外伝・第一話
私は、一人きりであるというのは特別なことだと思います。
一人きりである人物にとって、世界は自分だけのものです。
大いなる自然も、科学の歩みも、快楽も苦悩も、生も死も。
あらゆることが自分だけのもの。自分一人で味わい尽くせるのです。
あなたがたも、いつかは一人になるでしょう。
一人きりになって、大いなる星の海を。
すべての時間を、空間を、我がものとすることでしょう。
そう、私のように。
一幕の映画のように。
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カスタネットへようこそ 外伝
――太陽雨の渺茫――
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陸の孤島であるということは、世間の流れから取り残されること、誰かがそのように言う。
しかし黒雲が空に満ち、大気のうねりが暴風となり、水は天に逆巻き、雲の落ちてくるような嵐の中にあっても、孤島は孤島でいられるだろうか。
少なくとも人類の劇的なる出会いは、津々浦々にまで話題という形で届いていた。
「あの人たちってぜんぜん侵略とかしないねえ」
「ほんとほんと、なんかCMも見なくなったし」
ネットカフェ「カスタネット」にて、晴南と美雨は雑談している。
カフェスペースの大きめのローテーブルに席をとり、しょうがの薄切りにバニラアイスを乗せたものと、カラースプレーのかかったゴマ豆腐というよく分からないものを食べている。
「ねー水穂、あの人たちって知り合いなんでしょ、なんか聞いてないのー?」
呼ばわる。その視線の先には黒髪の少女。水色のワンピースを着て、髪は白いリボンで束ねている。リボンはよく見れば紙でできており、枝に結んだおみくじのようだ。
「知り合いだけど、別に私個人のお友達じゃないよ」
水穂は漫画の書棚を整理している。漫画の担当は祖父であったが、今は離れた場所に住んでいるため、水穂が仕事を代行していた。
「なんかもっとでっかく変わると思ってたんだけど、そうでもないみたい」
「ほんとほんと、ホワイトハウスが吹っ飛んだりしなかったし」
「あの人たちはそんなことしないよ」
そうとも言い切れないだろう。と、縁側のほうを眺める。
カスタネットのカフェスペースは縁側まで続いており、根乃己村の風景が望める。水田に囲まれた孤島のような立地。なだらかに広がる山には紅葉が濃くなってきている。
日常の風景。それが一変する可能性は大いにあった。
星海の彼方よりの来訪者。人類が不可思議なテクノロジーにより遠ざけ続けていたファーストコンタクト。それを受け入れると決めたのは枯滝水穂なのだ。少なくとも彼女自身はそう思っている。
仏門の僧服、剃り上げた頭、そして町一つほどもある巨大な宇宙船。空飛ぶ円盤。
彼らは途轍もないテクノロジーを有している。時間を止め、自由電子の往来を封じ、どのような物体でも自在に生み出す。はっきり言ってしまえば地球人など赤子も同然だろう。
そんな彼らが地球へやってきた理由、コミュニケーションを求めた理由。それは異常存在と呼ばれる物体を集めるためであり――。
「水穂、手が止まってるわよ」
受付のほうから声がかかる。想念にとらわれかけた水穂は頭を振り、また仕事へと戻った。友人二人のほうに声だけ投げる。
「あの人たちは穏やかな人だから、乱暴とかしないの。本当に仏教徒らしいし」
「そーなんだ、なんか攻撃して追い返せっていう過激な人もいるよねえ」
「アメリカの大統領が降伏しちゃったとかさあ、どこまで本当なのかなあ」
その辺は、どこまで噂なのか水穂にも分からない。
水穂の属する枯滝家は、かつてREVOLVEと呼ばれる組織に関係していた。
異常存在。流れの者。人類の理解を超えるそれらを排除し、望ましいファーストコンタクトを選ぶための組織。だが実態としてはひたすらに先延ばしにするだけの組織だった。
それは今は休止しているという。地球がファーストコンタクトを迎えたために、非公開の組織が暗躍する時代は終わったのだとか。
水穂も断片的に聞くのみだが、活動休止はアメリカ大統領からの直接の指示らしい。アメリカはアメリカで大変らしいが、かつて支部長であった母、枯滝瑛子はあまり語らない。
「ところで水穂、なんか聞いてる? 今度の映画祭でかかるやつ」
「映画祭?」
