第四十話
「大貫さん、はかどってる?」
黄色のワンピースを着て、帽子を押さえつつ現れるのは枯滝水穂。
「ああ水穂ちゃん、そうだね、ようやく完成しそうだよ」
喫茶ブラジルの裏手、サクラ材で組まれるのは大きめの椅子である。広い座面と高めの手すり、標準的なバランスボールがすっぽり収まるほど大きい。
「何度か失敗したけど、ようやく満足のいく椅子ができそうだよ。やっぱり手作りは愛着が湧くよね」
「大貫さーんコーヒーおかわりー」
今日は店の裏手に椅子と机を並べ、オープンカフェの装いになっている。大きめのパラソルの下でコーヒーを飲むのは晴南と美雨、他に何人かの客もいる。
「ほんとに作るんだね、裏手のカフェスペース」
「ああ、週に一度ぐらいこっちで営業したいなと。将来的にはビアホールなんかもやりたいんだよね。ブラジルはビールも美味しいんだよ」
「そのビアホールってノンアルも出ますかー?」
「出してもいいけど、子供はちょっと……」
和気藹々とした雰囲気、だが水穂の顔には帽子のためだけではなく影が射している。
ここに来たのは他でもない、三人が事件のことを覚えているかの確認である。REVOLVEの職員によって一度確認されているが、水穂も責任を感じて確認に来た次第だ。
特に大貫は短い期間で複数回の異常に触れているため、今後は定期的な調査の対象となる。REVOLVEの職員が客として訪れる程度の調査ではあるが、水穂としては隠し事の後ろめたさを感じてしまう。
遠くのテーブルから、今日も入り浸っている友人たちが呼ぶ。
「水穂ー、こっちきて一緒に飲もうよー」
「今日のケーキもなんかすごいよー、虹色してて」
「あ、ごめん、私カスタネットに戻らないと」
椅子の王との裁判から、48時間あまり。
(……あの時)
人間側の勝利が確定した時点で、二人は椅子の側に票を入れた。
その理由を、あれからずっと考えている。
満場一致は可哀想と思ったから。水穂の仕掛けた戦略を卑怯と感じたから。あるいはいっそ、世界を椅子の王に支配してもらうことを望んだから。
答えを絞ることはできず、尋ねることもできない。水穂は何かを失敗し、その原因への問いだけが世界に残り続けるように思えた。
水穂は大貫へと礼をする。
「じゃあ、私行きますね」
「あ、そうなの? またいつでも来てね」
はいと返事をしてその場を去る。
水田と山に囲まれた根乃己の眺め、舗装されてない土の道にはガードレールもなく、だらだらと湾曲しながら伸びている。
「ええと、帰ったら宿題やって、本棚の整理して、お夕飯の手伝いしないと……」
林のそばを通れば、音圧に押されるような蝉の声。
トラクターのだらだらと動く様子、トンビが高空を旋回する、視界の果てには入道雲が。
「……」
ふいに足を止める。
なんだか体から力が抜けている。どこへ向かっても何も期待するようなものはなく、自分自身の内側に何の情熱もない、そんな気がする。
そんな感情は子供らしくない、と思って気合いを入れようとするも、空ぶかしを繰り返すエンジンのように、何かが体を突き抜けていく。
「何だか、うまくいかないな……」
父親が帰ってきたというのに、レーテの相談に乗ってる様子もないし、根乃己にいるわけでもない。異常なものともうまく付き合えないし、家族とも噛み合わない。
実際にはそれは錯覚、それも分かっている。異常は排除できているし、家族はいつもと変わらない。水穂だけが空回りして、世界に対して無力であるというだけだ。
焦りのような寂しさのような、双六である一マスからずっと動けないでいるような感覚。
どこかへ行ってしまおうか。
どこへ?
