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カスタネットへようこそ  作者: MUMU
第九章 カスタネットと孤独の宇宙
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第五十七話


完全なるぬばたまの夜。


月の他に光源がほぼなく、のっぺりとした井戸の底のような闇。曇天の夜ともまた違う。地上の光源を跳ね返す雲もないため、どこをとっても均一な闇が広がっている。


「……火星はある。あっちの点はもしかして木星……?」


少し店舗ブラジルから離れて目を凝らす。根乃己とはいえ町の中であり、まだ家々に明かりが残っている時間だったが、漆黒の夜空では惑星も見つけやすい。


「あれだ……たぶん木星。つまり惑星は残ってる……?」

「あっちに土星もあるわね、輪が見える」


隣に草苅記者も来ていた。首をそらして斜め上を見ている。


「え、草苅さん土星の輪が見えるの?」

「見えるわよ。なんかプクッて横が膨らんでる星でしょ」


土星の輪を視認するためには視力にして4以上が必要とも言われる。根乃己は電波天文台があるように天体観測に向いている土地だが、それでも驚異的な視力と言えた。


だがそれどころではなく、水穂は思考を切り替える。


「草苅さん、何か星は見えない? 5等星でも6等星でも」

「うーん、何も見えないわね。ある意味すごく綺麗な夜空よ」

「天の川はどう? 他の銀河は」


シュラスコを食べていた友人たちも来る。二人ともどこかぼんやりした様子に見えた。


「水穂、どうしたの」

「晴南、美雨、空から星が消えてる。何かの異常存在だと思う。気をつけて」


二人は顔を見合わせ、その顔に少しの困惑を浮かべる。


「星……星って何だったっけ」

「空って昔からこんなもんじゃなかった……?」

「……」


(記憶が書き変わりつつある? 根乃己の現状と同じ?)


大貫店主はこの異常に気づいたようだ。草苅記者もである。やはり個人差があるのかと考える。


「ねえ晴南、11月生まれだよね。星座は何?」

「せいざ……って何だっけ、誕生樹ならアカガシだよ」

「……美雨、ポリネシアやミクロネシアの人たちは夜の海をどうやって航海してたか知ってる?」

「なんかの本で読んだよ。ウェイファインディングだよね。海流とか波の形、生き物や海水の温度で位置を知る。でも月の位置から方角を測るのは難しくて、たくさんの船が戻ってこなかったって」


(北極星が無いことになってる……)


