第三十八話「圧倒的な実力差」
人が人の域を越える瞬間と言うものは、得てして環境に準じるものでもある。
桜という一個体の人間も、愛夏という永遠の時を生きる人間も。己の限界を越えるには、越えた先の存在が明確に立ちはだかることが何よりも重要なのだろう。
──人間は、生きながらでも進化できる生き物だ。
「嘘、でしょ……?」
巨大な爆炎の球体は、桜の剣技により一刀両断された。
散りゆく火花に目を奪われのけぞってしまったその隙を突いて、桜の切っ先が自身の胸元へ突き刺さる。
「がはっ……!?」
口から大量に血反吐をまき散らし、腹部から煮えたぎるような熱さに恐怖を覚える。
自身の必殺技を、誰も防ぐことが出来ない魔王の一撃を。ただの人間である桜がたった一刀で球体ごと破壊させた。
……あり得なかった、あり得ない実力差だった。
私はすぐさま自己再生能力を駆使して刺された腹部の痛みを治療する。同時に後方に引き、すぐに態勢を立て直す桜。一切の無駄のない動きと剣技。
その力ははっきり言って、当時の愛夏ちゃんを遥かに上回るものだった。
「……どうして」
自身が確かに放った技の感触を思い出し、それを打ち消された恐怖に手が震える。
「どうしてなのっ!!」
エントランスの中心で息一つ切らしていない桜は、まるで私の言動が間違っているかのように不思議そうな顔を浮かべる。
その表情に私は怒りを抑えられなかった。
「愛夏ちゃんも桜さんも……!なんでみんな実力を隠しているのよ!!」
治癒が完治し、腹部の痛みも薄れてきた私はその言葉と共に拳を握りしめる。
私はこの屋敷に来てもう数か月は経つ、そしてこの屋敷にいる人たちの力もある程度認識していた。
一番強いのはバケモノ男、次いでその従者であるミット。その次が遊戯神を倒した愛夏、最後に人間である桜。
これが私の中で結論付けた最も妥当な力関係だと思っていた。
だが現実は違った。
「本当の実力を相手に知られて負けたら、それは本当の敗北なんですよ」
「──!!」
いつにもまして真剣な顔で答えた桜さんに、昨日の愛夏ちゃんが出したオーラと似た雰囲気を感じた。
「私も愛夏さんも、ミットさんやバケモノ男だってその本質は見せていません。本当の強さとは自分だけが知り得ていればいいんです、見せびらかすものではありません」
そう言って桜は剣を手放し宙に浮かせると、同一の剣を数十本出現させそのまま刺突するように襲い掛からせる。
私は迫りくる剣の矛先に驚愕しながらも、めいいっぱいの防壁を張る。が、完全に防ぎきれず何本かは自身の両腕を掠ってしまう。
「桜さんが……ッなんで魔法を……!」
「覚えました。簡易な魔法を覚えることはそれほど難しい事ではありません」
驚愕につぐ驚愕。人間の成長を、進化を甘く見過ぎていた。
愛夏さんは規格外、桜さんは一般人。そう思っていたはずの自分はあまりに愚かだった。
「傷は軽くてもすぐ回復されることをお勧めします、魔王には自己再生能力があるんですよね」
「なんでそれを!」
今度は私が自己再生能力を持っている事を看破された。
さっき見せたのは回復だって単なる回復魔法かもしれないのに、"自己再生"とその根本まで当ててきたのだ。
「本で勉強しました。魔王の特性、魔王の使う魔法。弱点、耐性、能力。……その全てを学びました」
「今わたし達は敵同士じゃないじゃない!どうしてそんなことまでする必要があるの!?」
「何を言っているんですか」
桜の剣の攻撃をようやく防ぎきったと思ったら、今度は雷属性の魔法を無詠唱で唱えエントランスの死角を利用してあらゆる場所から攻撃を仕掛けてくる。
「──必要が無い情報なんて、この世界に一つもありませんよ」
「──!!」
「魔物の種類、魔法の種類、種族の種類、文字、数字、古代文字、魔法文字、勢力図、情勢。ありとあらゆることがこの世界で必要不可欠な知識です。レイラさんと違って私はこの世界で産まれたわけでも育ったわけでもありません、この世界の事は何も知らないんです。 だから知らなくちゃならない、生き残るために。ここで強くなるために」
私は根本的な疑問に辿り着く。
「桜さんが強くなろうとするのはここから脱出するためなんでしょ……ッ!?」
「生きるためです。まぁ脱出する事によって生き残れるのならその通りですね」
「じ、じゃあバケモノ男にそういえばいいじゃない! 出させてもらうのは不可能だとしても、桜さんが殺されるって言うのはいくらなんでもあり得ないことだよ!今までだって何もされなかったじゃない!」
