第二十二話
数日が過ぎて。
「こらマルミミ、おまえ物件買い占めない言うたじゃろ」
「やかましい、先に土地を買い占めたのはムシメのほうじゃろ」
カスタネットの二階、ゲーミングPCの周りには霧雨会の老人たちが集まっていた。今日も今日とてゲームに熱中している。
画面ではサイコロのようなマス目をプレイヤーたちの操る車が走り、土地を買ってマンションを建てたり、店舗を建ててテナント料を得たりしている。ときどきクラゲのような怪獣が海から現れ、高額物件を買い占めて去っていく。
「じゃあ私は目的地に向かいますから」
ターボチャージャーカードでサイコロを6個に増やす。
出目は36。つまり6ゾロである。
「なあっ!?」
「あ、6ゾロ出ちゃった。じゃあゴールまで行けるかな」
草苅の操るトラックがゴール。
ゴールした瞬間に全テナント料の1割が収入として入り、99年に渡るゲームは終了。草苅の圧勝であった。
「うう、草苅さん相変わらず豪運じゃのう……」
「いえ戦略です。というかお二人とも物件ばっか買いすぎ。なるべく移動系カードを集めて目的地の周辺にいるのがコツですよコレ。あとコユビさん、「虹落としカード」は値段の割に効果が低すぎます。「陽電子レンジカード」はその逆に強すぎ。お店に並ぶのは50年目以降とかのほうがいいです」
「ふむふむ……参考になるのう」
ボードゲーム型のゲームに興じる三人と草苅。中央には丸盆が置かれ、枯滝瑛子の手になる焼き菓子などが乗っている。
「……ところで皆さん。今日はもう一人ぐらい来ないんですか」
そっと探るように、なるべく迂遠にそう聞いてみる。マルミミとムシメが揃って自分を見た。
「ん、タッちゃんなら今日は町内会の会合に出とるぞ、あれで色々やっとるからな」
「……そうじゃなくて、霧雨会のメンバーって、これで全員なのかな、って……」
「ん、ああ、草苅さんは会のことよう知らんのじゃったな」
ノートPCに入力を続けつつ、コユビが言う。
「わしら霧雨会はみんな幼馴染みでな、何十年も前、根乃己小学校第十九期生としての絆をずっと守っておるよ」
「そうじゃな」「おうとも」
三人はいずれも誇らしげに言う。
「霧雨会は四人で一つ、タッちゃんを入れて全員じゃよ」
※
その日の夜。
「消える……?」
星が天を満たしている。
根乃己村の片隅、左右に水田をたたえる田舎道の真ん中で、草苅はそう疑問を呟く。
応じるのは竜興老人である。
「うむ……カギハナは異常存在に近いモノとなった。あの姿のまま恒常性結界の外で失踪すれば、誰も覚えてはおられん。あれは最初からいなかったことになる。やがて痕跡すらも消える。直接見ていたわしらを除いてな」
「そんな、あれはただのアバターでしょ」
「カギハナが触れたのは深層の知識じゃ。恒常性結界はそういうものを弾く。結界の影響が薄いわしら以外は、排除されたという事実すら記憶できん」
先の「奉書」の一件。霧雨会には正体不明のハッカーの仕業と説明された。
そのハッカーは竜興により排除され、汚染されていた空間は修復された。そのような説明は草苅には不格好なものに見えたが、細部の矛盾など誰も考えもしなかった。
草苅の持ってきた「奉書」は竜興が預かり、焼却された。単なるいたずらの産物とされたのである。
購入費用についてはもはや取り戻しようもないが、竜興からREVOLVEを通じて役場に取りなしてくれる、との事だった。
「でもネットワークの底に深淵の知識があるなら、またいずれ誰かが……」
「確かにネットは深い。どんな異形が出てくるか分かったものではない。だが少なくとも今回でその一つは潰した。これは場所ではなく方法論の問題じゃ。もう国会図書館のVR空間からはどこにも行き着かぬ、たとえ同じ方法を用いてもじゃ」
「え……?」
「それが恒常性結界じゃ。エドモンド・ハレーの発表した地球空洞説、あれはある一時期までは真実じゃったかも知れん。雲の上に白亜の城があるとか、火星に運河があるとか、そういう世界観が否定され、なかったことになる。世界全体を恒常化させておるのよ」
