第十七話「本物の狂人」
「あ"ガ"ッ……ぁ"ぁ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"ッ……!!」
意識とは隔離された絶叫が迸る。今まで聞いたこともない愛夏の声がエントランスに響き渡る。
愛夏の肉体は通常の人間より耐久性が増している。そのせいで、ナイフの切っ先が明らかに脳を貫通していると言うのにまだ意識を保っているのだ。
「あー本当はすぐに殺してあげたいんだけどなぁ?急に力が出なくなって上手く殺せないなぁ?」
その手は発する言葉とは裏腹に、手際よく動かされる。そして遊戯神は自らこみ上げてくる優悦感に浸りながら、小さく呟いた。
「最初からこうすれば良かったんだ。殺すなんて優しすぎる、痛みがすぐ無くなってしまう。それじゃあいくら待っても根を上げないのは当然じゃないか」
喉元まで這い上がる本心は、自身の長年剥がれてなかったポーカーフェイスをゆっくりと崩していく。
「クク……クククッ……」
遊戯神は嗤う。片鱗ではない、現存した遊戯神トリック・スターとしての本心から。
「ヒヒッ!アハハッハハハッッ!」
その様子を桜は泣きながら見ていた。ただ見ている事しか出来なかった。
遊戯神の行動はまさに狂気、狂気を身に纏った狂人。ここにいる者達とは何もかも違う、同じ見た目をしただけの別な種族だ。人としての倫理感を放棄している。
「ア"ガッ……ガッ"……う"ォ"エェ"……ゲホ"ッ"……」
刺される度にぐちゃりぐちゃりと、血と肉が混在し弾け飛ぶ音が聞こえる。
愛夏の右目は完全に潰れ、顔の一部が皮膚の歪みで変化している。通常の人間であれば即死しているレベルだ。
だが愛夏はまだ息をしている、両手をピクピクと痙攣させながら痛覚の逃げ場を必死に探す。
──だが遊戯神の手は止まらない。
「ほら!ほらほらほらッ!」
血は水のように飛び散り、鮮やかに絨毯を染め上げる。
「あ"ッ……あ"ッ……あ"っ……」
力なき声は亡者の様に発せされる。
エントランス中に愛夏の血が撒き散らばり、バケモノ男やミットの頬にまで血がついている。拷問より酷い惨状だ。
「あははハハハ!!」
「──やめてッ!」
その時、エントランスに大きな声が響き渡った。一同がその声の主へと反応する。
遊戯神の腕が止まり、ゆっくりと声を上げた人物の方へと目を向ける。
──間に入ってきたのは生身の人間である桜だった。
「……せっかくいい気分だったのに、邪魔しないでくれるかな。ていうか誰お前?人間風情が何の用?」
愉しい時間を邪魔された子供のような嫌悪した顔で桜を睨みつける遊戯神。
初めからエントランスにいた桜だが、遊戯神から見れば道端に落ちてる石ころ程度の存在。目に入ることすらなかったのだろう。
「こ、こんなの遊びどころか勝負ですらないじゃないですか……! 人を物見たいに……物よりももっとひどい。こんな……こんなのただの一方的な虐殺と何も変わらない!」
エントランスに悲痛な叫びがこだまする。
こんなの間違っている。人として、例え神だとしてもするべき行為じゃない。誰もがそう思う常識的な言葉。同じ人の形をしているのなら、その倫理観は反論の余地がない至極当然の感情だ。
……だが、この場に置いてそんな言葉は意味を持たない。
「──だから何?」
この場にいるのは人間じゃない。冷徹なメイドと、バケモノ男と、狂人だ。
それらが一般的な常識のある行動を取るはずも、思うはずもない。
「勝負に酷いも何もないじゃないか、僕は定められたルールに則って勝つまでだ。それに意を述べる君の方が酷いと思うんだけど」
「──ッ!」
桜は口を噛み締めた。
ただの屁理屈だ、ルールだって遊戯神の定にそって決められている。彼はプレイヤーであると同時に審判者でもあるのだ。どう見たって桜の言っていることの方が正しい。
だが、例え正しくてもその言葉は通らない。我々外野はただ見守る事だけを許された観戦者。理不尽でも不条理でもルールに反さない審判の答えは全て飲み込み、屈さなければならない。
「用も済んだみたいだし、もう話しかけてこないでね。……次邪魔したら殺すから」
桜は両手を重ねてただ祈った。──この絶望が早く終わってほしいと愛夏を見つめる。
愛夏の目は桜と合う事はなく、薄目で天井を見つめている。赤く澄んだ瞳。
「じゃあ再開するよー」
再び愛夏に突き刺さったナイフが抜かれると、大量の血が噴き出した。それと同時に愛夏の体もビクッと跳ね上がる。
止まる事のないナイフの刺さる音は、人間である桜の脳にトラウマを残すほどだった。
「もう……もう、やめて……っ」
その声は届かない。返ってくるのは非情に貫かれたナイフの音と、唯一同じ人間である愛夏の血だけだった。
単調に、飽きることなく刺すことを止めない遊戯神。抜かれ刺されのナイフは、ついに愛夏の右脳まで損壊させた。
吐き気を催すミソが辺りに撒き散らばり、一同の脳裏から生理的拒絶が発せられる。
少女の頭を容赦なく解剖する遊戯神。桜の瞳にはそれが悪魔よりも最悪の存在に映っていた。
──それから幾分ナイフに刺され続けていただろうか。海馬まで破損し始めた辺りで、ようやく愛夏の反応が無くなり始める。
人としての機能を完全に失い長時間の出血多量が功を奏したのか、ついに愛夏は息をしなくなった。
