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カスタネットへようこそ  作者: MUMU
第九章 カスタネットと孤独の宇宙
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第五十八話



「星すらも?」


草苅記者は夜の中心に視線を投げる。真夜中の根乃己は椀を伏せたような静寂の世界。水田の羽虫すら眠るかに思える。


「草苅さんは不思議に思ったことはない? スプーン一杯で数百トンの重さがある天体。暗黒物質とも呼ばれてる正体のわからない質量。17次元を内包した極小のひも構造。それは、言ってみれば荒唐無稽なお話に聞こえなかった?」

「まあ信じるとか信じないって感じじゃなかったけど、ほんとかなあ、ぐらいには」


星のない宇宙。そこには不思議が乏しい。


宇宙に恒星系は太陽系しかなく、いつか外宇宙に出ていくという人類の夢は生まれもしない。近代を迎えて以降は蛸のような火星人も、金髪の美女の姿をした金星人もいない。人類の領土は永遠に地球だけである。


「地球だけなら、そもそも一人ぼっちって発想が生まれないのかな……」


幼年期の終わり。


そんな言葉が浮かぶ。言葉が羽虫となって水穂の近くを飛ぶ。


「そう……星があるからそこに生きる人を想像する。深淵の謎が怖くなる。そういうことなの? これを仕掛けた誰か……」

「どういうこと?」


聞き手は草苅だけになっていた。友人二人は眠気の泥に捕らわれたようで、互いに支え合うように寝室へ。大貫はまだ片付けをしていた。時刻は深夜0時を回りつつある。


「草苅さん、子供の頃ってたくさんの夢があるよね。お金持ちになりたいとか、スポーツの選手になりたいとか」

「そうね、私は40個ぐらいあったな」

「それは人も同じなんだよ。人はどんな形で大人になるのか、それをみんな考えてた。例えば機械の中に意識を閉じ込めて永遠に生きるとか、今の人類よりもっと優れた種族を生むとか」

「SFね、知ってるわよ。意識のアップロードにネクストヒューマンでしょ。オカルト雑誌とそういうのって割と近いから」


漆黒の夜空は不思議と飽きることなく見続けられた。月は山の端に沈もうとしており、夜はますますその濃さを増す。


「でもそういうのはマイナーな考えだった。多くの人はこう考えてたの。いつか人類は外宇宙へ出ていく。多くの星に植民を果たして、人類以外の偉大な知性に出会うんだって」


あまりにも繰り返されたために、口に出せばUFOマニアの烙印を押される考え。

だが、それが人類最大の悲願でないと誰に言えるだろう。


誰もが漠然と思っていた。今は途中であると。


人はまだ混迷の時期なのだと。


いつか大いなる知性を手に入れ、完全なる宇宙船を作り、星の果てに出ていくのだと。


「でも……」


それは人類を縛ってもいる。

加速度的だった技術の進歩はいつしか頭打ちを感じ始め、材料工学は亀の歩みと化し、人間の肉体的限界はとても宇宙の環境に耐えられないと判明しつつある。

そんなグロテスクな考えが蛾となって飛んでいる。そんな場所をよろめきながら歩いているのが人類なのか。


水穂がそのようなことを言う、草苅記者はかなり長く考えてから呵呵かかと笑った。


「だいじょーぶよ水穂ちゃん、ほらあれ、餃子食いてえとかそんな名前のがあるでしょ。それで解決なのよ」

「シンギュラリティのことですか?」

「よく分かったわね」


シンギュラリティとは知性の地平線。

人はコンピュータの進歩により、自己の思考能力を超えた知性を手に入れ、やがてすべての発明や発想は機械から生まれるという考え。


だがそれも、縋っているだけにも思える。


大いなる宇宙を前にして、大人になれなかったら人類はどうなるのか。

想えば胸が締め付けられる。耐え難い苦痛がある。


「出会いが予感されるから、出会えないことが辛くなる……。だから希望を消す。説明のつかない宇宙の事象を、知的生命の気配をすべて断つ。これは誰かにとっての理想の世界……」



