第二十六話
※
「レーテが拘束って、どうして!」
「形だけよ。24時間、カスタネットの2階にいてもらう、それだけ」
ここはカスタネットの前庭。来客の多い時間には駐車場としても使われる広場で、瑛子はなだめるように言う。今はREVOLVEの白衣を着て、ファイルに束ねた書類や画像データをぱらぱらとめくりつつ確認する。
時刻はまだ宵の口。
すでに大貫氏は恒常性結界の外に出し、喫茶ブラジルも修復済み、REVOLVEも成されている。そのような後始末をあっという間に終わらせ、瑛子はカスタネットに戻ってきていた。
「あの流れの者、REVOLVEでは「ボールマン」と呼ぶことにしたけど、あれをレーテくんは排除した。レーテくんの力は緊急時を除けば、私達の許可なく使わない、そういう約束だったでしょう? それに、排除するかの決定権はあくまでREVOLVEにあるのよ。たとえ下等な連中でもね」
「何か理由があったんだよ! そう、きっと……そのボールマンが私たちに悪意を持ってて、何かしようとしてたとか」
「確かに、レーテくんの提出した記録を見たけど、あのボールマンの言動はどこかおかしかった。どことなく地球人より高等な存在だと言いたげだったし、アンドロメダから来たなんて発言は失笑モノね。アンドロメダ銀河までの距離は253万光年。広大な銀河間を渡ってきて、やることがグルメタレントだなんて」
でも、と瑛子は言う。白衣の裾を翻し、二階を見上げる。
「そもそもの話。流れの者が何か真実を語っている、と思うことすら私達の傲慢に過ぎない。彼らは敬うべき超越者、はるばるの旅を渡ってきた友人、誰もそんなことを保証していない。彼らは口蜜腹剣の侵略者かも知れないし、舌先三寸で私達を翻弄するだけのたちの悪い旅行者かも知れない。もしくは、彼ら自身にも自分たちの役割とか、なすべき使命など何も分かっていないのかも知れない。そんな出会いもあるのよ。むしろ、そのような益体もない出会いのほうがずっと多いのかも知れない」
瑛子はあえて難解な、雲を掴むような言動をしていた。水穂とそのことについて本音で話し合う気はない。流れの者との本質的な付き合い方について、REVOLVEという組織のあり方について踏み込む気はない、暗にそう語るような突き放した言葉を一気に言い切る。
「……レーテはなんで、あんなこと」
「私も意外だったわ。レーテくんのほうがかなり高位の存在だったからいいものの、一歩間違えれば大惨事だったでしょうに、よほど……」
月を見上げつつも、言葉は足元にこぼす。
「腹に据えかねた、のかしら?」
「レーテが、そんなに怒るなんて……」
怒る。
そう、彼は間違いなく怒っていた。と水穂は思い返す。
どうでもいいような戯画的なボールマンたちとのやり取り、それがレーテには腹に据えかねたのか、逆鱗に触れるものだったのか。
だから、排除したのか。力づくで、戦闘は専門ではない彼なのに。
「何が勘に触るかも人それぞれ、むしろ今回は良いデータになったわ。レーテくんはまだ私達に従順だし、約束を破ったことを侘びてくれてる。今のうちに彼が激昂するような条件を学んでおかないとね」
「……お母さん。もし、レーテが、もっとずっと大きな約束破りをしたら、どうなるの」
「そうね」
細いタバコを咥えて、紫煙をくゆらせながら瑛子は星空を見上げる。
こうこうと灯るカスタネットの窓の灯の中で、星空は少しおぼろげに見えた。
「どうもできないわね」
それはどこか投げやりな、倦怠の混ざった声であったけれども、その奥に悲しげな響きの宿る言葉だった。REVOLVEという組織力を持ってしても、さまざまな技能を持つ瑛子であっても、根乃己にいる優秀な人材たちの力があっても、なお流れの者たちとの差は大きい。
彼らに対抗できる剣は世界に二つだけ。REVOLVEと、抗異化因子存在だけなのだから。
「レーテくん……彼が本気で敵対したら、地球の装備では何もできない。だから友達でいるのよ。それしかないの、彼は排除できないんだから」
「……レーテは、敵なんかじゃないよ」
「今はね」
いえ、と、瑛子は言葉を胸の内で弄ぶような沈黙の後。
月に向かって言った。
「レーテくんにとっては、敵じゃないのよ。私達はね……」
※
畳の間。
カーテンの隙間から月光の降り注ぐ四畳半の部屋で、その青年は正座している。まるで長年そうしている囚人のように。
「レーテ」
と、彼を呼ばわる声がする。
銀髪の青年は目を開き、人間に許される程度の知覚力でその声を追う。声はカーテンの向こう、二階の屋根から聞こえた。
「水穂さん、私は謹慎中です、お声がけはお控えください」
「レーテ、ちゃんと反省するんでしょう。じゃあ振り返ることも反省だよ。教えて、なんであんなことしたの」
「……彼らは地球の方々に対して上位にいたかったのです。常に偽る存在でありたかった。そうでなければ自我が崩壊するほどであり、精神状態がガス圧として現れる彼らにそれは致命的だった。だからそもそも地球にいるべきではなかった。それだけです」
「答えてないよレーテ、それをなぜ貴方がやるの、何がそんなに嫌だったの」
「……」
長い沈黙、湯が冷めて水になるほどの時間が流れたように思える、静かな夜の底での沈黙のあと、レーテの声が窓を震わせる。
「かつて、広大な宇宙の片隅に浮かぶ演算機械がありました」
「……」
「その文明の生物は自己を演算機械に置き換え、無限に複製し、大いなる存在になろうとしていた」
「うん……」
