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カスタネットへようこそ  作者: MUMU
第一章 カスタネットと幸運の龍
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第七話


「ふんっ!」


降り下ろす網の一撃、龍の光像を突き抜けて地に落ちんとする。


「まだまだー!」


網が跳ね上がるような軌跡で反転。足を組み替え、下から右へ、そして真横に像を薙ぐ。


「運とか才能だとか! そんなもんウンザリなのよ!」


力任せの、あるいは勢い任せの一撃が繰り返される。何度繰り返したのか、どれほど時間が経過しているのか、桃の香りの中では感覚が曖昧になる。


「オカルト記者で何が悪いってのよ! そりゃ仕事なんか楽しくないわよ! 古い神社やら廃病院やらばっか回らされて! ボケてる写真が逆に雰囲気でてるなんて言われる始末よ!」


網がト音記号のような軌跡を描き、何度も龍の影をよぎる。


「気に入らないわ! 才能とか天運だとか、持ってる人間だけで世の中回してる感じがイヤなのよ! 才能がなきゃ龍が持てないってんなら根性で補ってやるわ! たかが龍ごときが人間なめてんじゃないのよ!」

「うう……」


水穂は頭を抱える。


これは地獄絵図だ。


けして草苅記者の叫びが不当というわけではない。才能が欲しい、信じて背負える使命が欲しい、それは誰にでもある感情だ。

だが、だからって、本当に神がかり的な天運を持つには草苅記者は小市民すぎる。いや、どんな偉人にだって背負えるものではない。誰か一人がそれを持てば、70億の人類など軽く消し飛んでしまう、あの龍はそれほどの可能性がある。


レーテの端正な面がぴくりと動く。


「網が龍に干渉しています」

「え、当たったの?」

「原子がいくつか干渉を受け、数ピコメートル位置をずらされています。生物の神経細胞の何億分の一という世界の話なので龍は知覚できないのでしょう。干渉の度合いが高まれば、ある一瞬に龍が掬い取られるかもしれません」

「まずいよ、そんなに早く捕まえられたら作戦立てるヒマが」


干渉。


「……ん?」


その言葉が脳裏に引っ掛かる。

今、草苅記者の振るう網が龍に干渉し、原子が動いた、それをレーテは観測できている。


「そうか……なら」

「捕ったあああああ!」


だが草苅記者の方が早かった。その網がでっぷりと膨らみ、こうこうと光を放っている。

網の中にはウナギのようにのたうちながら暴れる龍。まさか捕まるとは思っていなかったのか、ぎゃあぎゃあと高音で鳴きながら情けなく暴れている。


「やばっ! もう捕まったの!?」

「いえ、本来はその方が自然なことです」


レーテはもともと慌てるとか動揺するという言葉に縁が薄いが、連続するトンネル効果などという事態が収まって、なんだか安堵しているようにも見えた。その腰を水穂の掌底がバンと叩く。


「落ち着いてる場合じゃないよ! なんとかしないと!」

「……」


レーテの答えは返らない。無視するつもりかと水穂が目を三角にして脇を見上げると。

彼は己の足元を見ていた。

地を貫通し、その奥を見つめるような視線を落とす。


「どうしたの?」

根乃己(ねのき)の外から干渉があります、結界を抜けられました」

「まさか!? 新しい流れの者!?」


しかしなぜ足元からなのだろう、と水穂は思う。根乃己の結界は上に向けられたメガホンのような形状をしており、地面ごと村をすっぽりと包みこんでいる。上から来た方が抵抗がないはずだ。いや、それ以前に地面から来てるのだろうか。


