第三十六話
「ギャルになろうかなあ」
枯滝水穂の唐突きわまる発言に、友人の晴南と美雨がぎょっとする。どちらも鮮やかな柄物シャツに膝丈スカートの軽快な姿で、長めのワンピースの水穂と対称的だった。
「どしたの?」
「ちょっと大きめな失敗しちゃって、家族と顔合わせるの気まずいの……」
友人二人は顔を見合わす。
三人が座るのはブラジルウッドの丸テーブル。赤と黒が層状になった深い色彩と、車がぶつかってもびくともしなさそうな重厚さが特徴だ。
「へー、水穂でもそんなことあるんだ」
「考えすぎじゃないのー? カスタネットのみんなは変なとこなかったよー」
「うん、私が勝手に落ち込んでるだけ、そこも含めて気まずい……」
「よく分かんないなあ」
コーヒーとケーキセットを囲んでのちょっとした集まり。喫茶ブラジルの昼下がりである。チョコソースを塗ったケーキは、思春期の女子でなければ舌がただれるほど甘い。
夏休みに入って四日目、枯滝水穂はずっと落ち込んでいた。
先日の根乃己襲撃の一件。
水穂の主観では超常存在に振り回されるばかりで何も思い通りにできず。
そして客観的には、場を引っかき回した上に役にも立ってない。
父親を呼ぶ手段である海路端苑台折り。あれをもっと早く使っておけば何か変わったのだろうか。それとも日吉町に出たのが間違いだったのか。
おそらく大して変わりはないだろうが、そんなifばかりを考えてしまう。
「それでギャルになるのー?」
「ギャルになれば遅く帰っても大丈夫かなあと」
「順序が違う気がする……」
友人二人は、やはり様子が変だと認識する。
学校では一分の隙もない優等生であり、神秘的なとすら形容されそうな黒髪の美少女、枯滝水穂。
ところが今の彼女はまるで覇気がない。
カスタネットを訪れた友人二人が水穂の様子を見て、言い知れぬ不安に駆られて喫茶店に連れ出した次第である。
昼過ぎからは客も増えるらしいが、まだ開店直後のために店内は貸し切り状態であった。
「でも落ち込み水穂ってかなりレアかもー」
「インスタにあげていい?」
「かわいく撮ってね」
「あー投げやり水穂だー、もっとレアー」
そう言ってるうちに店主の大貫がやってくる。手にはコーヒーを満たしたサーバーを持っていた。
「やあお嬢さんがた、お代わりは無料ですがいかがですか」
「あ、くださーい。ブラジルのコーヒー好きー」
「こっちもー、このチョコケーキも美味しいしー」
大貫はまるまるとせり出した太鼓腹を揺すり、満面の笑みでコーヒーを注ぐ。
「それはね、ボーロ・ヂ・セノウラといってブラジルでは定番のケーキなんだよ。1ホールにすりおろしたニンジンを一本入れてるんだ」
「えっニンジン! すごーい!」
「チョコソースもおいしいしー」
「ニンジンもカカオもブラジル産だよ。ニンジンは甘味を増すために一度干すのがコツなんだ」
ちなみに言うならコーヒーとケーキのセットは学割が効き、330円である。
「水穂ちゃんもいかが? 今日のは深めにローストしたけど実に上手くできたんだよ、豆の品質にもムラが少なくて均一な味わいが」
水穂はブラジルウッドのテーブルに肘をついていたが、その大貫をうろんげに見上げ、ぽつりと言う。
「大貫さん、日曜大工はいいけど怪我には気を付けてね」
「えっ」
どきりとした様子で顎を引き。空いてる方の手をさっと背中に隠す。
しかし考えてみれば手に怪我やマメがあるわけでもない。眼を白黒させつつ水穂を見る。
「な、なんで分かったの?」
「あそこにかかってた大ノコギリがないし」
全員がそちらを見る。
確かに、壁にインテリアとしてかけていた80センチの大ノコギリがない。代わりに民族風の仮面がかかっている。
「切りたての木材の匂いもする。塗料の溶剤の匂いも」
「う、そ、そうかな、シャワー浴びたんだけど」
喫茶店の店主なだけに匂いは気にするのか、袖の匂いを何度も嗅ぐ。しかし自分では分からないらしく首をかしげる。
「それにあっちの席にあった大きな椅子がない。模様替えって感じじゃないし、椅子が壊れたからDIYしてるんだね」
「そ、そうなんだ。せっかくだから自作に挑戦してみようかと」
置いていたのは国内で仕入れた椅子だったそうだが、中古品だったため元々座りが悪く、ついにバキリと音がしてフレームがひび割れたため、捨てることにしたという。
「でもなかなか上手く行かなくて、もう何本も木材ダメにしちゃっててねえ」
「へー、水穂すごいじゃん。名探偵」
「ほんと、コナンくんみたーい」
「コナン・ドイルって小説家でしょ?」
「そうじゃなくて漫画の……」
と、そこで晴南と美雨は顔を見合わせ、確認しあうようにうなずきを交わす。
「そうだ! 根乃己小の木工室行こうよ! 何か作れば気が紛れるよー」
「木工室?」
大貫店主が問い、晴南が説明する。
「夏休みは小学校の木工室が解放されるんですよ。材料とか近所の人が提供してくれて、何を作ってもいいんです」
「そうなんだ、根乃己っていろいろ面白いところあるよね」
「このお店の椅子作りますよ。ねえ水穂、行こうよー」
水穂はまだどこか重たげな、暗い雰囲気をまとっていたものの。
そんな気だるげな態度を取るのは失礼だと思い直し、心の中でえいと気合いを入れる。
「うん、行こう」
その木工室とは根乃己小の南西の角にあり、いくつかの立ち木の奥にあるので林の中に分け入っていく感覚がある。
