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カスタネットへようこそ  作者: MUMU
第八章 竜の古老と無貌の秘仏
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第四十七話



蝉の声に背を押される。


腕ほどの太さの丸太が敷かれた階段、枯滝水穂は慎重に重心を確かめながら登る。

さほど険しくはない、歩き方にも性格がにじんでいるだけだ。


「水穂、そこの岩は滑るから気いつけえよ」


前を歩くのは枯滝竜興たつおき。登山用の杖をつきながらぐいぐい登る。こちらは前へ前へと行こうとしている。面倒なタスクほど手早く片付けようとする性格であろうか。


根乃己ねのき村の南西。麓の駐車場に軽トラを停め、沢ぞいの道をえんえんと登った先が和倉寺わくらじである。盆の時期には納骨堂を参りに訪れるのが常であった。


「ねえお爺ちゃん、なんでここって車道がないの? そこまで険しくもないのに」

「寺はREVOLVEが関わっとるからの。いくつかの異常存在を封じとるのよ。車で行けんようにしとるのも防御のためじゃ」

「そうなんだ……」


脇を見る。そういえば根乃己を見下ろす側は枝を打たれて視界が開けている。望遠カメラで下から監視できるようになっているのか。


その根乃己の村。

昔から見知っている眺めだが、何か違和感がある。数日前からだ。奇妙な感覚が。より正確に言うなら奇妙な気配を何も感じない。


「ねえお爺ちゃん、なにか変じゃない」


レーテの様子もどこかおかしかった。店番はいつも通りこなしているが、いつもよりずっと落ち着いていて、今にも微笑んできそうな柔和な気配があった。食事の際、母がなぜかレーテと距離を置いてたのも気になる。


「何も感じん」


答えは短い。その何も感じないのが気になるのだが、水穂にもそれ以上はうまく言語化できない。


そうこうするうち、山寺が見えてくる。


山の中にあるにしては立派な寺だと思えた。石鳥居の向こうに本堂があり、そこから渡り廊下でいくつかの建物に繋がっている。木材は古びていて一部は苔むしており、今にも高下駄をはいた修験者が出てきそうな趣がある。


「ねえお爺ちゃん、ここって何宗のお寺なの?」

「知らん」


お堂の前で靴を脱ぎ、勝手に上がってしまう。


「知らないって……うちの菩提寺だよね?」


水穂も後を追う。正面にある灰の詰まった鉢と、座布団と木魚。奥にはくすんだ金色の仏像もある。


枯滝老人は線香をあげ、座ってお祈りの仕草をする。何か形式に則ってるというより、自己流の動きに思えた。とりあえず水穂もマネをする。


「やあタッちゃん、来なさったかい」


右脇から出てくるのは袈裟を着て、数珠を持った和尚である。年は60過ぎだろうか、かなりの肥満体であり、顎が三重になっていた。

開け放たれたお堂は風通しがいいが、その和尚は手ぬぐいで汗を拭いつつ笑いかける。


「水穂ちゃん、大きくなりんさったねえ。ついこないだまでこんな小さかったのに」

「こんにちは」


僧名は確か朴泉ぼくせんと言っただろうか。水穂は小耳にはさんだ程度の名前でもなかなか忘れない。


「納骨堂に参りたいんじゃが、何人か先客がおるのか」


竜興老人がいきなり言う。水穂はそれを受けて人の気配を探るが、セミの声ばかりでよく分からない。


「おや、なんで分かったんじゃ? 向こうの別棟におるのに」

「山道がだいぶ踏み荒らされとった。一人はかなりの巨漢じゃな」


それは気づかなかった。さすがは異常存在と戦い続けてきた祖父というべきか。


「はは、さすがタッちゃん。まあこんなご時世ですからのう。うちの寺も法事ばかりじゃ厳しいもんで、今年は新しい試みをしようと思うての。ほれ、いま流行りの断食合宿、あれ始めたんよ」

