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カスタネットへようこそ  作者: MUMU
第八章 竜の古老と無貌の秘仏
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第四十九話



「ひ……!」


喧騒を満たした器が覆されるような一瞬。

水穂は雲水が木像をかき混ぜる手に意識を絞る。


(……右、左、右)


叫び声、マキとワカナがその場を逃げ出す。高槻や大貫は大きく後じさる。

竜興老人は動かない。おそらく水穂と同じく雲水の手を見ている。やがて袱紗が取り除かれれば、瓜二つの2体の仏像。


「さあ、どなたか一人、お選びください」


袱紗が取り除かれ、六人が・・・それを見る。


「……え?」


マキとワカナは靴を履いた姿である、全員が雲水の方向を向いている。


「な、なに?? なんでここに?」

「あたしたち外に出たはず」


「高槻さん」


水穂がするどく言う。呼ばれた水道局の職員は目を白黒させて水穂を見る。


「な、何でしょうか」

「あなたが選んで、たぶん右が本物。この距離からでも何となく分かる。手に取って調べてみて」

「わ、私ですか、あまり美術品とか造詣がなくて」

「わしからも頼む」


竜興老人が言う。その声には有無を言わせぬ力が乗せられている。丸太で背中を押さえられるように高槻は硬直し、おずおずと仏像に手を伸ばす。


「皆様方、目安を定めましょう。おおよそ参百を数える間に選んでいただきたく思います」


黒現くろうつつは合掌して言う。


(5分……もう少し引き伸ばすよう交渉するべきかな。いや、それは様子を見てからでもいい、この仏像当ての目的が見えてからでも)


「お、おそらく、右の像です」


像を示す高槻の指は震えている。人間が柱に変じたという、超常的な事態の証拠はまだ目の前にあるのだ、震えは当然だろう。


「も、木材の古さがまったく違います。右の像は明らかに古びてますから」

「御名答です」


黒づくめの雲水は言い、ほんのりと口の端を綻ばせる。


「円空仏はスギやヒノキで造られることが多かったようですが、この無貌円空はエノキで彫られているようです。おおよそ樹齢50年前後の彫刻材。彫られてからは350年あまり」


雲水はどこからともなく彫刻材を取り出し、一刀彫りにてぐいぐいと彫り進める。マキとワカナは今度は逃げていないが、広間の端の方で身を寄せ合う。


水穂は雲水の手元に意識を向ける。時間が飛ぶような感覚があり、まばたきの間に何十手も彫り進めている。水穂の主観ではほとんど数秒のうちに次の仏像が彫り上がった。


「では、350年の時を歩んでいただきましょう」


手をかざす。黒の手甲の下で仏像がまたたいて見える。細部が溶けるように崩れ、木材が黒ずみ、陰影が淡くなって佇まいは柔和になる。


(……まさか! 時間を!)


「では」

「待って!」


水穂が止める。竜興老人も動こうとしたが水穂の方が早かった。


「なぜ何度もやらせるの、理由を教えて」

「この秘仏はとても形容しきれぬ価値を持つのです。その価値が分からぬ者が持っているのはよろしくない。拙僧の作った像との見分けがつかぬなら、手放すことが道理」


無茶苦茶だ、と水穂は思う。

しかしその上で対応策を探す。流れの者と地球人は平等ではないが、コミュニケーションは取れる。人類側には選択という武器がある。


(どうしてこんな勝負を持ちかけるの。時間を操れるほどの流れの者なら、私たちに気づかれずに像を奪うこともできるはず)


(この勝負は必要なもの? この人にとっての信条? それとも彼は自分の星の法律に縛られている?)


(どれだとしても、勝負そのものを否定するのは得策じゃない。なるべく引き伸ばすべき)


