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カスタネットへようこそ  作者: MUMU
第八章 竜の古老と無貌の秘仏
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第五十四話


「さあ、残るはお二人ですね、仏像を混ぜなおしましょう」

「待って!」


袱紗に向かってものを投げるように言う。雲水は手を止め、ゆっくりと水穂へ視線を向ける。


「どうか、なさいましたか」

「精度が甘いよ。その仏像じゃだめ、作り直して」

「! み、水穂ちゃん、何を」


大貫が何か言いかけるが、雲水がそれを押しのけるように口を開く。


「もはや原子レベルで合一かと思われます。まだ違いがあると言われますか」

「あるよ、例えば本物の無貌円空には細菌や微生物が住み着いているはず。あなたならそれも同じにできるはず」

「容易いこと……」


袱紗の下から仏像の一体を抜き出し、べきりと折ってみせた。おそらくそちらが偽物なのだろう。

そして新たに、彫刻材を抜き出す。


「それにだよ、原子は一つ一つがスピン運動を行ってるはず。それも同じにできるよね」

「無論です。不可能はありません」


彫刻材は木くずをこぼして仏像に変わり、さらに雲水が両手をかざす。


「およそ六万種、数兆匹に及ぶ微生物を再現いたしました。原子の角運動も完全に同じかと存じます」

「その仏像が帯びてる磁力や静電気……は、磁力も電気も無いから意味ないか。その仏像が発してる陽子崩壊のわずかなα線、保持してる重力加速度、位置エネルギーは」

「位置エネルギーが完全に合一であることはありえません。異なる場所に存在していますので」


雲水はやや楽しげに言う。大貫は何が語られてるのか分からず目を白黒させるのみ。


「……匂いも同じ、比重も同じ、温度も形状も同じ」


(そう、ここまで同じにして、初めて断言できる)


(この二つの仏像、流れの者でも見分けられるわけがない・・・・・


止まっていた思考が動き出す。氷に覆われた川が、春の気配にじわりと動き出すように。


(じゃあどうして黒現くろうつつさんは見分けられるの)


(それは、自分で混ぜてるから)


(当たり前のこと。入れ替えるたびに位置を覚えていれば本物は見分けられる。機械で記録しておけば確実)


(だから仮定として、無貌円空は黒現くろうつつさんにも見分けられていない)


「さあ、次のお答えは」

「私が行く」


ずい、と膝を前に進めて大貫に並ぶ。大貫は止めようとするが、さっと手を上げて押さえる。


「大丈夫、見分け方が分かったよ」

「え……」

「大貫さん、無貌円空には見分け方があるの。言葉でうまく説明できないけど必ずある。もし私が間違えたら、大貫さんがそれを考えて。誠実に像に向かえば必ず見えるはず。あれはそういう異常存在なの」

「もし間違えたら、って……」


言葉の意味が形を成す前に、水穂が前に出る。


(適当に、無心で選んだ人はうまくいかなかった。見分ける違いがあるわけでもない)


(一見すると矛盾、でも、その矛盾を解決する選び方が一つだけある)


意識を絞る。

二つの仏像が目の奥に映り、その顔のない立ち姿が、柔らかく合わさった手が、静かな立ち姿が意識される。

奈落に落ちていくような集中。自分の意識を砂に変えて流すような忘我。


そして。


自らの右側に、仏像が。


「こっち!」


取ったのはの仏像。


「……正解です」


雲水の手元に黒いもやが生まれる。


「袱紗を用いての入れ替えも面倒です。遮光物質を使わせていただきます」

「いいよ」

「では、その円空仏をこの中に」


それは煙でも物質でもない不可思議な物体だった。雲水の手元にのみ集まり、箱で覆うように三次元的な領域を暗闇で閉ざす。


「次の問いに参りましょう」

「分かったよ、答え合わせ用のノートはちゃんと毎回書いてね」

「当然です」


そして斜光物質が消え、再び二つの仏像。


「こっち!」


またも左。雲水の顔が目に見えて歪む。


「……なぜ見分けられたのか伺っても?」

「ずいぶん遠回りしたよ。まずこの円空仏は地球の人にしか見分けられない。なぜそう思うか、簡単だよ。あなたが地球人・・・じゃな・・・いから・・・

「……」

「そしてまったく合一の物体があるとき、それを見分ける方法は二つしかない。一つは座標。同じ座標で同じ物体というのはありえない。あなたが円空仏を見分けていた手段はそれ。もう一つは」