「合宿じゃと……」


水穂はわずかに身をこわばらせる。竜興老人から警戒するような気配が放たれたからだ。


「ちょっと見学していかんかい? こっちですがのう」


和尚は歩きだし、祖父は無言でついていく。

それがおかしいことは水穂にも分かった。REVOLVEの異常存在を封じてある寺に、一般人を客として入れるとは思えない。


到着した先は大広間である。三十畳ほどもあり、雨戸がぐるりを取り囲むだけの箱のような建物だ。


「あれ、水穂ちゃん」


そこにいたのは巨漢の男。喫茶「ブラジル」の大貫である。それに若い女性が二人。メガネをかけた中年の男が一人。


「大貫さん、何してるの?」

「断食だよ断食。いやあ最近また太っちゃってね。ちょっと体重落とさないとやばいなあって思って」

「ええ私もそうなんです。職場の健康診断で黄色信号が出ましてねえ」

「こんにちはー、私も初参加でーす」

「私もです。マキちゃんが誘ってくれたもんでー、でもなんか本格的すぎてびびってまーす。めちゃくちゃ寺じゃんって」


「和尚、この試みはいつから始めとる」


竜興が他の人間たちを無視して問いかける。


「3日前に始めよう思ってのう。とりあえず麓に降りてみたら新しい喫茶店が出来とってな。そこで店主に相談してみたら、知り合いに声をかけてみるって言うてくれてなあ」

「はい、僕のほうから連絡させていただきました。うちの喫茶店ではブラジルらしいボリューミーな料理も出してますが、そのぶん健康とか美容にも気を使ってまして、ローカロリーな料理もいろいろ研究してて」

「つうことは、全員そこの御仁の知り合いか」

「いえいえ、知り合いの知り合い、というぐらいで初対面の方ばかりです。僕もこの村に来てから日が浅くて……」

「そうか」


発言を押し止めるように言う。

数秒の沈黙。枯滝老人は思考してると感じられた。水穂は他の客を観察するが、少なくともREVOLVEの職員はいないように思える。


「和尚、その断食合宿、わしらも参加できるか」

「おお? タッちゃんがかい」

「水穂、お前も参加せえ」

「うん」


水穂はそう答えて、つとめて平静を装う。大貫は知り合いが参加するとなって喜ばしい言葉を述べていたが、それは頭に入らなかった。


「こりゃ大変じゃ、初日と二日目は精進料理を食べていただくんじゃが、材料は十分じゃったかな、ちょっと確認してくるで待っといてくれ。いやあそれにしてもホントに人気なんじゃな、もっと早うからやっておけば……」


和尚の足音が離れていくのを確認してから、水穂がそっと声をかける。


「お爺ちゃん。私だけ下山してもいいよ。何かおかしいんでしょ。お母さんに伝えるから」

「寺を出んほうがええ。この事態はおかしすぎる。何らかの異常でREVOLVEと完全に切り離されたか、あるいはREVOLVEが機能しておらん。あの和尚も自分の役割を忘れとるように思える」

「……」

「いやあ皆さんそんなにダイエット興味あったんですね。あ、僕コーヒー淹れますよ。砂糖が入ってないものなら自由に飲んでいいらしいから。台所どこかな」

「ねえねえ水穂ちゃんだっけ、かわいー、お人形さんみたい」

「肌きれー、きめ細かすぎ、どこのメーカーの使ってるの?」

「いえ何も使ってないですけど」


にわかに慌ただしくなる。しかし水穂の緊張は続いていた。


REVOLVEとの断絶、あるいは機能不全。

では枯滝瑛子は無事なのだろうか。レーテは、タツガシラの職員たちは。


そして根乃己の近くにいるはずなのに、ほとんど顔を見せない父親は。





断食合宿とは本来は忙しいものらしい。体操に散歩、エステに生活改善講座、レクリエーションに座談会など数多くの予定を組み、楽しく取り組むものなのだとか。場所によっては温泉なども加わる。


だがそこは急に始めたためか、翌日の午前中で早くも退屈な空気が流れつつあった。


朝食を済ませ、朝の散歩として山頂まで登る。といっても低山なので往復で40分ぐらい。それが終われば昼まで自由時間である。


「ふー、やることないと退屈なもんですね」


中年男性が誰にともなくつぶやく。彼は水道局の職員らしい。名は高槻たかつきと言った。


若い女性の二人組はマキとワカナ。日吉町のブティックに勤めているらしい。二人とも20代前半である。


そして大貫。彼は早くもぐったりしていた。


「あうう……お腹すいたね水穂ちゃん……」

「いや、お食事は出たでしょ精進料理が。昨日の夜も今朝も」

「あれだけじゃ足りなくて」


それはそうだろうと思う。水穂が思うに体格や年齢、疾病などによって微妙に食事を変えるべきではないだろうか。


おおよそだが夕食は700キロカロリーぐらい、朝食は400キロカロリーほどだった。空腹の大貫には悪いが、水穂の見立てでは少し多すぎる。あれでは大貫はともかく、マキとワカナにはダイエットになるかどうか。


