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カスタネットへようこそ  作者: MUMU
第八章 竜の古老と無貌の秘仏
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第五十一話



「電気が――」

「水穂、騒ぐでない、こっちへ来い」


祖父の声をたよりに移動し、そっと手を伸ばす。その手を枯れ木のような腕が掴んで引き寄せる。


「高槻、雨戸を開けい」


一番、雨戸の近くにいたのが高槻だ。彼が戸を開けると光が入ってくる。8月の日はまだ沈み切っていない。


黒現くろうつつとやら、何をしたのか知らんが、我々の生命維持に必要な要素まで奪うなら勝負が成立せんぞ」

「あなたがたの肉体の繊細さは理解しております、ご心配なきよう」

「影響の範囲を言え、麓の村を巻き込んだか」

「この寺の周囲500メートルほどです。余計な人工物は無かろうと存じます」

「……電気を奪う、具体的にどのような状態を指す」

「額面通り、自由電子の行き来を奪ったのですよ。それ以上の説明は寸言にては困難です」

「……」


しばらく、薄闇の中で竜興と雲水がにらみ合うかに思える。雲水は夕闇の中で目を閉じ、合掌を崩さない。


やがて祖父は静かに移動し、水穂を連れて広間を出る。他の者は声も上げられずにあとに続いた。


「水穂」


本堂に戻りつつ、祖父が声を投げる。背後にいた水穂はそっと応じる。


「どうしたの」

「まだ何問かは答えられる。じゃが最後まで戦い抜けるかは分からん。みちを呼べるか」


言われて水穂ははっとなる。この祖父が父に言及するのは珍しいからだ。


「……うん、呼べる。お父さんを呼ぶための折り紙は使っちゃったけど、衛星電話があるの。でも家に置いてる」

「衛星か、REVOLVEに補足されておらんのか」

「大丈夫みたい……回線を特定されたくないとかで、いつも数分しか話せないけど」

「ならば、おそらく数センチほどのシングルタスク衛星じゃろうな。新しくパラボラを組んでも補足は無理か……その衛星電話を取りに行くしかないようじゃな」


祖父は父を頼ろうとしてるのだろうか。その背中は少し物寂しい様子で、そして同時に固く強張って見えた。祖父に何かしらの葛藤が降りていると感じる。


思えば自分は父と祖父の関係を知らない。祖父は父について話すことはほぼなく、父からも祖父の話を聞いたことがない。どの家もそうなのだろうか。それすらも分からない。


祖父は胸のあたりに手をやり、かちかちと音を鳴らす。


「マグライトが点灯せん……やはり電気を奪われたのは本当か。夜にこの山道を下山できるか? いや、今は8月、朝の五時を過ぎれば明るくなるはず……」

「お爺ちゃん、なにか言ってる? 聞こえないよ」

「水穂、ともかく今日の勝負は終わりじゃ。明日まで寝ておけ。そこの男二人も、残照のあるうちに蝋燭を確保しておくんじゃぞ」


居住棟に戻る。大貫や高槻は不安そうだった。何が起きてるのかも分からず、ただじわじわと逃げ道を封じられるような状況である。そして祖父も水穂も、彼らを安心させられる言葉を持っていない。


取り乱さないのは水穂がいるからだろう。自分たちが慌てていると水穂を不安がらせると判断したのか。ともかく、二人が静かにしてくれてるのは有り難かった。


「大貫さん、もうすぐ暗くなるからあまり動かない方がいいよ。私は台所に布団ひくから、大貫さんと高槻さんはそっちの居間で休んで」

「わ、わかったよ」


ふとドアの開く音がした。

祖父がいない。また発電施設の方に向かったのか。


「……おじいちゃん、ライトが使えないって言ってたのに」


電気を奪う。その意味を水穂は考える。

電源施設を落としたという意味ではない。信じがたいが確かに電池式の懐中電灯まで使えない。


自由電子の行き来を封じるという不可思議な事象。しかし人間の筋肉や脳も微弱な電気を発している。それを封じられて影響はないのか。水穂は考えようとするが、流石にそこまでの医学の知識はない。

