第四話
「……? あの、あなたどこの子?」
子供、のように見える。
頭に毛髪がなく、耳は顎の下まで伸びるような福耳で、お腹はでっぷりと張り出していて頭も大きい。しかし腕は細く足は短く、全体としては子供の印象を残している。
「朕は大人になれぬのだ……」
やはり子供の声である。衣服は毛布を無理やり服に仕立てたように厚手であり、だぼっと下半身にシワが集まって胸元がヘソのあたりまで大きく開いている。そこから覗く肌は餅のようにきめ細かい。
「朕?」
「龍を捕まえねばならぬのだ。龍は四海を呑み、龍は朕の掌中にあるべし。そのために那由多の距離を超えてきたのだ」
虫取り網を振り上げる。4メートル近くある長い竿。持ち手を含めて全体に微細な彫刻が施されている。
「あなた何言ってるの……? 何かのコスプレ? そんなアニメあったかしら……」
「あなたはどこから来たんですか?」
脇に水穂が来ていた。やや慎重な様子で、しかし先程一瞬だけ見せた動揺の色はもう失せており、物怖じせずに話しかける。それは意志の力でそのように振る舞っているのだ、と草苅記者は何となく察する。
奇妙な格好の子供は天の一角を示す。
「角宿の近傍、天門の奥に朕の国はある」
「じあおすう……?」
と草苅記者が聞き返すと、レーテがそっと背後に来て耳打ちする。
「角宿とは乙女座のスピカのことです。天門とは中華圏の星図にある星で、諸説ありますが、おそらくスピカの近くにある5等星のことでしょう」
「なにそれ……そういう設定のキャラなの?」
しかし福耳はありえる範囲としても、この子の独特の雰囲気、これが何かの演技とは思えない、それほどに堂に入っている。
そして極め付きのことが起こる。その子供の額がぱっくりと開き、ぎょろりと第三の目玉が現れた。
「ひっ!?」
思わず数歩あとじさる。子供は小首をかしげて不思議そうな顔をする。その額では緑色の虹彩を持つ瞳が、村に降りかける夕刻の光に目を細めつつ、ぎょろぎょろと回転している。
「夜眼が開いただけではないか、なぜ驚く」
「あ、あな、あなた……」
宇宙人? 妖怪? それとも形容できない何か不可思議な。
足が震える。ここへ来てようやく草苅記者は意識する。
何か、特別なことが起きている、ということに。
「龍を捕まえねばならぬのだ……」
「あ、あなた、名前は?」
「字は鈴鬼という。成人しておらぬため、正式に名乗れる尽称は持たぬ」
「ジンチョウ?」
「役職という意味だ、正しき名前は役職と等しい意味を持つのだ」
鈴鬼は草苅記者と正対し、その姿を見上げていたが、ふと気がついた様子で目を開き、虫取り網で頭を小突いてくる。
「おい、お主、朕よりも高い位置で喋るな」
「あ、ごめんなさい、これでいい?」
片膝をつくほど身をかがめてようやく目線が等しくなる。鈴鬼は満足したようにうなずき、ぽんと太鼓腹を叩いてから虫取り網で山の方を示す。
「お主、名は何というのだ」
「草苅……草苅真未よ」
「草刈り、つまり庭師だな。よし草苅よ、朕の龍捕りに助力せよ。あの丘に龍の気配がある」
「わ、分かったわ、何でも手伝っちゃうわよ。そのかわりあとでインタビューさせてね」
「ついてくるのだ」
鈴鬼は虫取り網の石突の部分を地面に突き立て、棒高跳びのように己の体を跳ね上げる。すると4メートルほどの竿がものの見事に地面に直立し、鈴鬼自身は椅子に座るように網の部分に腰掛けた。
そしてどのような理屈なのか、ぴょんと竿ごと飛び上がって十数メートル前進する。
「追いかけるわ! ついてきて!」
草苅記者が意気揚々と自転車にまたがるとき。
ふと背後の奇妙な気配に振り向けば、水穂とレーテが小声で何か話し合っていた。
「どうしたの? あれは本物の宇宙人よ、こんな機会二度と無いわよ」
「草苅さん、これはミッションだと思って」
「え?」
「わからなくてもいいから聞いて。あなたが選ばれたの。私達が一緒にいたのに、あの子はあなたに向けて話してた。あの子との間に絆が生まれたんです。あの子の願いを叶えてあげてください。私達もお手伝いしますけど、最終的にはあなたが解決することになるはずです。私達を頼ってもいいけれど、私達に押し付けようとしてはだめ」
