第三十二話
※
「機動部隊「壬」通信途絶しました」
淡々と報告が上がる。
根乃己の各所を映したライブカメラは半数が機能停止しており、残りの半分は惨憺たるありさまだ。
飴のように溶けて水田に広がる輸送ヘリ。
多数のピンポン玉が食い込んでいる高射砲。
全身が風船のように膨らみ、民家の上空に浮いている職員。
五人小隊にて展開させた機動部隊たち。それはいずれも活動を停止するか、連絡が途絶えている。
「本職の特殊部隊でないとはいえ、早すぎる……」
彼らは超法規的措置により武装を許されているだけで、訓練を受けた軍人ではない。さらに言うなら米国本土には異常存在に対抗するための部隊もあると聞くが、日本にはそのノウハウは一切渡されていない。
だからといって、むざむざやられる弱卒ではないはずなのだが。
「根乃己の基刻網恒常結界が効いてない……かなり高位の異常物体を持っている……」
瑛子は爪を噛みつつ手元のコンソールを操作。好き勝手にやられているのに、まだ敵を補足できていない。焦りばかりがつのる。
「所長、アーグルトン主導のREVOLVEを具申します」
職員の一人が進言する。彼らにも焦りがあるのだろう。
死ぬのならまだいい、REVOLVEでも修復できないほどのダメージを世界が、あるいは自分が負ったら、という可能性が職員の中にも広がっている。
「……衛星が落とされてるのよ、どうやって連絡を取る気。恒常性結界は電離層の範囲に食い込んでる、短波通信も使えない」
「恒常性結界を解除しましょう」
ぴり、と緊張の走る気配が。
「地下ジェネレータへの回路を物理的に断絶すれば、160秒後に恒常性結界は消滅します。電波を使ってアーグルトンに呼び掛け、REVOLVEを行います」
「ミスターケルフェン」
進言した職員の名を呼び、左右の二人がさっと立ち上がる。
「今の発言は根乃己の安全を脅かすものと判断します。指揮官権限であなたを拘束、営倉へ」
「所長」
抵抗は見せない。左右から腕を捕まれ、素直に連れられていく。
「……アーグルトンがここの動きを察知してないはずがない。REVOLVEをやるのならとっくにやってるはず」
では、なぜ行わないのか。
おそらく、ギリギリまで見極める気なのだ。
Agoleと根乃己が落ちるとは、すなわち軍事的空白を意味する。
世界に起きる決定的な変革に対して、アメリカがその主導に立てない可能性が生まれる。それを手ぐすね引いて待っている。アーグルトンの本意はそんなところか。
「それに、本当の意味での奥の手は米軍も持っている」
それは例えば、高々度超音速機による根乃己への核攻撃。
あるいはアメリカが秘匿している超常存在の行使。
(それでオルバースの銃に勝てれば、という前提はあるけど……)
ライブカメラを見渡す。兵力は残り少ない。すべてを本部の防衛に回すよう指示する。
「でも妙ね……。こちらの兵力をじわじわと削るぐらいなら、さっさと攻め込んでくればいい。時間を置けばagoleのシステムが復旧するか、米国が奥の手を考慮する可能性もある……」
「根乃己にある異常存在の奪取が目的でしょうか」
「奪取……」
(超常存在を持つ相手ならそんな必要はない……。つまり、目的が何かの奪取である場合の想定は必要ない……)
(ではなぜ本部に攻めてこない。土地勘がないの……? 本部の場所を知らない? ならそもそも根乃己の存在を知っているのは不自然……)
(あるいは、何かを待っている……あるいは、誰かを)
「そう……そもそも、犯人は誰なの?」
一人言とも呼び掛けともつかぬ言葉、白衣を着た数人が振り返る。
「agoleを襲った以上、かなり高位の異常存在を持っているか、本人が異常存在であるはず……」
「米国は、ミチ・カレダキだと推測しています。通信途絶前に、確かにそのように」
誰かが、何かの義務のようにそう言う。
もちろんそれは周知されている。今の発言は、瑛子がその可能性を排除することは許されない、と釘を差したものだ。
「……米国は、なぜそんなことが分かるの? 枯滝路がそう簡単に姿を晒すとは思えない。確かにagoleに侵入できるほどの異常存在となれば世界に何人もいない。現在、把握できているのは一人しかいないけ、ど……」
(違う)
(把握できているのが一人なだけで、彼に匹敵する能力者が存在してない保証はない)
