第四十六話「東雲の空に小さき桜」
終戦の鐘が鳴り響く。闇夜に染まった空から黒煙が消えていく。
こうしてまたひとつの戦争が幕を閉じた。
「ん~! やっと終わったぁ。ほら、おいで」
少女は私の手を引いて穴倉から顔を出させる。
そこで見た光景は生涯忘れることのないほど衝撃的だった。
「雲が、明けてる……?」
闇夜から差し込む陽の光。
空の色は灰色と学び、それ以外の色は存在しないとさえ教えられていた。
だが私が今見ていたものは、紛れもない橙色の日差しだった。
「この景色を見るのは初めて?」
コクリと頷く。
遠目で見える他の場所には明らかに日差しは通っていない、ここから見える東の空だけが陽の光を浴びていた。
「実はね、昨晩王国が試験運用していた人工ハリケーンを東壁地帯に誘導したんだよ。あそこは表向きはフロスト共和国の補給物資貯蔵庫となっているけど実際は神国アルトの司令塔。つまりは共和国を利用したダミー塔だ。これは完全な王国区域の領土侵犯に当たる。まぁ王国側もそれには気づいてたんだけど、共和国とは物資交渉の席に着いているから下手にものを言えない。だから王国は新手の手札である人工ハリケーンを使ってまで試験運用と銘打ち暗に帝国に協力を仰いだってことだね。これは神国アルトと敵対する帝国側としても都合がよく、今後の帝王国首脳会談に置いても対話材料としても役に立つ。だから手に乗ったわけだ」
私は少女の説明で合点がいき納得した。確かに自国ヴァンクール帝国に並ぶ大国のひとつ、ルクセンライト王国は人口ハリケーンの実験を行っていたのを耳にしたことがある。
だけど、王国側がその人口ハリケーンを発生させたのはつい昨晩の事だったはず。その真の意図を汲みフロスト共和国の補給物資貯蔵庫へ誘導するには風速操作の器具やそれに見合った最前線の人員、統率の取れた一等兵を派遣しなければならない。帝国から王国領地まで車で2日はかかることを考えればまず不可能。現地の兵や待機中の陽動軍も同様に緊急的な作戦向きじゃない。
いや、そもそもなんでそんな情報部隊を通さないと知らないような緊急作戦内容を事細かく知っているのだろうか……。
まさか、この人は──。
「これで今回神国アルトを大々的に潰しにかかった帝国の動きに王国は目を瞑るしかなくなるってわけだよ。一石二鳥だね」
私は今、とんでもない光景を目の当たりにしているのかもしれない。
「二つの作戦を同時に、それもたった一人の指揮で……?」
「ピンポーン!」
少女は疲れも見せずに軽々と答える。
それはあまりに馬鹿げていた、人智を超越していた。難攻不落とされていた神国アルトをたった一人の指揮で崩落させ、片手間に共和国のダミー塔を壊滅させた。そこで得られる政治的利益さえも計算に入れ、結果的に作戦は完全な成功で終わったのだ。
尊敬の眼差しを向ける私に少女は更にとんでもない事を口にする。
「まぁ神国の連中もこっちの迷彩していた司令塔を突き止めて見事弾道ミサイルを必中させたんだけどね、さすがだ。でも残念ながら司令塔の中は空っぽでーす、司令塔に指揮官がいる時代は当の昔に終わりました~」
常識を覆す発言に私はただただ目を見開いて驚くばかりだった。
指揮官である少女がなんでこんな所にいたのか、その理由がまさか自分の拠点を捨てていたなんて思いもしない。帝国が用意する司令塔は決してダミーなどではない、しっかりと設備が整った重要拠点のはず。なのにこの少女はあっさりとその拠点を放棄したのだ。
確かに少女の姿は胸に掲げている勲章を除けば至って普通の軍服を着た下級兵にしか見えない、自分の身の安全を優先するなら完璧なステルス行動になっている。だがそれを実際の行動に移し、易々とこなすのは天性の才を以てしても至難の業。
指揮官の死は作戦の崩壊に繋がる。それをこの少女は誰よりもその大切さを理解していたからこそ、自分の命を最優先したのだ。
