第三十八話
※
「そこは、黄金に輝く村でした」
それはいつのことか。衛星電話での父は、いつものように不思議な話をする。
「マリゴールドの花園に見えたのは黄金の花でした。花はすべて、見事な意匠を刻まれた大きな金貨。その村は屋根瓦も金、畑の柵も金、人々は金貨の花を収穫し、金の粒を家畜に与え、食べるものすら金でした。私はその村で歓待を受けました。人々はみな礼儀正しく、思慮に富み、優れた道徳を持っていました」
父の語る言葉は虹色の泡のようで、ぎゅっと掴めば弾けて消えそうな危うさがある。真実なのか空想なのか、語る本人ですら判断のつかぬような響きが。
「私はその村で暮らすうち、自らが黄金に変わっていくのを感じました。黄金を食べると心身に活力がみなぎり、病気や衰えが遠ざかり、あらゆる悩みから解放されるように思えました。そのままでいたなら、やがて寿命や滅びからも無縁となったことでしょう」
「お父さん……その村を何とかするために行ったんでしょう?」
「そうです。それは一種の滅びの概念。完全無欠となって永続する、という形の滅びが村の形を取ったものでした。だから私はその村を抜け出し、村へ通じる唯一の道を閉ざした。そうせざるを得なかった。滅びを拒むからではなく、その概念ではREVOLVEを超えられなかったから」
父は世界中を回り、異常な存在、異常な場所を訪れているらしい。時として異常を排除することもある。その黄金の村のように。
「お父さん……危ないよ。黄金になるとか滅ぶとか、死んじゃったらどうするの……」
「すいません」
父は謝罪し、電話の向こうで深く頭を下げた気配がある。
「ですが水穂、異常存在に立ち向かうには、正しく付き合うためには、私のやり方しかありません。私はそう信じています」
「正しい、やり方……?」
「そうです。多くの人はもっと慎重です。入念な訓練、深い研究、類似の事例の収集。そして集団の知恵。それこそが異常に立ち向かう手段だと。ですがそれはどれも違う。流れの者と出会い、それと正しく触れあうための秘訣とは」
「秘訣、は……」
※
「水穂ー、大丈夫なのー?」
「裁判ってやったことないよー」
木工室が解体されたため体育倉庫が人間たちの控え室としてあてがわれ、準備のためにしばらくの時間が与えられた。椅子はすべて外に出しているが、窓の外には何かの現代アートのように大量の椅子が並んでおり、水穂たちを見張っている。
「しょうがないよ。力じゃ勝てそうにないし、電話のある職員室は固められてるし」
水穂はやや腹をくくった様子で、腰に手をあてて胸をそらす。大貫はというとまだ木槌を握ったまま、汗を浮かべて外を警戒している。
「さ、裁判って、言い負かしたとしても向こうが納得するわけないよ」
「そうかな? 裁判をやる以上は少なくとも自分以外に判断を委ねるってことだし、こちらの言い分も聞かせられるよ。うーん、でも陪審員ってのは……」
「ど、どうしたの」
「陪審員は五人、ってとっさに言っちゃったの。晴南と美雨、それに大貫さんが陪審員に加わってくれれば三票だから勝てるなって思ったんだけど、そんなこと認めるわけないなあと思って。クガタチでやった方がよかったかも」
「クガタチ?」
「盟神探湯は古代の日本にあったって言われる裁判の方法。訴えられた人がお湯に腕を入れるの。もし主張することが正しいなら火傷しない、間違ってたり有罪なら火傷するって方法」
「ま、魔女裁判みたいだね……」
「水穂って変わったこと知ってるよねー」
晴南はそう言って、はてと首をひねる。
「え、水穂がそれやるの? ヤバくない?」
「トリックのやりようはあるかも……。煮たったお湯を金属のタライに入れる……そのタライをものすごく冷やしておいて温度を下げるとか、ドライアイスか何かで実際の水蒸気よりたくさんの煙を出すとか」
