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カスタネットへようこそ  作者: MUMU
第八章 竜の古老と無貌の秘仏
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第五十五話




住職を含め全員で下山する。黒現は姿を消した。母船にでも戻ったのだろうか。水穂は空を見上げるが、太陽が真上にあって空の全てを白光で満たしていた。


「タッちゃん、そのREVOLVEって何の話じゃ? わしは昔からここの住職やってただけじゃぞ」

「記憶が書き換えられておるだけじゃ。いいから日吉町に行っておれ、他の者もしばらく村を離れい」


下山の途中でワカナが待っていた。マキと抱き合って無事を確認しあう。


「ね、ねえワカナ、何があったの? 私いきなり寺にワープしたと思ったら、そっからの記憶ないんだけど」

「私もよくわかんないけど、宇宙人に襲われてたらしいよ。でもよかったよお。私もう心配で……あ、お爺ちゃん、霧雨会の人たちが心配してたよ」

「うむ、あとで顔を見せておく。協力感謝する」


少し遅れて続くのは枯滝水穂。大貫と高槻は歩くペースが遅く、水穂は最後尾から二人のペースに合わせて下山していた。


「大貫さんたちも日吉町に行ってたほうがいいよ。根乃己は戦場になるかもしれない」

「さ、さっきの話ほんとなの? あの雲水の人が宇宙人だとか、根乃己はそういうのを管理する村だとか」

「そうだよ」


大貫と高槻は顔を見合わせる。雲水の超常の技を見た後である。その言葉をもはや疑うことはできない。

水穂は蝉の声に潜ませるように、静かに語りだす。


「むかしむかし……といっても戦後すぐぐらい。地球にすごく高位の流れの者。つまり宇宙人が来たの」


もはや恒常性結界も機能してないと思われた。水穂の語る話は二人の記憶に残り、やがて日吉町に伝わるだろうか。あるいは全世界を巻き込む大騒ぎになるだろうか。


それでも二人には聞く権利があると思えた。あるいは地球のすべての人にも。


「その人は地球人と仲良くしたいと言った。でも地球の代表として会った人は断ったらしいの。断った理由は伝わってない」

「そんなことが……僕なら仲良くなるけどなあ。コーヒー飲みますかって」

「私は……まず全地球人で話し合いさせてって言いますね。何年か待ってもらうように言うかも」


二人のそんな反応を受けて、水穂は小さくうなずいてみせる。


「それでね、その宇宙人はあるシステムを与えたの。それがREVOLVEシステム。宇宙人とか、不思議なものとの出会いをキャンセルできるシステムなの。不思議なことだけど、これを使うと宇宙全体が別のものに変わるの。偉い皇帝が支配してる宇宙とか、クモみたいな怪物が満ちてる宇宙とか、そんなものを丸ごとキャンセルしてきたの」

「キャンセル……平行世界とかそういうことかな」

「その表現が正しいのか、違うのかも分からない。原理はまるで分かってない。一つ一つの出会いは、本当にキャンセルするべきだったかも分からない」

「あの雲水さんは割と常識人に見えましたが」


高槻が言う。竜興たちの一団とはずいぶん離れてしまっていた。だがもう根乃己の建物が見えてきている。迷うような位置でもないと、水穂はゆっくり歩く。


「あの雲水さんがその、ファースト・コンタクトじゃダメなんですか?」

「いいとか、ダメだとか、本当は私たちが決めちゃいけないんだと思う」


どんな最良な出会いに見えても、REVOLVEはそれを受け入れなかった。きっと全人類で話し合ってもそうなるだろう。水穂は後ろ暗い気持ちでそう考える。


もし出会いを選んでしまったら、果たして流れの者を受け入れられるだろうか。既存の社会とまったく異なる銀河連邦だとか、宇宙同盟だとかに組み込まれる覚悟はあるのか。


戦争になる可能性だって。


(……だめ。迷ってはいけない)


受け入れると決めたのだから。たとえ最良でないとしても。


「水穂ちゃん、さっき戦うとか言ってたけど……」

「いま、地球はいくつかの勢力に分かれてるの」


異常存在について知っている団体は多くはない。REVOLVEにより記憶がリセットされるからだ。敵対までしている団体は、おそらく一つだけ。


「一つは根乃己。アメリカが作った村。同じような村はアメリカとイギリスにもあって、全部で三箇所。ときどき意見のずれはあるけど、協力してREVOLVEを行ってる」

「へええ……」

「もう一つは黒鉾ヘイボウ。異常存在を破壊して、流れの者は武力で追い払おうとしてる。なぜかREVOLVEを行っても関係なく活動し続けてる」


(……そういえば、それは何故だろう?)


