第二十九話
店の外へ、左右を見渡すが誰もいない。
「ま、まさか逃げるなんて」
スマホを取り出し、登録されている番号を開く。27桁の専用番号で衛星回線を開き、根乃己と連絡を取ることのできる番号だ。
「……うう、やっぱ瑛子さんに報告しないとダメよね。水穂ちゃん、たぶん根乃己に帰ろうとするはず……」
だが、呼び出し音がしない。
通話中というわけでもない。回線を掴もうとするダイヤル音が繰り返されるだけだ。
「あれ……?」
そして小動物が走り回るような、ざわつく気配が肌に届く。
通行人が首を上に振り上げてるのを見て、草苅もそれに習えば。
火球が、雲を引きつつ落下していた。
「何あれ……隕石?」
等間隔に、地平線の果てまで続く縦筋の雲。
それは空を歩く巨人の列のように見えた。
※
同時刻
「衛星が落とされてるわね」
REVOLVEの本部、アポロ計画の管制センターを模した施設の中央で、枯滝瑛子が爪を噛む。
管制画面には八の字の軌道。根乃己にかかる形の準天頂軌道を飛ぶ衛星が、次々と消失していることが示されている。
「どのような手段で落とされてるのか不明です。突如として機能が停止し、地上に向けて落下させられてます」
「どうも奇妙です。機能停止はともかく、軌道上にある衛星を落とすにはそれなりのベクトルが必要なはずです」
上がってくる報告に動揺は見せない。それも瑛子の役割である。
「落下速度はどのぐらい?」
「どれも同じです。初速470から480メートル毎秒」
「じゃあ、おそらくカタログナンバー26、『引き寄せの銃』ね。目標に向かって打つと、狙ったものが拳銃弾の速度で自分に向かってくるという銃よ」
『Mrファイア・ホーネットの銃砲店』に並んでいる銃は最初から存在したものもあるが、大半はREVOLVEが世界中から集めた異常存在である。店主はそれを買い取り、店に並べる。店主がどこの誰かは全くわかっておらず、商売の話以外でのコミュニケーションは成功していない。
agoleにいる職員は時おり銃を購入し、研究しているとも言う。危険きわまりない行為であるが、それを実行できてしまうのはアメリカという国の性格だろう。
「すべての衛星が狙撃者に向けて落下しているはず。落下の方向から狙撃地点を割り出せる可能性も……」
それは難しいだろうと推測する。希薄な大気の中であっても、複雑な形状をした衛星は大気の影響で回転を始めているし、落下軌道は地球の重力の影響を受けている。
「報道管制は完了しています」
「自衛隊への協力要請も行いました。非公開の防衛出動が可能です」
スタッフから報告が上がるが、瑛子はあまり期待できないという心境である。
agoleから持ち出された異常存在には文明崩壊級のものが含まれていると見るべきだ。敵の力はすでに一般レベルの警察力、軍事力を越えているだろう。
それに犯人が枯滝路であった場合、そもそも自衛隊が歯の立つ相手ではない。
「所長、REVOLVEの準備を進めておきますか」
「……確認はできたの? カタログナンバー109、『オルバースの銃』が持ち出されているかどうか」
「まだです」
「じゃあ許可が降りるわけがない。REVOLVEで地球が移動している間を襲われる可能性がある」
REVOLVEでも無効化できない異常存在、そういうものもいくつか存在する。
一つ、人類がその存在を「確認」していないもの。
一つ、その異常性がREVOLVEのシステムを超えているもの。
前者はいわゆるオカルトや神話に近い。河童という存在が現実にいたとして、それをREVOLVEが把握した後ならば存在を消滅させられる。
しかし、まだREVOLVEの誰も見たことがなく、噂や伝聞、ピントのぼけた写真などしか存在しない段階ではREVOLVEが機能しない。何をもって排除の対象となるかは、職員の主観に左右される。
そして後者は、REVOLVEの首脳陣が頭を悩ませる存在である。
その異常存在はどのような手段を用いても破壊できず、異常性を消すこともできず、世界のバックアップとも言える切り札、REVOLVEを用いても排除できない。