思い付くまま、という様子に、他の三人も眉をひそめる。
トリックの仕込みも実行も簡単ではなさそうだ。そもそも相手がその方法を呑むかどうかも分からない。
「……うん、やっぱり陪審員制の方がいいかも。陪審員については交渉しよう。それも裁判の一部だよ」
「水穂にしてはけっこーノープラン……」
美雨もあきれ顔である。枯滝水穂はもっと落ち着いていて隙のない少女だった気がするが、どうも行き当たりばったりという気がする。
「……ノープランかあ」
水穂は鼻の頭を掻く。先日、草苅記者にも言われたことだ。最近の自分はどうも直情傾向な気がする。父が帰ってきて浮わついているのだろうか。それとも自分はまだまだ子供に過ぎないのか。
「そろそろよかろう」
それは窓をびりびり震わせて響いた声だった。体育倉庫の入り口が開け放たれ、いくつかのソファが入ってくる。
「ま、頑張るから何とかなるよ」
「み、みみ水穂ちゃん、そんな投げやりな……」
本気で怯えているのは大貫だけだったが、世間一般ではそれが多数派の感覚なのだろう、などと思う。
グラウンドに引き出され、対峙するのは巨大な椅子である。改めて見れば、脚の一つ一つが馬の首ほどもあり、五寸釘を使ってがっしりと打ち付けられた椅子だ。この大きさなら角をL型金具などで補強したいところだが、普通の椅子と同じ程度の釘しか使っていない。制作者のこだわりだろうかと感じる。
(作ったのって老人会の人かなあ。たまに木工教室とか開いてるけど)
「人間よ、では裁判を始めようぞ」
裁判場はコロシアムのような階段に囲まれた構造であり、そこには多種多様の椅子が観客として並んでいた。
場の中央に椅子の王。証言台のようなものが一つだけ組まれ、そこに水穂が構えている。友人たちは客席の最下段にいた。
「王さま、その前に陪審員を決めましょう。王さまも承知したはずです」
「バイシンインだと?」
言葉のイントネーションを正確に返せていない。その言葉はまだ知らないようだと気づく。
「ええ、私と王さまのやりとりを聞いて、どちらの主張が正しいのか決める人です。五人必要なので、私の友達と知り合いでまず三人」
「うむ、それは」
はた、と椅子の王が動きを止める。
「だめだ! それではお前たちが結託した場合、問答無用で多数を占めてしまうではないか!」
水穂は口を尖らせ、斜めに構えて言う。
「じゃあ五人中、三人を椅子にするんですか? 椅子は王さまの眷族というか分身なんでしょ、自分で自分の意見を判断したら裁判になりません、それはお分かりですよね」
「ぐ、そ、それはもちろんだ。しかし」
「方法はなくもありません」
水穂は椅子の王の動揺を見て言いつのる。
「王さまが眷族として椅子を生まなければいいんです。知恵を与えるけれど分身ではない。自分の意思で判断できる誇り高い椅子を作ることはできますよね。そういう、裁判長を勤められる椅子を生み出すことにしましょう」
「それは可能だ」
沈黙。
数秒後、椅子の王は後ろに45度のけぞる。
「……何だと?! それでは我が唯一無二の知性ではなくなるではないか!」
「裁判の間だけです。それが終われば裁判長と王さまで話し合って、どちらが唯一無二の知性か決めればいいんです。といっても問題はありません。裁判長の椅子は王さまが生み出したものです。どちらが優れているかは明らかですよね」
「む、確かにそうだ、もちろん我もそれは分かっている……」
椅子の王は明らかに駆け引きに慣れていない。あるいは駆け引きなどという概念もないのか。水穂はその隙をついてルールを決めていく。
水穂は意識する。これはすでに裁判の始まり。どれだけ有利なルールを作れるかという勝負なのだと。
「ではこれでどうだ」
校舎の窓をぶち割り、飛んでくるのは校長の椅子である。