あの雲水は心配無用と言っていたが、ならば自分たちの肉体は対象外なのだろうか。


「かなり高位の人……でも、お爺ちゃんの仕掛けは見破れてないのかな」


何となく、あの国民的アニメのネコ型ロボットのようだと感じる。


時間を操り、電気を操る。何でもできるが彼自身は特別ではないのだろうか。人間よりも遥かに優れた感覚は持ってないのだろうか。


「……人間と同じぐらいの、感覚?」


何かひっかかるものを覚えるが、気疲れもあってそれ以上思考できない。


「今日はもう寝ないと……」


水穂は台所に薄手の布団をしき、まだ九時すぎだと言うのに寝床でじっと横になる。

ほどよい風通しがあり寝苦しくはない。そして目を閉じたまま、意志の力でよけいなことを考えまいとする。


数分か十数分か。やがて眠りに落ちようとする頃。

ぱちぱちと、火が爆ぜるような音がする。


「……?」


違和感には敏感な水穂である。寝床を這い出して、寺にあったどてらを一枚羽織って移動。か細い光だけを頼りにふすまを開け、外へ出てみれば、焚き火の光が見えた。室内が真の闇に近かったため、小さな火でもあかあかと周囲を照らすように見える。


「大貫さん、高槻さんも……何やってるの?」

「ああ水穂ちゃん、起こしちゃったかな」


高槻は石をかまどの形に組んで火を焚き、大貫はその上にやかんを乗せて湯を沸かしている。なぜかすでに濃厚なコーヒーの匂いがした。軽めの炭のような香りだ。


「コーヒー淹れようと思ったんだけど、ミルが電動だから豆を挽けなくて、せっかくだからトルココーヒーにしようかなと」


湯はぐつぐつと煮えている。水穂がそっと覗き込むと、泡立った黒っぽい液体が煮えていた。


「これコーヒーなんですか?」

「うん、焙煎した豆をすり鉢で砕いて煮出すの。砕かなくてもいいんだけど、その場合は本当に薄くしか出なくてお茶みたいになるかな。砕いて煮込めばだいぶコーヒーに近いものになるよ」

「私も海外旅行で飲んだことあります、なつかしいです」


高槻が人数分の紙コップを渡し、そこに湧きたての黒い液体が注がれる。焚き火に照らされる中でもうもうと白煙が湧き立ち、注がれる最後のほうには砂のようなものが流れ込んだ。


「少し冷ましてから、上澄みだけをすするように飲むんだ」


大貫はお茶うけを用意している。保存食のビスケットにクリーム状の何かを乗せてある。食べてみるとそれは杏仁豆腐の香りがした。


「これって杏仁豆腐? でも少し違うような」

「うん、お寺の食糧庫にナッツ類があったから、アーモンドをすり潰してパウダー状にして、豆乳とゼラチンで杏仁豆腐に仕立ててみたの」


有り合わせの材料でよく作ったものだ、と水穂は感心する。

高槻も何かを出してくれる。アルミホイルに包まれた白いクッキー状のものだ。


「どうぞ、高野豆腐を薄く切って豆乳を染み込ませたものです。ホイルで包み焼きにしてるので少しラスク風になってます」


食べてみると確かに甘い風味のするラスクに思える。中に柔らかさが残っているが、表面がぱりっと乾いているので食感のギャップが心地いい。


「高槻さん料理上手なんだね」

「いえ思い付きです。昔は焚き火でこうやっていろいろ焼いてたので」


二人が水穂のことを気遣ってくれてるのを感じる。流れの者と遭遇して混乱しているだろうに、自分はそれにもまして弱っているように見えたのだろうか。


「ねえ二人とも、怖いと思わないんですか? あんな……よく分からない人とのゲームに巻き込まれて」

「そりゃ怖いですけど、怯えてても解決しませんから」


大槻は火をかき混ぜながら言う。ぱちぱちと火のはぜる音が奇妙な落ち着きを与える。


「それに柱みたいにされたって死ぬとは限らないですし、四人もいるんですからきっと戦い抜けますよ」

「そう、そのためにもコーヒーを飲まないと。大昔には戦争の前なんかにも飲んだらしいよ。気分が高揚するからね」

「……」


水穂の感覚では、あまりに楽天的と言わざるを得ない。

あの流れの者はまだまだ底知れないと感じるし、最後まで戦い抜ける見通しはまるで立たない。柱になってから元に戻ったとしてそこに人格の一貫性はあるのか、それは「死」を経由することではないのか。