痛む傷口を必死に回復させながら桜に向かって声を張り上げる。
「レイラさんは魔王、なんでしたっけ」
しかし桜は呆れた表情で返した。
「……あまりにも危機感が無さすぎませんか?」
「え?」
その言葉が私の胸を強く締め付けた。
──1000年に一度と言われる勇者の誕生、魔王軍の決壊。危機感のなかった私はその事態を甘く見て全軍を失った。
家族を失い、指揮を放棄し。熱意と駄々をこねる感情論ばかりは一人前で何もできない無能の王。数年前まで人々が恐れていた魔王という象徴は今にも崩れ去ろうとしている。
そんな事態から目を背けたくてこんな場所まで逃げてきた私は、恐れられるべき"人間"にすら核心を突かれていた。
「どうして私が殺されないと保証できるのですか、どうして私が生き残れると保証できるのですか。その確証は一体どこから出てくるんですか?」
「それは……」
言葉が出ない、反論が出来ない。
そんなに警戒しなくてもいいじゃん。と喉元まで出かかった言葉を必死に飲み込んだ。
その気持ちが招いた結果が今の自分だからだ。
「私は今まで何千、何万人という人から生き延びてきましたが、そんな甘い感情を持ったことはありません。自分を容易く殺せる力を持った人が『興味が失せたら消す』と言っているんです。それを冗談でとらえた事なんて一度もありませんよ」
そんなのただの思い込みの可能性もある、被害妄想だって言いたい。
でも、彼女は私なんかより遥かに説得力のある言葉で冷徹に返した。
「先日の遊戯神勝利祝いで私が気を緩めていたから家族の様に思えましたか?毎日犬のように食事を頬張ってる私が何も考えてない馬鹿のように思えましたか?」
いつもニコニコと笑う彼女の姿。
泣いて、笑って、喜怒哀楽を象徴するかのように感情豊かに過ごすその姿に、私は勝手な印象を押し付けていた。
「──考えてない訳ないでしょう。幾度も悩みました、幾度も考えました。悩んで悩み抜いて、そして最後に進む決心をしたんです」
思い返せばあの時愛夏ちゃんは桜さんの本当の強さに気づいていたのかもしれない。
『強くなったじゃない桜!その努力が如何に辛かったか、痛い程伝わるわ』
その"努力"がなんなのか私には見当もつかない。
エントランスでただ立っているだけだった彼女がどうしてここまで強くなったのか、私には本当に分からない。
だけど桜さんは今までとは違う真剣な目でこちらを見ていた。
「愛夏さんにはバケモノ男に復讐すると言う明確な目標がある。レイラさんもここへ来たということは何かしらの目標があるのでしょう。しかし私にはありません。突然この場所に連れてこられ、愛夏さんに見逃して貰えて生きているんです。まるで仮初の命の様に、他人に生かされている状態です」
全く同じ境遇にいながら全く違う意見を述べる桜さんに、自分との違いを歴然と思い知らされているような気がした。
愛夏ちゃんもきっと同じ気持ちなのかもしれない。
「ここに住む者は皆、決意を決めています。その理由なんて人それぞれなのでしょう。でも、決して曲げられない程固い意志があるんです、そのためなら全てを投げうつ覚悟を持ってるんです。遊戯神と愛夏さんの戦いで私は身をもってそれを知りました」
あの二人の戦いを私は知らない。私が来た頃には決着が着いていたから。
だけど桜さんの表情を見るに、相当恐ろしく決意を決めなければならない程の内容だったのだろう。
「今の私の目的は曖昧なものですよ。拾った命を最大限に使うこと、明日を生きてその景色を望むことです。まぁその過程で──」
会話に聞き入り油断していた私の背後に桜さんが回り込む。
ギリギリで反応した私が魔法障壁を張り防ごうとするも、背後に桜さんの姿はない。
目の前を振り返ると、私の目に刺さらない寸前で止まった刀の切っ先があった。
「魔王の一人でも倒せなければ意味はありませんがね」
「──っ!?」
桜の有無を言わせない脅迫的な寸止めで私の戦意は完全に喪失した。
抵抗する意思がないことを悟った桜さんは刀を納刀すると、一礼してエントランスの2階へと視線を向ける。
そこにはいつの間に現れたのか、バケモノ男が座って紅茶を嗜んでいた。
「あなたにもいつか恩を返します」
「小鹿が歩けるようになった程度で調子に乗りすぎだ。……だがまあ、期待しないで待っておこう」
そう言いながら珍しく笑ったバケモノ男は、砂に溶けるようにその場から消えていった。




