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カスタネットへようこそ  作者: MUMU
第五章 折り紙細工とオルバースの銃
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第三十話





遠い日の記憶。


それは夕日の世界。

畳に寝そべって紙を折る。あらゆる影が壁を這い登り、生命を得て踊る刻限。


部屋中に散らばる千代紙。部屋はお城の舞踏場のように広く思えて、天井は空の高みのよう。

あらゆる色彩の紙が床一面に散らばる。新聞紙もあればボール紙もあり、父はちゃぶ台の方に向いて、白い紙を丁寧に折っている。


父が何かを見せてくる。


それは透明な球体。水晶玉のように向こうが透けて見える。ふすまの輪郭が曲線に歪む。


目隠しゃかく折りと名付けたんだよ。


父はそう言って、私の前でもう一度同じものを作る。


だが、私には分からない。


父の指がどう動いているのか、眼では追えているのに、何が起きているか分からない。

私はふるふると首を振り、父は寂しそうな顔をする。


父の手が折り紙に触れると、それは透明な球となる。

そして世界から消える。

屈折率も反射率もゼロに近づくのか、あるいはこの世ではないどこかへ去ってしまうのか。


私には何もわからない。


私だけではない。誰にもそれは分からないのだと。幼いながらにそれを思う。


父は誰からも理解されず、いつも一人で、どこに行き着くのか誰も知らない。


そして世界は。


そんな父を、許しはしない。







けもの道と見まごうばかりの、茶色の蛇のような道。ジャージ姿の水穂は姿勢を低くして走り、草苅記者が木の枝を払い除けながら追う。


「水穂ちゃん! 待ってってば!」


草苅記者はよく走れている方だった。もう少し注意深ければ、水穂が何度か振り返りつつ、草苅が見失わない速度を保っていることに気づいただろうか。


ふいに視界が開けて、土のむき出しになったグラウンドが見えた。土の坂はいつの間にか石段に変わっている。まろび出るように広場に着地。


「っと、あれ、ここどこ」

「根乃己小学校、奥薪おくまき分校です。もう廃校になってますけど」


なるほど、背後は切り立った山、前方には根乃己の水田が一望できる。山の中腹にある校舎のようだ。

すぐ横には水穂がいる。汗だくの草苅記者とは対象的に涼しい顔だった。


「水穂ちゃん!」

「根乃己が攻撃されてるなら放っておけません。私も戦います」


その言葉に、草苅は一瞬きょとんとした顔になる。

そういえば、枯滝水穂はそもそもなぜ根乃己に戻ろうとしたのか。

戦う、という言葉が反響する。


「え、戦うって、戦えるの……?」

「さっきの見たでしょ。お父さんの残した折り紙がありますから」


また別の疑問が浮上する。


「でも、犯人は枯滝路さんかもしれないって。そうだとすると、その折り紙を作った人……」

「なおさらです。私ならお父さんを止められるかも」


その答えについてはどうも気持ちが入っていないと感じる。

父親が犯人と信じていない、と言うよりは、その可能性を考えまいとしているように思えた。


「そういえば……お父さんが根乃己にワープしてくる手段があるって言ってなかった? それで呼べばいいんじゃないの?」

「……」


水穂は先ほど見せたルーズリーフを取り出し、かるく振る。

すると、それは縦長にほぐれていき、ビニルテープのような白い帯となる。

水穂は少し歩き回って、グラウンドの中でも草のない場所にそれを広げる。帯はぴたりと端と端がくっつき、円形となった。


海路端うちばた苑台えんだい折り……。お父さんは世界のどこからでもこの輪に飛んでこれます。でもこれは一方通行で、こちらから行けないんです」

「じゃあ、それを使えば……」

「……もし、お父さんが犯人だったらと思うと……」

「あ……」


草苅は少し心を痛める。

この装置を使って呼び掛けたなら、この事態の犯人が父親なのかどうか確定してしまう。

もし、父親が呼び掛けに応じなければ。


「……ん?」


ぽん、と疑問符が耳から飛び出して、そのへんを跳ねながら草むらに消えた。


この装置を使って、父親が来てくれればよし。

来なければ、犯人が父親だとほぼ確定する。


それがどうした・・・・・・・


「水穂ちゃん、あなた……」


水穂はぷいと視線をそらし。

距離を取ろうとするその肩を、草苅ががしりと捕まえる。


「ノープランね!」

「ええと、その……」


枯滝水穂にはあまり見られない事ではあったが、両手の人差し指を合わせて弱り顔になる。


「お父さんの折り紙はたくさん持ってきてたし、行けば何とかなると」

「何とかって何! 何をどうするのが解決なのか分かってないでしょ! 私も分かってないけど!」

「心配だったんですよ……。レーテの謹慎は解けてるけど、前よりも物静かになって、能力もほとんど使わなくなったし、根乃己にはお母さんもお爺ちゃんもいるし」

「だからってこっちに来てどーすんのよ! いや、それ以前にお父さん呼べるならとっとと呼ぶべきでしょ! 来てくんなかったらそんなもん仕方ないでしょ!」

「ううん……」


水穂はその場にかがみこみ、いじけたように土を指でいじりだす。


草苅は肩で息をしながら、あきれた様子でため息をついた。


だが、同時に水穂の認識を改め、少し安心したような気もする。

結局のところ、父親が根乃己に攻め込むと聞いて、いても立ってもいられず乗り込んできただけなのだ。そのような直情傾向、子供らしく後先考えない部分が水穂にもあったのだと、笑みが浮かぶような心境でもあった。