(そう……私たちの仕事において推測はタブーのはず。なのになぜ米国は推測したの? 確たる証拠があるならそれを示せばいい。枯滝路の国籍は日本にある。下手をすれば米日間の問題にもなるのに……)
「……ミスタージェルヴォード、ミスター橘、QRファイルを所長権限により解放します。この場で検索を」
QRファイルとは、REVOLVEが蓄積してきた異常存在についてのデータベースである。極秘ではあるが、所長権限があれば閲覧が可能となる。
「今からですか、一体何を」
「いいから検索して、まず『Mrファイア・ホーネットの銃砲店』についてのファイルを……」
※
防火水槽というのは草にまみれた林の中にあり、古い給水タンクを地面に埋めているだけのようだ。
「マンホールでフタとかされてなくてよかったわ。とりあえず服は思いきり絞って着ましょ」
「はい」
多少ごわつくが、日はかなり高くなっており、木陰にもむっとするような熱波が来ている。ほどなく気にならなくなるだろう。
「草苅さん、軍人みたいな人がいたんですか?」
「そうよ、迷彩服ってだけだけど、たくさんの銃で武装してた」
「じゃあやっぱり、犯人はお父さんじゃなかった。お母さんに知らせないと」
水穂はそう言うが、草苅はふと疑問に思う。
「でも、私は路さんの顔知らないし、銃を持ってたってだけじゃ」
「ううん、お父さんの折り紙はそこらへんの異常存在より強いもの。世の中には途方もなく強い『銃』の異常存在もあるって聞くけど、それは世界に一つだけ。だから銃をたくさん持つのはおかしい、お父さんじゃないよ」
道理である。それにどんな意図があるにせよ、娘の水穂を気絶させて水に放り込むのはやり過ぎている。
だから、父ではない。
なぜか、その演繹に不吉な予感のようなものも感じるが、それはひとまず無視する。
「うわあ、荷物もびしょびしょ……ドロもついちゃってるよ……洗って落ちるかなぁ」
「……」
そういえば、と思い至る。
(水穂ちゃんが持ち出してる折り紙、もしかして使えなくなったんじゃ)
(まさか、それが目的……?)
その時。
だあん、と銃声がとどろく。
「! 水穂ちゃん、しゃがんで!」
すでに水穂は身を屈めている。その眼球があちこちに向けられ。
「運動場の方!」
水穂は弾かれるように駆け出す。草苅はまさか迷彩服の男と戦う気かと仰天したが、さすがにそこまではなかった。建物の角に貼り付いて様子をうかがおうとする。
「ちょっと水穂ちゃん、危ないわよ、逃げるんでしょ」
気配を悟られまいと、そっと歩いて細い声を飛ばす。
だが。
「あ……」
水穂の顔がぱっと光るような感覚。眼が丸くなって濡れていた顔に赤みがさし、乱れた髪を直すこともなく建物の影から出ていく。
「ちょっ?! 水穂ちゃん!」
草苅はとっさに肩を掴もうとして、叶わずに物陰からまろび出てしまう。
それは草がまばらに生えた運動場。
その中央に男がいる。迷彩のズボンと灰色のジャケット。
砂色のシートが敷かれ、複数の銃器が置かれている。
男の足元には黒のアタッシュケース。
そして男が持つのは、バレルの長さが4メートルはある巨大な狙撃銃。草苅に銃の知識があれば、M16のカスタムかと思うだろうか。
「お父さん!」
水穂がそう呼び掛けたので、草苅はぎょっとする。
「え、お父さん……って」
顔を見る。撫で付けられた黒髪に、平均的な目鼻立ち。どこか印象が薄いのは、仏像のように穏やかな顔をしているからか。
結んだ口と細められた眼には感情が乏しく、目の前のことに動揺するまいとする意思を感じる。
「二人とも、水から出たのかい」
声にも抑揚が乏しい。彼は銃を構えており、銃口は垂れ下がって斜め下を向き、あろうことか地面に接している。
引き金を引く。
だん、と響く銃声、しかし地面と接した部分には煙ひとつ立たない。
草苅はやや慎重に聞く。
「な、何をしてるんです?」
「カタログナンバー29、許されざる狙撃手の遺品」
手元の銃に言い聞かせるような口調である。
「スコープを覗いていると、近くにいる人間から順に照準が合うのです。照準は一秒ごとに切り替わるから、狙う相手を間違えないようにしないとね」
そして胸のケースから銃弾を。
「これはカタログナンバー77、終わらざる恨み。この銃弾で撃たれた者は絶対に死にませんが、超常的な変化が起きて行動不能になる」
「お父さん、どうして根乃己を襲うの。その時が来たってことなの?」
(本物なの……?)
