第三十三話「絶対強者」
成長とは実感がわかないもので、自分の力の片鱗を確かめるには違う観点を見つける必要がある。
見るからにおぞましい生き物が私の前に立ちふさがり、敵意を向けている。この世界の魔物と言うのは皆こんなにも邪悪な妖気を放っているのだろうか。
「はっ!」
「グギャァア!」
屋敷を出て森を彷徨う事数十分。初めてここに来たときは手も足も出なかった魔物達、それを今では一振りで仕留められるようになっていた。
私の唯一の武器、切れる剣はこれ一本。何の力も込められていない、現代で最も硬く鋭い鋼鉄の刃。
今はその鋭さも魔物を切りすぎた反動で鈍くなっている。地球に居た頃は気にしていなかったけど、よく考えたらこの刃を砥いだ事があまりない。
バケモノ男の屋敷に居た頃は私の蘇生を兼ねてこの剣も元に戻される、ましてや折れても問題なかったのだ。
けれどこんなにたくさんの魔物を切っていれば段々と切れ味も落ちてくる。それはただの棒で殴り潰す感覚と大差ない。帰ったら剣を研ぐことも少しは検討しようかな。
そんな事を考えながら私は襲ってくる魔物を次々と倒していった。
「……ふぅ」
数十分ほどだろうか。気が付けば辺りにいた魔物はほぼ全て清掃し、森林からは何も聞こえなくなっていた。
それでもまだまだ余力が残っていたため、もう少し奥へと進んでみようかと森の深部に視界を向ける。
ふと、木々を駆け巡る自然の風が私の頬を通り過ぎ後方へと抜けていった。至って普通の事に思えるその現象は確かな違和感をもたらし、不意に何かを勘付かせる。
足を止め気配を探り、微かな物音を感知する。まさしく天性の勘だった。
しかし、次の瞬間には全身が凍り付くような悪寒に襲われ煮えていた闘争心がまるで一息で消える煙の如く消沈した。
風は流れてきたのではなく集っていた。そう、気づけば生命と言う名の鼓動が後ろから聞こえてくるではないか、と。
「こんにちはー」
その時点で私は敗北を悟った。
不意を突かれ、背後を取られ、ましてや顔すら認識できていない。あれだけ魔物を相手にし感覚を研ぎ澄ませていたというのに、何一つとして対応できなかったのだ。
「……誰」
「んー、この子達の親戚~かな?」
無残な死体となって転がっている魔物を一瞥しながらそう答える。
明らかな女性の声、しかもレイラより幼く聞こえる。話しかけてくる人物を想像できない私はゆっくりと足を回して振り返る。
そこに立っていたのは文字通りの少女だった。それも私と大差ない程の小さな肉体、白い髪、学生服のような恰好。一目見れば小中学生と言うのが率直な感想だった。
しかしその子供から感じる気迫は常人のそれじゃないことに気づく。
まるでミットのあの威圧にも似た気配。
「それにしても~神話に名を連ねる怪物達をまさか一振りでなぎ倒していくなんて、随分と豪快だねぇ」
神話の怪物──。その言葉を聞いて私は疑問を浮かべる。
「え、魔物……じゃなかったの?」
先程まで数多と切り殺してきた無残な死体へと目をやる。私がこの世界に来て初めて対峙した敵、魔物だ。
最初は逃げる事すら困難だった。死に物狂いで逃げ回って、ようやくバケモノ男の屋敷へとたどり着いたのだから。
そしてバケモノ男とミット、遊戯神に魔王。数々の強者達を相手にしてきてようやく地に足を着ける程度だと思っていた。……のだけれど。
「まさか普通の魔物だと思って戦っていたの?……──あはははは!」
確かに想像していた魔物よりもおぞましくて吐き気を催す姿をしているけれど、魔物なのだから当然だと枠を取っていた。異世界なのだからこれくらいの強さなのだと誤解していた。
