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カスタネットへようこそ  作者: MUMU
第九章 カスタネットと孤独の宇宙
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第六十一話





みち、なぜ本を読まん」


秋の夕暮れを背に浴びながら、目の前の少年に呼びかける。


少年の手には緑の折り紙。何かを作るでもなく揉みほぐすように指を動かす。


「活字が嫌なら漫画でも構わん。わしの蔵書が山ほどある」


少年の反応は乏しい。

再度、喉に力を入れて言葉を重ねる。


「テレビでもゲームでもいい、野山を走り回るでも良かろう。なぜ今あるものに目を向けん。なぜ未知のものばかり追い求める」


少年が首を向ける。

無味乾燥な顔。無感情とは少し違う。その顔つきがどんな感情なのかが見えてこない。石や木の心を慮るような感覚だろうか。


「僕には合わないから」


端的にそう答える。それを受けての肺の底からのため息。


「折り紙でばかり遊ぶな。お前は異常存在としてタツガシラの管理下にあるのだぞ。異常性が高まれば実験台にされかねん」


空白の時間。返答はない。


秋色の風が、遠く色づく山々が意識される。燃え上がるような根乃己の秋景色。


「なあみちよ、普通に生きてはくれんか」

「普通って?」

「平凡であり特別ではないこと。高みを望まず起こり得ないことを想像しないこと。お前にも分かるはずだ。折り紙をやめろ。それで獣や鳥を生み出して何の意味がある。動物が見たいならわしが動物園にでも連れて行く」


にこりと、少年は微笑んだように見えた。

母親が亡くなった前後から、彼に笑顔は見られなくなっていた、この時のそれは久々に見た表情だった。


「お父さん、僕が何を作りたいかわかる?」

「高位の異常存在じゃろう。お前の折り紙は動物を模倣するのみならず、燃えたり透明になったりする。いずれは超常存在シグナルレッドに匹敵するものも生み出す」

「少し違うよ」


そう言われて首を傾げる。


「では何を作る」

「究極の折り紙なんだよ。まだ見えてこない。折り方が存在するとしてもとても言葉にできない。完全な論理矛盾パラドックス。たどり着けるかも分からない」

「そんなものを折ってどうする。誰がそこまでの異常を求めたと言うのだ」

「そうじゃないよ……」


少年はまた手元に集中していくようだった。その頭でどんな理解が生まれているのか、今までに積み上げてきた技術はどれほどあるのか。


何一つ情報の共有はかなわず、だんだんと意思の疎通も遠くなる。


石に変わりゆく人のようだと、そんな例えが浮かぶ。どのような手段でも止められない呪いのようなもの。翼を持って生まれた人が、やがてどこかへ飛び去っていくのだという、悲しくも明白な予感。