――この宇宙には、一つだけ欠点があるのです。



「……」


連想してしまえば、あとはドミノを倒すよう。

どこか不自然だった彼の様子。オルバースの銃に触れて力を増していたこと。父に会ったのに、彼の悩みが晴れたように見えなかったこと。


そして彼の特性。かつて幸運の龍の力を封じた原子レベルでの観測。


浮かび上がる、一つの名前。


「あなたがやってるんだね、レーテ……」



――ようやくたどり着いた星が、己に取り込まれるためにあるのだとしたら、それはとても悲しい事ではないでしょうか


――宇宙にはこれから出会う隣人などおらず、いたとしてもそれは自分によく似た存在に過ぎないとしたら



「宇宙に、星があること」


「それがあなたにとっての、宇宙の欠点」


「そう決めてしまったんだね、レーテ……」





「瑛子様、このホットサンドはたいへん美味しいですね。ブイヤベース風味でしょうか」

「……ありがと」


夜9時を回った頃。


カスタネットでは遅めの夕食を摂っていた。

現在、働き手は瑛子とレーテのみ。どちらも非常に手際よく動ける人物なので営業の問題はないが、枯滝竜興が戻ってこないことは気になっていた。


竜興と水穂は菩提寺である和倉寺に行っていたが、帰ってきたのは水穂だけ。高位の流れの者フォーリナーと接触して、これを追い払ったとの説明を受けた。


竜興は霧雨会に会いに行くと言って、2日経った今もまだ戻っていない。メンバーの家に電話をかけてみると奥方が出て、霧雨会のメンバーで温泉に出かけたと答えた。

だが霧雨会はREVOLVEのオブザーバーである、そんな話を信じるわけにはいかない。


(お義父さん……何を考えているの?)


水穂は枯滝路に連絡を取ったという。レーテが会いたがっているとの理由だ。説明はつかないが不穏な予感しかしない。

だから水穂には現金を渡し、日吉町のホテルに行くように言ったのだが。


「……やっぱり、星が消えてる」


居間の窓からはのっぺりとした空。この現象は何なのだろうか。REVOLVEが機能不全に陥ってる現状、瑛子に打つ手はない。


「瑛子様」


どきりとした。数分前の記憶よりもだいぶ近くでレーテが発言したからだ。彼は気配が薄く、そっと近付かれると到底気づけない。


「な、なに」

「本日は厨房での立ち仕事が続かれ、お疲れのことかと存じます。よろしければマッサージを差し上げましょうか」

「いらない」


ざざ、と露骨に後退する。


「変なこと言い出さないで。男と女なのよ」

「男と女ではいけないのでしょうか」

「当たり前でしょ! 私は結婚してるのよ!」


瑛子が奥歯を噛みつつ睨みつける前で、レーテは正座の姿勢のまま背を伸ばす。


「瑛子様、では女性の姿ならいかがでしょう」

「え?」


レーテの顔がわずかに震える。表面が水になったかのように波紋が走り、髪がざわめき、唇に朱色がさして美麗な女性の姿となる。80年代のハリウッド映画から抜け出してきたような高潔な美しさ。一分の隙もないと言うべきか。


「これならいかがですか」

「え、ええと、いやそういう問題じゃ……」

「さあ、足をお出しください。いかがわしいことなど何もありませんよ。私はただの演算機械なのですから」

「……」


瑛子は少し思案する。レーテが今のように体つきを変えてみせたことは初めてだ。

レーテは全身を巨大な構造体にもできるらしいが、人としての顔立ちを変えたことはない。あの姿は決まりきったもの、彼なりのアイデンティティのこもった姿だと思っていた。


(……逃げてばかりでもしょうがない。彼を探っておくべきかしら)


ざざ、と畳を擦る音を立てて足が突き出される。膝丈の靴下の上からレーテが脛を揉み始めた。


「レーテ、あなた枯滝路と会ってどうしたいの」

「はい、瑛子様と離婚してほしい、と頼むつもりです」

「またそんなことを……」


どこまで本気なのだろうか。と銀髪の美女を盗み見る。

間近で見ると美しいだけでなく、青年の姿の時より華やいだ明るい印象もある。その微笑みを見てると瑛子ですら緊張してしまう。声が青年のままなので奇妙な感じだが、瑛子の方から声を変えてと言うのも変なので黙っていた。