私は──想像以上に強くなっていたらしい。
「凄いよキミ、いや愛夏ちゃん。実に興味深い人間だ」
ツボに入ったのか、少女は片腹抱えて大爆笑している。
私にとってはこんな誤算何一つ嬉しくない。別にバケモノ男との強さの距離が縮まったわけでも無いし、ましてや差が広がる一方で絶望が押し寄せてくる。
やがて少女は満足したかのようにこちらを向くと、遅ればせながらと言わんばかりに自己紹介を始めた。
「私はナイア。ナイアーラトテップ。 キミがよく知っている創造神ミトロジーの子供だよ」
狂気の濁る笑みをこぼしながらそう自己紹介する少女。
気配からしてミットに関係のある人物だろうといくつかの予想は立てていたけど、まさかミットの子供だとは思わなかった。
ミットは神話生物の創造神。そして私が先程まで倒してきたこの魔物、怪物達はミットが作り出した神話生物。
そして彼女、ナイアは神話生物の親戚と言っていた。つまるところ彼女自身も神話生物なのだろう。ミットの子供と言う発言で合点がいった。
「と言う事はミットより弱いのね」
とっさに口に出した言葉に自分でハッとする。口が滑ったとまではいかないが、バケモノ男やミット、遊戯神と数々の猛者と戦ってきた私は感覚が麻痺していたらしく、彼女に対して軽率な発言をしてしまった。
──ミットより弱いからと言って私が勝てる見込みなどあるはずもないのに。
「あはははは。……面白いこと言うね」
ナイアは不気味に反応する。同時に私も警戒態勢を取る。
……しかし、ナイアはそれ以上何もしてくることはなかった。
遊戯神辺りだったら挑発に乗って威圧の一つでもするところだろうに、彼女はたったそれだけの反応をして他には何もしてこなかった。
──逆に不気味である。いや、絶対強者の所以から来る余裕なのかもしれない。
バケモノ男と似ている。
「じゃあ挨拶もできたし、もう帰るね」
「えっ……」
私はそのまま帰ろうとするナイアを止めるかのような声を漏らす。
本当に挨拶に来ただけ?本当にそれだけ?
私を仕留めるなら今が絶好のチャンスだ。もし敵対的行動を今後取るつもりなら今の内に始末しておくのが定石。
私は私で逃げる準備だけはしていたけれど、こうもあっさり身を引かれたら驚きの声も出てしまう。
「んー?もしかして名残惜しいのかな?」
ナイアがゆっくりと振り返り、私の方をじっと見つめる。
ああ。余計な事をしてしまったと、心の底から後悔した。
「しょうがないなぁ……じゃあ特別にヒントを上げるよ」
ナイアは人差し指を口の前にあて前かがみになり、私の方へと向けた。
嫌な予感がひしひしと漂い、私の本能が必死に何かを訴え始める。これは──。
「ヒント……?」
「うん、あは♪」
──逃避本能だ。
「あはははははは!」
突然森が黒い霧に包まれ、感情の籠っていない単調な笑い声が四方八方あらゆるところから聞こえ始める。
「あはははっははははっはっははは!」
もはや声帯など関係なく人間としての発音を無くしていくナイア。
辺りは一瞬で橙色の夕焼けと化して、黒より黒いカラスが森の木々から全てを見透かすように私を覗き込む。
──迅速過ぎる退路封鎖。
「縺輔≠蟋九a繧医≧縺具シ∝菅縺ョ蜉帙r遘√↓隕九○縺ヲ繧遺飭♪」
目の前のナイアが何かを語り掛けているが、私には何を言っているのか全く分からない。その言葉を分かろうとすると脳が拒絶反応を出してくる。
いよいよ逃げる事も出来なくなった私は、顔の無くなっているナイアに向かい合い剣を抜く。
そしてすかさず切りかかった、真っすぐに音速の速さで。