言われて思い出す。映画館のない根乃己村では春と秋の年二回、小学校の講堂で映画の上映会があるのだ。
その選定会議に毎年参加していたのが水穂の祖父である。映画祭では一日に四本の映画が上映されるが、そのうち二本が必ずアニメになっていた。それは祖父の尽力であるらしい。そのため、祖父に聞けばその年にかかる映画はいくらか推測できる。
しかし、いま祖父はカスタネットにいない。山の上の和倉寺に住んでいるが、簡単には降りてこれない身の上である。
「今年はおじいちゃんがいないから……選定会議っていつだっけ。お母さん知ってる?」
受付に声を投げる。母の声だけが返る。
「今日よ。昼の12時からだけど私は出ないわよ」
「ちょっと大変じゃん」
色めき立つのは晴南である。
「じゃあ校長とか大島のおじさんが勝手に決めちゃうよ! あの人たち毎回時代劇ゴリ押ししてくるらしいじゃん!」
「時代劇も面白いよ」
「水穂は甘い!」
もう一人の友人、美雨も声を大にして言う。
「桑島のおばあちゃんはふっるいフランス映画とか押してくるんだよ! 中之島のおじさんは黒澤明とかプッシュしてくるし!」
「フランス映画も黒澤明も面白いよ」
「水穂ぜんぜんダメ、自分の感性が真っ当だと思ってるでしょ。客観的でいいから年相応の感性持たないと」
「そうそう、もしエンタメ的な映画が全排除とかだったら大惨事だよ、もっと焦っていこう」
「あう……」
ばっさりと言われると返す言葉がない。小難しい本ばかり読んでるとか、おばあちゃんみたいな味覚だとか、ふとした瞬間に自覚して悲しくなる事は多々ある。
「えーと、じゃあ二人はどんな映画がいいの?」
作業の手は止めないままに聞いてみる。
「私は半裸のマッチョが殴り合うやつ」と晴南。
「私は主人公がめちゃくちゃ追い詰められるタイプのホラー」と美雨。
「それもなんか偏ってない……?」
通常なら村の映画祭でホラーなど上映されるはずがないが、そこは根乃己というべきか、過去に何度も例がある。そこにもやはり祖父の尽力があったのだろうか。
「じゃあ選定会議に行こうか、みんなで」
「だめよ」
と、会話を聞いてたらしい母が背後に来ていた。スキニーのジーンズを履いて髪をアップにしている。組織が活動を停止し、ここ最近はカスタネットにいる時間が増えたが、家の中でもけしてゆるい格好はしない。体の線が出る服は娘としては恥ずかしいが。
「なんでだめなの?」
「今年から選定会議は18歳以上しか出られないの、未成年は保護者同伴」
あ、と晴南が手を叩く。
「そうだった。先週になって急に決まったんだって。いつもなら子供もたくさん来てわいわい会議するのに」
「あー私も聞いたー。校長と桑島のおばあちゃんたちで勝手に決めちゃったんだよ。子供だけで参加すると夜遅くなったら危ないからって」
「政治ってやつね」
水穂の母、枯滝瑛子がまとめるように言う。
「お義父さんはこの村の顔役だったからね。いろんな行事に顔を出してたけど、村を離れたとたんにこうよ。根乃己小の校長を中心とする守旧派が幅を利かせてきたわね。お義父さんは若年層の意見をうまく取りまとめてたけど、未成年という結界を敷いてすべて牛耳ろうとしてるわ」
「ただの映画祭でしょ……?」
「甘いわね水穂、改革は無難なところから始めるものよ。このままだと年越しの祭りも春のお花見も、読書会も相撲大会も村会の慰安旅行も、自販機のラインナップまでぜんぶ牛耳られるわね」
晴南と美雨が青ざめる。
「大変じゃん……そういえば公園のベンチが塗りなおされて緑になってたよ」
「ま、まさか、バス停にあったポスターが文房具のやつに変わってたのも……」
それがどう脅威なのかよく分からないが、二人にとっては深刻な事態らしい。
水穂はすこし考えて、また縁側に視線を投げる。
山々が緑から紅葉に変わる。燃え上がるような秋の賑わい。
人類の歴史で最大の変化が起きている時期にあって、一個人は人間関係に翻弄される。四季の移ろいというダイナミズムなど注目している暇もない。
おかしなことだ。山が紅に染まるほうが、宇宙から訪問者が来るほうがずっと大事に思えるのに。
それも奢りだろうか。
水穂が選択しなくても、ファーストコンタクトはいつか必ず訪れた。
自分は宇宙だの異常存在だのばかり考えて、地に足がついていなかったのか。彼女の母、枯滝瑛子のほうがよほど落ち着いている。
「……なんとかしないとね」