結果、作戦が成功すれば拠点の放棄など些細な出来事でしかなくなる。自分に課された責任を莫大な戦果を以て帳消しにする。だがそれは決して常人に出来る事ではない。
その少女は私にとって、生まれて初めて本物の天才と呼べる人だった。
「帰ろっか。──えーと。君、名前は?」
私は首を振った。
生まれながらに戦時投入することが義務付けられた子供は名も与えられず親の顔も知らない。単体で呼ばれる事すら稀な使い捨ての雑兵などに名前は不要であった。
「そっか」
人の気配が無くなり、ただの荒れ地となった過去の戦場をゆっくりと歩く。
道を先導する少女の後ろで、私は歩きながらに東の空を眺めていた。本当に綺麗な、惚れ惚れする夜明けだった。
日が昇り辺りを照らす境界線、戦争の世とは思えない美しい世界。
その空をぼんやりと眺めている私に、少女は何か思いついたような顔を見せる。
「暁は好き?」
コクリと頷く。
その幻想的な世界に私の目は釘付けだった。その空を眺めている瞬間だけは戦争を忘れさせてくれるような気がしていたから。
「じゃあ君の名前──『東雲』なんてどうかな?」
「東雲……」
「夜明けという意味だよ、奇しくも君が見ていた東の空が重なってるね」
立ち止まり、転がっていた石ころで地面に漢字を書き始める。
少女が私に付けた名前は帝国でも珍しい日本語だった。
「後はそうだね、これは餞別」
懐から出した淡紅色の桜を模した小さなヘアピンを髪に付けられた。
「本物だと枯れちゃうから。──うん、凄く似合ってるよ。やっぱり戦場でもオシャレくらいしなきゃね」
汚れきった髪を払うように、私には分不相応な明るい色彩が灯される。
それはまるで貴族が嗜むような"可愛い"ものだった。
「……サクラ?」
「よく知ってるね。そうだよ、バラ科の一種で今じゃとても見ることは叶わないけど、凄く綺麗な花なんだ」
それはたまたま昔本で読んだ知識だった。この世界に花が咲くことは珍しい、その中でも桜は特定の地域でしか芽を見せず今となっては現物を見る機会はない。
しかし、その少女がくれた桜は模造品とは思えないほど綺麗で、生きているようだった。
「桜……東雲、桜……」
「ふふ、気に入ってくれた?」
素顔は見えないけれど、宝石のように魅惑的な美しさを持つ少女に思わず頬を赤らめてしまう。背丈は私とほとんど変わらないのに、その少女は私の何倍も生きているように感じた。
着けられた桜のヘアピンをそっと撫でる。風に揺れて感じる重さは今までのどんな軍帽よりも重く、体の一部として馴染むような感覚がする。
現世で見れるものに勝る景色はない。桜がどんなものなのか私には分からない、今この肌で感じる桜と実物のものでは大きな相違があるのは仕方のないこと。
「もし、この戦争が終わったら。……桜、たくさん見れますか……?」
本当の桜を見てみたくなった。こんな小さなものですら美しく感じるのだから、本物はきっと感動する程に綺麗なのだろう。
「戦争は終わらないかな。でも歴史から読み取れるようにあらゆる情勢は恒久的に続かない、だから君の願いはきっと叶うよ。こんな廃れた世界じゃなくたって、きっとね」
少女は遠い未来でも見透かすように空を見上げた。
初めて貰った名前、初めて貰った物。その少女は僅かな時間で私に沢山のものをくれた。
「人間という儚く脆い命一つで人生を謳歌し続ける君が桜を名乗るのなら、それはまさしく展望の春と言えるだろうね」
淡く煌めく空を眺め、そう呟いた。
荒野の風が薄い砂埃を見せ、終わりを迎えた戦場の虚無が身を窶す。
彼女はそれを知っている。何度も何度も戦地に赴きこの風を体感してきた。そしてそれを実感している時こそ、自らの命の大切さを最も学ぶ時なのだということも。