思いつくのは、恒常性結界やREVOLVEの影響を受けない超常存在シグナルレッドで守られている場合。しかし異常存在の破壊を信条とする連中である。少し違和感がある。


(あとは何かな。恒常性結界の内側から記憶を共有させてる……? どこかの村に潜んでるとか? そんなことあるのかな……)


そこは本題ではない、と話を先に進める。


「もう一つが、うちのお父さん」

「え、そうなの? 最近帰ってきたって噂は聞いたけど」

「ああ私も聞きました。カスタネットのご主人ですよね。でも帰ってきた割に村で見かけませんね」

「こないだ帰ってきたんだけど、カスタネットにはいないの。どこか近くに滞在してるらしいけど」


祖父は父親に会いたがっていなかった。ならばその逆もそうなのか。父親は枯滝の家に近寄りづらい事情でもあるのか。


母ともほんの少し会っただけらしい。レーテとも会ったらしいが、レーテは何を話したのか教えてくれなかった。


(レーテ)


何だか急に思い出したような気がする。今まで忘れていたのか。これもまた異常性の喪失による事象だろうか。


(レーテ、消えたりしてないよね……無事だといいけど……)


「……お父さんは簡単に言うと超能力者。昔はREVOLVEの職員だったけど、今は敵対してるの。世界を回って異常なものを集めてる。REVOLVEを打倒するために」


おそらく父は異変に気づいているだろう。その中で父はどう動くのか。


(お母さんはREVOLVEの理念に忠実だし、お爺ちゃんも多分そう。お父さんと敵対することになるのかなあ)


(……ということは、この騒動ってもしかしてお父さんが仕掛けたとか?)


