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カスタネットへようこそ  作者: MUMU
第九章 カスタネットと孤独の宇宙
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第五十六話


山を揺らすかに思える蝉の声。


じりじりというアブラゼミは影を潜め、オーシーツクツクというツクツクボウシの声が前に出ている。どちらにしても騒音には変わりない。


枯滝水穂は白いワンピース姿で山道を登り、タツガシラ電波観測所へと向かう。

左右には友人も連れ添っていた。晴南はるな美雨みうは廃墟になっている古い電波観測所を見上げる。


「道きっついー、石が多くて凍った大根おろしみたいだった」

「タツガシラかあ。近くまで来たことなかったけど荒れ果ててんねえ、腐ったケーキみたい」

「二人の比喩のセンスすごいね……」


通行止めのバリケードを迂回し、登ってきた先には古い天文台。破壊用の工具も持ってきてたが、カギはかかっていなかったのでそのまま入る。


「水穂お、ほんとに大丈夫なの? こういうとこって警備用のセンサーとかあるんじゃないの?」

「大丈夫だよ、それらしいのが無いのは確認したし」

「ホコリすっご。壁紙も腐ってるし、やっぱり何十年も使われてないんだね」


水穂は何度か来たことがある。だからこそ、記憶と食い違うその姿を認識できる。


「職員の人がいたはず……ハーバードから、スタンフォードから、一流の人たちが来てたんだよ」


晴南と美雨は顔を見合わせる。


「水穂のことだから、イタズラ半分の嘘ってことはないと思うけど……」

「どう見てもガチ廃墟だよ、こんなとこに宇宙人の研究所があったの?」

「違うよ晴南、宇宙人を研究所だよ」

「宇宙人への研究所とかかも」

「宇宙人 around of 研究所」


はしゃぐ二人の前を水穂が進む。


水穂の観測できる範囲で、異常存在の消失は記憶の消失として現れた。


根乃己に潜伏していたREVOLVEの職員。協力者。それらが記憶を失うか、あるいは姿を消している。

そして根乃己に設置されていた何千台もの監視カメラ。避難壕なども消えている。残っているのは戦時中に作られた古い防空壕ぐらいだ。


「二人は覚えてない? 実は何回か経験してるんだよ。サボテンみたいに針だらけの宇宙人とか。動いてしゃべる大きな椅子とか」

「覚えてないなあ。その痕跡が消えてるって話だよね?」

「なんか昔のアニメでそういうのあったよね。妖怪を退治してた子がどっかに行っちゃって、その子の住んでた家とかも綺麗に消えてるやつ」

「あーなんかあったね、美雨アニメとか好きだよねえ」


ぱち、と音が聞こえた。水穂が目ざとく気付く。


「シャッターを切る音がした」

「え、そう? 蝉の音しかしないけど」

「こっち」


タツガシラ電波観測所は一階部分に巨大なパラボラがあり、下階は地面に埋まっている。正確に言えばここは4階にあたり、側面からも入ってこれるはずだ。水穂は懐中電灯を点けつつ階段を降りる。


「あら水穂ちゃん」


下にいたのは草苅記者である。ウェーブをかけて膨らませた髪をバンダナでまとめ、細めのジーンズを履きこなしている。

なぜか髪を黄緑に染めていたので、第一印象はブロッコリーだった。


「草苅さん、ここにREVOLVEがあったの覚えてる?」

「もちろん覚えてるわよ」


背後から降りてくる水穂の学友をちらりと見たが、水穂が気にしてないようなので普通に話を交わす。


「流れの者や異常存在を管理する組織。職員はおもにアメリカから派遣されるエリート揃い。電波特区ではあるけど根乃己はハイテク装備の固まり……」

「ねえ水穂、このなんか物凄いお姉さんは?」


水穂の友人だけあって二人ともしっかりしているが、草苅記者は何というか表現するのが難しい人物だった。都会派であるとか前衛的という言葉を使いたくない雰囲気とも言う。


「聞いて驚きなさい。私は雑誌記者であり、いずれはピューリッツァー賞を取るジャーナリスト! 草苅くさかり真未まみよ! そのうちピューリッツァー作家になってピューリッツァータレントにもなるのよ」

「草苅さん、ピューリッツァー以外の報道賞とか知ってる……?」


それはともかく、こんな場所で何をしていたのか尋ねる。


「根乃己の危機なんでしょ。何となく分かるわよ。どうも職員の人たちの様子が変だと思ったら、ついに消えちゃったからね」

「ついにって……これって段階的な事なの?」


そうよ、と草苅はとある一室を開ける。そこには古びたオフィス机が並んでいた。


「4日ほど前よ。ここで働いてた人たちが急に慌てだした。異常存在についての記録が消えたって言ってたわ」

「……」

「そして自分たちの事もよく思い出せないって言ってた。自分たちはここで何をしていたのか。SETIをやっていたアマチュアサークルだと言う人もいたけど、大半はうまく説明できないみたいだった。そのうちみんな何かに急かされるように村を出たの。人がすべていなくなって、翌日にはこんなふうに荒れ果ててた」