「発見した時点では地下1200キロメートルあまり、現在マッハ20という速度で上昇中、大きさは直径約70メートル、全長8キロメートル」

「……ちょっと待って、マグマとか地殻とかを貫通してきてるの? それにその細長い感じは……」


そういえば、と水穂は思う。

おかしいと思うべきだった。なぜあの鈴鬼は草苅記者に網を振るわせたのか、草苅記者が龍を捕まえたとしたら、それで良しとするのか。


あるいは、あの龍自体が一種の前座、練習、あるいは別の何かを釣るための餌なのだとしたら。


鈴鬼は嬉しそうに両手を振り上げ、その下ぶくれの丸っこい顔をほころばせる。


「うむ、これで龍の力が天網ティエンミンに宿ったのだ。これで龍が捕まえられるのだ」


草苅記者ははてと首を傾げる。


「これが龍でしょ?」

「それは幼体なのだ。もちろん龍の加護は得られるが、星海を渡る仙錦シィェンジィ玉龍ユーロンとは数億年を生き、星の温もりに根付く龍、もっと大きなものなのだ」

「先に言いなさいよ。それで? またお香で呼ぶの?」

「龍は捕まると助けを呼ぶ、もう向かっているはずなのだ。網を寄越すのだ」


鈴鬼は網を受け取ると、中身の龍をぼとりと落とす。その龍はもはや光っておらず、それどころか形状も微妙に異なっている。四つの足で地を掴み、舌をちろちろと動かしながら這いずる爬虫類に変わっており、さらには大きさもどんどん小さくなって手の平に乗るほどにまで縮む。端的に言えば何の変哲もないトカゲに変わっていた。


「あれ? 龍はどこ行ったの」

みずちに戻ったのだ。あれは龍の腹から生まれ、地の凶王として千年、水の魔性として千年、天の暴君として千年を渡れば龍になるのだ」


見れば、龍の放っていた光が鈴鬼の網に移っている。龍の力を得るとはこういう意味だったのか、と何となく理解する。ふと気づけば自分の体にも薄っすらと光が宿っており、その光が少しずつ自分の中に入ってくる気がした。


その瞬間、地が震える。

大気全体がびりびりと振動し、背骨を戦慄が駆け抜ける。


「っ! 何これ!」


地の奥から響く形のない衝撃が体を突き抜け、内臓の全てがきゅっとすぼまるような感覚。筋肉が緊張し、額を汗が流れる。それは蛇に睨まれた蛙のごとく、何か名状しがたき者の気配が感じられる。


「いよいよなのだ、朕は成人の儀を果たすのだ」


鈴鬼はふわりと浮き上がり、その手に持った網が凄まじい速さで肥大する。白い網が星々を丸ごと包み込むように見え、竿の長さは西から東へ渡るほど長く、巨大な網が星空を覆っている。


そして地を割る稲妻のごとく、吹き上がる硫黄の爆炎のごとく、伸び上がる金色の影。

それは巨龍。

川を飲み干し山を貫くほどの龍が地から生まれる。光の鱗粉を全身から放ち、闇夜の中で黄金色に浮かび上がる龍。天と地を結ぶ光の柱か、あるいは天の川そのものか。


「でっか! 何あれ、あれが親なの!?」


草苅記者も空を見上げ、鈴鬼がドーム球場の屋根ほどに肥大した網を構えた時。


ふいに、その中央に飛び上がるものがある。


「ぬ?」


鈴鬼がそれが何かを理解する瞬間。

光が弾ける。


それはマグネシウムと硝酸アンモニウムの生み出す閃光。閃光手榴弾フラッシュバンの生み出す100万カンデラという光が空中で炸裂し、周囲を昼よりも白く染める。

夜空も山陰も、龍の巨体すらすべて漂白するほどの光。人間も、あるいは人外の存在すら咄嗟に目を閉じて方向を見失う。数マイクロ秒遅れて大気が爆発するような爆音。鼓膜を貫くような音圧が脳を揺らし、草苅記者などは意識が飛ぶような感覚に陥る。


「ごめんね」


その一秒ほどの時間から光を取り除き、相当な遅回しで見たならば。


枯滝水穂が腰だめに構えるのは長大なバット。半透明で透き通っており、その先端は遥か後方に伸びて村の夜景の上に届いている。脇にいたはずのレーテはいない。より正確に言うならレーテがその体のすべてを分解し、水穂の構えるバットと周囲の観測衛星として再構成させている。


そして振る。閃光の中を跳び、雲を切り裂いて伸びる黒杖。先端速度はあっさりと音速を超え、龍は果たしてその棒を知覚したのかどうか。

そしてバットの到達する刹那の時間、龍の顔面がくの字に歪み、牙の列を歪ませつつ食い込み、でたらめな量の運動エネルギーがそこに乗り、果たして何かに触れることすら数万年ぶりであった幸運の龍は、ものの見事に北極星めがけて飛んでいった。