「……よ、よく、分からないんですけど」
「ネットワークには奇妙な事が起こる。未来を予知するサイトじゃとか、遊ぶものを引き込む魔のゲームとかな。そういうものをわしは猟犬で見張っておる。分かるか? 異形とは存在そのものの座標ではなく、それに至る方法論の問題なのじゃ」
「……恒常性結界って何なんですか? 人間が作ったものとは思えないです」
「そうとも、あれもまた人の御業ではない。だからいつかはあれも潰す。わしら黒鉾の手でな」
「黒鉾……」
老人は月明かりの中で歩を進め、草苅もゆっくりとついていく。その小さな背は油断のない気配を備えるようにも見えたし、夜の底ではどことなく疲れて小さく見えるようでもあった。
竜興老人の歩みは散歩ではなかったようだ。農機具小屋のような場所に入っていくと、べりべりと音をたてて床板を持ち上げる。そこに下りの階段があり、老人は胸ポケットにペンライトを結わえ付けて、僅かな明かりの中で降りていく。
「私も行っても?」
「好きにせえ」
分厚いコンクリートに包まれた階段室、それがずっと深くまで続いている。
「黒鉾とはもともと世界中の黒社会において、異常存在の利用を抑制するための互助会じゃった。じゃが、いつからか思想的なものが入り込んだ。あらゆる異常なるものを排除するための打撃力になったのじゃよ」
「なんでそんな……REVOLVEがあるんでしょ? それに任せておけば」
「……REVOLVEとはアメリカの組織じゃ。根本的にはアメリカの利益のために動いておる。日本に根乃己が作られたのは共産圏への牽制のため、地政学上の理由というだけじゃよ。もともと異常存在が多い土地でもあるしの」
「……」
「REVOLVEはいつか訪れるファーストコンタクトを選んでおるが、黒鉾はすべての出逢いを否定する。そこに選択も評価も存在せぬ。常識的でないものはすべて滅ぼすだけじゃ」
その言葉には何者の意見も受け入れぬ、昏く確固たる意志があった。
老人は組織の意志と同調しているのか、それとももっと大きな背景を背負うのか。
そのような老人のかたくなさは、すなわち恒常性の思想。常識的なもの以外を受け入れまいとする大気に溶けこむような意思、そのように思う。
「じゃが、REVOLVEも同じ穴のムジナじゃよ。流れの者を受け入れる気などありはせんのじゃ、部分的に利用するかどうかの違いじゃの」
「……」
それは何となく察している。REVOLVEはファーストコンタクトのための組織とは聞いているが、それがいつか実現するという気がしない。
排除しきれない、あるいは有用な異常をより巨大な異常の排除に利用しているだけで、それで人類社会を決定的に変えようとは思っていない。流れの者を排除し続けていることは黒鉾と変わらない。
「なぜ……拒絶なんて」
「流れの者と出会うことに何の意味がある。人間は今後も永らえるじゃろう。数を減らしたり、血を流し合うかも知れんが、存続するだけなら数千年ぐらいは期待できる。実のところ誰も変化など望んでおらんのよ。ごく少数の例外を除いてな」
「……枯滝路さんのことですか?」
何度か耳にした名前である。流れの者を排除できるというが、今は根乃己を出て、異常存在を集めているという。
やがて階段が終わり、そこは地下書庫であった。あのVR空間を彷彿とさせる眺めだが、肌に感じる冷たい湿気、鼻に感じる埃で、やはり現実と仮想は違うのだと分かる。
通路にはいろいろな矢印が書かれていたが、老人は迷いなく歩く。
「路か、あれはわしにも定義できん。ただ昔から変わり者ではあった。む、ここじゃな」
そこは漫画の書架のようだった。老人はいくらかの漫画を手に取り。中身を確認して、ポケットから取り出した布袋に入れる。
「ここってカスタネットの書庫なんですか? すごく立派な……」