水穂は少し気合を入れる。心なしか、そう思うだけで回りの色彩がビビッドに見えた。
「未成年は保護者同伴ならいいんだよね。お母さんは来てくれないの?」
「お店があるからダメよ。他の人に頼みなさい」
「瑛子さんはダメかあ、うちらの親も仕事だもんねえ」
「水穂、じゃあひとっ走り「ブラジル」に行こっか。大貫さんに頼もう」
「うーん……ブラジルのご主人もランチタイムで忙しそうだし、気が引けるなあ」
「では、拙僧がご一緒しましょうか」
声が届く。水穂がはっとなって背後を見れば、秋の日差しのなかにあって漆黒の印象を持つ人物。
大きな網代笠をかぶり、墨染めの直綴。脚絆と草鞋という出で立ちで、鉄が笑うような人工的な笑みを見せる人物。行脚修行を行う旅の雲水であるが、網代笠の下に見える顔は、初めて見る者なら鳥肌が立つほど美しい。
「黒現さん……」
「久しくお目にかかります。枯滝水穂どの」
遥かな星界からの訪問者。母の組織が言うところの流れの者。地球が迎えたファースト・コンタクトの相手。あまりにも非現実的であり、あまりにも超常的であり、あまりにも理解が遠い人々。
果たして彼らは何者であり、これから人類とどのような関係を築いていくのか。それはあまりにも果てしなく、曖昧な道のり。渺茫たる世界の話である。
「よかったじゃないの、黒現さんなら安心ね」
ぽんと背中を叩いて、瑛子は店の奥に引っ込んでしまった。
そして異邦人への対応は。
今はとりあえず、水穂に委ねられたようだ。
※
「黒現さん、お仕事はいいの?」
四人は連れ立って歩き、道の果てで太陽は上昇を続けている。
刈り取りの終わった田んぼと、まだ稲穂をつける田んぼが交互に現れるような眺め。赤トンボが何気なく旋回し、遥かな高みにはいわし雲がある。秋が深まっている気配はあるが、盆地である根乃己はまだまだ汗ばむ日もある。
「仕事は順調ですよ。いくつかの有益な物体が我々のもとに集まっております。もちろん、ふさわしい対価にて購入させていただいております」
「ねえねえ、ほんとに宇宙人なんですか?」
「その頭ってどうやって剃ってます?」
晴南と美雨はきゃあきゃあと騒ぎながらまとわりつく。水穂は多少ひやひやしていた。この来訪者と自分たちの存在格差は、おそらく地球人の想像が及ばないほど大きい。
「お二人は水穂さんのお友達ですか?」
「そうでーす!」
二人は三段跳びのような動きで前に行き、背中合わせにポーズを決める。
「筋トレへの篤き信仰! 速筋遅筋のベストミックス! 体力だけが人生だ! 須走晴雨です!」
「サブカル道に果てはなし! フルスクラッチはオタクの華よ! 作ろうマイ秋葉原! 山極美雨です!」
二人は水穂に手を伸ばす。
「そして我らがリーダー! その名は!」
「やらないけど」
すたすたと脇を通り過ぎる。
「あーんもう水穂もやってよー」
「そうそう、うちらのリーダーなんだからー」
「リーダーのつもりないってば」
狭い根乃己である。三人とも幼稚園からの付き合いであるが、特に親しくなったのはここ数年のことだ。なぜかリーダー扱いされることが多いが、水穂はずっと否定している。
「さあそれより急ごう。12時から選定会議でしょ。意見を通すならなるべく早く行って、いい場所に座らないと」
「あれ、映画館」
晴南が指さす。え、と思って首を向けるが何もない。
振り返って、晴南の指がかなり高い角度を示している事に気付く。仰角30度、いや、40度以上ある。
首を振りあおぐ。空中にそれは浮いている。
コンクリート造りの四角い建物。青い看板には大きく「ミドリ座」と書かれており、古代ギリシャの神殿のような円柱で入り口が装飾されている。
そして気付く、周囲に看板が散らばっている。
巨人のカルタのごとく、さまざまな映画のポスターらしきものが田んぼに散らばっているのだ。土の上に、あるいは収穫前の稲穂を押しのけて、アクション、SF、ラブロマンス、コメディ、ホラー。
「これって……異常存在、やばいな、今は二人がいるのに……」
「そうですね……映画館のようですが、少し危ういかもしれません」
黒現の言葉に水穂はぞっとする。まさか、この流れの者。地球人類をはるかに超える力の使い手でも危険な相手なのか。異常存在ではなく、超常存在なのか……。
「そうなの……? 黒現さんでも」
「拙僧はホラーが苦手なのです」
「…………」