その場合、人類が外洋航海に漕ぎ出すのがかなり遅れるはずだ。遣唐使船や朱印船、バイキングや捕鯨船はうまく航海できたのだろうか。歴史はどう辻褄を合わせたのだろうか。


「水穂ちゃん、これも異常存在なの……?」


記憶を維持しているらしき草苅が不覚にも頼もしく思えた。水穂は不安を振り切るように言う。


「たぶんそうです。全宇宙規模の異常現象。こんな時に……」

「ねえ水穂ってば、星って何なの?」

「太陽と同じような恒星だよ。宇宙にはたくさんあって、その光が夜空全体に散らばって見えたの」

「そんなことあるかなあ?」


美雨のその反応が少し奇妙に思えた、水穂は問い返す。


「どういうこと?」

「だって宇宙のチリが一カ所に集まってできたのが太陽でしょ。それがたくさんあるっておかしくない?」

「宇宙はとても規模が大きいの。恒星が中心になる惑星系はいろんな場所で生まれたんだよ」

「恒星ってどのぐらい離れてたの?」

「ええと、一番近いプロキシマ・ケンタウリで4.3光年だよ。遠いのだと何万光年も離れてる」


晴南は肩をすくめる。美雨も似たような様子である。


「水穂、そんなに離れてたら光が届くはずないよ」

「そうそう、だって光は放射状に広がるんだから。冥王星まで行けば太陽だって点になっちゃうよ」

「……」


そういう理解になるのか、と水穂は思案する。


「それに宇宙って水素原子で満たされてるらしいからね」

「だよねえ、太陽がほかにあったとしても見えやしないって」

「星間物質のこと? でもそれは1立方センチメートルあたり1個とか2個だし、光を邪魔するほどの量じゃないよ」

「離れてるんでしょ? 何光年も離れてたら希薄だとしても分厚い壁と同じだよ」

「……ねえ二人とも、私の知ってる宇宙の話をするから、それについてどう思うかをじっくり聞かせて」

「ちょっと水穂ちゃん」


それを見てた草苅記者が止めに入る。


「それどころじゃないでしょ。この現象の原因を突き止めないと」

「これが全宇宙規模の現象ならお父さんにも見えてるはずだよ。お父さんなら何とかしてくれる。それより二人と話がしたいの。それが重要なことの気がする」

「あたしらはいいよー」

「大貫のおじさーん、シュラスコおかわり」

「君たちお腹いっぱいって言ってなかった……?」


そして水穂たちは野外テーブルの一つを囲み、こんこんと話を交わす。


宇宙の深淵について、ブラックホールと事象の地平線、重力レンズ効果、宇宙の始まりとその名残である背景放射。超銀河団、クエーサー、グレートアトラクター、スターバースト銀河。


草苅記者は焼いたエビにかぶりつき、ふくよかな店主に問いかける。


「確認なんだけど、あの子たちって小学生だったわよね……」

「さすが水穂ちゃんの友達だね……」





「コユビ、そっちはどうじゃ、春日大社のほうはメドがたったぞ」

「大屋戸古墳もいけたのう、兵隊の人らに連絡するわ」

「ムシメこっち見てくれ、京都国立(博物館)に超常存在らしき記録があるぞ」

「それはフェイクくさいのう。REVOLVEの監査にかけられた記録がない。話を盛っておる気がするのう」


と、マルミミはヘッドホンを外して脇の人物に問いかける。


「タッちゃんはどう思う。人をやっとくべきかの」

「……おぬしら、えらく協力的じゃな」


作業を始めて30時間あまり。


霧雨会がどこからか集めてきたのは複数のノートPCと無数のパーツ類、モニターと冷却用の液体窒素。そしてガスタービン発電機である。

基地となっているのは根乃己の一角。竜興老人が個人的に所有していた地下書庫だった。そこにサーバーマシンと冷却装置を持ち込み、日本中の重要施設にハッキングを仕掛けている。


竜興老人は開発したツールを駆使しながらもくもくと作業を続けており、30時間ほど経過してからようやく突っ込む。


「なぜ何も言わずに手伝う。根乃己を裏切っておるんじゃぞ」

「やれ言うたのはタッちゃんじゃろ」


にやりと笑う老人たち。


「それにタッちゃんのやることじゃからの、何か考えがあるんじゃろう」

「REVOLVEも機能しとらんどころか、ネットワークが丸ごと消失しとるからの、ただ事じゃないのは分かるわ」


竜興老人は仏頂面のまま、手を休めずに言う。


「言うたじゃろう……わしは黒鉾ヘイボウの創設者。奇典チーディェン老人ラオレンと名乗っておった。これまで世界各地で異常存在の破壊を指揮してきたんじゃ」

「うむ、破壊と廃棄、そういう考え方の人もおるのは承知しとる。タッちゃんは指揮しただけじゃろ」

「人を殺めたこともある」


たん、と竜興老人の手がキーボードから浮き、他の三人も手を止める。


「指揮しただけとはとても言えん。黒鉾ヘイボウのやり方は見敵必殺。異常存在と断定されれば、いや、推定であっても重機関銃を打ち込むのが常じゃ。爆薬で広範囲を吹き飛ばすこともためらわんかった」

「タッちゃんがそうせえ言うたんかい。人を殺すこともためらうなと」

「それは」


言ってはいない。

奇典チーディェン老人ラオレンとしての竜興は情報の提供に専念していた。もともと黒鉾ヘイボウとは黒社会のバランスを保つため、突出した組織が生まれぬように異常存在を排除する組織だ。人殺しは目的ではない。


コユビがまた打鍵に戻りつつ言う。


「REVOLVEの現役だったときに黒鉾ヘイボウの活動はモニターしとった。あれらは営利目的でもないし、異常存在以外には目もくれん。むしろあれよりもタチの悪い連中をいくつも潰したじゃろ。悪魔崇拝者サタニストやら、異常性を悪用しとった犯罪者やら」

「……それは私刑じゃろう」


かたかた、とコユビの操作により、画面にいくつかの写真が浮かぶ。


弭亡辺みほろべ町の集団失踪」

「……」


写真は重なり合いながらモニターを埋める。それは無人の街であったり、ずらりと並ぶ人の形をした石像であったり、工業用の電磁石に吸い付けられている古いナイフであったりする。