言葉が脳裏を流れる。
この人物が抗異化因子存在。世界で唯一、流れの者に対抗できる能力者。
枯滝瑛子の夫であり、水穂の父親。
世界の敵。
「……」
草苅はそれらの言葉を頭から追い払い、とにかく問いかけてみる。
「あの……あなたの能力は折り紙じゃないの? なぜ銃を使うの?」
「折り紙、あれは確実に根乃己を落とせるものではないんです。だから武器を調達しました」
「お父さん」
水穂がそのそばに寄ろうとして。
がし、と草苅が肩を捕まえる。
「待って、水穂ちゃん」
「草苅さん……大丈夫だよ。お父さんだよ」
「枯滝路さん。あなたさっき私たちを撃って、水に放り込んだでしょ。あれはどういうこと」
「根乃己が戦場になるんです。爆撃される可能性もありました。水の中なら安全だし、息もできたでしょう? カタログナンバー11、肺魚銃の力です」
「説明もせずに?」
「時間がなかったんです。根乃己には機動部隊も、ロボット兵も展開されていましたからね。本当は戦いが終わるまで入っててもらうはずだったんですが」
「……」
「草苅さん……」
水穂とは眼を合わせない。
枯滝水穂は戸惑いながらも、立ち位置はすでに草苅を説得する側になってるようだった。彼女の濡れたシャツを引いて言う。
「大丈夫だよ。お父さんは無闇に人を殺したりしてないって言ってる」
「根乃己を襲ってるのは事実よ」
「それは仕方ないことだよ。根乃己が正しいのか、お父さんが正しいのかは誰にも分からない。お父さんも根乃己も、法律とか関係のない場所にいる。正しさで対立するなら、戦うしかないんだよ」
なんて理性的な響きだろうか、と草苅は思う。
ひどく落ち着いていて淀みない言葉。水穂の言う意味はよく分からないが、子供らしからぬことを言ってるのは分かる。
そして草苅は。
「信じられない」
それは、言ってみれば女の勘というもの。
直感が囁いている。この場には大きな偽りがあると。
「あなたは水穂ちゃんのお父さんじゃない。私は信じない」
迷彩服の男は狙撃銃から眼を外し、初めて草苅の方を見た。
「なぜ信じられないのですか? あなたと私は初対面だ。肉親の水穂が証言しているのですよ」
「私たちは一度気絶した」
とっさに出た言葉だか、それはどこかに通じている気がした。直感のままにその道を辿る。
「そう、私たちは一度気を失った。その時に、その酸素をどうこうする銃の他に何かで撃たれた可能性がある」
「何か、とは?」
「たとえば、撃った相手を肉親だと思わせる銃」
男の表情は変わらない。つまらない紙芝居を見るような、色彩のない表情をしている。
「それを水穂ちゃんに撃ったとすれば」
「馬鹿馬鹿しい。そんな銃など」
「正解です」
声は後方から聞こえる。
奇妙な感覚があった。その声は目の前の男とほとんど同じ声だったからだ。
「カタログナンバー62、聖家族贖罪拳銃。撃たれた相手を射手の肉親と思わせる銃です」
草苅は振り返る、黒いスーツにブラウンの革靴。
瞬間、迷彩服の男が立ち上がる。
ただならぬ殺気が吹き出し、彼は飛び退くように距離を取った。
「ただし、そちらの方は、姿まで私と同じにされてるようですが」
(あの人が……)
枯滝路。
この世界の切り札。
そして、世界の敵。