明日の二日目からは玄米の粥とわずかな香の物、最後の三日目は白湯だけだという。


(でも人間の基礎代謝って一日1800キロカロリーぐらいだよね。丸一日抜いたぐらいでそんなに痩せるかなあ)


そこらへんは深く考えると危うい予感がしたので思考を打ち切る。


「お爺ちゃん、散歩長いな……」


縁側に出てみる。すると丁度、枯滝老人が戻ってきたところだった。寺で借りた作務衣に着替えており、灰色の布を頭巾にしている。腰が曲がっているので森の妖精のように見えた、というのは口にしない。


「お爺ちゃん、なんだか怖い顔……」

厭路エンロが消えておる」


聞き慣れない言葉だった。枯滝老人は昨日は早く眠ったようだが、何か調べていたのだろうか。


「えんろって?」

「結界じゃ。この寺に仕掛けておいた算法性結界。道をある一定のパターンで敷設すると、その奥にあるものの気配を消せる」

「ちょっとお爺ちゃん、そんな話」


老人はやや太い声になっている。水穂は後方の人々を警戒するが、二人の女性は雑談に興じており、男性陣は対角線上に寝転がっているので聞こえていないようだ。


厭路エンロだけではないな。哉座かなくらの鳥居、愁夜榎しゅうやえのき、いずれもこの寺にあった結界じゃ、みな消えるか、異常性を失っておる」

「ここって異常なものを封じ込めてるって聞いたけど……」

「それを守るために異常存在を利用しておったのよ。じゃが機能しておらん」

「……」


では、この違和感の正体はそれなのか。

根乃己にあった異常なものが消えている、しかし何故そんなことが起きているのか。


「……盗まれた、とか?」

「考えられん。愁夜榎しゅうやえのきは栃木県の古刹にあったものを植え替えたものじゃが、樹齢は千年を超えておる。胴回り20メートルはあった大木じゃ。痕跡も残らず持ち去れるものかよ」

「泥棒さんも、異常な何かを使ったとか……」


そこでふと父の顔が浮かぶ。

枯滝かれだきみち、異常存在を集めていたREVOLVEの敵対的存在。まさか、と思いかけるが、それは竜興老人が先んじて否定する。


みちの仕業とも思えん。だいたい厭路エンロはあるパターンに則った道という異常じゃ。その道は残っておるのに効果だけが消えておる」


姿を消したもの。異常性を失ったもの。


水穂はまだそこまでの危機感を抱けない。そもそも根乃己は異常存在を収集、分析しているが、それは異常存在を破壊できない、封印できないからという前提がある。


「でもそれ、いいことなんじゃ、異常が消えるなら」

「……」


その言葉は、なぜか竜興老人を深く考え込ませた。数秒、あるいは十数秒の思考。


「……そうじゃ、確かにそれは根乃己の目的の一つ。しかし……」


そこで、はたと気づいたように顔を上げる。


「異常がすべて消えるならともかく、残ってしまったらどうなる……?」

「え……」

「そうじゃな……たとえば神域の奥地に眠る真賀蛇御阿砂魂マガビオンアザダマつるぎ。一度はこの国を滅ぼしたとも言われるシロモノ。あれを消せるとは考えられん」


老人は何かを思い出しているのか、声を水穂の方に向けずに語る。


「そうじゃ……この和倉寺わくらじの結界。それは奥の院に眠る異常存在を守るためのもの。宗教と結びついたものを安定化させるための施設であったはず。しかし超常存在シグナルレッドとなればタツガシラに安置しておる。この寺にはあるのか、あるとしたらそれは危険じゃ。特異団体や、流れの者を防げない。ではこの寺で解明されておらぬ異常は何があった。そう、そうじゃ、一つだけ分析もままならぬ物があった。名はたしか、無貌むぼう円空えんくう……」


「御免」


瞬間、水穂の意識に割り込む黒。


その人物は漆黒の僧衣を纏っていた。

夏の日差しを受けてなお黒く、しわ一つ見いだせない虚無のごとき黒。半球のような網代笠あじろがさをかぶり、土を踏みしめる草鞋。その脚絆までも黒い。


「拙僧は黒現くろうつつと申します」




「この寺にありしと聞き及びます。顔のない円空仏を拝見させていただきたく……」



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― 新着の感想 ―
[一言] ひええ・・・面白いことになってきましたね
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