「まず技術が先にあるんだ……」


それは独り言とも、誰かへ向けた言葉とも思えないつぶやき。

それはあるいは、枯滝路が人間という枠のきわに立っていた時期。その儚い一瞬の時期だったのやも知れぬ。


「世界を一変させる何かは、常に隣にあるんだ。それに気がついていない、だけ……」

みち


声が少年の意識を引き戻す。


それは聞いたことのない響きだった。怒りや叱責ではなく、脅しや悲哀でもない。


その声は何なのだろうと、残り香を嗅ぐように少年が再びこちらを向く。


「路、どこへも行くな」


少年は、そっと目を細めるように思えた。


穏やかな声に身を委ねるように。

その慈悲のこもった眼差しを名残惜しむように。


「根乃己を出てもよい。どんな仕事をしてもいいが」




「どうか、わしの知らない場所へ行くな……」





噴き上がる。それは炎の柱。


燃焼剤が貪欲に空気を喰らい、毒々しい黒煙が天の高みまで上る。

そして数秒後に炎も消える。有毒ガスは消え失せ、融解している地面も元に戻っていく。時計を逆回しするかのように、あらゆる破壊が戻っていく。


「……口惜しい」


どす、と竜興老人が膝をつく。


武器を持った男たちは倒れ伏している。誰も身動き一つしない。


枯滝路は。


黒コートの男は脇腹に触れて、べったりと血の付いた手を確認する。


「凄まじい……作用原理の異なる二十以上の防御を簡単に抜いてきた。時間や空間を歪めても、存在確率や認識をずらしても何の意味もないのか……これが黒鉾ヘイボウ……」


そのあなはどれほどの大きさなのか。抜き出す折り紙を傷にあてる。まだ血はだくだくと流れ続けている。


「治療は……効いてはいるが薄いですね。もう少し体の芯を抜かれていたら、本当に即死していたかも……」


視界の果て、水田に浮かぶ方舟はこぶねのような建物、カスタネットが見えている。枯滝路は足を引きずりながらそちらに向かう。


「――路」


老人の声。

竜興老人は膝立ちになっている。その目は枯滝路を見ているが、目玉以外は何一つ動かせぬかのように硬直している。


その腹には椿に似た赤い花。

周囲の男たちも同様。赤い花を体から咲かせて倒れている。


「すいませんお父さん。眠りを与える摩旦花まにか折りの花です。本来は休息のためのもので、攻撃と言えるほど強いものではありません。1時間もすれば花は消えます」

「行くな」


黒コートの男はいくぶん驚いたようだった。その花を咲かせていながら明確に話せることに。


「行けば、殺される。レーテは。お前を」

「……察してますよ。星が消えたことは彼の仕業でしょうね。あらゆることに決着をつける気なのでしょう」

「やつ、は、恐るべき、こと、わし、でも」

「無理をしないで……御免なさい、何を言ってるのか分からない」

「触れ、ること、かなわ、ぬ、ものを」

「……お父さん、ありがとう、急所を外してくれて」


その脇をすり抜け、カスタネットに向かう黒コートの気配。

老人はすべての気力を振り絞って振り返ろうとして、まだ何かを言おうとして。


そして視界と意識が、白く塗り潰されていった。





「レーテくん」


駐車場側から敷地へ入る。

十台ほどが駐車できる大きめのスペース。端には物干し台や物置きがあり、目の前にはカスタネットの縁側。その奥には書架の並んだ読書スペースが見える。


駐車場の中央に立つのは銀髪の青年。薄緑のシャツにゆるめのジーンズというラフな姿である。おそろしく整った顔だが、今日はとことなく皮肉シニカルな笑みを見せている。


枯滝瑛子は縁側に立ち尽くし、不安げに己の体を抱くように構えている。


「水穂から電話を受けましたよ。私に話したいことがあるとか」

「ええ、端的に申し上げます」


さっと腕を振る。


枯滝路の反応は早かった。脇腹に当てていた折り紙をさっと上げる。空気中で金属同士がぶつかり合うような音が響く。


「瑛子様と離婚していただきたいのです。そして根乃己を去っていただきたい」

「それだけを告げるのに、なぜ攻撃を」


枯滝路の反応は淡々としている。レーテは面白がるように背筋をそらす。


「あなたの力はあくまで肉体に準拠した技術的なもの。折り紙を物理的に折れなくなれば異常性は失われるかもしれない。あなたの同意を得るような問題ではないでしょう。指を狙わせていただきました」


戦車がぶつかり合うような重厚な音。物干し台の根本でコンクリートブロックが砕ける。


「枯滝路様。力を失うのがそんなに嫌ですか?」

「そうですね、望んではいません」


背後にいた瑛子が枯滝路の出血に気付く。

顔面が蒼白になるが、行われている不可視の戦いのために一歩も動けない。


「路様。私も成長しているのですよ」


ぎん、と何度目かの音。

はるか上空で雲が裂ける。綿を引きちぎるようにずたずたに。


「すでに貴方と同じ抗異化因子存在レジストナーの域にいる。オルバースの銃が、その他の異常存在が私を成長させた。すべての異常存在と、流れの者は私が排除します。あなたは再婚なされるなり、好きに放浪するなりして生きればよいでしょう」

「ずいぶん人間くさくなりましたね、レーテくん」


抜き出される。それは紫、白、だいだいの三枚の折り紙。


糊叶のがのう弟橘媛おとたちばな鉄鎖てっさ折り……」


ぎし、とレーテの動きが硬直する。


「ぐ……」

「あなたは微粒子のような演算機械の集合体。ですが、この粘着性の空間・・で拘束すればどうでしょうね」


脇腹の傷に折り紙をあてる。

枯滝路は、少なくとも外見上は疲弊して見えた。脂汗を浮かべ、呼吸も早まっている。あの出血量は常人ならすぐに輸血が必要な量だ。

枯滝瑛子はそのように見るが、枯滝路から負傷や疲労などというイメージがあまりに遠く、まだ動けずにいる。


「レーテくん、一体どうしたと言うのです。そもそもあなたは私に会いたかったのでしょう? 先日、根乃己に戻ってきたときにいくらか話をしたと思ったら、あなたは私との話を打ち切って帰ってしまった」


