第二十八話「以心伝心」
天井の高いエントランス。そこに光が射しこみ悠々とその姿を醸し出す魔の権化、それが魔王。人類に恐れられ、世界で最強と謡われし魔法の王。その力は人類総出でも対抗出来ないほどに大きく、強大だ。
桜は息をのむ。剣や銃撃戦と言った戦い方を見てきた彼女にとって、魔法と言う未知の攻撃手段を繰り出す彼女に恐れを感じていた。
レイラの放った魔法は壁に埋もれる愛夏に慈悲無く放たれ、逃げる隙を与えず近距離で爆発。そのまま防ぐこともできずに直撃してしまった。
もうすでに決着はついただろう、下手すれば死んでしまっているかもしれない。だが戦闘状態となったレイラは強者所以の闘争本能を抑えきれず、さらなる追撃を喰らわせようとしていた。
両手を天に翳し、魔力の根源を生み出していく。その一つ一つに計り知れないほどの力が溜め込まれる。
やがて冷気を纏った巨大な魔法陣が地面に出現し、その場から光が漏れていく。一方の愛夏は爆発の衝撃で姿さえ見えない、もはや生きているのかもわからない。
──しかしレイラは止まらない。ついに詠唱を終え、重く強く天に翳していた両手を思いっきり振り下ろした。
「これで終わりよ、──魔氷牢獄ッ!!」
瞬間。辺りに凍える程の冷たい風が吹き荒れ、エントランスを真冬の様な寒さで包み込む。
「……ん」
離れた位置で紅茶を嗜んでいたバケモノ男、その手に持っていた紅茶が一瞬にして氷となって固まった。
「全方位か」
しかし気にも留めず一瞥するだけ。バケモノ男はカップ全体まで凍り付き冷気を漂わせている紅茶に人差し指を添えると、緑色の丸い円が紅茶を包み込んだ。そして唖然。その部分だけ時間が巻き戻ったように逆行していき、元の熱気を持った紅茶に様変わりしていたのだ。
バケモノ男は何事も無かったかのように再び紅茶を嗜む。
桜は驚愕しながら遠目でその様子を観察していた。時間を止められるだけに留まらず、時を戻すことまで出来るなんて常識のケタが外れている。関わるだけ命がいくつあっても足りない、そう思うしかなかった。
一方戦場となっているエントランス中央から廊下にかけては、固く凍てつくような威圧感を持った氷の柱が次々と地面から突き出て来ていた。
先端が切り裂くように尖っており、止まることなく愛夏の周辺を容赦なく突き刺していく。
恐ろしい、完全に殺傷類の技だ。バケモノ男から目を外し、その光景をまじまじと見つめる。
前回の自分なら惨めにも泣いて彼女の心配をしていただろう。いや、今も事実凄く心配している。いくら不死身と言っても死を軽く見過ぎるものじゃない、痛いものは痛いしきっと苦しいはずだ。
……それでも、ちょっとだけ感覚が麻痺してきた気がすると自分でもそう思い始めていた。
◇◇◇
……熱い、痛い。火に炙られているような感覚、朦朧とした意識。
ああ、そっか……。私、負けたんだっけ……。
この世界に来て初めてまともに受けた魔法の攻撃。巨大な火の玉が私の目の前まで飛んできて、爆発した。
なんとか顔面だけ防ごうと手を出したけど、何の意味もなさずに血と混じって焼け焦げてるのがわかる。
「げほっ……げほっ……」
爆発した影響で煙が肺に入り、瀕死の状態なのに咳が止まらない。痛い、苦しい。今朝から何も食べていないのに吐きそうだ。
片腕はドロドロに剥がれ落ち、顔は火傷を負い、足は瓦礫に埋もれてもう動かない。……これはもう、終わったわね……。
静かに目を閉じようとしていた時、熱が消え微かな冷気を感じた。
煙が去っていく中、私はまさかと思って目を見開く。そこにあったのは次なる魔法を詠唱していたレイラの姿──。
「これで終わりよ、──魔氷牢獄ッ!!」
次に体を動かそうとしたときにはもう手遅れだった。