それは例えば日本の中枢、古式ゆかしき遺跡の最奥に眠る神器、「真賀蛇御阿砂魂の剣」
あるいは18世紀の欧州にて、狂える職人の生み出した「冠毒の理想時計」
その影響範囲は全宇宙規模とも言われ、厳重な封印と管理が敷かれている器物だ。
そして、そのような特別であり超絶なる存在は、生きた人間にも――。
「しかし所長、オルバースの銃につけられた値段は四兆ドルと言われています。事実上支払いなど不可能では」
職員の発言に、暫時の妄想から引き戻される感覚があった。瑛子は後頭部を掻きつつ答える。
「……あそこの店主は現金以外での支払いは受け付けない、だったわよね」
ドル紙幣は額面に関わらず、一枚一グラム程度の重さがある。
百ドル札で支払ったとして、四兆ドルとなれば実に四万トン。積み上げれば自由の女神の体積を軽く越える。犯人が監視の目と、地雷源を掻い潜って入店できたとしても、そのような支払いは非現実的だ。
「そもそも、そんな大量のドル紙幣が一ヶ所に集まれば多大な影響が出るはずです」
「……」
オルバースの銃を警戒するのは、あくまで万一の用心という認識はある。そもそも、他にも世界が滅びかねない銃がいくつも売っている店なのだ。
だがやはり地獄の釜の底、最悪の極みまで警戒するのは瑛子という人間ならではの慎重さか。
「……当基地の武器庫をすべて開放。および枯滝神社の地下収蔵庫を丙まで開放。ロボティクス・セントリーの使用を許可します」
ざわ、と職員たちに動揺が走るが、それは一瞬のことだった。端から数人が立ち上がり、壁にかかっていた防弾仕様のコートとヘルメットを装着し、足早に管制室を出ていく。
彼らは優秀であり迅速だ。10分ですべての展開を終えるだろう。
だが、と瑛子はモニターの一部を見る。地上へと落下している火球、この短時間で衛星を落としたとなれば、電撃作戦は明白だ。
「agoleへ侵入されてから58分……。敵の動きが早い。異常存在をかなり使いこなしていると見るべき……」
なぜ、この根乃己を目指すのか。
犯人は根乃己にまつわる人物なのか。
そこから先は想像するのをやめた。
それを考えてしまえば、主観の影響を防げないと判断したから。
※
「見つけた!」
そう呼び掛けるのは草苅記者、当の水穂は今まさに古い石段を登ろうとしていた。どこで調達したのか、白いワンピースから黒のジャージ上下という姿になっている。
「うわ、もう見つかった」
「こちとら運の良さが自慢なのよ!」
草苅はレンタサイクルを道の端に蹴飛ばし、腕まくりして歩み寄ろうとする。水穂は草に埋もれかけた石段をさっさと登り出す。
「あ! 待ちなさい!」
「お断りします」
草苅も後を追う。ここは根乃己に向かう加伏山道からやや西、丈深い草と古い杉林がそびえる山の中である。猫の背中のようになっている草まみれの丘に、わずかに石段が見え隠れしている。
「何この道……根乃己にこんな道あったの」
「根乃己は人外魔境じゃないんですよ。旧石器時代から人が住んでたんです。古い道もたくさんあります」
水穂はそれらを知ってると言うことか。草苅は腿を押さえつつ石段を登るが、やはり水穂の方が軽快だ。みるみる差がついていく。
道はあっというまに森に飲み込まれ、木漏れ日も届かぬ山道となる。ひやりとした森の気配が肌に届き、町の喧騒から遠ざかっていくのを感じる。
「水穂ちゃん! マジで危ないのよ! さっき発砲許可も出てるって言ってたでしょ!」
「しっ」
水穂が、ふいに木の影で身を伏せた。草苅記者は息を荒らげながらもさらに数十段登って追いつく。
「捕まえ」
「黙って、死んじゃうよ」
ば、と平手を突き出して声を押し止める。
「伏せて」
その声には有無を言わせぬものがあった。草苅記者が反射的に身を伏せると、がしゃり、という鉄屑の触れあう音。
「何なの?」
「ロボティクス・セントリー、REVOLVE の兵器が放たれてるね」
斜面の上を見上げれば、黒一色に塗られた円筒形の物体が見える。藪の中で垂直に立つそれは、黒装束の僧侶のようにも見えた。