「でももし……お父さんが犯人じゃなくて」


水穂は、それはあまり言いたくないことなのか、土中の蟻に言うような小声になる。


「それでも、助けに来てくれなかったら……」

「……」


草苅はやれやれと腰に手を当ててから。水穂のそばにしゃがみこむ。


「そんなことないわよ。必ず来てくれる。この事件だってお父さんが犯人のわけない。もし万が一そうだとしても、何か事情があるはずよ」

「草苅さん……お父さんのこと知らないでしょう?」

「あら、よく知ってるわよ」


え、と水穂が眼を見開く。

その額を、草苅の細い指が突いた。


「水穂ちゃんのお父さん、それだけで十分でしょ。水穂ちゃんはいい子だし、お父さんを慕ってる。悪い人のわけないって」

「……うちは結構複雑で、そんな簡単には……」


だが、草苅記者の言葉に救われる気もした。回りの大人たちは父については腫れ物に触るようで、母の瑛子もあまり話題にしたがらない。

そんな中で水穂を通してとはいえ、善人であると信じてくれることが嬉しかったのだと、水穂は自分でも自分の心境を意外に思う。

同時に、いじいじと迷っていた自分を恥ずかしくも思った。混乱のままに根乃己まで来たものの、何をするべきか、どこへ向かうべきかは一寸先も見えないままに走っていたのだ。

やるべきことなど、最初から一つしかなかったのに。そのために日吉町まで出ていたのに。


「分かりました、今からお父さんを呼びます」

「うん、それがいい」

「草苅さん、ライター持ってますか」

「ライター? うん、あるわよ」

「よかった、途中で調達できなくて困ってたんです。あの装置は燃やすことで起動するんです」

「そうなのね……て、まさか」


十分前を思いだし、ようやく理解する。

水穂を追うとき、彼女は互いに見失わない程度の速度で逃げていた。それはライターが欲しかったわけだ。


「ライターぐらいどこにでも売ってるでしょ、コンビニとか」

「コンビニにあるんですか?」


今度こそ、草苅は口をあんぐりと開けて。

そして一瞬後、腰を曲げて盛大に笑う。


「し、知らないんだから仕方ないでしょう」

「いや、ご、ごめん、み、水穂ちゃんって普段めちゃくちゃしっかりしてるから、ふふ、ギャップが……う、くく」


途中でジャージを調達できているのに、ライターは手に入れられなかったとは。これは将来、回顧録を書くときに入れるべきエピソードだな、などと思う。


ともかく草苅は胸ポケットからタバコの箱と、ライターを取り出した。


「はいこれ」

「ありがとうございます。さっきの狐のやつ使おうと思ってたんですけど、あれ貴重なものだし、一枚しかなくて」


などと言い訳じみたことを呟きながら輪の方へ向かう、それを何となく微笑ましい気持ちで眺めていた。


耳にきいんと響く感覚が。


「……?」

「じゃあ呼びますね、まず火をつけて」


じっ、と火花を散らすが火がつかない。

さらに数回の試行。やはり同じだ。

さては火打ち石を回すだけで、ガスのスイッチを押し込めていないのだと推測。


「水穂ちゃんへたねえ、私がやるから……」


次の瞬間。

水穂がはっと顔を上げて叫ぶ。


「草苅さん! 息を止めて!」

「え……」


ぐらり、と視界が歪む。

瞬間、足から力が抜けて地面に倒れ伏す。反射的に肘をついたが、頭部が勢いを残しており地面にぶち当たる。


「が……」


急激な頭痛。しびれるような全身の倦怠。視界が暗くなって焦点が定まらない。


誰かが。


それは迷彩柄のズボンと灰色のジャケット。肩から複数の銃を吊り下げ、大きめのアタッシュケースを持っている。

その右手には銃が。プラスチックで出来ているかのような青白い銃であり、側面に「Sauerstoff」と刻まれている。


「な……誰、何、を……」

「まだ話せるのか」


黒いアーミーブーツ、腰に吊られたナイフケース。軍人なのだろうかと考える。それにしては歩き方が無造作で、体格も痩せすぎにも思える。草苅のそのような思考はまとまりのないもので、ほとんど記憶にも残らない。


彼が枯滝路なのだろうか。


その人物の銃口が、倒れている水穂に向けられる。彼女にはもう意識がないようだ。


「や、やめ、なさい……」

「心配はいらない」


ばす、とサプレッサーのついた銃が駆動し、水穂の背中に衝撃と白煙が。


「あ……!!」

「世のすべて生きるもの、やがて天に導かれるのみ」


そして銃口が草苅の眉間に向き、一瞬の躊躇もなく引き金が引かれ――。


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― 新着の感想 ―
[一言] 路さんバリバリに異常存在ですね…!
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