第三十五話
「呪殺……そんなことが?」
あまりにもオカルトめいた響きに困惑する。
すると周囲に変化が起こる。天がにわかにかき曇り、遠雷が響いてくる。
「……REVOLVEが始まります」
「え、マジ? あの雷で町が砕けるやつ?」
枯滝路は手の中に緑の紙を出し、それを揉みほぐすように動かすと、先程の緑色のドームが出現する。
「終わるまでこの中にいましょう。その瞬間はほとんど認識できませんが、死と再生を経験するのは避けたいでしょう?」
「……REVOLVEって何なんですか?」
草苅は水穂の方に駆け寄り、その体を抱えあげて戻ってくる。
「瑛子さんから何か聞いてますか」
「……理想的なファーストコンタクトを選ぶためのシステム、って聞いてます」
雷が密度を増している。緑の結界の中では眩しさもなく、音もかなり減衰しているが、森の木々が打ち倒され、大地までが裂けていることが分かる。
「そうです、ですが地球は吟味するどころか、異常を飼いならそうとしている」
枯滝路の足元には男の死体。己と同じ顔をしている人物の顔に手をあて、その眼を閉じさせる。
「呪い、これもまたファーストコンタクトと言えます。このような異常を少数が独占し、世界を変えることを拒んでいる」
「少数が……?」
「そうです。だから私は」
ひときわ大きな雷が落ち、大地が泡を吹くように砕け、そして灼熱の溶岩が吹き上がり。
「世界の敵となったのです」
※
※
※
水田を渡る風は水の涼しさを宿し、泥と草の混ざった臭いに鼻がひくつく。
縁側でゼリーを食べるのは草苅記者、その横にはワイシャツにパンツスーツ姿の瑛子がいる。
「今回の件、最初からすべて仕組まれていたように思う」
「そうなんですか?」
自家製だというゼリーは苺の味であり、底にはドライフルーツが沈んでいる。草苅記者は木の匙をくわえて問い返す。
「でも最初に被害にあったのってagoleなんでしょ? あのラザロって人が根乃己を攻めようとして、agoleからいくつか銃を持ち出したとか」
「そもそもそれがおかしい。agoleがそんなことを許すものかしら。わざと脱走させ、根乃己を襲わせたと見るべきよ。もちろん、いつでもラザロを処分できる保険は仕掛けておいた」
あの現象。首に巻き付いた蛇の入れ墨。
枯滝路はそれを呪殺と表現したが、REVOLVEとしてはもちろん異常存在の一種と認識している。agoleに問い合わせても関知してないとの回答しかなく、原理も、仕掛けた人間もいっさい不明の異常現象。
agoleの言い分としては、あの瞬間にようやくREVOLVEのシステムが復旧、オルバース宇宙の現象が収まったのを見て、急ぎそれを行ったとのことだ。
全世界規模で起きていたオルバース宇宙の影響も、人々の記憶も生命もすべて回復した。
だが、胸の中のもやもやした感情だけは消えない。
(agoleは何を考えているの)
それは口に出さない。
(今回の件が仕組まれたことなら、いったい何をしようとしたの? 枯滝路を殺すつもりだった? 彼は唯一無二の世界の切り札。拘束はしても始末なんて……)
「草苅さん」
「はい」
「あの呪殺の瞬間は私たちもほとんどモニターできなかったの。何か……表現が難しいんだけど、何か特別なことが起きなかった?」
「報告書にまとめた通りですよ」
二日かけて書き上げた報告書は37ページにも及んだ。内容がどこかの神話のような荒唐無稽さであったが、会話も含めてすべて書き記した。
唯一、水穂の出した黒い弓を除いては。
(……あれ何だったのかしら)
折り紙で作ったように見えたが、草苅も極限状態であったために断言はできない。水穂はオルバース宇宙でのことをほとんど覚えておらず、またタツガシラ観測所もモニターできていなかった。
(……見間違いよね)
不思議な折り紙は枯滝路だけの技であり、彼を除いてこの世の誰も習得できなかったという。
