奔走したり、日雇いでこき使われても、エリート生活に戻るより、今の方が幸せだ」

 クロさんはそう言うと、タバコの吸殻をお酒の缶のなかに捨てた。底に残ったビールに、タバコがジュッという。

「さて、もう寝るぞ、灯代もバカにならないからな。日が沈めば床につき、日が昇れば床をはなれる」

 そう言うと、ランプを開けて、クロさんは日を息で吹き消した。溶け込むようにテントの中が真っ暗になる。

「おやすみ」

 横になったお姉ちゃんがぼくに言った。ぼくはいつものように「明日が今日よりいい日でありますように」と願って、瞳を閉じた。


ご意見・ご感想などございましたら、お寄せください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