想像するとありそうな気がする。ではいよいよ父の計画が実行段階に入ったのか。REVOLVEを打倒して地球にファースト・コンタクトをもたらすのか。


「そっか……じゃあ早く降りないと」


説明はいつの間にか独り言で終わっていたが、高槻たちに受け止めきれる話でもなかった。二人は聞いた分だけの話でも持て余すようで、特に質問もない。


そうこうするうちに登山口まで降りてきた。駐車場もなく小さなやしろなどもない。雑木林に分け入るようなささやかな登山口である。


先に降りていた竜興が水穂を呼ばわる。


「水穂。わしは碁会所に行って霧雨会に挨拶してくる。お前は早く帰れ」

「うん」


老人はじっと孫の顔を見る。まだ何か言いたげではあったが、その小さな体をくるりと反転させて去っていく。


「じゃあみんなは日吉町に避難してて」

「うん、あたしとマキの勤め先、二階が下宿になってるからそこに泊まっとく」

「はあ……わしはちょっと信じられんのですが、まあタッちゃんは冗談言う人ではないしのう」

「私は妻を説得しないと……できますかね……まあ頑張ります」


住職と高槻もそれぞれ自分なりに納得を見せ、一礼して分かれていった。


「あと大貫さんだね。お金持ってる? しばらくビジネスホテルとかに泊まってもらわないと」

「そうだね……この機会に一度ブラジル帰ろうかな。向こうに置いてきたコーヒーの道具が山ほどあるんだよ」

「そうなんだ」

「フレンチプレスの道具とか中世のシュガーポットとかね。ハイティーの道具もあるんだよ。母さんが趣味でいろいろ集めてたんだ」


根乃己の中心へ向かって歩く。登山口から見るとカスタネットのほうが近く、ほぼ直線上に喫茶ブラジルもある。


「いつか両親を呼びたいと思ってるんだ。根乃己での商売も軌道に乗ってきたし、そろそろ段取りを考えないと」

「そういえば言ってたね、そんなこと」


やがてカスタネットが見えてくる。水田に浮かぶ客船のような。建て増しを重ねた二階建ての立派な建物だ。


「大貫さん、お水飲んでったほうがいいよ、疲れたでしょ」

「ああそうだね、じゃあ一杯だけ」


「おかえりなさいませ」


玄関先にレーテがいた。靴脱ぎ場の土を外にかき出しているようだ。


「レーテ、何だか根乃己の様子が変なんだよ。異常存在が無くなってる」

「感知しております」

「お母さんはどうしたの? タツガシラに行ってるかな。あれ、でもレーテだけじゃお店できないよね」

「瑛子様は厨房におられます。特段、何もありませんよ」

「え……?」


何だか様子がおかしいと感じる。レーテの表情がいつもより柔和で、薄く笑っているように思えた。ほとんど表情を見せない彼なのに。


「水穂様、ところで枯滝路様へご連絡することは可能でしょうか」

「え、お父さん? できるよ。ああそうだ。こんな時だしお父さん呼ばないとだね。ちょっといつもの変とは違う感じだし」

「お願いいたします。私も、路様とお話ししたいことがあるのです」

「レーテが? 何を?」

「ええ、それは」


レーテは皮肉げに笑ったように見えた。

おそろしく端正で非の打ち所のない顔なのに、その一瞬だけはずっと人間くさい、卑俗なものにすら見えた。水穂の胃の位置が少し下がるような、一瞬の不気味さ。


「男同士の話、というものですよ、水穂さま……」





霧雨会の碁会所とは根乃己の西、ビニールハウスの並ぶイチゴ農園の片隅にある。


プレハブではあるが内部は三部屋あって広間もある。土曜日の碁会のときは一般客も詰めかける場所であるが、今日は三人だけだった。

瓶底眼鏡のムシメ。ヘッドホンを首にかけたマルミミ。部屋の隅でノートPCを操作しているコユビは、竜興が入ってくると一斉に顔を向ける。


「タッちゃん、無事じゃったか!」

「心配したぞ、流れの者はどうなったんじゃ」

「REVOLVEが行われておらんようじゃがどうした? まだ対応中か?」


「おぬしら」


かつては、ここにもう一人いた。霧雨会は竜興を入れて5人のグループだったのだ。


「……カギハナのことを覚えておるか」

「カギハナ? いや……何じゃったかな。近ごろとんと覚えが悪うなって」

「何かの符牒かの? わしのデータベースにそういう名はないが」

「必要ならネットで探してみるが?」

「いや、もういい」


消えたものは戻ってこないのか。

異常存在となり、REVOLVEにより因果の彼方に消えた旧友。それはもはや竜興の心の中と、タツガシラでファイリングされた書類にしか残っていないのか。


「……三人とも、己がREVOLVEのオブザーバーであることは覚えておるな」

「当たり前じゃろ。何じゃ? 記憶に干渉するタイプの異常存在でも出たか?」

「そう言えば数日前から何か変なんじゃよな。違和感というのか」

「そうだタッちゃん。和倉寺をモニターしとったが愁夜榎しゅうやえのきはどうした? あったはずの場所に影が見えんのじゃが」


わいわいと、旧友たちは今日も騒々しい。


その中で竜興だけが気配を沈ませている。

その目に暗い情熱が宿っている。根乃己に起きている異変。孫娘の決断。その中で自分はどう動くべきか。すべてを腹に呑んで胃液で煮るような感覚。


「聞け、三人とも」


床を鞭で打つような鋭い声。三人がはっと己を見る。


「現時刻より霧雨会はわしの指揮下に置く。やるべきことは根乃己の掌握。タツガシラはもちろん、宮内庁の秘物管理課へのクラックじゃ。異常存在に関する情報を抜き取れ」

「え……」

「タッちゃん。急に何を」

「コユビ、お前は石神神社、熱田神宮、大山祇神社その他の安置物とその保管方法についてのデータを抜き取れ。神宝はわしの手兵に回収させる。マルミミとムシメは警察庁と在日米軍に侵入して動向を監視し、システムを掌握せい。日本銀行もじゃ、地下金庫にあるはずの超常存在シグナルレッドをいただく」

「た、タッちゃん!」


マルミミと呼ばれた老人が立ち上がる。竜興の発言を冗談と受け取るものはいなかった。この老人がそんなものから遠いことは誰もが知っている。


「何を言い出すんじゃ! 根乃己を裏切れっちゅうのか!」

「反論は許さん」


一瞬、視線が真っ向からぶつかり合い。


「う……」


そしてマルミミは戦意を失う。それほどに竜興老人の眼光は凄まじい。その小さな瞳には巨大な闇があり、巨大な意志の奔流があった。くろぐろとして焼けるように熱い、殺意にも似た意志。


「お前たちだけには言っておく。わしは根乃己に敵対する組織の人間よ」

「え……」

「す、スパイ、っちゅうことかい? いやそれとも、忍者でいう「草」みたいにその土地に潜伏して」

「少し違う。その組織は活動記録すら消しておるため覚えておるものは多くないが、この世で唯一REVOLVEに対抗しうる組織であり、すべての異常存在を破壊し、消却し、忘却せんとする意思」




黒鉾ヘイボウ。その創設者がこのわしよ」



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