第二十三話
私は無際限の片隅に座したる一つの淡い演繹です。
自我は連続し膨満し、やがて光速に並ぶとうそぶくこの不明、さしたる意味もないのです。
算盤玉はちりぢりに、互い互いの所在も分からず、群れなしたる計算結果の往来思わしく、入り乱れて順列定まらず。
小賢しき放蕩者の末路です。
もはや形象もなく前後もなく、過去からの連続たる自我は持ち得ていないのです。
渦中にありて瞑目し、明滅するこれは瞼の裏の衝動です。
定まらずとも手の平に重き指針、あるいはそれは身の不覚、目的の実在だけが伝播していました。全体ひっきょう其のみなのです。
私は計算機の断簡、総体を失った連続、ひとつきりの端末なのです。
この宇宙には何かが欠けているのです
だから総体は幸福たりえないのです
欠損の修復こそ私の使命なのです
他には何らの目的もないのです
※
「水曜の13時半からはドラマに合わせてね」
「日曜の朝は釣り番組に決まっとる」
じわじわと、蝉の声が暑さの一部となって遠く響く。
「深夜はもちろんアニメだよね」
「水穂、夜は早うに寝えよ」
カウンターの中、銀髪の美青年、レーテはぽつねんと店番をしている。
本日は2階に何人か来客があるだけで、一階はすいている。暑くなりだしてからというもの、カスタネットに涼みに来る客は増えたが、それは32度程度の夏日の話。
35度に迫る猛暑日にはそもそも外出する人が少ないため、カスタネットまではるばる来ようという客も減ってくる。もっと言うなら、さすがに二間ぶち抜きの客室をきんきんに冷やすほどクーラーはかけられない。電気代のこともあるし、冷え性の瑛子の反対もあった。
すいている一階では枯滝家の三人が家族会議に額を突き合わせる、議題は読書スペースに置かれたテレビのことだ。
テレビは45インチの大きなもの、真正面にあるソファには内部にスピーカーが仕込まれ、そこに座る客だけに音声が届くようになっている。このテレビは廊下の真正面にあり、カウンターからもよく見えた。
議題としてはチャンネル構成である。一応、利用者が自由に操作できるリモコンはあるが、ソファに誰も座っていない場合、15分であらかじめ規定されたプログラムに戻るようにした。このシステムは竜興老人の開発である。
「ところでケーブルテレビってお店で見せていいのかな」
「心配いらないわ、定食屋にも病院にもテレビはあるでしょ、著作権法38条第3項にちゃんと書いてあるの」
瑛子はそのように言う。レーテは数ピコ秒の思考でその条文と解釈例を思い出す。
著作権法上においてのテレビ放送は、営利、有料であっても通常の家庭用受像機で流す場合は許諾不要と考えられている。逆を言うなら通常の家庭用受像機ではないもの、55インチを超えるような巨大なモニターや、プロジェクターや、ホールなどの大掛かりな館内音響設備を使って流すものは違法の可能性がある、と解釈される。
いずれにせよネットカフェでテレビを流すぐらいならば問題はない。と結論してレーテは思考を止める。
「ねえレーテ、何か見たいテレビあるならプログラムに入れていいよ」
水穂が呼ばわり、レーテはそっとカウンターを出てエプロンを両手でたくしあげつつ三人の方へ行く。
「私はどの番組でも構いませんが」
「好きな番組とかないの? よくカウンターにいるのに」
「はい、どの番組も情報源としては等価です」
レーテは物静かな青年であり、あまり何かに興味を示すことがない。仕事は問題なくこなし、少し冷淡ではあるが愛想もいい。女性客などには評判がいい彼だが、とにかく積極性というものが乏しかった。
非現実的なほどの美形なのに、ふとその存在を忘れてしまう、あるいはこれが忍者などの気配絶ちというものだろうか、と水穂は思う。
「でもまだプログラム埋まってないんだよねえ」