どこにも行けはしない。自分はまだ子供だし、まだ世界のことなど何も知らない。
この地球だって同じ、どこにも行けはしない……。
「――え?」
後ろを振り向く。名を呼ばれたためだ。
「水穂ちゃーん!」
どてどて、と腹を揺らしながら走ってくるのは大貫。本当に水まりのように揺れている。その左右に晴南と美雨もいる。
水穂に追い付いた大貫は、えずきながら激しく息をつく。
「はっ、ふっ……み、水穂ちゃん、うげほっ、はぐっ」
「大貫さん体力なさすぎ、500メートルも走ってないよ」
「水穂、大丈夫? なんか様子がおかしかったから追いかけてきたよー」
「え、私……?」
どこか演技がぎこちなかったのか。
そう思いかけるが、大貫からラッピングペーパーで包まれたものを渡され、それに意識が引き付けられる。
むせかえるようなコーヒーの香り、根乃己にあふれる緑と泥の匂いを忘れるほどの。
「これ……」
「に……ニンジンとカボチャのチップスだよ。コーヒー豆を使って燻製にしたんだ。あっさりと甘いからカスタネットのみんなにどうかなって」
「水穂、なんかあったらいつでも相談してね」
「水穂ってば一人で悩んじゃうところあるから、危なっかしいっていつも心配してるんだよ」
「わ、私が?」
そんな自覚はなかった。このところ落ち込んでるところを見せていたが、それは日常の範囲だと思っていた。まさか、本気で心配されていたとは。
「あ、あのね水穂ちゃん」
たっぷり時間をとって呼吸を調え、大貫は言う。
「僕も根乃己に来て日が浅くて、いろいろブラジルと比べてしまうんだけど、水穂ちゃんはどうもブラジルの人たちと違うから、気になっちゃうんだ。お節介だったらごめんね」
「……ブラジルの人って、陽気だったり、時間にルーズだったり、男らしさや女らしさにこだわるって聞いてますけど」
「そうじゃないんだ」
大貫は地面に膝をつき、水穂と視線を合わせて言う。
「砂糖だよ。水穂ちゃん、コーヒーにあんまり砂糖を入れないでしょ。苦いのを我慢して飲んでる」
「うっ……で、でもコーヒーってそういうものだと思うし、入れすぎると微妙な味が分かんなくなるし」
「いいんだよ。ブラジルではみんなびっくりするほど砂糖を入れるんだ。遠慮なんかしなくていいんだ。苦味を完全に消すぐらい砂糖を入れるのが自然で自由なことなんだ。ブラジル流のコーヒーとの付き合いかたなんだよ」
「……苦味を」
「そう、だから水穂ちゃんも自由にしていいんだ。たっぷり砂糖を入れていいし、辛いことを我慢しなくていいんだ」
――そんなことをしていいの?
水穂は手の中のコーヒーの臭いをかぎ、瞬間、自由な想像に自分を踊らせる。コーヒーにカップの半分ほども砂糖を注ぎ、さらに甘いケーキと、甘いジャムタルトを合わせる、そんな自由な時間。
「……ありがとう、大貫さん、みんなも」
水穂ははにかむように笑って、菓子の袋をそっと抱きしめる。
「心配かけてごめんね。もう大丈夫。ううん、きっとまた失敗したり、迷惑かけたりするかも知れないけど、ちゃんと立ち直るから。相談できることはちゃんと相談するから」
「よかったよー、落ち込んでるっぽかったから心配でさー」
「何でも相談してね、あと宿題も見せてね」
「美雨、まだ7月でしょーが! 今年こそ自分でやんなさい!」
「うわーん」
そして笑いの種が生まれて、ささやかな幸福の一幕が――。
※
「異常存在について、ミズホ・カレダキからの聞き取り記録は以上です」
「そう」
タツガシラ電波観測所よりさらに大深度の地下。
枯滝瑛子は分厚いコンクリートに囲まれた空間にいて、防眩ゴーグルをかけたまま応じる。
「検討しましたが、今回の異常存在は下等なものと判断されました。すでにREVOLVEにより排除されております」
「ご苦労様」
瑛子はこの数日、地下のこの場所にいることが多い。所長権限事項であるREVOLVEも部下に任せきりである。
「まだ何か?」
報告を上げた所員が退室しないのを見て、振り向かずに言う。