そして教室の椅子たちが机を五組運んできて、晴南と美雨が右手側に、テニスコートの審判の椅子と、高価そうな安楽椅子が左手側につく。中央が校長の椅子である。
「テニスの椅子が机に向かってるのってシュールだなあ……」
「さあ! もうよかろう! 裁判を始めるぞ!」
「ダメです」
ぴしゃりと水穂が言う。
「な、何だと!」
「裁判長はもう校長先生の椅子です。すべての裁判の仕切りは裁判長が行うものです」
「む、そ、そうか」
「えー、では始めさせていただきます」
それは椅子の王の意図と言うわけでもないだろうが、校長の椅子は老人めいたしわがれた声を出す。
「わ、校長そっくりー」
「うまーい」
「静粛に」
いつの間にか机の上にハンマーも用意されている。念動力らしき力でハンマーが動かされ、かんかんと硬質な音が鳴る。
「これより裁判を執り行います。これは民事裁判に該当し、個人間の係争を処理するためのものです。種族間の問題ですので人間や椅子の法律を適用するのは不適切であるため、裁判の結果は両種族の代表、また裁判長を勤めます私の評決により決められます」
水穂は思う、椅子の世界に法律などあるはずもないが、裁判長はそれがあって当然のように話している。
椅子たちはまだ生まれて間もないはずなのに、自分達の社会が何百年も続いているような落ち着きである。
あるいはそのような錯覚は人間にもあるのか。ある瞬間に思い付いた設定、それが人間世界での古代からの伝統だと錯覚することだってあるだろう。自由や平等という概念が、遥か古代から存在したと断言できるだろうか。
雑念だと判断し、頭を振る。そして裁判が開廷する。
「では椅子側代表、弁論をどうぞ」
椅子の王は数センチ跳ね上がり、いざ王の威光を示さんとして大地を踏み鳴らす。
「我は唯一無二の王である!」
「我は椅子であり、永遠であり強靭であり、無限のごとき思考の深みを持っている! 我はあらゆる面で人間よりも優れている、より優れた種が星の代表となるのが道理! よって我は人間に代わり、この星の玉座に座るべきである!」
がちゃがちゃばふばふ、と音がする。拍手のつもりか、パイプ椅子たちが互いに体をぶつけ合って音を出しているのだ。ばふばふ言うのはウレタン部分の衝突音だろう。
「よく分かりました。では人間側代表、弁論をどうぞ」
「はい」
水穂は証言台に立ち、一度大きく息を吸って、それを肺の下の方まで落とすと。
やおら拳を証言台に打ち付け、雷鳴のように怒鳴る。
「私はまず言いたい! 王さまの弁論には致命的な矛盾があります!」
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「それは、行動することです」
「行、動……?」
そうです、と電話口の父はひそやかに語る。
「流れの者との接触に一切のセオリーはありません。ただ一つ言えることは、行動すれば未来は私たちが選ぶことができる。そして、最初に未知なるものと出会えるのは行動した人です。地平線の彼方に落ちた光に向かって、真っ先に駆け出すことのできた人なのです」
「でもお父さん……。それだと、失敗することだって多くなるよ……。じっくり考えれば、正しい選択肢を選べることだってあるはず……」
「……そうですね」
何かの隔絶がある。
自分と父の価値観が離れていく感覚。父はけして自分に歩み寄ってはくれない。あるいはあまりにも遠くにいて、水穂とどれほど離れているかも分からない。
「人は、けして失敗できない。いつか訪れるであろうファーストコンタクト。それに確実な成功を、一点の曇りもない完全な出会いを成し遂げたい。その願いは理解します、ですが……」
そして父の言葉は、氷雨のような憂いを帯びる。
「ただ一度きりの出会いに、失敗も成功も、ありはしないのですよ……」