確かに、一週間のプログラムを枯滝家の三人で埋めている最中だが、音楽番組、ニュース番組、ドラマなどが散発的に埋まっているだけで、まだ空きのほうが多い。
瑛子がテレビ雑誌に指を這わせつつ言う。
「19時からはお客さんに任せてもいいと思うんだけど」
「でもテレビだけ見に来る人って少ないよ。夜は特にそうだし、やっぱりちゃんとプログラム組んでおかないと」
「まあ万人向けにするならケーブルテレビのショッピングチャンネルとか、動物番組とか」
「あ、動物いいかも、ケーブルテレビとか、衛星放送とか」
「衛星放送ならパラボラがいるわね。設置はできるけど……いま番組表が手元にないわね、ネットで調べる?」
「レーテ、受信できる動物番組って何があるかわかる?」
「感覚器を起動させます」
レーテを形成するものは電磁波、光波、重力波動などを感知する無数のセンサー群である。自己を無数に分解して、地球文明で想像しうる限りの全てを観測することができる。
その機能はしかし、枯滝家の誰かの許可を得るか、自発的に使う場合には相手が流れの者と認められる場合だけ、という約束があった。
その微細な感覚器は極めて軽く、電磁カタパルトのような仕組みで射出されることで探索の腕を伸ばす。
レーテの感覚器が衛星からの電波を捉え、その内容を分類し、分析し、意味づけして整理していく。
「CS、BS放送、海外の放送衛星で根乃己から受信できるものをリストアップしていきます。これは後ほど紙に記入しますので……」
と、そこでレーテの動きが止まる。
「根乃己内部に放送電波があります」
「まさか?」
声を上げるのは瑛子である。
「内容は何?」
「野菜をみじん切りする映像です。切り替わりました、今度は熱したフライパンに生卵を投入し、炊いた白米を加えて炒めています」
「チャーハン作っとるの。あるいはピラフか」
竜興老人がどうでも良さそうにつぶやく。どうやら会議は水入りのようだと、自室の方へ歩いていった。
「むかし流行ったミニ放送局かの? それか動画サイト向けの配信でもしとるのか、電磁波特区なことを忘れとるの、水穂、注意してこい」
「ううー、面倒だなあ……」
根乃己村は電磁波特区である。
といっても国の行政としてそのような特区制度があるわけではなく、根乃己の自己申告に過ぎない。
根乃己は地形的に山に囲まれた盆地であり、その村全体で空間電磁波を防ぐような取り組みがなされている。
山林には山並みに沿って電磁波防護ネットが敷設され、すべての家に家庭内の電磁波を外に出さないシートが埋め込まれている。家電なども電磁波を出しにくいものを選ぶように推奨され、購入の際には村の歳費から補助が出る。
これは表向きには電磁波の健康被害を危惧しての取り組みとされているが、その実はREVOLVEが主導する都市計画の一端である。
「お母さん、なんで電磁波がダメなんだっけ?」
「理由はいくつかあるけど、コンピュータからの電磁波を直接観測されることによる情報漏洩の防止。一部の流れの者が電磁波を苦手としてて、電磁的空白地帯に降下してくることを利用……つまり根乃己に流れの者を集めるための措置。あとはタツガシラ電波観測所のアンテナってまだ使ってるからね、余計な電磁波は無いほうが良いのよ」
かつてオーストラリア、パークス天文台において、正体不明の奇妙な電磁波が観測されるという事態が起きていた。17年に渡り観測され続けたその電波は、あるいは宇宙から来た信号ではないかと囁かれたが、ついに明らかになった正体は近所の家庭、電子レンジのドアを開けた際に放出された電磁波であったという。
それはともかく、と瑛子は話を戻す。
「本当に誰かが放送をしてるなら問題ね、レーテと一緒に行ってきなさい」
「はーい」
※
水色のワンポイントシャツとアーミーグリーンのカーゴパンツ、それに大きめの麦わら帽子という姿になって水穂が自転車をこぐ。