人智を超えた流れの者との遭遇は、時に人生観を狂わせる。ものの考え方が揺らぐ。あまりにも隔絶した存在を前に、人間の体が、この狭い地球がつまらないものに思える瞬間がある。


だが、この二人は。


「ありがとう」

「え、なに?」

「コーヒー、私もう寝るね」

「ああ、うん、そうだね。そういえば寝る前にコーヒー飲ませちゃまずかったかな。そんなに濃くないからカフェインは少ないと思うんだけど」

「大丈夫、甘いものも食べられたし」


立ち上がる一瞬、その場の二人に視線を投げる。


流れの者には慣れていないはずの二人、その落ち着きはあるいは完全な無知からかも知れない。今の状況をどこかゲームの中のように、現実とかけ離れたものと見てるのかも知れない。


だがそれでも、その前向きな姿勢は好ましいと思えた。


「おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


水穂は踵を返して建物へと戻る。

その一瞬、闇に浮かんで消えた顔、流し目の軌跡。少女が見せる無限の変化の中での大人びた一瞬。


大貫らが気づくより早く、その顔は夜の中へと溶けて消えた。





「お爺ちゃん」


早朝、まだ山の山頂のみが青白く染まる頃。

山道に踏み出さんとしていた枯滝竜興は、木陰から出てきた水穂を見て足を止める。


「どうした水穂、ちゃんと眠ったのか」

「お爺ちゃん、カスタネットに衛星電話を取りに行くのはやめて。お父さんに連絡しないで」


ぴしり、と、二人の間で空気が固まるのを感じる。背の曲がった老人からの形容しがたい威圧。無言の声が水穂をねじ伏せようとする。


「なぜじゃ」

「戦いは良くないよ。それに私たちは何か見落としてる。これはあのお坊さんと私達のゲームというだけじゃない。ううん、私たちが戦ってるのは流れの者じゃない。あの無貌円空だよ。この事態はあの仏像から始まってるの」

「……」

「なぜ流れの者が無貌円空を欲しがるのか、無貌円空とはどんな異常性を持つのか、それを解き明かさないといけないの。異常なことには向き合って立ち向かう、そうあるべきなんだよ」

「聞けぬな。儂はお前たちの安全を守る義務がある。博打は打てん。REVOLVEが機能しておらぬ以上、事態を確実に打開できるのはみちだけじゃ」

「お爺ちゃん……」


今、分かったと水穂は思う。

大貫と高槻、あの二人にあって祖父にないもの。


祖父の戦い方、生き方、根乃己でのありかたに関わるもの。


「お爺ちゃんは……流れの者に向き合おうとしていない」


異常性について深く考えようとしていない。理解など不可能だと早々に諦めている。


それはすなわち、REVOLVEという組織の性格と同じ。

知ろうとせず、分かり合おうとせず、学ぼうとしない。いつも追い払うことだけを考えている。


「どうして追い払うことばかり考えるの。あの仏像は流れの者ですら欲しがる。私たちにとって大事なものかも知れないのに。どう大事なのか分かるチャンスかも知れないのに」

「それが儂らの役目だからじゃ。流れの者を追い払う、異常存在を管理する、それがこの村の存在理由。あの無貌円空も本来は排除してしまいたい、じゃが流れの者に渡すことなどできん。変化を拒んでおるのよ。はっ、駄々をこねる子供のようじゃな。人間はそんな我が勝手の世界で生きておる」


祖父は少したかぶっているようだった。水穂でない誰かに、足元に広がる根乃己の村に投げかけるように言う。


「人間は結局、文明の滅び去る最後の一瞬まで幼年期を続けるしかないのよ。なぜなら宇宙の広大さの仲間入りを果たせば、己が宇宙で最底辺の存在に成り下がるからじゃ。その時期が百年続くか千年続くか知らんが、人間の短い人生ではとても受け入れられん。なぜ自分たちより優れたものなど受け入れねばならん。なぜ既に知っておる世界だけで生きられぬ」

「それなら」


水穂は胸に手を当て、朝の森の空気を吸う。胸にわだかまった言葉を勢いのままに吐き出す。




「私が大人になる。私が変えてみせるよ、この村を……」


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