たとえ肉親でも使えない。それは何度も聞かされていることだ。
「それで、路さんですけど」
空になったゼリー容器を傍らに置く。
「ほんとに帰ってくるんですね」
「そうね」
瑛子はあまり感情を見せまいとするように、素っ気なく言う。
「彼から申し出があったの。しばらく根乃己を中心に活動する、REVOLVEに協力させてほしいって」
「拘束するんじゃなかったんですか」
「敵対すればよ。味方になるならそれでいいの」
(なんか適当だなあ)
色々と事情があるのは分かる。根乃己の敵は異常存在だけではないようだ。今は枯滝路を味方につけておくべき、そういう判断があるのだろう。
だがやはり、瑛子は枯滝路と戦うつもりがないのではないか、と感じる。
「旦那さんのことって愛してます?」
「べつに」
べつに、がどこか不自然な響きにも思えたが。
自分は芸能記者ではないのだから、あまり下世話なことは聞くまい、と草苅は珍しく自分を戒めた。
「そういえば水穂ちゃんどうしたんです?」
「学校に決まってるでしょ。今日は終業式だって言ってたわね」
「学校行ってたんですね」
「あなた私の家を何だと思ってるの?」
※
「レーテくんは宇宙から来たのでしたね」
「はい」
夏草の揺れる丘の上。
山道を数十分歩いてたどり着くのは古い炭焼き小屋。その前の広くなった空間にたどり着く。
一人は白いシャツと薄手のチノパン。緑色のエプロンをつけた美青年。
もう一人はやや体つきが太いものの、整った顔と言える人物。根乃己の夏には似合わない黒スーツを着ている。
「私に何か相談したいとか」
「はい。ですが今日は、そちらの御用事を優先してください」
黒スーツの人物、枯滝路は何枚かの折り紙を片手で揉みほぐす。それは風船のように膨れて、まず頭部、胴体、左右の腕に、腰と両足、いくつかの風船を並べて人の形を作る。
また別の折り紙を作る。三角形に折ったいわゆる紙鉄砲。枯滝路は紙の隙間に円筒形のものを入れ、人形の上でパンと鳴らす。
そして紙で作られた人形は。
のっそりと身を起こして、声を発する。
「よう、お前か」
それは奥薪分校にいた男。『ワンダラー』ラザロの声だった。分校にいたときとは違い、南部訛りの混ざった英語になっている。
「おや、なんだ、体が紙じゃないか」
「あなたは死にました。今のあなたは、残されていた止まらざる心臓の銃弾から生み出した仮の生命です」
「そうか、弾丸が効果を発揮しなかった覚えがあるな」
「はい、銃弾はREVOLVEによる破壊の瞬間、心臓から抜き出しました」
紙人形の声には動揺のかけらもない。己の死もあっさりと受け入れ、紙風船の顔を揺らして笑う。
「はっ、なるほどな。ミチ・カレダキは異常存在を集めてると聞いていたが、それはつまり、見てきた異常存在を折り紙の技術として取り込める」
「全てではありません。止まらざる心臓も再現はできていない。残された弾丸を利用しただけです」
「俺に何をしたんだ。なぜ弾丸が作動しなかった」
「おそらくは、あなたに仕掛けられた高位の異常存在」
死体に刻まれていた、蛇の入れ墨の話をする。
「下位の異常を打ち消し、強制的に死を与えるような仕掛け。あなたはそれを埋め込まれていた」
「なるほど、どうりで急に警備が緩んだと思ったよ。俺は泳がされていたわけか」
「誰かに命令されたわけではないのですか」
「違う。すべては俺の意思だ。操られていた、などと思わせてくれるな」
レーテはといえば、背後でじっとそれを聞いている。彼の気配は夏草の一本より乏しく、紙人形となったラザロも気にする様子はない。
「何を求めていたのですか」
「家族だ」
紙人形となった体には躊躇や葛藤が薄いのか、言葉はするりと出てくる。
「REVOLVEに捕まった時、お前といくらか話をしただろう。日本に家族がいること。娘がいることをな。俺は知りたかった。REVOLVEの誰もが恐れる怪物。世界を変えるほどの異常存在の家族とはどんな連中か、と」