「狐に化かされたみたいな話」


晴南がぽつんと言う。その言葉は誰も触れたがらないもののように、反射しながら廊下の奥へと消えていく。


「その現象……agoleに似てる」

「アメリカにある町よね。根乃己と似たような結界があるとか」

「そう、真贋境界面。その線を越えると線の外側からはすべて嘘に見える。たいていの異常はその町に放り込んでしまえばそれで封印になるって聞いてる。そこに何かを置いてきた人は、それを持っていたときの記憶を嘘だとして辻褄を合わせるって……」

「ねえ水穂、なんだかオカルトな話だけど、もしかしてマジ寄りのやつなの?」

「私らもマジ寄りかどうかでちょっと気合の入れ方変えるから」


何をどう変えるのかよく分からなかったが、とりあえず神妙な様子でうなずく水穂。

少し考えてから言葉を続ける。


「……ここにいた人たちはREVOLVEとの関わりが深すぎた。別に偏見じゃないけど根乃己にいるのは不自然なほど優秀な人たちばかり。だから記憶の改ざんでは足りなくて、出て行く必要があった……」


言い方を変えれば、出ていかなければ自分の存在を説明できなかった。辻褄が合わなかった。そんなところだろうか。

晴南たちは暗い中を探索している。


「何も変なものとか落ちてないけどねえ」

「なんか雰囲気はあるから幽霊は出そうだけど」

「ああ大丈夫よ。私って幽霊とかも専門だから。昔撮った心霊写真見る?」


かんかん、と鉄の階段を降りる音がする。

大貫が降りてきたのだ。先日もそうだったが上り下りは苦手らしい。生ハム原木のような足をがくがくと震わせている。


「み、水穂ちゃんたち、先にどんどん行かないで……」

「あら喫茶店のご主人。水穂ちゃんたちの引率だったのね」


二人は会ったことぐらいはあるようだ。草苅記者は騒々しくなりかける前に、水穂の目を見て言う。


「水穂ちゃん、これってつまり恒常性結界ってやつが壊れたってこと?」

「それならアメリカとイギリスがすぐにバックアップに入るはず……。静かすぎるの。アメリカは静観してるのか、それともアメリカもすでに同じような状態なのか……」


水穂は考える。根乃己はagoleを真似て作られた村だと聞いている。段階的に影響が出ているこの事象において、アメリカのほうが先に落ちるものだろうか。

イギリスのアーグルトンの存在もある。バックアップを無効化するなら、3つの土地を同時に落とさねばならないはずだ。


「とにかく消える前にカメラに納めときたいのよ。レーテくんに取材できる?」

「それは少し難しいかも……」

「そんなしつこい取材はしないわよ。記録に残しとくことも必要だと思うわ」

「そうじゃなくて……」


水穂は、この利発で落ち着いた少女としては珍しく、恥ずかしがるような様子を見せた。片足をもう片方に絡ませてつま先を立てる。


「私いま、家出中だから……」





時刻は巡り日は落ちて、喫茶「ブラジル」に場が移る。


店先のオープンスペースで晴南たちが食事に興じている。店主が用意したのは長い串に刺されたブロック肉。炭火のバーベキュー台に弱火のスペースが作られ、もう20分以上もじっくり火を通している。


「ちょっとまだ焼いてんの? もうお腹いっぱいなんだけど」

「余ったら僕が食べるから。シュラスコってのは食べ放題が基本でね。ブラジルだと専門店も多くて、店主が焼けるそばから次から次へと持ってきてくれるのが楽しくて」

「もー、このソースが美味しすぎて食べすぎちゃうじゃん」

「ああ、それは野菜と果物を使ったモーリョってソースだよ。辛いサルサソースもあるよ」


店内に目を移せば草苅記者と水穂。食べ終えた皿を何枚か積んで草苅が問いかける。


「それで、お母さんが日吉町へ行ってなさいって?」

「うん……お爺ちゃんは昨日、山を降りてから帰ってきてないし、レーテはなんだか様子が変だし、お母さんは何も言わずに現金だけ渡して、これでホテルに泊まりなさいって」


ぱた、と置かれるのは分厚い封筒、かるく50万は入ってるのを見て草苅の眼球が無意識に動くが、それはそれとして話を進める。


「それで家出してるの?」

「ああなったお母さんを説得は無理。でも日吉町に行くわけにもいかない。だから晴南と美雨に泊めてもらおうと思ってたんだけど」

「根乃己になにか起きるのかしら」

「レーテがお父さんに会いたいって言ったから、電話で呼んだんだよ。それが関係してるかも」


レーテが父と会うことを拒む理由はない。

しかしレーテの様子はどこかおかしかった。何がと説明はできない、生々しさとか、不気味さという言葉を使いたくないのもあるが、どこか水穂の理解を超えた感情がある気がする。