「……お坊さん、勝負はしてもいいよ。でも私達には休憩も必要。一度クリアしたら一時間休ませて」

「いいでしょう」


雲水はあっさりと了承し、袱紗の下でかき混ぜていた仏像を示す。


「さあ、選択を……」

「……」


水穂は二つの像を見比べる。おそらく左が本物だ。右はまだ細部の彫りが甘く見える。

そしてまたマキとワカナを含めた六人が並んでいる。女性二人は恐慌を起こしそうになっているが、雲水の厳粛な気配にあてられて声が出せない。


「大貫さん、選んで」

「え、ぼ、僕?」

「お願い」


大貫もまだ混乱していたものの、小学生の水穂の前で狼狽を見せられないと思ったのか、巨体をのそのそと這い進ませて仏像の前へ。


「これって……」


その巨峰の粒のような丸っこい鼻をひくつかせ、片方ずつ持ち上げてしげしげと眺める。


「た、たぶん、こっち」


最初に左にあった方を示す。


「匂いが違う……このお寺の匂いもあるけど。たぶん線香の煙が当たる場所にあったんだ。その匂いがする」

「お見事です」


雲水は、この超常的な場面を支配する者の余裕なのか、慈しむように笑う。


「匂いですか。次はそちらも再現いたしましょう。では一時間後に」

「……」


雲水はまた彫刻材を取り出し、仏像を彫り始めた。水穂はその様子を見ていたが、やがて立ち上がって皆を手招きする。


「みんな、本堂のほうに行こう。和尚さんの生活スペースがあるはずだよ」





「何なのアイツ! わけわかんない!」


激怒しているのはマキである。ワカナの方は広間のある方角を気にしている。あの雲水に少し怯えているようだ。


「ね、ねえ、みんなして逃げようよ。急いで山を降りれば麓まで行けるよ」

「無理じゃな」


竜興老人がようやくといった風情で口を開く。それは全員を意識した声に思えた。


「この寺から逃げようとしても無駄じゃ。一時間後にあの雲水の前に呼ばれるか、あるいは気がついたら寺社の敷地に戻っていた、っちゅう落ちになるのは見えておる。それに山道は苔むしておる、急ぐと危険じゃ」

「じゃ、じゃあ警察だよ。お寺に電話ぐらいあるでしょ」

「ない。電磁波特区の根乃己では電話線は地下に埋設されておるが、この和倉寺までは伸びておらん」


水穂が補足するなら、根乃己に一人だけいる駐在官はもちろん、自衛隊ですらあの雲水はどうにもできないだろう。


電話についても、恒常性結界を抜けられる衛星電話は常備してあるはずだ。しかし先日の事件で衛星が落とされたはずだが、もう補充されただろうか。

それ以前に、REVOLVEが駆けつけてないこの状況で、一体どこに助けを求めろというのか――。


マキとワカナはあれこれと相談している。


「どうしよう、ノロシでも上げる?」

「あ、それなら寺に火でもつけよっか」

「むちゃくちゃを言うでないわ」


多少、あきれた様子で祖父は話を進める。


「ルールをまとめる。一時間に一度、本物の無貌円空とあの僧侶が作った木像、どちらが本物かを当てさせられる。回答の猶予は300を数える間じゃから5分前後。間違えればその者は柱のような姿にされる」

「な、なぜそんな事をさせるんですか?」


高槻が困惑と、理不尽さへの憤りの混ざった声で言う。


「分からん。あやつはそこまで粗暴な者ではないから、質問も可能かも知れん。じゃが刺激し過ぎぬように気をつけろ、いつ牙を剥かんとも限らん」

「こ、このゲームは何回やったら終わるんですか?」


大貫も半泣きの様子である。彼の場合は寺から逃げられないという事態が別の危機を意味していた。


「お寺には食べ物がないんです。何日もここにいたら死んでしまいます」

「どうやれば終わるか、それが一番重要な謎じゃ。最初の朴泉ぼくせん住職を含めて三度のゲームが行われたが、その度に奴は木像の精度を上げておるように思える。ゲームが変化しておる以上、いつかは終わりに近付くのが道理じゃが……」


その時、ひらめくものがあった。水穂が手を挙げる。


「おじいちゃん、何か機械的な方法で仏像を見分けられないかな。まだなんとか肉眼で見分けられるうちに」

「ふむ……」


枯滝老人は周囲を見回し、水穂もあちこち観察する。和尚の生活スペースとはいっても、その暮らしぶりは清貧で質素なものだ。本がいくらかあるだけで、電化製品といえば冷蔵庫ぐらいか。


(あれ、そういえば電話線が来てないのになぜ電気は来てるんだろう。発電機があるのかな)


だがそんな音はしない。それとも太陽光パネルだろうか。だがあれも電磁波を出すはずだ。根乃己の村にはほとんどない。

そのような疑問を読み取ってか、祖父が説明する。


「和倉寺には主、復、予備の三系統の電源設備がある。施錠されておるが……時間があれば何とかなるかも知れん。そこから工具を調達するか」

「わかったよ、じゃあこっちは……」


水穂は居並ぶ人々を見て。


「……」


ふいに。足が沈む。


その変化は数秒かけて起こった。床が泥に変わったような感覚。膝に力が入らず、手近にあったテーブルに手をついて耐える。


(今……)