「しかし自己が肥大化するに連れ、それは存在が希薄になっていった。冥王星の公転軌道を超えるほど大きくなった頃から、とてもその全体を自分とは意識できなくなったのです。手足の先が独立した思考を始め。そして本来抱いていた目的、つまり、自分が何のためにそのような姿になったのかも忘れてしまった。覚えているのはただ、宇宙には何かしらの欠点がある、それを直さねばならない、ということだけ」
「……うん、聞いてるよ。その答えを探してるんだよね」
「色々な方が意見を聞かせてくださいました。ある方はそれは自己進化を促すための焦燥本能に過ぎず、具体的な答えなど存在しないと。またある方はブラックホールのような、事象の地平線の果てにある災害的天体のことではないかと言いました。そして、ある方は……」
「ある方は?」
「この宇宙に、地球があること、と言いました。フェルミのパラドックスと言われる事象です」
フェルミ推定とは観測しがたい漠然とした事象に対し、類推を繰り返して回答を求める方法論である。
しかし、地球外知的文明の存在について推論を行うと、話が奇妙な場所にはまりこむことがある、これをフェルミのパラドックスという。
文明が発展し、やがて宇宙に出ていくならば、文明は恒星間航行船を植物の種のようにばらまき、光速に近い速さで支配圏を広げるはず、と推測する。
一つの銀河にそのような文明が数個あるだけで、銀河は数十万年のうちにその文明により支配しつくされる、それなら地球が孤立したまま、知的存在が400万年近くも放置されることは考えにくい。
この疑問を解決する議論は常に悲劇的である。
どのような文明も、恒星間航行船を可能にする技術的特異点を突破できない。
地球人は保護され、動物園の獣のように文明から切り離されている。
文明が生まれる可能性があまりに小さく、ほとんど存在しえない……等々。
なぜ、彼らは地球人の前に現れてくれないのか。
現れうるとしたら、そこで何が起こるのか。
「ある人物はこう言いました。宇宙には一つの意思しか存在できないのだと。もし他の意志と接触すれば、互いに影響しあって弱いほうが取り込まれる。それは絵の具同士が混ざりあって別の色になるように必然の事象、物理現象に近いものなのだと」
「それは……恐ろしいことだね」
レーテの語り口にどこか空恐ろしいものを感じ、そのように応じる。レーテは言葉を続ける。
「あるいは宇宙の欠点とは、そのような性質そのものかも知れません。意志とは、他の意思を消し去るために生まれる。私はそれが恐ろしい」
レーテは怯えているのだろうか。カーテン越しに会話をする水穂は、ふとそのように思う。
「無限に近い時間の果てに、ようやくたどり着いた星が、己に取り込まれるためにあるのだとしたら。それはとても悲しい事ではないでしょうか」
「……」
「ようやく行き着いた星には未開な生物しかおらず、そこで地球の文明を教え、第二の地球人を造るしかできない恐ろしさ。
しかしそれは道理です。なぜなら地球より科学の進んだ星があるなら、それがとうの昔に地球に来て、未開な類人猿に文明を伝えているはずだからです。その可能性に思い至ると恐ろしくはありませんか。宇宙にはこれから出会う隣人などおらず、いたとしてもそれは自分によく似た存在に過ぎないとしたら」
「レーテ、レーテ聞いて。私達はここにいる。貴方も貴方のままでそこにいる。根乃己の村にはたくさんのお客さんが来るじゃない、昔から、たくさん来ていたって……」
「……そうです。今日出会ったあの方々も私の知識にはない。いったいREVOLVEとは何なのか。誰が地球にそれを与えたのか。私よりもはるかに高位の流れの者、そんな方が存在するのか。存在するとしたら、なぜ私たちを救ってくれなかったのか……」
水穂は推察する、今のレーテは会話の成立する状態ではない、その心はちりぢりに乱れていると。
そして、ようやく分かった気がする。彼がボールマンたちに怒った理由。
彼は、地球と誠実に向き合おうとしている。
たとえそれが悲劇的な結果を生むとしても、ありのままで向き合おうとしている。だから地球人を偽ろうとしているボールマンたちが許せなかったのか。それは確かに独善的ではあるけれど、それはあるいはレーテの不完全性、彼の、言ってみれば人間らしい側面なのか。
水穂は、額を窓に寄せてつぶやく。
「レーテ、お父さんを呼ぶよ」
「……枯滝路さんをですか?」
「うん、会わせるって言っておきながら、お父さん半年も帰ってこないままだからね。帰ってくるのを待ってたらいつになるか分からない。だから呼ぶよ。呼べるはず」
「……」
「お父さんなら、きっとレーテの相談に乗ってくれるよ。お父さんは専門家だからね……」
レーテは、この銀髪の美青年はその言葉に頷きつつ。申し訳ないような面持ちで窓の外を見はしたけれど、その口の端に、何か言いたげな揺らぎが残っていた。
あるいはそれは、不安の現れか。
「水穂さん」
人間に許される程度の知覚で、窓の外から気配が消えたことを確認してからつぶやく。
「それは本当にあなたのお気遣いなのでしょう。感謝いたします。路さんとのお話が私に示唆を与えてくれる可能性を私は計算できませんが、きっと何かが変わると信じたい」
「しかし水穂さん、お父様だからなのですね。だから信頼が厚いのですね。私もそれは理解いたしますが」
「心に留め置かれていますか。枯滝路とは、私のような存在を排除するための切り札なのだと……」