「いえ、その、大変に優れたご子息であると感じました。それを申し上げたくて」
水穂たち四人を確保した後、聞き取り調査とその検討は当日のうちに行われた。その中で水穂はまったく淀みなく自分の経験を語り、一言一句すべての発言を覚えていた。万が一、偽証などないように皮膚の発汗、声調などのデータも取っているが、怪しい点など一つもない。
「ミズホ・カレダキは自己の力で異常存在の侵攻を食い止めました。称賛されるべきことです」
「何の意味も無いわよ。その裁判で椅子の王とやらが諦めると思えないし、何より椅子の王という異常存在が残り続ける。REVOLVEが無ければそれが人類のファーストコンタクトになっていた」
「それは、確かに」
「枯滝路の娘だからって、あの子は抗異化因子存在にはほど遠い、何度も検討したはずよね」
「そ、そうです」
瑛子は腕を組み、不機嫌な空気を放つ。
「報告は随時上げなさい。特に今はアメリカの動きに注意を」
「はい」
エア式の自動ドアが開閉し、所員が退室する。
その足跡が遠ざかるのを聞いて、瑛子はふうと息をついた。
「……そう。頭がいいとか、機転が利くとか、そんなことは異常との戦いに何の役にも立たない」
「異能力者というだけでも足りない。我々の理解を超えるような能力者はそもそもが脅威そのもの。枯滝路のように、敵か味方か曖昧な存在は最も悩ましい」
その枯滝路が根乃己に帰還した。
これは偶然だろうか。あるいはオルバースの銃を使って根乃己に呼び寄せられた、そのようにも見える。
「アメリカは何を考えているの。どうも動きがおかしい。根乃己を揺さぶって、何かを引き出そうとしているように感じる」
枯滝路の報告にあった蛇の入れ墨。いつでもラザロを始末できるトラップ。あれがあってこそラザロを走狗として、根乃己に攻め込ませることができた。
だが、何のためにそんなことを。
「そもそも、あれは「攻撃」なの?」
REVOLVEを超えた存在二つを出会わせる。根乃己とagoleというだけではなく、世界の根幹を揺るがす事件だった。
それが偶発的でないなら、どのような動機によるものか。
「そんな動機がありうるとすれば、それは我々の、REVOLVEの根本的な目的のための作戦……」
「……ラザロの一件を一連の作戦の一部であると仮定。この事象を、架空作戦「アトラス」と仮称します」
手元のボイスレコーダーに入力。部下と検討するにはまだ材料が足りない。
その眼の前には、空間の歪んだ部分がある。そこにオレンジ色の光がぶつかり、閃光花火のように光の乱反射が見える。
高出力レーザーの照射を受けるその物体は銃のような形状だが、それ以外の何のデータも見えてこない。
「オルバースの銃……。これについて何も言ってこない。もし、わざわざagoleの不手際に見せかけてまで、これを根乃己に渡したかったとしたら……」
返還要請がないのは米国内の混乱のため、あるいは根乃己への負い目のため、そう考えるほど瑛子は楽天家ではない。
agoleとて一流の人材ばかり、妖怪のような権謀術数の申し子もいる。あらゆることは計算されていると考えるべきだ。
ではこれから、瑛子がやろうとしていることも計算のうちと言うことか。
それは人類の意思なのか、ならば自分は、その意思に従う義務があるのか。
「……オルバースの銃を構成するのはこの現行宇宙のものではない物質。エックス線でも磁気でも、粒子加速機でもそれを分析するのは不可能」
レコーダーに入力。
「しかし物体である以上、干渉は不可能ではないと考える。現在の人類を超えた分析能力、原子レベルでの観測ならば」
そして枯滝瑛子は、最初からずっとその場にいた人物に呼び掛ける。
「じゃあ、お願いね」
その人物は壁の染みのように気配に乏しく。
おそろしく美しく儚い、氷のような美しさを備えていた。
「はい」
銀髪の青年、レーテは銃に手を伸ばし、それを慎重に持ち上げた。