円筒の側面には小さな柱がいくつかあり、H-2ロケットのサブ燃料タンクのようでもある。
どうやらその小さな柱が足に相当するらしく、がしゃがしゃと上下に振動し、山道の凹凸も斜面も確実にとらえて移動できるようだ。
「武装してると思う、見つかったら蜂の巣にされちゃう」
「ま、マジで?」
水穂の声に動揺がないため、どことなく現実味が薄い。そのような落ち着きは性格というより、そうしなければならない、という責任感からの態度に思えた。
「ええと、策敵範囲が40メートルだったはず、赤外線探知だから、木の影から出るとやばいなあ」
水穂はそっとジャージの胸元に手を入れ、そこから何かを抜き出した。
草苅記者が思いきり低くした姿勢のまま見れば、それはごく普通の折り紙である。先ほど見たルーズリーフと同じく、くしゃくしゃになっている。
「それ何なの?」
「草苅さん、お父さんの力って聞いてますか」
問われて、顎で土に触れながらも、斜め上を見て思い出そうとする。
「ええと、確か折り紙を本物にするんでしょ。鳥の折り紙は羽ばたいて、動物の折り紙はいなないて走るとか」
「それが高校生の頃だそうです」
水穂は折り紙を扇のように広げ、鮮やかな朱色のものを選ぶ。
「それは、平面を生き物に変える折り方だと聞きました。でもお父さんはそれからもたくさんの折り方を見つけたんです。人が何百年かかっても絶対に見つけられないものを」
「平面……?」
朱色の折り紙が変形する。
それは紙に刻まれた折り癖のようなものなのか、水穂が軽く息を吹き掛けて紙を振ると、紙のシワに沿って全体がまるまり、枝を作るように一部がねじれ、固まりができたかと思えば裂けて口のようなものが生まれる。
それは流麗なシルエット、絹のようなしなやかな背筋を持つ狐。その全身に綿のような体毛が生まれ、琥珀色の瞳が、黒ずんだ鼻が、そして松明のように揺れる豊かな尾が。
そして全身が、炎に包まれる。
「は……!?」
ビーと鳴り響く警戒音。黒い円柱が鋭く回転してこちらを見る。炎の放つ赤外線を感知したものか。
炎の狐が駆ける。その炎が草を撫で、緋色の線をジグザグに残す。
エンジンのそれに似た駆動音、小口径の短機関銃が連射されるが狐の姿をとらえられない。
やがて狐が円筒に這い登り、その頂点にすいと座れば、黒い円筒は混乱したようにぐるぐると回り、やがて排気音とともに動かなくなった。
「よし熱暴走した。根乃己では電波が使えないから自立制御のはず、気づかれる心配はないよね」
「ちょっと! 火事になるって!」
「いま消します」
すでに水色の折り紙が木に貼り付けられている。その表面にさざ波が立ち、瞬間、爆発するような放水。
水槽に穴でも開けたかのような勢いで水柱が生まれ、山なりの軌跡を描いて伸びる。延焼範囲のやや上に着弾し、一気に滝のような流れを作る。黒い円筒が水流によって動き、それはがらごろと盛大に転がって、水穂たちの脇を落ちていった。
放水は数十秒、狐を含めたあらかたの痕跡を押し流して、やがて水流も消える。
「な、何なの……」
「烽櫨木折りと仟沃深折りです」
水穂は今の現象について話したようだが、それは漢字が変換されず、また何を意味する言葉なのかも分からなかった。
それは水穂も同じ。名前を丸暗記しているだけで、今の事象について説明できる言葉はほとんど持っていない。
「炎を再現したり、架空の場所にある水源への穴を作る、そういう折り方があるそうです」
「そんなことって……」
では、これが枯滝路という人物の能力なのか、と理解する。
炎や水を操る超能力者というわけだ。
(でも……)
それなりに驚嘆すべき事ではある。
だが、それでもなお、瑛子らの語っていた印象とはそぐわない。
(どんな宇宙人でも追い返す。どんな異常なものでも封印する……)
(この折り紙に、そこまでの力があるとは思えないけど……)
水穂はくるりと振り返り、さらに石段を登っていく。
草苅ははっとなって思考を止め、また水穂の後を追った。