「おかしいでしょうか。私は瑛子様と結婚したいと思っています。カスタネットと根乃己を守っていくつもりです」

「枯滝路が承知するわけないでしょ」

「なぜでしょうか」


なぜ、と言われて、瑛子の心にふと空白が生まれる。


理由は挙げられる。瑛子がREVOLVEの所長でいられるのは枯滝路の妻だからだ。反目しているとは言え数十億人に一人の抗異化因子存在レジストナー、離婚すれば現在の地位は失うだろう。それは枯滝路にとっても不利益なはずだ。それに子供もいる。

だいいちカスタネットは路の実家であり、瑛子はそこに嫁いだ形だ。路と離婚して、新しい夫と瑛子がカスタネットに残るなど非常識にも程がある。


だが。


「枯滝路という方は、本当にカスタネットを愛しているのでしょうか」

「それは……」

「私にはとても自分勝手な方に思えます。カスタネットを長く留守にし、ご家族に会おうともしない。枯滝路の裏切りにより、瑛子様の出世の道も絶たれたと伺っています」

「……」


REVOLVEの方針と反目し、組織を潰すために世界中から異常存在を集める。


それは根乃己の否定。今更のことだがREVOLVEへの裏切り。


そして彼は枯滝瑛子と連絡を取ることもなかった。娘である水穂には連絡手段を渡していたようだが、それは根乃己の動向を探るための仕込みと見えなくもない。


枯滝路は、あらゆる意味で人の世界から隔絶している。


その能力は人の理解の遥か上を行き、誰もその思考に追いつけない。

そんな彼が、当たり前の倫理観や常識、親子や家族の情で動くのだろうか。


彼の子を産んでも分からない。彼が本当は何がしたいのか。


彼は何者なのか。


彼を言い表す言葉は世界に存在するのか――。


「よろしければ、話していただけませんか。路さんのことを」

「夫のこと……? あなたにはブリーフィングで話したでしょう。資料も見せたはず」

「そうではなく、お人柄のことです。学生時代は同級生だったと伺ってます」

「……昔のあいつか」

「うつ伏せになってください」


言われるがまま反転。レーテのあん摩は強すぎず弱すぎず、確かな存在感とともに筋肉を揉みほぐすが、それが違和感とならない自然なリズムがあった。


「あいつは折り紙でばかり遊んでた。小学生の頃は動物とか虫とか作ってたの。ひとりでに動くやつよ。REVOLVEでも低レベルの異常存在として観察対象だった」

「そのようなお若いときから、ですか」

「中学あたりから、あいつの言葉が分からなくなった。抽象的なことを言ってるようでもあるし、何かの翻訳ミスみたいでもある。私が理解できないことが悲しそうだった。私はバリバリ勉強を始めてて、REVOLVEの内部プログラムで高等教育を受けるようになった。根乃己にはそういうシステムがあるの。だからあいつとの接点も少なくなった」

「はい」

「あいつ地味だったな……。同学年は私とあいつだけだったけど、他学年に友達も彼女もいなかったみたい。本も読まない……し、テストは適当だし、どこか遠くを見てるなんてこともない。この世界に……何の興味もない……みたい」

「そうなのですか」

「なんであいつ、私と結婚したのかな……。そういえば、考えた……こと……」

「……」


いつしか、この屈強で聡明。人間の英知の擬人化のような瑛子すら寝入っていた。それほどレーテの手さばきが繊細で正確だったのか。


レーテは青年の姿になっていた。手が男のものになってることに気づき、じっと見つめる。


「……戻ってしまいましたね。これは相対的性別というものでしょうか。瑛子様を愛おしく思うと、肉体が男性になる、いえ……」


少し愉快そうに、口元をほころばせる。


「この家に欠けているものの性別になった、そういうことかも知れませんね」


足音を立てずにそっと動き、瑛子の体を抱えあげて寝室に運ぶ。レーテの繊細な動きのためか、瑛子が目を覚ます気配はない。


「瑛子様、枯滝路はもっと利己的な人物だと思いますよ。彼は人類とか、地球のことなど考えていない。冷淡とも違う。尺度が違いすぎて世話のしようがないのです」


枯滝路は、世界の事など考えていないとしたら。


REVOLVEの打倒は、異常存在の収集は、そしてファースト・コンタクトは。


枯滝路という、たった一人のための意味しか持たないとしたら。


「だから私が、排除いたします」


寝かせた瑛子の耳元に、あるかなしかの言葉が降りる。




「枯滝路とは、世界の敵なのですから」



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