第三十一話
※
根乃己の村にサイレンが響く。
風に乗って、雲の高さをたなびくような音。
それは村全体への戒厳令を意味する。すべての住民は点在するシェルターか、REVOLVE関連施設へ避難する。これはREVOLVEについて知らない村民であっても、古い鉱山跡からの有毒ガス漏出という形で周知されている。
「竜興様、シェルターへ避難してください」
エプロンを壁にかけたレーテがそう促す。竜興老人は縁側で水田を眺めていた。丈高く伸びた青い稲は、もうじき金色に染まり始めるだろう。
「うむ、この近くじゃから第17避難壕になるのう。車を出すからお前も乗っていけ」
「はい」
「いま客はいなかったはずじゃが、念のために店を見てこい」
「分かりました」
レーテの能力なら探索など一瞬だろう。即座に自分を連れて避難することも可能だが、それは言い出す素振りもない。自分が宇宙人であることを思い出すまいとしているかのようだ。
シーツが風にはためくような音。遠い空に兵員輸送ヘリが飛んでいる。カモメのような小型機がヘリに追随している。ドローンによる遊撃兵器だろう。
庭の中央から伸びてくるものがある。
それはコンクリートの柱。側面に鋳鉄の棒が貼りついており、電柱が一定の高さに至ると、棒が横向きになって一般的な電柱の姿となる。
カスタネットだけではない。道の端、水田の中央。山のあちこちにも電柱が生えてきてるのが見える。それはガス圧でケーブルを射出し、寸分の狂いもなく隣の電柱に着弾。電柱同士が網目のようなものを構築していく。
「竜興様、店内にお客様はおられませんでした」
レーテが戻ってきて、老人はうなずく。
「よし、シェルターへ行くぞ。まもなく根乃己は戦場になるからの」
「はい」
と、レーテは視線を遠くに向け、ガラスを思わせる透明な声を放つ。
「竜興様、あの電柱を知覚できていますか」
「できとるよ。あれは異常存在ではない。根乃己が用意しとる防衛システムじゃ」
「そのようなものが」
「基刻網恒常結界と言う。電算の多い場所では異常存在の影響が弱まることを利用したシステムじゃ」
トラックを運転するのは竜興である。
ふと脇を見る。レーテはきちんと乗り込んでシートベルトを締めている。彼がいつそこに座ったのか記憶がない。時間を飛ばすかのような存在感のなさは、彼が人間ではないからだろうか。
「原理は凶兆の天秤の逆じゃよ。あれは自然乱数の異常を検知するが、あの電柱は能動的にまっとうな乱数を生成し、根乃己の全体を行き来させることで異常を抑える。いわゆる超能力者が、それを信じない人間の前、あるいはテレビ中継の際には力が出しにくい、という話に似ておる」
「そのような論理が、存在するのですか」
「この根乃己では、じゃがのう」
レーテはやはり気落ちしていると感じる。少し前ならば、このような話が出たときは「論理的ではありません」とでも言いそうなものだ。
「……レーテ、おぬし力をセーブできるんじゃろ」
「はい、今現在も」
竜興老人は緩やかにカーブを曲がりつつ、フロントガラスからの木漏れ日を浴びて言う。
「では、能力をダウングレードできんのか。人間並みの能力に落とせばええ、不可逆的にな」
「……え」
人間並みの思考クロックになっているためか。あるいはレーテであっても慮外の提案だったのか、無意識の声が漏れる。
「人間になってしまえばよかろう。それで悩みなどなくなる。路のやつに会う必要もない」
「ですが、私には究明せねばならぬことが」
「宇宙の命題、己の使命、そんなもの知らずに終わる人間の方がずっと多い。人生などそんなものじゃ。おぬしが流れの者であろうと、人の姿をしているなら人として生きてなぜ悪い」
「……」
やがて軽トラは止まる。カスタネットから5分あまりの農作業小屋である。
「ついたぞ、降りろ」
「はい」