「何を言ってるの……?」
「早く追いかけて! もう見えなくなっちゃう!」
言われて視線を投げれば、その姿はすでに針のように小さくなりつつある。夕刻が迫り、薄暗がりにものの輪郭が溶けゆく時刻、逢魔が時の風景の中にその姿がかき消えつつあった。水穂が話していた言葉を反復する間もなく草苅記者はペダルを踏み込み、地面の凹凸を尻で受け止めながら走り出す。
村からは人気が失せている。建物も山並みも輪郭を失うような明暗の妙。歪んだ風景の中を進めばほどなく上り坂に至り、腿に力を入れ、体を左右に振りながら強引に上っていく。
やがてたどり着くのは丘の中腹、開けた公園である。
夏場にはこんな田舎にもキャンパーが来るのだろうか。薪の積まれた丸太小屋と、地肌の見えた広場。遠くにはボックス型の仮設トイレも見える。
「ふむふむ、あなたの星では一人前になるためには龍を捕まえる必要がある、と」
「朕は特に大きくて立派な龍を捕まえねばならぬのだ。龍を百億の臣下に見せねばならぬのだ」
ぼうっとした様子の鈴鬼に質問を初めて15分。鈴鬼の言葉はどこか一本調子であり、草苅記者に語りかけるというより自分自身の物語でも語るかのようだった。
草苅記者は鈴鬼のそばに中腰になり、そろそろ夕闇の迫る広場でスマホで録音を続けている。
「でもそんな網で捕まえられるんですか? それとも蛇ぐらいの大きさの龍なのかな」
「この網はいくらでも大きくなるのだ」
言って、とんと石突で地面を打つ。途端に上空で網が拡大し、テニスコートほどの大きさになった。同時に網を構成する糸の数も増えており、網目の細かさは変化がない。
「おお……」
「うむ、そろそろ夜だ。龍は煬帝の威光を嫌うのだ、天地の影を沼と見立てて泳ぐのだ」
つまり夜にだけ行動すると言いたいらしい。
鈴鬼の額の眼は真円に近いほどに見開かれ、せわしなく上下左右に動いている。同時に普通の目の方はぼんやりとまぶたが落ちてきて、眠たげにも見えた。額の眼については夜の眼、という意味で夜眼というらしいが、どうやら夜にはそちらを使用するらしい。
遠巻きに水穂とレーテも来ていた。それぞれ広場の西と東にいて空を見上げている。
草苅記者はその二人にはあまり注意を払っていなかった。目の前の宇宙人の方が遥かに重要と考えていたのは言うまでもない。
「特別でなければ大きさは意味がないのだ」
「ん? ああ大きさより種類が大事って事ですね」
鈴鬼の語りは少し脈絡に欠けるところがあるため、ふとした瞬間に話を見失いかける。鈴鬼はだるだるの着物の袖から何かを取り出した、それは緑色の飴のようなものだ。
「それは何ですか?」
「龍をおびき寄せる香だ。特に珍奇なる龍のみがやってくる。占妓が七万七千の儀によって導いたのだ。この夜、この場所こそは四暦の噛み合う雷卜の地、百剣の筮によって定められた狩猟の夜なのだ」
「ええと……よく分からないけど、占とか卜って言ってる? つまり占いでここに龍が来ると予言された、そういう事……?」
鈴鬼はそれには答えず、手の中で緑色の飴を親指でこする。たちまち手の中より煙が沸き立ち、拳を天に掲げれば、そこからもうもうたる緑の煙が上がる。
その煙を見ていると、ふいに意識が静止するような感覚がある。煙が沸き立ち、ある程度の高さでもくもくと広がっていく様子に目が引きつけられ、視界の中で夕刻が闇に塗り替わり、残照は西の果てに消えて星の灯がぽつぽつと生まれ、やがてそれは沸き立つ煙のような天の川、そして無数に散りばめられた星の海となる。
理解はしている。脳は正常に働いている。
草苅記者は地面に膝立ちになっていたが、その姿勢のままで数時間が一気に経過したことも理解できている。だが膝の痛みも、そろそろ訪れるはずの空腹も感じない。待つという意識が希薄になる。
「来たぞ」
はっと目を見開く。
そして夜闇に向かって目を瞬く、別に眼球はどうともなっていない。
それもまた不思議なことだった。いま自分は、間違いなく3時間ほど目を開きっぱなしだったのに。
そして上空をさっと行き過ぎる、金色の影。
「あれが仙錦玉龍、星海で最も得がたき龍だ」