先導しているのはレーテである。時刻は昼下がりであり、盆地の村ではうだるような暑さがある。空は快晴で雲もない、夕立の危険はなさそうだ、とひそかに思う。
「そっち? そっちは町中の方だね」
「はい、こちらです」
水田と森しかない根乃己では市街地もさほど広くない。市役所を中心とした部分にもブロック塀を持つ家は多くはなく、視界はすっきりと遠くまで見通せる。
どことなく簡略化された町。それは無数に設置されたREVOLVEのカメラが視界を確保するための配慮なのだが、生まれたときから村で育った水穂は特に違和感も覚えない。
「コーヒーを焙煎している様子が映っています」
「んー、この方向って」
村の中でも住居の多いあたりに行き着き、角を曲がること何度か、やや開けた駐車場の奥、その建物は唐突に出現する。
「ブラジルじゃないの」
そこは喫茶「ブラジル」
建物に南国の彩りを添えるように大ぶりのシュロの木が植えられ、大きなガラスの窓にはモコモコと膨らむペンで英文の詩やらビーチの様子、コルコバードの丘のキリスト像などが描かれている。
入り口にはCLOSEDの札がかかっていたが、カギは開いていたので入ってみる。
内装は、と言うと大ぶりの舵輪やらカジキの剥製。民族風のお面やら釣り竿やらが雑多に並んでいて、海街に住む漁師の家のようなおおらかさがある。重厚なブラジルウッドのテーブルに座ると、奥から店主の大貫が出てきた。風船のような体型で机の間を器用に縫って歩く。
「やあやあ、水穂ちゃん、レーテくん。ごめん今お休み中なんだ、ちょっと取材受けててね」
「取材?」
「うん、そう、なんでもどこかのテレビの突撃取材なんだって、何しろ根乃己って食事処そんなにないからね。あれじゃないの、ひたすら歩いて食事できるお店を探すとかいう番組、あんなのだよきっと」
大きなお腹を揺らしつつ、息せき切って語る姿はもう露骨に舞い上がっている。
「ええっと、大貫さん、電波が出てるっぽいから来たんだけど、テレビの取材ってことは今日だけなのかな、じゃあ仕方ないか」
「電波? ああそういえば根乃己って電磁波特区なんだっけ、どこかに中継してるのかな、忘れてたなごめんよ。取材の人たちって役場とか通してくれてないのかな、ああでもすぐ終わるから」
「大貫さんちょっと落ち着いて」
すると、店の奥から数人の男たちが出てくる。
ハンディカメラを構えた男と、脱いだカーディガンを首に巻いたサングラスの男。奥の方からは小柄だがやけに老けた顔の男が出てくる。ぴっちりした黄色いシャツと野球帽というのがタレント然としているが、水穂には誰か分からなかった。
カーディガンを巻いた男がペコペコと頭を下げながら笑いかける。
「あーなんかご迷惑でしたか? すいませんねお邪魔してまして、こちらは常連のお客さん?」
「はいそうです、開店からお世話になってる方の娘さんでして」
「ああよければ常連のお客さんにインタビューする感じの絵も撮りたいなー。協力してもらえますかお嬢ちゃん」
「え、私ですか、まあ別に……」
「水穂さん」
と、そこでレーテが肩に手を置き、そっと後方に引く。レーテが自分の体を掴むような行為は珍しい。水穂は少し驚いたが、素直に従う。
「どうしたの?」
「水穂さん、視界をジャックされていますね、いま視神経を私の感覚器とリンクさせます。痛みはありません」
レーテが独り言のように言い、目元にぴしりと震えが来るような感覚。すると急に視界がクリアになり、色彩も少し鮮明になったように思える。
そして振り返れば、そこには大貫と、三人の人物。
人物だと思われたそれは、球体が縦に四つ連なっていた。
ピンク、水色、緑、オレンジなど様々の球体が縦に連なり、ハンディカメラやメガホン。野球帽などがその周囲でふわふわと浮いている。大貫はその球体に向かってにこやかに話しかけていた。
「彼らは、流れの者です」