小屋の裏手には鉄板が敷かれており、そこを開けば地下への階段である。シェルターとしては古いもので、戦後すぐ、根乃己が作られた頃からあるという。
根乃己に何度の有事があったのかは竜興も知らず、ただの地下壕がどれほど役に立ったのかは知るよしもない。何もかもすべて気休め、という言葉が階段の奥に見え隠れする。
「それは、竜興様が望むからですか」
階段の最初の一歩を降りるとき、背中にそのような声が。
「私は、枯滝路様に会うべきではないと……」
「無駄なことよ」
レーテの方は見ずに、声にも何の色も込めずに言う。天気について語るように自然で、さりとて一部の隙もない強い語意、そんな奇妙な一瞬。
「お前が路に会おうが会うまいが、この村は何も変わらん。路のたくらみは何も成就することなく、お前が人間にならぬなら、いずれはREVOLVEで排除される。そう決まっておるのじゃ」
「なぜです。どんな人間にも幼年期の終わりが来るように、地球もいずれはファーストコンタクトを迎えるはず。私がそれを務めてはいけないのですか」
「誰もそんなことを望んでおらん」
空を見上げる。
「空飛ぶ円盤。地底からの侵略者。あるいはタイムマシンを生み出した未来人。なぜ人はそれを想像するのか。出会いたくないからよ。出会う日が怖くて怖くてたまらぬから、自ら想像して打ち消そうとしておるのよ。非科学的、稚拙な妄想、わざわざ地球に来る理由など何もない、そう心中で繰り返しておる」
「そんなことはありません。地球人はSETIにより地球外文明を探しています。宇宙開発も」
「それが地球の総意だといつ確認した。何も望まぬ者もおる。ただこの星で、種としての寿命の尽きるまで平穏の世界にいたいと、そう考える者もおるはずじゃ」
「そんなことは……」
鳥が飛び立つ。
水田に群れていた水鳥が、やや離れた林にいた小鳥たちが一斉に飛び立った。レーテは一瞬、全身を硬直させて気を落ち着ける。群体であるレーテが、己が拡散しかかったことを危ぶむ。
「さあ、話は終わりじゃ、行くぞ」
竜興老人は、明かりもつけずに階段を降りていく。
「壕では仲間割れはご法度じゃ。中では余計な話はするな」
「はい」
レーテが、少なくとも表面的に落ち着くまで数秒。
彼は人間並みの視力のみを使って、壁に手を突きつつ階段を降りた。
※
がぼ、と口から息が漏れ、大量の気泡が登っていく。
ふいに眼を開ける。視界は歪んでいる。右方に光源を感じるが、ほとんどまともにものが見えない。
(沈められてる)
腕が後ろ手に縛られている。両足首もだ。
手首のロープはまっすぐ真下に伸び、仰向けの姿勢で真上を見ている。己が水の底に沈んでいると理解し、瞬間的なパニックでさらに気泡を吐き出す。エビのように背中をしならせて暴れる。
(やば、これ、死)
焦りが脊髄をかけ登り、脳がかき混ぜられるような混乱と焦燥。
どん、と脇腹を蹴られた。
「いった、何よ」
言葉はすべて泡に変わる。
歪んだ視界の中だがそれは見えた。灰色のジャージ姿の少女と、その少女が口にくわえたペンライトだ。
「水穂ちゃん」
そしてそろそろ奇妙に思い始めてきた。目が覚めてから数十秒経っているのに、まるで息が苦しくならない。口から出てくるあぶくはスキューバダイビングの数倍もあり、これだけの息が肺に入っていたとは信じがたい。
息を吸ってないのに、吐くだけはできる、そんな奇妙な呼吸をしている。
水穂も自分と同じような状況のようだ。背中で手。そして足首を縛られている。
手首は麻縄で縛られていて、それが下方でコンクリートブロックに結ばれている。
水穂は壁面をどかんと蹴る。ここは円筒形の空間であり、壁面は鉄でできていた。
「水穂ちゃん、どうしたの」
その水穂は水中で立ち上がり、両足を縛られたままでコンクリートブロックを蹴るように動き、ずりずりと動かす。