「あのお爺さんもいないとなると、最終決戦の前って感じね……」


最終決戦。


その言葉は不思議なほどかちりと当てはまるように思えた。


なぜ、誰が、どこで戦うのか。


それは見えないが、この根乃己という特別な村。それがついに限界を迎え、大きな転換点が訪れるのだと感じられる。


「はい、お肉の追加おまちどおさま」


大貫がシュラスコを皿に盛ってやってくる。水穂の方をちらりと見て、草苅へも視線を投げる。


「あの……僕のとこに泊めるのはいいんですけど、あなたも泊まるの?」

「しょうがないでしょ、私は水穂ちゃんについててあげたいし、そうなると外の二人の家には泊まりにくい。そんなら全員まとめて「ブラジル」で合宿ってことにしちゃえばOKってわけよ。私って天才かと思ったわ」

「……う、うーん。別にいいんですけど何か釈然としない……」


大貫は根っからの働き者と言うべきか、倉庫にしていた部屋から荷物を出し、掃除して布団を引いて客間に仕立てる。晴南と美雨もそれぞれ毛布を持ってきており、寝るぐらいなら十分かと思われた。


「でも本当にいいのかな。親御さんの許可がないんでしょ。これって誘拐になるんじゃ」

「私が保護者だからいいのよ。私と水穂ちゃんとその友人たちのお泊り会ってことにしたらいいわ。何なら今日から四六時中バーベキューしてれば泊まったことにならない」

「ローマの貴族か何かですか?」


「大貫さん、ごめんなさい少しだけお店にいさせて」


水穂は顔を上げて言い、そして封筒を差し出す。


「それと勝手なことばかり言っちゃうけと。大貫さんは日吉町に行っててほしい。本当に危ないかもしれないの。今度は村が守ってあげられない。もうREVOLVEは機能しないと思う」


大貫は渋面を浮かべ、そっと封筒を押し戻す。


「だめだよ水穂ちゃん。子供だけ村に残して逃げられない。何もできないけど料理ぐらいはできるから、水穂ちゃんのやることを手伝うよ。お金は……全部終わったあとでお母さんから受け取るから」


水穂はもどかしさを目に宿す。自分は子供だから、大人に義務的にそういう言葉を言わせてしまうのだと思ってしまう。


「草苅さんも……本当に危ないんだよ。銃とか持った人がたくさん来るかもしれない。草苅さんはいくつか覚えてるでしょう? この村であった不思議なこと」

「水穂ちゃんが逃げるなら私も逃げるけど。ここに留まるなら私がついてるわよ」


それに、と指を振る。


「まだ水穂ちゃんのお父さんにインタビューさせてもらってないしね。というかお父さんの近くが一番安全よ。つまり水穂ちゃんの近くが安全ってわけ」


水穂の顔からは憂いが離れない。色々な人が自分に構ってくれるが、それは水穂が彼らを危険に引き込むことと同義だと感じてしまう。


(でも本当はそれも違う……これはもう私の家族だけの問題じゃない。みんなを遠ざけることが正解とも限らない)


枯滝路かれだきみち


あのあまりにも超越的な人物。世界の切り札。

その父が来たらいったい何が起きるのか。その中で水穂は何をするべきなのか。


「さあ! 何をするにもまず腹ごしらえよ! 私も食べるから水穂ちゃんも食べなさい!」

「あなたすでに2キロぐらい食べてません……?」


草苅に半目を向けつつ、大貫は店の玄関を開け放つ。


「まあお肉はたくさんあるから。水穂ちゃんも外で食べたらどう? よく晴れてて月が、綺麗……」


と、大貫の固まる気配。水穂が振り向く。


「どうしたの大貫さん?」

「え……いや、あれ……?」


水穂が鋭く立ち上がって外へ駆け出す。

体を打つ夜気。雲ひとつない空。こうこうと光を放つ満月。


「月が……?」


一瞬、その違和感の理由が分からなかった。

そして数瞬後、戦律が背中を駆け抜ける。


月しかない・・・・・!?」


北斗七星も、さそり座も、夏の大三角形も、天の川も、それ以外のあらゆる微細な星屑も。


すべて消えている。


月の光だけが。不自然なほど大きく美しく見えた――。



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