第三十五話「新たなる覚醒」
今日は比較的穏やかな空気がエントランスに流れていた。
扉を開けると共に、一瞬行われる空気の清浄。それが閉まれば、今度はピリついた空気が辺りに淀んだ。
「私と戦いたいって……本気?」
「本気です」
桜の目線が変わることなく私の背中を捉える、体勢以外は既に臨戦状態だ。
腰に下げた剣はしなりを帯びて刀の形状に近い、所謂太刀という武器だろう。
いつも振っている訓練用の剣とは違う。ヴァンクール帝国は銃を主としている国であり、剣は短剣以外の支給は滅多にされない。
それでも剣の使用を認められてるのは銃よりよっぽど優れた殺傷力があると思われたからだろう。
本当なら今日はもう寝たい気分なんだけど、明日にしようって言っても納得してくれなさそうな顔をしている。
桜には桜の事情があるんだろう、一回くらいなら相手をしてもいいかな。
「はぁ……別にいいけど、お風呂入ってからでいい?」
「構いません」
疲れを溜め息に乗せて吐き出すとそのまま屋敷の大浴場へと足を向ける。廊下の鏡が不動の桜を映し、僅かに広げてある拳がゆっくりと握りめる瞬間が見える。
場の掌握を冷静に行うかのように、その目は最後まで私を捉えて離さなかった。
◇◇◇
湯船に浸かって疲れを落とし、再びエントランスへ足を踏み入れる。
廊下との隔たりはなく、扉もない。あらゆる場所から集い枝分かれの様に繋がっているこの大広場は一般家庭のエントランスとは全く違う、大豪邸すら泣いて逃げ出すほどの広さだ。
そしてその真ん中で一人精神統一をしている少女、桜。
かつては戦争の世界で生死の境目を幾度も辿ってきた人間。力も技量も突出しておらず、私の様に人間の境地を越えているわけでもない。
だが、それでも彼女は強い。決して侮ってかかる相手ではない。それは今この場で地に足を着けている事が何よりの証明だからだ。
死の可能性が付きまとう戦争の世界でこの瞬間まで生き延び、波乱に満ちたこの異世界ですらもがき追いすがり首を繋いでいる。それだけで彼女が強い事の理由には十分すぎる。
「おまたせ。眠いからさっさと始めましょう」
欠伸をしながら剣を抜く。
それに対して、ゆっくりと振り返った桜の表情は今までにない程に真剣だった。
──あの時、初めて私と桜が出会った時に感じた諦めない覚悟を持った表情と同じ。
「私には愛夏さんの復讐ような目標も目指すものもありません。ですが、だからといってぬるま湯に浸かりながらただただ命の寵愛を享受するだけの日々に堕ちていくのはごめんです」
桜が刀を抜く。生粋が嵯峨に挑む瞬間のように、波長のぶつかり合いを映し出す寒波がゆっくりと辺りを漂う。
それはまるで季節の変わり目だ。
「ここはヴァンクール帝国じゃない、地球じゃない。この世界に来たからにはいつまでも戦争の気分でいるわけにはいかないんです。全てを投げうってでも生き延びるあの世界とは違う。命の使い道があるこの世界で生きていかなければなりません。だから、愛夏さん──」
桜は切っ先を私に向け、少し高めの上段に構えた後。──その手を離した。
「その片鱗を……ほんの少しだけでもご鞭撻願います」
そして瞬時に両手をクロスさせ、両方の腰に下げていた携帯用のポーチから拳銃を抜き取り寸分違わず発砲。再び拳銃を離して、自由落下してくる太刀に素早く持ち変える。
「──そう、わかったわ。そんなに真剣な勝負がお望みなら応じてあげる」
私は放たれる2つの弾丸を目で追い、首に下げていたバスタオルを広げるように投げつける。
弾丸がバスタオルに覆われいともたやすく貫通し2つの風穴を開けながら落ちて行くが、そこにはもう私の姿はない。
「ただし……後遺症が残るくらいは覚悟しなさい」
前から消えた私を予想していたとばかりに太刀を後方へ払い、瞬間的に移動していた私の一振りと相対する。
「……えぇ、そのつもりです」
力の押し合いでは負けると瞬時に悟った桜は受け流すように太刀を斜めに傾かせ体勢を低くし、今にも地面に着きそうな拳銃を慣れた手つきで片手に取りわずかな角度を突いて発砲する。
そして弾丸が私の髪をすり抜け、エントランス二階に置いてある花瓶を貫く。
私は口元をほんの少しニヤつかせると再びその場から消え、ふと口ずさんだ声は音速によってこだまの様に響き渡る。
「右よ」
「左ですね」
桜が勢いよく振り向き、再び剣が交差したのは後ろだった。
これには多少驚きがあると同時に、自分に匹敵する判断能力を身に着けている桜に賞賛の感情が溢れる。
途中までは右肩を狙って振ろうと思っていたけど、捉えられないはずの私の残像を同側で追う桜の目を見て左肩に変え、それを見切られるのを予測して真後ろへと斬りかかった。
結果は相殺。音速で瞬間移動する私の攻撃をたやすく防ぎきったのだ。恐らく左肩を狙った時は本当にその場所に来ると思っていたのだろう、けれど言葉を発する前に体が動いた。軸を更に変えて後ろに来ると。
──相手の口先に騙されず行動結果を途中で判断しない。慢心の欠片も残っていないその一回限りの相殺で私の眠気は目の前の"強敵"との闘いに目覚めた。
今度は先ほどの倍近くの速さで動き、風圧で辺りに暴風が起こる程の力で滅多斬る。何度も何度も目に見えない速さの連撃をお見舞いするが、全て完璧にいなされる。
それも一通りじゃない、周りにある物や自身の身に着けている武器を全て駆使しながら受けて躱す。
この攻撃速度は私が初めてバケモノ男と相対したときと同じ速度。そんな物理法則を越えた攻撃を桜は未来予知でもするかのように受けきる。
段々と全身の熱が高まっていく。
「強くなったじゃない桜!その努力が如何に辛かったか、痛い程伝わるわ」
「ッッ……!っ──!」
余裕がないのか苦笑しながら一撃一撃を受け続ける。その表情を見ればもはや瞬きどころか息すらしていないのが窺える。
だけどその顔はまだ限界じゃない。限界はその先、遥か先にある。その限界を迎えた数だけ壁を乗り越えられる、精神的苦痛を越えたその先──。
私は加えていた力を倍にして再び連撃を放った。
◇◇◇
人間とはここまで逸脱できるものなのか、彼女たちは異世界から来たから本質が違うのか。
全身から冷や汗を流し、青ざめた表情で二人の対決を見守る魔王、レイラ。
彼女自身もまた己の限界を越える力を求めてこの場所へやって来たはずだというのに、傍目で激闘を繰り広げている二人に委縮してしまっていた。