永劫に近い苦しみから死と言う最悪の存在に救われたのだ。
……それでも、手足は未だに痙攣したままだった。
「やっと死んだね、あぁ愉しかった。これなら単純に殺すよりストレスも溜まらないし、何より恐怖する顔を見れて最高に気分がいい。なんで今まで気づかなかったんだろう、こんな良い方法があったなんて」
その言葉を聞いて頭を掻きむしる桜。倫理的人間の限界か、何度も呻きながら小さく発狂していた。
そして数十分経てば懲りずにエントランスに戻ってくる愛夏。未だ勝機も見いだせないまま、ただただ死にに来る哀れな人間。
その目はついに光を失い、感情すら灯すことはなくなっていた。
完全に人形と化した愛夏に向かって悪魔は囁く。
「……降参すればその苦しみから解放されるんだよ?」
何とも悲劇的な。救いようのない話である。
逃げる道を閉ざされ希望への道を開けないまま、地獄の様な苦しみを味わい続ける。
唯一残された降伏への道は永遠の苦しみからの解放と、自身の人生の終了を促す魔の言葉だった。
「…………」
愛夏は反応しない、出来ない。ただゆっくり。ふらふらと、……今にも死んでしまいそうな状態で再び席に着く。
「…………。……、……、…………ぃ……、……」
言葉にならない声で何かを発する愛夏。
遊戯神は聞き取れず確認を取る。
「1?」
「いいや、2から6だ」
割り込んできたのはバケモノ男。彼には唯一愛夏の声が聞こえていた。
「ふーん、まぁどっちでもいいけど。じゃあさっさと振ってよ」
まるで遊びには心底興味なさげな様子。
彼にとっての遊びとは勝負全体の事を指すのだろう。サイコロの成否なんて些細な問題でしかない。自分は絶対に勝つと分かり切ってるから。
愛夏は力なく賽子を手に取ると、野垂れかかるボードから手を落として賽子も手放す。
「────」
転がるサイコロはまるで自分の目を自覚しているかのように絨毯を跳ね回る。
──結果は1。
「はい僕の勝ちね。じゃあまた殺さないとなぁ?今度は左目にしてみようか」
完全にペースを取り戻した遊戯神は、本来の神たる座に就く者としての狂気と絶対的な力の差を見せしめる。
「……あは、は……はは……ははは、ひ……ひ……っ……」
愛夏は首を傾げながら涙を流す。ついに壊れたのか、口元が吊り上がり完全に正気を失っていた。
「あぁ……ああぁ……っ!」
それを見て桜も泣きながら地面に拳を打ち付ける。
──何故この人達は何も言わず黙ったままなんだ。ミットと言う神はただ興味本位で見ているだけだからまだわかる。だけど、愛夏さんがバケモノ男と呼ぶ人物は明らかに彼女を特別扱いしているはずだった。
なのに、二人とも何も言わないどころか反応すらしない。ただ淡々とこの惨状を見ているだけ。
本当は二人とも愛夏さんに興味なんてなく、彼女がどうなっても良いと思っているのだろうか。
この状況をどうする事も出来ない桜には、ただただ困惑と後悔と行き場のない怒りだけが残っていた。
「あ"ガ"ッ"!?……──ッ"!……ッ"………ッ……」
再び始まる死刑と言う名の拷問。
傷の無い肉体を見て悦ぶ血塗れのナイフ。持ち手の狂気が映ったように血を求めて枯渇する。
ぐちゃっと新品の肉体から勢いよく血が噴き出るが、もはや愛夏の悲鳴は上がらない。
……完全に自我を損失し、廃人と化していた。
「ヒヒッ、アハハハハッ!!もっと苦しめ、もがけ!壊れろッ!」
「……………………」
ナイフの突き刺さる音と遊戯神の嘲笑、そして桜の泣き声だけがエントランスに響き渡る。
「………………」
もう彼女は負けた、壊れた。遊戯神が勝つまでこの地獄は永遠と続くのだろう。──そう誰もがそう感じたはずだ。
「…………」
外、屋敷を囲む大森林から流れる風はエントランスを駆け巡る。穏やかに緩やかに、一定に。屋敷に入り、屋敷から抜けていく。
──だが。
「……ふ」
今まで無表情だったバケモノ男がニヤリと笑い、その隣でミットが顔を引きつらせた。
──ああ。ついに来たか、と。
「……ふふ」
突然、風が止まった。
エントランスに流れていたはずの風が、その瞬間ピタリと止まる。
窓は空いたまま空気を迎え入れる準備をしているが、風は一切入らない。
その様子に桜は一瞬困惑する。
「ヒヒッアハハッ!アハハッ、ハハ……?」
遅れて遊戯神が反応する。今聞こえたのは自分の笑い声なのかと。
否。刺さったナイフから手を放し、後ずさる。
「ふ、ふふっ……」
次の瞬間。止まっていたはずの風が突如勢いよく入り込み、暴風となってエントランスを荒らす。
誰も風の魔法は使っていない、唱えてすらいない。だが吹き荒れる風は明らかに自然の流れ方じゃないことに全員が気づく。
目を見開き見るべき標的はただ一人。
「ふふふっ、あはは、はっ……」
──左目にナイフが突き刺さり。
「ね、ぇ……」
──出るはずもない声帯から声を出し。
「た、しか……神は、賽を振らない……だった、わよね……」
──動かせるはずのない右手で自らに刺さったナイフを掴み。
「その意味。やっと"解"ったわ……」
──抜けるはずのないナイフを自らの手で抜きとり。
「これが、私の……"答"えよッ!」
──あるはずもない力で思いっきり自分の心臓を突き刺したそれは。
「「──ッ!!?」」
──"本物"の狂人の姿だった。