校内の木はどれも古いものであり、木工室も全体が木造。広めのウッドデッキに囲まれているのは古いアトリエのようにも見えて、なかなか風流な眺めだった。
大貫は露骨に不安げだった。
「ぼ、僕も入っていいのかな」
「いいんじゃないですか」
まだ本調子ではないのか、水穂はどうでもよさそうに言う。
しかし大男である大貫が、少女三人の後について小学校に入る、というのは緊張するものなのか、大貫は色の濃いサングラスをかけ、怪しいものではないアピールのために明るい色のアロハシャツを着ていた。怪しさは減っておらず、正体不明の度合いは高まっている。
「でも水穂ちゃんって小学生だったの?」
「そうですよ? 何歳だと思ってたんですか」
心外だとばかりに髪をかきあげる。水穂は友人二人と比べても背が高く、大人びた顔に見えることが多い。
「……女子大生とかかと」
「え? 聞こえません、何です?」
「い、いや別に」
木工室は中央が広く空いており、外周に沿ってカウンターのような机と、その上に並ぶ様々な工具という眺めだった。電動の糸ノコやフライス盤、固定された万力に、金属部品が入った収納ケースなどが見える。
「ほんとに鍵もかかってないんだね……泥棒とか入らないのかな」
「根乃己で泥棒なんかありませんよ、村中にカメラが」
「え?」
水穂ははっとして口をつぐむ。
根乃己にはREVOLVEが監視を行うための有線カメラが至るところにある。それらは異常存在の監視のためのものだが、倫理的な理由により犯罪摘発にも使われる。この町で泥棒や誘拐など起こり得ないのだ。子供だけの行動に寛容なのもその辺に理由がある。
だがカメラは巧妙に隠されていて、一般人が気づくことはまずない。
大貫も何度か異常に遭遇したことはあるが、恒常性結界により記憶をなくしてると気づいた。
どうもぼんやりしていると感じる。この場には友人二人もいるのだ、迂闊なことを言わないように気を引き締める。
「しっかりしないと……じゃあ奥に材料があるはずですから、取りに行きましょ」
「材料ってどんなのかな」
それは山積みになった木材だった。すでに板材として切られており、サイコロのように小さなものや、薄くて軽いボードなどもある。掘り出した切り株がそのまま置いてあったりもした。
杉材が多いが、ナラやクヌギ、マツやサクラもあるようだ。
「すごい量だけど、タダなの?」
「そーでーす、根乃己の山から出た間伐材とか、木工所で余ったやつとかですよー」
「月に二回は木工教室もあるんですよー、うちのお母さんも通ってるしー」
友人の二人はわいわい騒ぎながら材料を選ぶ。棚を見れば端切れの布やビーズなどもあり、さらに木工やDIYに関する本もたくさんある。
「私フォトスタンド作ろうかなー」
「あーいいねー、じゃあ私は本棚いっちゃおかなー」
「根乃己の子って何というかたくましいよね……」
「そうですか?」
淡白に答えて、水穂も材料を選び始める。
「どんな椅子にするんですか」
「あ、ええとね、せっかくだから丈夫で、かつ優美なラインで色もカラフルに塗って……」
「ねえ、何あれ?」
と、晴南がそれに気付く。
「ねー何かあるよ、裏の方に」
建物の奥側にある窓、その向こうは小学校の裏手であり、山へと続く森が見えている。根乃己小学校はかなり広い範囲をフェンスで囲んでおり、裏側は散歩ができる程度の広さがあった。
そして建物の裏手、やや開けた場所に椅子がある。
「うわ、何だいあれは、大きいな」
大貫が窓に近づき、見上げるそれは高さで言えば8メートルほどもある。
太い木材で組まれた、背もたれがあるだけのシンプルで直線的な椅子。補強のためか脚と脚の間に木材がクロスさせてある。
脚には大黒柱になりそうなほど太い木材が使われているが、それでも椅子が大きすぎるために脚が細く見える。尻を乗せる部分にも幅広の木材が組まれ、建物の屋根のようだ。
水穂がぽつねんと呟く。
「巨人の椅子ですね」
「巨人の椅子?」
大貫は初めて聞く言葉だったので、首をかしげる。
だが友人二人は覚えがあったのか、窓枠をつかんで跳び跳ねる。
「あっ! 知ってるー! 福岡にあるやつだよね! 田んぼにいきなりおっきな椅子があるやつ!」
「すっごい! 根乃己でも誰か作ったんだ! これ絶対バズるやつだよ! カメラ持ってこないと!」
電磁波特区である根乃己では基本的に誰もスマホを持っていない。そのため今すぐ撮影できないのがもどかしそうだった。
「ねっ水穂、あたしちょっと家からカメラ……」
その時。
椅子がふわりと浮き上がる。
全員が眼を見張って視界を真上に振り上げる。数トンはありそうな椅子が重力を無視して飛び、サイコロのように回転しながら木工室を飛び越えているのが分かる。室内に差し込む影は踊り、ぶおんと空気をかき混ぜる音が窓をびりびりと震わせる。
そして反対側、根乃己小の運動場の方に四人が動き、そちらに向いた窓に集まる。
果たしてその巨大な椅子は、音も立てずに四本の足で着地する。降り方こそ静かだったが、その巨体の生み出す風圧で運動場の砂が巻き上がる。
そして声が響きわたる。
「我は椅子の王である」
「この日より、この星に君臨するのは椅子となる。人間どもよ、この星の玉座を明け渡すがよい」
「椅子が椅子に座るの……?」
水穂の調子はまだ戻っていない。