「……それだけのために、オルバースの銃を持ち出したのですか」
「お前を殺せる手段があるとすればそれだけだ。オルバースの銃があれば、俺はお前と同等の異常となれる」
「……なぜそこまで。あなたはさほど悪質な能力者ではなかった。金銭的被害も1万ドルを超えておらず、一度知り合いを買って妻としたときも、すぐに別れている」
「自分の意のままになる人間というものに耐えられなかった。本来、俺はその程度の人間だ。だがREVOLVEにいて、実験の手伝いをさせられ、さまざまな異常に触れるうちに俺は変わっていった。心が荒廃していったのだよ」
「荒廃とは」
「異常存在の神秘性。世界を変えられる力。この人間の世界というものがどれほど風前の灯か、あやういバランスの上に成り立っているか、知れば知るほど足元がぐらつく。不安でたまらなくなる。世界が変わる不安ではない。世界がそれを見逃し続けていることへの不安だ。お前のことだよ、ミチ・カレダキ」
「……」
「世界を滅ぼせるほどの異能があるなら、なぜ滅ぼさない。なぜ人間の世界にいようとする。家族がいるからか? 俺はそれが知りたかった。人間を超えているお前が人間の世界にいる理由、それを手に入れれば俺も、この不安を忘れられるのかと」
そこで紙人形は動きを止め、やや気だるい空気を出して弛緩する。その手足の紙風船はしぼみ、皺がより始めている。
「下らないな、俺に恨み言を言わせるために生き返らせたのか」
「そんなことは……」
「ミチ・カレダキ。REVOLVEは腐っている。それは分かっているだろう」
「はい」
静かに、しかし間髪入れず答える。
「REVOLVEは間違っている。だからいずれは壊します」
「期待せずに待っているとしよう。冥界とやらでな」
路はパンと手を叩き、瞬間、すべての紙風船が消え失せる。
「……ラザロの襲撃は計画的なものかと思いましたが、彼は何も知らなかった。いったい何が起こっているのでしょうね。agoleと根乃己にもはっきりと対立が、あるいは断絶が生まれつつある……」
「路様、終了いたしましたか」
「ええ、もう銃弾はありませんが、一応言うなればこんなことはこれっきりにしましょう。死者を起こすなど、やはりやるべきではないと感じました」
「いえ、今のは」
レーテはあらぬ方を向き、鳥に言うように声を出す。
「腹話術です。糸により紙人形を操演、それによる一人二役。完全な作りごとと言うより、ラザロ氏の人格に成りきり、その思考をトレースするためのアプローチと推測されます」
長めの間。
「…………え?」
きょとんと、この超然とした印象だった枯滝路が眼を点にする。
「いえ、今のは死者の魂を……」
「ありえません。非科学的です」
「……あなたは原子レベルの観測ができると聞いてますが、いま私は糸なんか……」
「現在、私は人間レベルの観測器しか使用しておりませんが、先ほどの推測は妥当と考えます」
非科学的とかありえないとか、まさか宇宙人に言われるとは思ってなかったのか、枯滝路は困惑を見せたものの、ややあって肩をすくめる。
「レーテくんは、もしかして気難かしい方ですか?」
「私は気難しくはありません」
ぷいと振り返り、根乃己へと降りる道を下っていく。
「用がお済みなら帰りましょう」
「ええと、レーテくん、私に相談があるんでしょう?」
「そのうちお話しいたします」
「何か怒ってます?」
「いいえ、ただ水穂さんが危険な目にあったと聞いているので。憤りを態度で示しています」
「え、そこ……?」
「今朝もずっとふさぎ込んでました。あなたのせいです」
「そんな」
流れの者と、それを迎え撃つ人類の切り札。
上手く行く方がおかしいと言えばおかしい二人は連れだって歩き。
そして根乃己に夏が来る。