語る前で雲水は腕を動かす。斜光物質の中で仏像の位置が入れ替えられ、そして取り除かれたとき、間髪入れず右の仏像をひったくる。


自分ではない・・・・・・もの」

「う……」

「それが円空仏の本質。誰も気づかなかった異常現象だよ。意識しなければ分からないの。だって自分の体は一つしかないと、誰もが固く信じてるから」

「み、水穂ちゃん、どういうことなの」

「この無貌円空はね、私たち自身なんだよ。優れた仏像を見たときにその感情を自分のもののように感じるとか言うけど、これはまさに自分そのもの、だから顔がないの」

「で、でも、それが何だって言うの?」


そうだ、と水穂は思う。

自分自身であると錯覚する仏像。それ自体はさして途轍もない異常とも思えない。


なぜそれが、流れの者にとって特別な存在なのか。


「ヒントはあったよ……この雲水さんがやっていたこと、それ自体がヒントだったんだ」

「戯れ言はそれまで!」


ぱん、と合掌。瞬間、世界から音が消える。


建物の外は時が止まった世界。何らの音もない。今はそれに加えて畳を擦る音、空気の流れ、普段は意識されない蛍光灯の音も消えた。自らの心臓の音だけが響く。


目の前で遮光の煙が取り払われる。


「こっちだよ」


自分の声が変化している。肉体の中に響く声のみが聞こえているからだ。迷いなく右を選ぶ。


雲水の打つ柏手。そして暗黒。


一切の光が消え去る。どこに誰がいるのかも分からぬ。一センチ先も見えぬ完全な闇。

だが分かる。自分がどう扱われているかは把握できる。


自分が・・・雲水の手を離れた。そしてゆっくりと水穂の・・・手が伸ばされ、自分に触れる。


「こっち」


自分で触れた側を取ればいい、簡単なこと。


(ヒントとはつまり、あらゆる物理的要素を雲水さんが封印していたこと。もし全ての要素を排除できるなら、最後の最後に残るのは自己感覚。自分がここにいるという感覚だけ)


「こっちが本物」


時間が圧縮されて感じる。その中で水穂は5回、10回と正解を積み重ねる。雲水の姿は見えず、大貫も、他の人間が変じた柱がどこにあるのかも分からない。


だが分かる。世界に自分しかいないのだから。自分自身に触れることはできる。


「こっち……」


(この無貌円空、なぜ特別なものなのか)


(今ならわかるよ。高位の流れの者にすら理解できない異常。だから超常存在シグナルレッド。だから意味がある)


(問題は、これを何に使うかということ)


「こっち! 何度やっても同じだよ!」


ぱん。


音と同時に光が戻る。広々とした畳の間、窓の夕景に流れる葉擦れの気配。そして居並ぶ人々。


「感服いたしました」


枯滝竜興が、住職が、他の柱にされた男女が戻っている。茫然自失という体ではあるが。


「みんなは無事なの」

「人の姿に戻りし際に思考の混乱があるのでしょう。数分で戻るかと思われます」


雲水は結跏趺坐の構えから足を直し、しかと正座して水穂に向き直る。


「星海を渡りて幾星霜。あらゆる技術を極め尽くした我らは、ただ唯一の特別なるものを求めておりました。我々が最後の最後に求めたもの、それは我々にも生み出せぬものです」