「謐輔∪縺医◆繝シ!」
「遅いッ!」
真っすぐに切りかかれば当然反応する、それを逆手にとって後ろに回り込み光速の速さで切りかかる。
しかし彼女とてそんな単純なはずがない。バケモノ男との対峙で学んだ、技は何重にも重ねて相手が受けきれなくなるまで攻撃しろと。
この手はフェイク。前後を両手で塞いだナイアの頭上から、大振りを掲げた私が降りかかる。
「縺薙l縺ッ繝輔ぉ繧、繧ッ縺九↑?」
ナイアは降りかかる私の攻撃に対して魔法壁を展開して防ごうとする。
しかしこの手もフェイクだ。本命は初撃の時に大外から右回りで駆け抜けていった渾身の一振り。
空気の圧力だけで剣が曲がるほどの勢いを溜めた一撃がナイアの首元へと降りかかる。
両手と魔法壁を展開して受け身の取れない状態まで持ってきて、ようやくこの一撃を入れる、その攻防は僅か数秒もかかっていないだろう。
ナイアはその直前で私の本命に気づいたのか、対策を立てようとするがもう遅い。
私の振り下ろした刃は既にナイアの無防備な首元を捉えていた。
「はぁッ!!」
力任せに振り下ろした刃が着実にナイアの首元に直撃、そのまま貫通するように切り落としていく。
あまりの速さに切り落とす時の生々しい感触など一切伝わらず、魚を捌くように綺麗に切断する。
──勝った。目視では確かにその感情が芽生えてきた。
「ッ!?」
しかし相手は人間じゃない、"首を切り落とされたからと言って死ぬとは限らない"のだ。
切り裂いた首。ナイアの表情はゆっくりと動き出し、ニヤリと口元を上げた。
「縺悶s縺ュ繧凪飭♪」
その瞬間何故か"私"の首から赤い液体が流れだし、円を包むように一つの赤い血の線が描かれる。
「……は?」
首からうなじにかけて円を描くように血が溢れていき、視界がポロンと落ちるように地面へと接触した。
……切断されていたのだ。それも綺麗に、まるで私の攻撃を私自身が受けているかのように。
私は人間、"首を切り落とされれば死ぬ"生き物。ナイアとは対極、青ざめる表情で身を引こうとするももう手遅れ。
既に体が動かない。首と体が切り離されている。
視界が暗転し始めて意識が遠のいていく。
あぁ、やばい。死ぬ、死んじゃう。今度の死は今までの死とは違う。生き返れない死だ。人間として、本当に死を迎えてしまう。
このままだとあの男との約束が消えてしまう。それだけは絶対にダメ、ダメだ。
……しかし身体は今までのような自身の勢いに反応すらせず、そのままゆっくりと力を無くしていく。
窮地に陥ってからが本番だった私のスタイルは脆く崩れ、夢物語だったかのようにゆっくりと顔の体温を吸い取っていく。
立ち上がろうとする気力など首のない人間には不可能である。首が落ちて生きている人間などいるはずがない。
つまりは完全なる死、終焉。私にとっての惨めな最後だ。
人間は運よく生きている生き物だと誰かが言った。運が無くなれば人は死ぬ、それが例え壮大な冒険の途中だろうと危機を乗り越えた先だろうと関係ない。人生はドラマじゃない、感動的で納得のいく死に様など用意される訳がない。
いつの言葉だったか、流れ出す意識の狭間から思い出したその一文を走馬灯のように振り返り地へと落ちて行く。
それは逆転も不屈も見出せない完全な決着。私自身でさえ認めた完全な敗北。
──私はこの時、この瞬間をもって死んだのだ。それは生き返る事の無いこの生首が証明している。
そうして最後まで呟いた死の後悔は思いのほかあっさりしていて、自分でも驚くほどに呆気ない幕切れだった。
「良い太刀筋だったよ、愛夏ちゃん♪」