「――ふう」


水穂がバットを振り抜いた瞬間、その黒杖はすでに消失して、脇には霧のような物が集まってきて段々と人型になる。レーテが再構成されているのだ。


「バレてないかな?」

「おそらく。あの流れの者の知覚は99%の確率で光学観測、音波観測のみです。どちらも閃光手榴弾フラッシュバンで撹乱できたと思われます」


「なんと!? 龍が逃げおったのだ!」


上空から声が聞こえる。鈴鬼は空中でぴょんぴょん飛び跳ね、腕を振り回して憤慨している。


「おのれ! 朕の威光に恐れをなしおったのだ! あのような目くらましを使うとは!」

「すごい光だったけど……龍ってあんなことできるのね」


草苅記者にも察せられてはいないようだ。鈴鬼は彼女の前に降りてくる。


「朕は龍を追わねばならんのだ。世話になったことに礼を言うのだ」

「あら行っちゃうの、インタビューしたいんだけど」

「急がねば見失うのだ、また那由多の後に会おうぞ」


そして網を地面にどんと突き立て。

次の瞬間、竿が凄まじい速さで伸長、捕まっていた鈴鬼を夜空の果てに放り投げ、一瞬後に竿も消える。上空には白い円形の波動が見え、鈴鬼が音速を超えて飛んだことがうかがえた。


「うおっと……便利ねえアレ、伸びたり縮んだりで何でもできそうな」


その様子を見て、ようやく水穂もふうと息をつく。びりびりと痺れていた手を体の横で振った。


「あいたたた……筋肉切れちゃうよコレ」

「体組織をが包んでいます。打ったのはほぼ私です」

「そうだとしても痛いんだからね」


レーテの銀色の髪がざわついている。周囲に展開させていた観測衛星を戻しているのだろう。

水穂には見えないが、周囲にはレーテの体の一部が観測衛星となって浮いていたはず。それらが電子ビームによって相互観測を行い、龍を構成する原子の一個までを見極める。レーテにとっても能力の限界に近い技だったはずだ、うまく行ってよかったと思う。


「やっぱりカギは観測だったね」

「はい、道理ですね。サイコロにかかる力を投擲の瞬間から観測できていれば、何が出るかに偶然の干渉する余地はありません」


トンネル効果とは不確定性原理の上での話。すなわち定まらない世界での粒子の偶然の挙動、極小の世界が誰にも観測されないがために許容される概念である。

では観測できたならどうか?

きわめて波長の短い電子ビームにより原子の位置を計測し、それに接触するようにバットの軌道に微調整を加えることができたなら。

レーテは特に説明しなかったが、実際はそこまでは必要なかった。原子の並びを観測した時、そこに通り抜けられるべき隙間など存在しなかったのだ。異常なまでの偶然とは、観測を受け付けた瞬間に崩れてしまうのだろうか。


「……。水穂さん、申し訳ありません」

「ん? いや別にいいよ、もう腕の痺れは引いたし」


もし、あの龍のトンネル効果が原子レベルの観測によって崩れてしまうものならば。

草苅記者があの龍を捕まえられたのは、つまりレーテが原子レベルで観測していたからではないか。

そういう考えはありうるが、レーテにとっては非科学的な事象のため、あまり深くは思考しなかった。


「いやー、すごい経験しちゃったわ、帰ったらさっそく本にするわよ」


草苅記者はと言うと妙にさっぱりした顔をして、朗らかに笑いながら歩いてくる。その明るさが少し恨めしい。

いつのまにか桃も消えている。急に暗くなったため、草苅記者がスマホのライトで前を照らした。


「なんだか体がぽかぽかするというか……妙な充実感があるのよね。龍の恩恵ってことかしら」

「そうかもしれないね、とりあえず帰ろうよ」


言って、水穂たちはさっさと歩きだしてしまう。


その淡白な様子に草苅記者は少し首を傾げたが、少し遅れて後を追った。




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[一言] 草苅記者は龍から天運をもらったのかな?
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