「生きるということはかくも普遍的な概念だ。それに挑むことは誰よりも辛く、そして万人に理解されないだろうね。──だけど私は知っている。君の掲げる苦難の明日を、君が捨てた安寧の今を。だから君自身もそれを最後まで貫いて見せて、そしていつか思い出して、ここに君の理解者が居たことを」
儚げな表情でこちらに振り返る。──今にも泣きそうな、覚悟を決めた顔で。
その目に映ったのは私を通した未来の誰かに思えた。
まるで幾度もその顔を見てきて、今の私を懐かしむような表情。
彼女と出会うのも今日が初めてで、存在を知ったのも初めてだったのに。それでも若きその少女は私にどこか他人じゃない接し方をしていた。
「──明日を生きろ東雲桜。そして謳歌せよ、泥沼を這いずる人生を。これから数多の理不尽と不条理が君を押しつぶそうと襲い掛かってくるだろう。でも決してその頭を下げるな、決して諦めるな。力を抜いて終わりを受け入れるくらいならその苦痛を受け入れて力を入れ続けるんだ。……きっとその先に本当の未来は繋がっているから」
重い目を閉じ「今回こそは」と自分に言い聞かせるように呟いた少女は表情を一変して先程までの天真爛漫なものへと戻った。
「じゃあまたね、桜ちゃん」
軽く手を振りその場を去ろうとする少女。
茫然としていた私はハッとして呼び止める。
「あ、あの! せめて名前だけでも」
まだ何も知らない。何も分からない。ただいつの間にか懐に入り込んできて、いつの間にか全てを掌握していて、そして気づけば何もかもがその少女によって終わっている。ただそれだけしか知らない。
せめて名前、名前だけでも知りたい──。
しかし少女は首を振って私の問いを否定した。
「君の歴史に私の存在はきっと不要だよ」
「そんなこと──!」
「──でもいつか君の力が必要になったとき、その時には再び会えるよ、約束する。だから今はそっと記憶の中に私の影を残して置いて、ね?」
それだけ言い残して立ち去る少女。だが少し歩いた先で足を止めると、何もない空間をじっと見つめ始める。
敵兵かと私も釣られてその方向を見るが、人の影どころか兵器の残骸すら転がっていない殺風景な景色。
「……あー、そうだ。言い忘れていたことがあった」
少女は何かを思い出したかのように私のところまで近づき、そして誰にも聞かれないよう耳元でそっと呟いた。
「──右に避けて刀を拾い左腕を狙って」
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──────
──
「戦意を失った者に生きる資格など無い。そのまま無様に死を乞うがいい──」
迫りくるバケモノ男の攻撃。複数の殴打の影が横に広がって回避不能なことを直感で告げられる。
諦めかかった私に対する、バケモノ男の慈悲無き一撃が繰り出される。
「──」
だから私は、頭で考えることなく右に避けた。攻撃は右から回るように迫ってきているのに、気でも狂ったかのように右辺に体を傾ける。
すると影になって飛んでくるバケモノ男の腕が顔を貫通し空気のように消えていった。まるで幻影でも見ているかのように形だけの攻撃が首元をすり抜ける。
直後、元居た場所のすぐ左側の壁に巨大な穴が空いた。
「──!」
必中の一撃を逃し避けられたことに僅かながら驚くバケモノ男。
その一瞬の隙を突き、私は倒れる寸前の太刀を片手で拾い上げバケモノ男背後に回り込むと同時にその左腕へと斬りかかった。
「っ──!?」
突然として急激な動きを見せた私にバケモノ男は避ける動作を行えず、その腕に刀が振り下ろされ衝撃が轟く。どこからその動揺が表れたのか、私には直前までその意図が分からなかった。
どうせ弾かれる、効かない──。そう思っていた攻撃は予想を翻すように鋭く心を捉えていた。
地面まで振り下ろした刀に赤い液体が混じる。ポタポタと聞き慣れない音が刀に落ちていき、地面へと落ちて蒸発する。
聞こえてきたのはいつもの弾かれる金属音などではなく、柔い肉片を斬るかのような生々しい切断音だった。