追いかけるように地面から鋭利な氷の柱が突き出ていき、気づけば私のお腹から巨大な氷の柱が飛び出るように突き刺さっていた。
「あがっ、ア"ッ"……お"ぶッ……!?」
氷の柱が自身の腹部を貫き、そのまま天井へと突き上がっていく。
私はあまりの痛覚に耐え切れず勢いよく血を吹き出した。
2メートルほど突き出たその氷は私の腸に大きな穴を空け、無慈悲にも貫通している。あまりの出来事に私自身驚くが、視界が暗転し思考が混在して纏まらなくなってしまっていた。
やがて私の周りを囲むように次々氷の柱が出現し、監獄の様に氷の世界に閉じ込められる。
そこはとてつもなく寒く、冷たく、痺れる程に痛い。ただそこにいるだけでも数分足らずで息絶えてしまうほどに。
私の体を貫いた氷からは赤い液体が流れていき、段々と真っ赤に染まっていく。その光景をみたレイラは自身の勝利を確信し、哀れな姿となった私を見上げてこうつぶやいた。
「これが魔王の、わたしの力よ。人間のあなたじゃ決して届かない魔法の頂、そして……──」
ダメだ、何も聞こえない。何もわからない。
──さっきよりも体が熱い、……寒い。寒い、寒い。
全身に力が入らなくなり、そのまま野垂れかかるように頭が仰向けになってしまう。既に私の目には光りが宿っておらず、自分でも人としての死を迎え入れようとしているのがわかる。
「どんな手で遊戯神に勝ったのかは分からないけど。これはゲームじゃない、戦いだよ。力こそが全て。強い者が勝つって決まってるの、それがこの世界の摂理だから。……その牢獄からは絶対に抜け出せないよ」
「ゲホッゲホッ……!かはッ──……ッ!!」
身体が反射的に咳き込みをし、喀血する。
痛い、痛い。どうして死なないの、いつまで続くの。限界、限界だ。
終わらない苦痛、何度も経験した。しかし脳が痛みを回避しても体は血を流し続ける、私が私である限りこの痛さは続くのだろうか。
……それならもういっそのこと、この苦痛から逃げて──。
反り身になり重力に従って垂れる頭。最後の力を振り絞り自らの剣を抜き、自身の切断を試みる。それは死の概念が薄れた私にとっての敗北であり、降参を示す意に他ならなかった。
おもむろに見つめた先、廊下の鏡に映る哀れな自分と──バケモノ男。つまらないだろうか、面白くないだろうか。それとも私に失望したのだろうか。そんな感情が脳裏を過ぎる。
こんな情けない姿を見せられてさぞ退屈だっただろう。神に勝ったなんてマグレで調子に乗っていた私にさぞ失望しただろう。
今にも泣き出しそうになりながら、鏡に映る先を覗き込んだ。
「……!」
──しかしその男の表情は嬉々としていた。まるであの時の、遊戯神と戦った時のように闘争を求めた瞳をしていた。
違う、この男は分かっている。……私がまだ諦めていないことを、諦めるはずが無いという事を。私を誰よりも理解している。
だから笑ったんだ、だから信じたんだ。
何も言わない、何も心配してくれない。残酷で冷徹、だけど一番私を見てくれている、最悪の復讐相手。
私がわずかに口角をあげるとバケモノ男も笑って返してくれた。
──なによその笑顔、本当にイライラするわ。
止まりそうになっていた鼓動が激しく動き出す。塞がれていた傷口が開き、大量の血が流れ出す。それと共に失われていた赤い瞳に強く、強く。焼き付くような灯が映し出される。
負けない、負けられない。私は決めたんだ、この男を倒すまでは絶対に負けるわけにはいかないと。例え神であっても、魔王であっても、絶対に勝てない相手であってもこの手で倒すと。
自分の生き様一つ通せないで何が復讐だ。そんな野望最初から持たなければいい、あの子の死とともに捨ててしまえ。
今の私があるのは、今までの私がその思いをずっと貫いてきたからだ。それを今こんなところで終わらせるわけにはいかない、終わらせるわけがない!