そして鉄板の壁面に口を当てる。
「あ、そうか」
草苅もそれにならう。互いに細かい表情など見えないが、草苅も壁面まで移動し、鉄の壁に耳をあてた。
「草苅さん、聞こえますか、どうぞ」
「はい、聞こえます、どうぞ」
鉄板に口を押し当てて、息を吐きながら話し、また鉄板に耳をあてて音を聴く。面倒なやり取りではあったが、どうにか会話は成立した。
「水穂ちゃんも無事みたいでよかった。でもなんで息ができるのかしら? どうぞ」
「あの銃です。あの迷彩服の人が持ってた銃には『Sauerstoff』と書いてありました。ドイツ語で『酸素』という意味です」
そういえば、自分も水穂も撃たれたはずなのに、服に穴すら空いてない。
「つまり、周辺から酸素を集めて銃弾にして、相手の体に打ち込む銃じゃないでしょうか、どうぞ」
「空気を銃弾サイズにしたってたかが知れてるでしょ? どうぞ」
「異常存在ですから、そのへんは疑問に思っても仕方ないです。周囲が完全に酸欠状態になってましたから、一発で数十立方メートルはあるのかも」
そのために息ができるのか。兵器というよりは便利アイテムのような銃である。
だんだんと阿吽の呼吸ができてきたのか、普通の会話のように言葉を交わせる。
「ここって何なの?」
「防火水槽です。あちこちにあります。深さは四メートルほどありますね」
コンクリートブロックに繋がれた麻縄は1.5メートルほど。後ろ手に縛られているため、結び目をほどくことができない。
「草苅さん、なんとか足でほどけませんか?」
「ちょっと無理かも……ジーパンで足を動かしにくいし、ブーツが脱げない」
草苅はくるぶしまでの編み上げのブーツをはいていた。水穂はスニーカーであるが、山登りのために靴紐を固く結んであり、容易には脱げない。
「なんで面倒な縛り方を……」
そういえば、と疑問が浮かぶ。
自分たちを殺したいなら、周囲を酸欠にしたまま放っておけばいい話だ。
なぜ縛って水に放り込む必要があるのか? 異常存在によって呼吸が可能になるようにしてまで。
(閉じ込めて……何の意味があるの?)
(私たちを隠したかった……?)
水穂はというと、違うことを考えていたようだ。ちらりと草苅を見て言う。
「草苅さん、歯って丈夫ですよね」
「丈夫だけどロープ噛み切れってのはきついわよ、綿のロープとはいってもビーバーじゃないんだから」
がぼごぼと泡を昇らせつつ抗議する。
と、水穂はそこで身をゆすり、斜め下に視線を投げる。慣れてきたのか、だんだんと細かな表情も見えてきた。
「……最後の手段が、あるにはあるんですけど」
「なになに?」
「風船を作るんです。一般的なコンクリートブロックが10.3キロ、平均的な女性の浮力は4キロほどですから、空気を7リットルほどためた風船を作れれば、浮いていきます」
「はー、なるほど、で、どうやって風船を作るの?」
「ズボンのすそを縛って作るんですけど」
「うーん、ちょっと無理かも、足首を縛られてるし、脱げないし縛れない」
しかも都合の悪いことにダメージジーンズである。ダメージ部分から空気が漏れてしまう。
「水穂ちゃんのジャージは?」
「足首が縛られてて脱げません。逆立ちして襟から吹き入れる手もありそうですが」
7リットルを溜めようにも、腰から空気が漏れるだろう。
「困ったわね、上着も首のとこから空気が漏れるし……」
「……あのですね、それで」
「何よ、脱出のためでしょ、何だってやるから何でも言ってよ」
「その、つまり、肺に空気を貯めるだけだと足りないし、胃に吹き込むのは難しいので……」
そして水中だと分かりにくいが、耳まで赤く染めて、そっと言う。
「その……腸に……」
「……」
提案を受けて15分後。
死にものぐるいで草苅がロープを噛み切り、二人はなんとか脱出したのだった。