「流れの者に備えた防空壕じゃよ。陳腐化してきたのと、老朽化のせいで破棄されたのでわしが個人的に譲り受けた」
「本が好きなんですね」
その草苅の言葉、あまりにもそこまでの会話の重苦しさと切り離された素朴さがあったので、この偏屈そうな老人も振り返ってその姿を見る。
「うむ……生き甲斐じゃな。わしは特に漫画が好きでの。REVOLVEでの収入を注ぎ込んで漫画を買い漁ったよ」
「そうなんですか、私は出版社の先輩に活字本を読ませられましたけど、少女漫画とかの方が好きかな」
「じゃが、あいつは何も読まんかった。何度かこの書庫に連れてきたが、興味を示さんかった」
竜興老人の口調は自己の中に沈んでいくように響いた。昔のことを思い出しながら話すような、あるいは何かを新たに刻み付けるような。
「あいつはこう言った。本の山というのは懺悔のようです、とな」
「懺悔?」
「わしは同意できんが、あいつは本の山を見て、何かの言い訳に感じたという。これだけの本があるのに人はものごとの正解に至れない。最後に到達すべき本を生み出せない。だから言い訳のように量だけを作っている、と」
その言葉に草苅は眉をしかめる。端的に言えば引いていた。
「うわぁ……失礼ですけどスレてるというか、中二病というか……」
「そうじゃ。路のものの考え方は人とは違っておる。その中のいくつかは人が絶対に受け入れられぬものじゃった。それは人類のこれまでの営みの否定、祖先への冒涜だからじゃ。路の身につけた異形の技も……」
老人は乏しい明かりの中で、深く顔を伏せた。
それは沈痛な様子にも見えたし、何かしらの烈しい感情を圧し殺すようにも見えた。
草苅は、この老人はけして端的に分かりやすく感情を見せることはないけれど、されども全くの無貌でいられるほど老成してはいないのだと感じる。
刺々しく気難しい様子。それは老人が己の内側に踏み込ませまいとする鎧なのではないか、実は人並みよりも激しやすい気性なのではないか、とも。
「そんな路さんだから、抗異化因子存在ってやつになれたんですよね? 流れの者を追い払えるとかいう……」
「厳密には違う。自らの意思で流れの者を選ぶことができる。異常存在を引き寄せる。そういう存在のことじゃ。REVOLVEが存在しなければ、本来、ファーストコンタクトを体験するのはあやつだったはずじゃ。ロイ・ニアリーのようにな」
「……」
「あいつはREVOLVEも黒鉾も潰そうとしておる。わしはあいつと戦わねばならんかも知れん。草苅さん、あんたも無関係ではいられんぞ」
「……」
早口になっている、と感じる。
この偏屈そうな老人がお喋りになる時、それは感情を隠しているのだと理解した。話が彼の息子のことに踏み込んだからだろう。
そして草苅は記憶していた。あるいはその連想も彼女の持つ強運の因子のためか、書洞にて竜興老人の呟いた一言が思い出される。
わしとあいつは同じ。
丹魚、草苅は会ったこともない、複雑に絡み合う人間模様の一端であるその人物。推測するに竜興老人の妻であり、カギハナという老人にとっては大切な思い人であり、枯滝路の母であり、異形によって命を縮めた人物。
連想がある。
それはとても残酷で、救いの無い、サイコロがどのように転んでも最低の目しか出ないような、泥沼の感情の渦。悲劇と喜劇がない交ぜとなった混沌。
ねじれている。
そう感じる。この村ではすべてがねじれている。二つの巨大な組織と、世界そのものを巻き込んで、それが一つの家族の感情のねじれに繋がっている。その複雑さと迷走ぶりに目眩がする。
恨んでいる、憎んでいる、いや、そんなくろぐろとした感情ともまた違う。家族に向けるその感情は、もっと端的で、容赦のない、直線的な刃のような。
書庫の底にて二人の姿は溶けつつある。
草苅は最後にただ一言だけ、目を伏せながら呟いた。
「……消してしまいたいんですね。路という方を……」
その答えは返ることはなく。
そして根乃己の夜は更ける。