「──ァァアア"ア"ア"ッッ」
掠れた声を轟かせながら小さな上体を起こす。服が血に塗れ、脳が破裂しそうなほどの痛みを感じる。
それでも私は体を起き上がらせた。意志だけで動く獣のように、命を最後まで燃やし尽くす。
自分を切るために持ちあげていた剣を見て異を唱える。数秒前の私に言いたい。
──こんなもので私を切れるものなら切ってみろ、と。
私は体勢を戻すため、限りある全ての力を使い自分に突き刺さっている氷を叩き切り始めた。
「──ッ……──……ッ────ッッ!」
エントランスが、屋敷全体が激しく揺れ始める。
まるで震源のど真ん中にいるかのような畏怖が周りを包み、恐怖へと引きずり込まれる。屋敷中の花瓶が割れ窓にひびが入り、地面から大きな振動が伝わってきていた。
「な、なに……!?」
突然の揺れにレイラが慌てふためく。この世界で地震なんてめったに起きない、森林で囲まれたこの屋敷に強大な魔法を撃つ人がいるわけでも無い。じゃあ誰が──。
冷や汗を流しながらまさかと口ずさみ、自らの氷の牢獄に閉じ込めた愛夏の方を向く。見るからに死んでいてもおかしくないあの状況で、この唸り声は一体何なのかと。
──対する私は自身に突き刺さっていた巨大な氷柱を割り、血の噴出を気にせず体を捻って抜け出すことに成功していた。
周りには地面から突き出た通常の何十倍もの大きさのある氷柱群、それらが牢獄の様に私を囲みレイラの姿が見えなくなるまで埋め尽くされている。
もう血が無い、意識が遠のいていく。それでも朧気に剣を拾い、今までにないほど高く上段に構えた。
ここで死んでも別にいい、どうせ生き返る。でも、この思いを無下にしたら一生後悔する事になる。
全てを受け止めて放つからこそ初めて意味は為される。だけど、何も知らないで自分の想いを他人にぶつける奴に負けたくない。認めたくない。
今にも凍り付きそうな両手に全身全霊で力を込め、小さく体を捻ってレイラを捉えた。
絶対にこの剣は最後まで振り下ろす。全ての力を込めて、光速を越えて。真率の一刀、破られない紫電の一撃──!
「破刀開闢斬ッッ──!!!」
氷牢獄の奥から、屋敷中に轟く大声と共に剣を振り下ろした。
「えっ……?」
呆気な顔をしていたレイラの真横を強靭な斬撃が突き抜ける。その一撃は捉えることはおろか、それが斬撃なのかすらも分からない程の速さで左肩を横切った。
そしてその後方で屋敷の壁を一瞬で破壊し、土の弾ける音と共に耳を塞ぐほどの轟音が鳴り響く。
レイラは唖然としながら恐る恐る後ろを振り向くと、目を疑う光景が映っていた。
──そこには何もなかったのだ。何も。
レイラより後ろは屋敷ごと跡形もなく消え去り、森は姿を変えたように真っ白な更地となっていた。レイラがここに来る際、倒すことはおろか逃げ回る事しかできなかった屈強でおぞましい魔物たちも嘘のように全て一刀両断され、完全に絶命していたのだ。
「あ、あ……」
レイラはバタンと尻餅を着いて倒れる。
恐怖に足を痙攣させ、あり得ない背後に広がる異常な光景を何度も見返しながら後ろへと後ずさっていた。




