第四十四話「輪廻の鐘が鳴る」
──気持ちで人は変われるのだろうか?
それは私がまだこの世界に来る前、地球という世界で生きていた頃の話。
人類は戦争に明け暮れ、二つの巨大な大国が様々な国を巻き込んで世界大戦が勃発していた時のことだった。
生まれも育ちも凡人以下、下級の兵として戦乱の世に身を投じた私は当然のように幾多もの戦場へと駆り出される日々だった。
命がいくつあっても足りない、生きている実感が無い。そんな日々を仲間たちと戦い抜く。
開戦の鐘が鳴り響いた時、人々が嬉々として地を駆ける音が妙に軽かったのを覚えている。誰かのために命を捧げる事は何よりも素晴らしくカッコいい事なのだと正気を失った目で偉い人が言った。戦いに笑わず死に際に笑った部下が私を置いて消えていった。
土が弾ける音に救いを求めた同僚が無人の地雷原を一人で踊っていた。
訪れる死は常に一瞬で抵抗なんてする暇はない。ただ、どうせ死ぬのだからと考えるのをやめた兵士達が最後まで満足気に死んでいったのを遠目で見ていた。
私は、私は抵抗をしていたんだと思う。
鮮明に記憶に残っているわけじゃない。必死になって逃げてきたから思い出したくないのかもしれない。
ただ生きたいと、そう願っていた事だけは覚えている。
それはとある隣国を攻め入る夜襲作戦の時だった。
いつものように戦争に向かい捨て駒のように使い古されていた時、私は向かってくる鉛玉を躱せずに肩を負傷してしまった。
そのまま転ぶように小さな穴倉へと落ちていき、傷口の応急処置をしないまま朦朧とした混濁の意識に飲み込まれて気絶した。
痛みも慣れれば熱く感じるだけになり、熱さは人を夢へと誘う。私はこの時初めて自分の死を悟った。
「……よし」
幾ばくの時が経っただろうか。ふと目を開けると、そこには同じ帝国服を着た人間が私の傷を治療していた。
深く被った帽子と暗がりの影に顔も見えない、だけどその人はまだ小さかった。背丈は私と大して変わらない子供、しかも女の子だ。そんな子が慣れた手つきで麻酔を施し、傷口を塞いでいた。
少女は颯爽と治療を終えると、目を覚ました私に気が付いて穴倉に入り腰を下ろした。
「──残酷な世の中だよね。毎日辛くて、もう疲れたよね」
突然問いかけられた言葉。愚痴か弱音か、どちらにしても私は黙ったまま返事を返さなかった。
そんな戯言、軍人として口に出してしまったら何をされるか分からない。皆が死を恐怖せず自分の責務を突貫する中、生を望み死から逃げ続けるなんて国の足を引っ張る行為に他ならない。
「なんて聞いても答えてくれるわけないか」
少女はこちらを見て複雑な笑顔を浮かべ、そして小さな溜め息を零した。
「私は産まれてからずっと生を押し付けられてね、こんな身になっても未だ死にたくても死ねないんだ」
不可解な言葉が耳を通り過ぎる。
死にたくても死ねない? これだけ死がばら撒かれた世界で? ……そんなことが果たしてあり得るのだろうか。
死にたくない人だって少なからずいるかもしれないのに、世界は容赦なくその命を刈り取りに来る。逃げ場はなく、女子供ですら戦争に送り込まれる時代。
そんな死屍累々に染まった乱世で生きる呪縛から逃れたいなんて、同じ世界で生きている人間の口から出る言葉じゃない。
「私をおかしい人だと思った?」
「……」
少女はコツンと壁に頭を寄りかからせ溜め息を零す。
「そうだね、私はおかしいかもしれない。だけどそれを都合よく思う人間も少なからずいるんだよ。だからこうして溜め息だって出る」
それはあまりに違う次元の話をしているようで、私にはその少女の言っている意味が分からなかった。
ただその濁った碧眼に映る深海は、どこまでも引きずり込むように深く暗く色付いて、まるで何も無かった。
「私はね……もう疲れたんだ。自分よりも頭が良くて知恵もあって権力も持ってる、そんな周りの人達から自分の幸せを奪い取ろうなんて途方もなく無謀なことに気づかされた。だからもう、生きるのに疲れたんだよね」
個人の力は大衆に劣る。烏合とて物量で攻められれば屈するしかないのが現実。
前に進めば死の戦場、後ろに戻れば死の墓場。狂気すら哀れんでくれないこの世界で生きていれば自暴自棄も時間の問題だった。
だけど、その少女はこれから死に行くような顔をしていなかった。
「……だけどさ、たった一人だけ死んでほしくない人がいるんだ。こんなクソみたいな世界で、まだ生きていて欲しいと願う大切な子がたった一人だけいる。だからそのために戦ってる、戦い続けてる。明日という確かな一日が私じゃなくその子のためにあるのなら、それだけで戦う理由には十分なり得るんだ」
誰かを守る──。こんな世界で、人を守る事なんて出来るんだろうか。
仮にそれが出来たとして、こんな世界を生きていく意味なんてあるのだろうか。
「生きていく意味なんてないよ。でも君だって同じでしょ? こんな世界で生き続けても意味がないのに必死に足掻いて迫りくる死から逃れている。それは何かを願い、求め、望んでいるものがあるからじゃないのかな?」
「なんで分かっ……いま私、そんなこと言って──」
「考えてることくらい分かるよ」
少女はまるで心を読んだかのようにそう言い放つ。
この人に聞けば今の自分の悩みの答えが分かるんじゃないかと思った。
そしてとっさに声を掛けようとしたとき、少女は先んじてそれを察知したように突然会話を終わらせた。
「さて、長話をしすぎちゃったね」
少女は立ち上がり、腰に付けていた無線機を手に取る。
その時ちらりと見えた胸の勲章に驚愕し、私は思わず腰が引けてしまった。
「時間だよ、状況を」
手慣れた操作で無線機に語り掛ける少女。いいや、少女なんて烏滸がましかった。
今私の目の前にいるのは、私と同じ雑兵なんかじゃない。その雑兵を何万人も従えてきた遥か真上の存在。
勲章の下に更に連なる様に掛けられた『少佐』と書かれた赤色の勲章。
そう。目の前の少女は複数個大隊を纏める実質のトップ、──指揮官だった。