レーテは顔面をこわばらせている。しかし何も起きず、ただぎしぎしと荒縄を絞るような音がするのみ。


「そして星を消し、私を攻撃した。いったい何が起きたのですか、どのような心境の変化が」

「それよりも」


いくぶん強い声。

それには明確な怒りの感情が含まれていた。レーテのそのような声を初めて聞き、瑛子もはっと注意を引きつけられる。


「それよりも重要なことがあるでしょう。私と瑛子様のことを気にしないのですか。こんな田舎の片隅で、何日もカスタネットの中で寝食を共にしたのですよ。何か不貞の事態が起きていないか気にしないのですか」

「……」

「奇妙なことを聞くのだな、という顔ですね、枯滝路・・・


戦況としては完全に枯滝路が圧している、と瑛子は思う。


しかしレーテの不思議な気迫。黒コートに向ける威圧を受けて、間合いを詰められないでいる。


「私は地球へ来て、カスタネットの皆さまに歓迎していただきました」


そのように言う、枯滝路は動かない。


「根乃己の美しい風景、好ましい人々、何より枯滝家の皆様は私にとってとても魅力的だった。知力と行動力にあふれ、己の役割に誠実な人々。そして皆がこの土地を愛していた」

「……何を言っているのです、レーテくん」

「あなたは違う」


す、と。

枯滝路の気配が重くなったと分かる。


体重を両足に分散し、油断なく構えるような気配。


「あなたは他人のことなど考えていない。あなたの言葉は誰にも理解できず、理解できないことを気にも止めない・・・・・・・。あまりにも傲慢。この世で一人だけの存在であることの奢り」

「……え」


背後の瑛子は奇妙な顔をする。

そんなはずはない。彼は、枯滝路は自分の言葉が通じないことを悲しんでいた。


少なくとも学生時代は、REVOLVEの協力者だった時期はそうだった。そういう顔を見た記憶がある。


「なぜ、REVOLVEを破壊する必要がある」


レーテは、その目にはっきりと憎しみを込めて言う。


「ファースト・コンタクトを選別するシステム。だが事実上は拒絶の結界と化していた。女々しくて臆病で、でもそれを選んだことも人の意志です。なぜあなたに壊す権利がある」

「……父と同じようなことを言うのですね、レーテくん」


いくぶん、うんざりしたような様子で首をそらす。


「人はもっと大きな世界で生きるべきです。新しい世界を目指すべきなのです」

「それは枯滝路、あなたの世界」


嘲笑の混ざった声。その人間くさい様子に、瑛子はこれがあのレーテの声かと驚愕する。


「私はようやく気づいたのですよ。REVOLVEとは何なのか。ファーストコンタクトとは、それを与えた流れの者は何を考えていたのか」

「……」

「我々と同じですよ」


天を指差す。

枯滝路ははっと身構える。レーテが手首から先のみとはいえ、動かせたことに反応を見せたのだ。


この人物にとっては極めて珍しい、動揺を。


「REVOLVEとは一種の封印装置であるとは思えませんか? これを与えた高位の存在は何かを恐れていた。この地球で生まれうる何かをです。それはやがて知の地平線シンギュラリティを超え、宇宙に大いなる影響を与えると考えた。だからREVOLVEという揺り籠に閉じ込めた、そうは思えませんか。地球ではなく、宇宙にも・・・・ファースト・コンタクトがあるとしたら」

「……」

「だが不完全。REVOLVEには数的限界があるからです。これを与えた知性も、すべての星の排除までは踏み切れなかった。だから私がやるのですよ。すべての人々から星の記憶を消し、地球を巨大な揺り籠に変える」

「なぜです……なぜ動ける」


右腕が、足が、拘束を逃れて動き出す。

やがてレーテは自由を取り戻して、かるく肩の埃を払う。


「私の力は超常存在シグナルレッドに至っているようですが、その中でもさらに序列はある。残念ですが枯滝路、あなたには及ばないかも知れない。ですがそれでも、あなたを排除する手段はあるのですよ」

「……何を、言っているのです」

「それは、あなたよりも・・・・・・高位の・・・超常存在シグナルレッドの力を借りること」

「! まさか!」


ばつん、と何かが打ち合わされるような音。

レーテがそれ・・を受け止めた音である。手の中で白煙を上げるのは、長さにして2.4メートルほどもある蛇行剣。


真賀蛇御阿砂魂マガビオンアザタマつるぎ……私はと取引したのですよ。地球に永遠の安寧を与えると……」


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