「それが無貌円空だったんだね」

「左様。我々には全てがつくれる。無機物も、生命も、星や超重力源すらも生み出せますが、この無貌円空だけは作れない。この星に住むあなた方にのみ見分けられるこの仏像。我々にとっては何ものにも替えがたい宝なのです」

「この仏さまをどうするの」

「通貨ですよ」


通貨、と、脇にいてまだ夢うつつという様子だった大貫が聞き返す。


「無貌円空のような高位の器物、それこそが我らの通貨となるのです。それは宇宙に散らばり、とても規模の大きい天体。新しき着想に関わる特許。そして我々自身の自由意志を購入するための通貨となる。ほぼ全ての物体を作れる我らであっても、通貨は必要なのです。我々の中で価値のあるトーテムが」

「……あなたがこんなゲームを仕掛けたのは、あなた自身にも無貌円空が本物かどうか分からなかったからだね」

「その通りです」


畳に両手をつき、ふかぶかと頭を下げる。


「どうか最後に残りしこの一体、我々にお譲りいただきたい。その代替としてあなたにすべての富をもたらしましょう。この星の持つあらゆる憂いを取り除き、同規模の惑星を数え切れぬほど提供いたします」


周りの人間が徐々に意識を戻しつつあった。マキはぼんやりと独り言を呟き、住職はふらふらと広間を出ていく。


そして最も早く明晰さを戻したのは、やはり枯滝竜興。


「だめじゃ」


水穂の脇に立ち、すべて把握しているような顔で言う。


「お前たちがそれで通貨を作ったとして、真贋の見分けはどうする。我ら地球人を使うつもりか。かつて無貌円空を持ち去った流れの者もそうしたのだな?」

「その通りです。かつては数人の地球人に同行を願うだけだったと聞きます。ですが、望むなら地球を我らの同胞に置きましょう。これはあなた方の仕事にできる。あなた方は大いなる星海にその居場所を得ることができます」

「必要ない。それに無貌円空は我ら地球のもの、この土地の管理下に置いたからには譲り渡すことなどできぬ」


雲水は、その老人の態度に少し戸惑ったようだ。断る理由が理解できないという顔をする。


「なぜです……素晴らしい技術が譲渡されるでしょう。地球人はその生活圏を広げる。数を増やすことが種の使命であるなら数を増し、幸福の追求が目的ならば……」

「だめだよ……」


水穂が言う。その目に暗い感情を貼り付けて。


「少なくとも今はだめ。地球にはまだいくつかの超常存在シグナルレッドが残ってる。それを残したまま新しい時代は迎えられない」

「では、どうすれば……」

一週間後・・・・に来て。そうしたら無貌円空をあげる。あなたの言うとおりに地球に新しい時代を与えて」


水穂の言葉に、竜興老人が鋭い緊張を見せる。


「水穂、それは」

「一週間で突き止めるよ。根乃己に何が起きてるのか。立ち向かうべき敵は誰か。地球はどうすればいいのか、私が決める」

「水穂! お前にそんなことを決める権利があるのか!」

「ある!」


腹の底からの声。周りの人間がはっと水穂たちを見る。


「決めるよ……! 決める時なの! いいえ、誰かが決めようと・・・・・している・・・・! 今はそういう瞬間なの! 私達は選ばないといけない。最後に残るただ一つの道が何なのか」

「この黒現くろうつつと名乗る男は信用できん。地球人が奴隷に置かれる可能性を否定できぬ」

「だとしても選ばないといけない。適切なタイミングなんて存在しない。満足な判断材料が揃うことなんてありえないの。こんな状況まで追い込まれてしまったのも人間への罰かもしれない、でも」



「まだ選べる……。まだ、戦えるんだよ、お爺ちゃん……」



本年の更新はここまでとなります

完結まで何とか走り抜けたいと思っていますので、もう少しお付き合いいただければ幸いです

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