「石化蝶ゴルゴニオ・エンフェドス。幽霊の古刀。異常存在によって引き起こされた被害は数え切れん。極め付きは超常存在シグナルレッドの一つ。「冠毒エメスの理想時計」じゃ」

「うむ、あれは『1793年10月9日から10月16日』という時間を丸ごと封印しておる。内部の人間は時間が繰り返してることを自覚しながら数百年生き続けておる。悲劇の極みじゃな」

「REVOLVEは……アメリカは調査と保管をとしておるが、即座に破壊すべきとの意見も根強い。破壊を試みて被害が拡大した例ももちろんあるがの」

「わしらに言わせりゃあREVOLVEも黒鉾ヘイボウも同じ穴のムジナじゃ。ならタッちゃんについていくわ。わしら霧雨会のリーダーじゃからのう」


竜興老人は。

そんな仲間たちを歯噛みする思いで見る。


むしろ逆らってくれた方が気が楽だったとすら思える。黒鉾ヘイボウの武力で脅して従わせた方が。


なぜ庇おうとするのか。

なぜ仲間だと言うのか。


己は悪の極みでしかないのに。


「タッちゃん、また兵隊さんが到着したぞ、A空港じゃ」

「どうする。次は個人蔵のやつを回収してもらうかい」

「一人は」


腹の底から吐き出すような声。三人がはっと振り向く。


竜興老人の顔は苦痛に歪んでいる。

救いようのない現状。救いようのない己を噛みしめるような顔。


何もかもすでに不可逆なところにあって、やがて底まで落ちることを確信した顔。


「少なくとも一人は、憎悪で殺す。人類の使命じゃとか、未来じゃとか関係はない。わしの、わしだけの身勝手な理屈で、わしのこの手で殺す。黒鉾ヘイボウはそのために作ったものじゃ。わしのエゴイズムの極み。わしだけの殺意の表れなんじゃ」

「……」


静まりかける中で、コユビが声を潜めて言う。


みちくんかい……?」

「そうじゃ」


殺したいほど憎いのか。

果たして殺すべきなのか。


それももう分かりはしない。


理由はいつの間にか置き去りになって。

使命感とも怨念ともつかぬ、くろぐろとした執着だけが残っている。


丹魚になみちのせいで死んだ。やつの異常性に命を吸われた。そのみちがファースト・コンタクトを迎えることがわしはどうしても許せん。わしはあいつを殺し、そして自害する。それで世はこともなし、それが今のわしの全てじゃ」

「タッちゃん……」

「だからわしを、善人などと思うな。わしなりの考えがあるなどと言うてくれるな。わしは外道じゃ。救いようもない裏切り者なんじゃ……」


今度こそ。

霧雨会の全員が、深い沈黙の沼に捕らわれるかに思われた。


何分そうしていたのか。

沈黙を破ったのはコユビのモニター。


「ん……四天王寺に向かわせた兵隊さんからか。強奪対象を消失ロスト……?」


それは数時間前、提供したセキュリティ情報をもとに奪った異常存在である。

歴史の上では聖徳太子の佩刀はいとうであり、日本における最古の異常存在の一つ。


「どういうことじゃ……? 紛失したわけでもない。どんな指示を受けていたか覚えていない、じゃと……?」

「どうした」


竜興が言い、立ってモニターに近づく。

コユビは兵隊からのメッセージを読みつつ、不可思議な顔でつぶやいた。


「四天王寺の国宝が……七星剣が消滅した……?」





「おもしろーい!」

「水穂すっごい、マジ宇宙すごいって感じ、それ創作ならSF書けるよ」


たっぷり3時間以上。

あらゆる宇宙の話を語り尽くせる水穂が凄いのか、それにハイテンションの相槌を打ち続ける友人が凄いのか、ともかく一通りの話は終わったようだ。


椅子にもたれてうたた寝をしていた草苅は、裾を引っ張ってへそを隠しつつ立ち上がる。


「ん、終わったの?」

「うん」


水穂はテーブルに肘を置いていた。話し疲れて赤くなった顔で草苅記者を見上げる。


「これはきっと、どこまでを現実と考えるかの問題だよ」

「へ?」

「これを仕掛けた誰かにとって、夜空の星すらも異常存在」




「そこまでして拒みたいの……? 未知なるものを……」

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