今、自分は何を考えた。


いや、そうではない、今までも何かおかしかった。


なぜ、先ほどのゲームで自分は高槻と大貫に呼びかけた。二人に回答してもらうよう促したのか。


(考えてなかった……む、無意識だった)


無意識に、自分以外を「残機」として計算したのか。

客観的に考えて、生き残るべきは水穂と竜興だと思ったのか。そうでなければ事態を打開できないと。だから二人を……。


「水穂ちゃん、どうしたの、落ち着いて」

「お、大貫さん、ごめんなさい。私、さっき大貫さんに……」


恐ろしさに内臓が潰れそうだ。言葉がうまく出てこない。


「水穂ちゃん、大丈夫、怖くないよ。仏像は僕が選ぶから。それが大人の役割だからね」

「そ、そうですよ。私も頑張りますから、大丈夫です、手彫りの像となんて見間違えるわけないです。眼鏡も新調したばかりですし」


何が怖いのかを、水穂は見失いつつある。


命がけのゲームか、高位なる流れの者か、おそろしく冷徹な判断をしようとした自分自身か。


それとも、何かが変わってしまった根乃己の村か――。





一時間後。


「さあ、それではお選びください」


水穂と大貫、それと高槻は広間に来ていたが、他の人々は別の場所から呼ばれたようだ。マキとワカナは靴を履き、リュックを背負った姿である。


「一時間か……なかなかはかどらんの」


滝興老人も靴を履いており、手には工具箱を持っていた。靴のまま縁側へと歩き、かるく伸びをする。


(……インターバルを貰えたのはいいけど、袱紗の下でかき混ぜる手を見られなくなったな。もっとも、そんなズルで正解を重ねられるはずないか……)


「どなたが選びますか」

「私がやる」


水穂が前に出ようとして、大貫が慌てて止める。


「ダメだよ水穂ちゃん、僕がやるから」

「公平じゃないよ、高槻さんと大貫さんはもう選んだし……」


「あ、あたしたちは付き合わないからね!」


マキとワカナは縁側に出て、そのまま手すりを乗り越えて外に出てしまう。


「超能力だか催眠術だか知らないけど、あたしらに関係ないでしょ!」

「そ、そうよ! 仏像が欲しいなら持ってけばいいじゃないの! なんでこんなゲームさせるのよ!」

「……」


水穂は雲水の様子を見る。特に動く気配はない。逃げても無駄と分かっているのか、相手にもしていないのか。


(……流れの者と出会ったとき、逃げることだけは確定的な悪手と言われてる。災いを別の場所に運んでしまうから)


(流れの者は出会ってしまった瞬間に確定する世界観のようなもの。ドラゴンから逃げたとしても、「この世界にはドラゴンがいる」という世界観を覆すことはできない、そういう理屈だって聞くけど……)


「じゃあ僕が選ぶよ……う、でも確かに今度はどちらからも線香の匂いが……」

「違う」


声が飛ぶ。

水穂が首を向ければ、枯れ木のような祖父が。


「次に答えるのはマキじゃ、あやつが答える」

「……! お祖父ちゃん、何を!」

「マキがどちらの足を前に出しておるかで意志を示すものとする。きっちり20秒後にな。その瞬間にここへ呼べば判定できる。それで良いじゃろ」

「拙僧は構いません」

「か、枯滝さん、何言ってるんですか!」

「カウントじゃ、13、12、11」

「お、おじいちゃん……」

「水穂、冷静になれ。7、6、5……」


冷静に。

これ以上に、冷ややかなる判断を下せというのか。


それが流れの者と渡り合うことなのか。


祖父はそうやって戦ってきたのか――。



「ゼロ」



柏手の音。

マキはその場にいる。山登りの軽装で、リュックを背負って、右足を前に出した姿で。


「やはり……」


雲水は静かに言い、わけが分からず狼狽するマキに一瞥のみ向ける。


「幸運など、訪れませんな」


マキの姿が上下に引き伸ばされ、一瞬で柱へと変わった。


すべては一分にも満たぬ時間での、圧縮された地獄絵図か。


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