第十八話「絶望から生まれた勝機」
「あい、か……さん……?」
エントランスの片隅。地面に手を着き項垂れていた桜が、今までにない程の驚愕の表情と声色で呟いた。
先程まで重箱の隅をつつくように流していた嘆きと涙は遥か途方に消え、目の前で起こっている理解出来ない光景に目を寄せる。
桜だけではない。観衆は皆、目を疑う。一体何が起こっているのかと。
ただただ、全員がその少女に注目する。
「ッ"ネ、ッ"……!シネ"ッ"……ッ、っ"……ッ"や"、ク"…………ッ"!!」
言葉にならない怒号と共に、自分の心臓へと何度もナイフをねじ込む。
大量の血があらゆる血管から五月雨のように噴出するが、愛夏は自らの刺す手を止めない。
血の雨は遊戯神に刺された時よりも広く、深く、大量に飛び散っていた。
「何をっ!?」
あまりの出来事に遊戯神が声を漏らす。自身が刺して返り血を浴びた時より遥かに多く、増大した赤い雨が降り注ぐ。それはまるで自分の残虐的な功績を上塗りするように。
しかし。問いただす一言はあまりに短く、少女にとって対等なものではなかった。常識の範疇を越えたその行為に、愛夏の返事は返ってこない。
表情を見ようにも本人の顔は血まみれで目も潰されており、外側から決して表情を見れるような状態ではなかった。
ただその奇行のみが目の前で繰り広げられる。
「フゥッ"!フ"ゥ"──ッ"、ッ"……!」
愛夏は左手を合わせ、両手で自分の心臓を突き刺す。一回、二回、三回と。
気でも狂ったのか。いや、気が狂えるのか。明らかに常軌を逸した行動に全員が目を離せない。
「……ッ──っ──────」
何十回心臓を刺していただろうか。本人の意識がなくなっても動き続ける手に恐怖を覚える。
血と汚物によってめちゃくちゃになった愛夏は、自身の活動の終焉と同時にナイフを落とした。
──エントランスに再び静寂が訪れる。
最悪の、もはや今までにないほど根詰めた空気に駆られる各個人。
一体何が起こったのか理解が出来ない、理解のしようがない。
今起こった状況をもう一度振り返れと言われたら即座に拒絶するほど、それほどの強烈なインパクトを与えられてしまった。
だが振り返らないわけにもいかず、ただただその静寂な刹那に身を置かざるを得ない。
遊戯神は考える。あれは何なのだ?と。自分の理解の及ぶ領域ではない、行動の結果には必ずそうなる原因と過程があるはずだ。 だが、彼女からはその原因と結果への結びが紡げない。理解できないのだ。
精神的に限界がきて苦痛から逃れるため自殺したのか?それなら降参すればいい話。彼女は不死身、降参しないのであれば何度でも苦痛を味わい続けるだけ。自殺する意味がない。
なら他にどんな理由があるというのか。まさか狂人の真似事か、自身が狂ったと周りに思わせる事で油断を誘う算段なのか。
だがそんな行動に意味など無い。そもそも今の彼女にそんな理性を残すほどの余力があるようには見えない、通常の人間ならとうに自暴自棄になって動く事すら出来ない程痛めつけたはずなのだから。
「……なにをどう驚かそうと僕の勝ちは揺るぎない」
虚勢を張り、既に肉塊へと化した愛夏に向かってそう告げる遊戯神。
そこで釣られてしまったのだろうか、それとも自分の意志だったのだろうか。いや、しっくりくるのは勘か。
思わず目が超越神へと流れていき、その顔を見てしまった。
──わらっている。わらっているのだ。
その余裕と、未知の出来事に全身から湧き出る寒気に身を震わせる。
一体それが何を意味するのか、その答えはすぐに提示された。
……廊下から軽い足音が聞こえる。
一人を除く全員の顔が真っ青になった。
◇◇◇
聞き慣れた足音が廊下の奥から聞こえる。
もう何百と聞いた足音、愚直に自身の死を捧げる愚者の足音。それが何故だろう、今までで一番恐怖を抱かせた。
遊戯神は冷や汗をかく。愚者を裁く審判者としててではなく、まるで無力な民のように己が足を後ろに下がらせる。
「なんなんだ……なんなんだよアイツは!」
足音は迫る、一定のリズムを刻む。見えない影から忽ち気迫を醸し出す少女。固まる自身と動きを止めない足音との時間差に焦燥を駆られたせいか、驚愕の状況にようやく一同が気づき始める。
──あれだけ限界の身体を迎えていたはずの愛夏が、足も引きずること無く歩いているのだ。
事実愛夏が死んでから1分も経っていない。いつもならなん十分もかけて這いつくばって戻ってきたというのに今回は、そう。今回に限って、一番体に支障をきたしたはずの今回、まともに動けるはずもないというのに目の前の少女は間違いなく──淡々と歩いている。
「あれが、彼女の正体ですか……主人」
私は彼女の到来に震える手を握りしめた。
人は感情によって相手にイメージを植え付ける。声のトーン、仕草、表情。その全てを兼ね備える"気"というものが存在する。人はこの"気"によって他人の目に見えない情報の伝達を容易とさせる。
だが、彼女から発せられる"気"は遠目にいる私の心情をめちゃくちゃに破壊させるものだった。
怒り、苦しみ、後悔、絶望、希望、様々な感情が混ざる異質の気迫。気稟なのか、それとも本物の狂人なのか。
彼女の"気"はそれでいて透明に一直線だった。
──私は思い出す、自身と戦った時に奮戦した彼女の実力を。力も感情も関係なく、自らの意思のみで叩きつけた神に匹敵する一撃を。
あの時は反射的に危険だと認知しすぐさま眠らせた。私ですら恐怖する力の本質を放とうとしていたからだ。
だが今の私達は外野という立場。手出しはできない、そして主人も動かない。もはや彼女を止める者など誰もいないのだ。
自然と掌から汗が滲む。
期待と恐怖が入り交じり、自分のプライドが砕け散る様を客観視されているように戦慄を覚えた。
「……」
主人は私の問いに返事を返さない。口角を上げ、迫り来る少女の影を逆さまに見つめているだけ。
「あれは人間なのか……人間なわけがない……本当は、本当は人間じゃないんだろ!答えろ超越神!」
もはや遊戯神の言葉にも興味を示さない。ただただ嬉々として一点を見つめる今世の怪物。
そして見つめる先。あり得ない殺気を身に纏い前へ前へと歩み進めるその少女もまた、主人を見つめる。
互いに連なる親近感、それは"興味"と"復讐"と言う絶対に噛み合わない二つの感情。
だが私には、その二人がこの場にいる誰よりも意思疎通をしていると感じていた。
「……一回」
「っ!?」
少女が言葉を吐いたと同時に驚愕の色を示す遊戯神。当然だ、あれだけの死と拷問を受け続けてまともに喋れるはずがない。
だが愛夏はそんな理屈などお構いなしに口を開く。
その状態も、言葉も、発した意味も、何もかもが異常な妙手を彼女は放ち続ける。
もう愛夏の向ける視線は遊戯神を捉えていない、バケモノ男と呼ばれる主人ただ一人。全てはその男に復讐するため、全てをかなぐり捨てた自分の意地を見せつけるため、迷いのない瞳で彼女は告げた。
「──次の一回で勝つわ」
伝説はもう、始まっているのかもしれない。




