第二話
そこは、草苅記者の知るネットカフェとはだいぶ違っていた。
印象としては図書館に近い。種類も大きさもバラバラのソファがいくつか置かれ、部屋の中央には本棚がモノリスのようにそびえる。襖を抜いて二部屋を連結させており、広さは20畳弱。本棚は中央に三列、部屋の隅に四つ。ソファは全部で10人ぶんというところか。
すでに何人かの客がいる。農作業のあとに立ち寄ったという風情の中年男性、縁側で猫でも抱いていそうな高齢の女性、奥の方にさらに何人かが見えて、よく見ると囲碁を打っている二人組もいる。二人とも高齢の男性だが、片方がヘッドホンを首から下げてることが少し奇妙に見えた。
草苅記者もとりあえず自分のソファを決め、カメラバッグを置いておく。
漫画を手にとってみる。背表紙が黄ばんでいたり、カバーの一部がボロボロに剥がれてきたりで実に古めかしい。
「土田よし子、御厨さと美、山松ゆうきち、聞いたことない漫画家ばかり……きっと同人誌ね」
誰かに殴られそうな発言をこぼしつつ、見れば本棚の上部に「月替わりコーナー」と書いてある。割と商売熱心だなと感心する。
「っと、それより飲み物……あれかな?」
広間の隅にクリアータイプの冷蔵庫があり、中では茶色の液体を満たしたボトルが何本か冷えていた。
「ふむふむ、麦茶、玄米茶、黒豆茶、ルイボスティー、いいじゃない、じゃあ玄米茶かな」
それは感激するほどびしりと冷えていて、鼻梁を駆け上がるような鮮烈な香りだった。この旨さはきっと炎天下を長く歩いたからだろうと考える、そして飲み干した紙コップにもう一度注ぎにいく。
「あのー、お食事を希望の方ですか?」
振り向く。そこに立っていたのは黒髪の少女である。
くっきりとした目鼻立ちだがどこかに幼さがあり、それでいて手足は長く、身長も草苅記者よりわずかに低い程度である。少女なのかそれとも高校生ぐらいなのか、年齢が判然としない。白いワンピースの上から緑色の小さなエプロンを付けている。黒髪は自然に広がって背中に流れていた。
その子の容姿がうまく形容できずに草苅記者は言葉を探す。可愛いとか美人とか、型にはまった言葉があまり適切と思えない。大きな目に不思議なオーラがあるのだが、どこかに幼さも残すような。
「……廃ホテルの廊下を曲がったら立ってそうな」
「え?」
「ああ、えっと、そうね、何か頼めるならお願いするわ。こういうところだとカップ麺とかスナック菓子とかかな?」
「お品書きをどうぞ」
言って、厚紙を渡される。そこには活字のように整った文字でメニューが並んでいた。
魚介類のボリュームサンド
お茶漬け(鮭の燻製、千枚漬け)
季節の野菜とオリーブオイルのファルファッレ
食事(広東風玉子と野菜の炒め、赤味噌のお味噌汁、野沢菜漬け)
「なにこのお洒落なメニュー」
値段は一律で500円。縁側のガラス戸から広がる田園と、創作料理屋のようなメニューの落差にくらくらする。
「飲み物もあります。アルコールもありますけど」
「……いや、いまそこのお茶いただいたからいいわ……あれタダよね?」
「はい」
「うーん、お腹はすいてるけど、あまりゆっくりしてる訳にも……じゃあボリュームサンド……」
と、そこで違和感に気づく。
メニューの一番下。「食事」とは何だろう? 定食という意味だろうか。
「あの、この食事って何なの?」
「それは丁度これからですけど、いかがです?」
「丁度?」
※
案内されたのはオープンフロアとは別の広間だった。畳敷きで10畳あまり、黒檀のローテーブルに人数分の食事が並び、大きめの急須がほんのりと熱を放つ。
テーブル脇には桐のお櫃が置かれ、適度に蒸らされたご飯をよそうのは大人の女性。座を囲むのはその女性のほかには店員だった黒髪の少女、銀髪のレーテ、そして白髪で小柄な老人。
「いただきます」
「い、いた、だきます」
そして草苅記者であった。
何事もなく食事が始まる。
中華風炒り玉子で全体が黄色くまとめられ、チンゲンサイなど数種の野菜が入った炒め物、XO醤が使われており、ザーサイの漬け物が添えてあってご飯のすすむ味である。だが正直、いきなり他人の食卓に上がり込んでの昼食では味など分からない。
この家の主婦であろうか、お櫃のそばにいる女性が口を開く。
「水穂、今日は何人ぐらい来てるの」
「んーと、野球クラブの子が五人、あとは一階に六人かな」
「瑛子さん、夕方には碁会の連中が来るぞ」
厳かにそう言うのは白髪の老人である。年齢は60過ぎというところか、頭頂部はすっかり薄くなっており、全体的に小柄で痩せた印象があるが、この家の長として厳めしい空気を放っている。
その老人は草苅記者の隣に座っている。どうも客人だから家長の隣という席順になるらしい。要らなすぎる気遣いだなと思う。
「そうですか、じゃあ早めにまかない済ませないと。お客さん、お代わりいかが?」
「あ、だ、大丈夫です」
配膳を担当するのは瑛子と呼ばれた女性である。この家の母親らしいが、これもまた年齢がよく分からない。化粧っ気はないが整った顔で、栗色の髪を盆のくぼでまとめている。切れ長の目鼻立ちにはビジネスマンのような鋭さがあり、すらりと伸びた鼻筋と、つんと澄ますような口元に知的な冷たさが宿っている。着ているものは体のラインにぴったりと添ったシャツと柔らかめのジーンズ。高級品と見受けられた。農村に埋没しておらず、都会らしさとそこはかとない色気、外国製の長タバコでもくゆらせながらバーで男を待っていそうな、という例えが浮かぶ。
父親らしき姿は見えない。レーテはまさか黒髪の少女の父親とは思えない。少し迷ったが、記者としての本能に逆らえず質問してみる。
「あのう、みなさんご家族なんですか?」
「うむ、わしが家長の竜興、瑛子さんが息子の嫁、孫の水穂、住み込みのアルバイトのレーテじゃ」
答えるのは自分の役割とばかりに竜興が言う。
「息子さん……水穂ちゃんのお父さんは働きに出てたりとか、ですか?」
「そんなところじゃな」
竜興は淡々と受け流したが、そこに落ちた一瞬の空隙、場の何人かが放つ緊張の気配のようなものは見逃さなかった。
「あの、私は「週刊新柳」の記者でして、この根乃己村には取材で来たんですが、よければ村の事情とかに詳しい方に話をお聞きしたいなと」
「新柳か、あれは良い雑誌じゃ、コラム「キャッチャーフライ日和」が特に良い」
「あ、ご存じでしたか、ありがとうございます。あれは創刊時から続いてるコラムで、編集長と執筆の俵先生が30年来のコンビでして」
「だが最近はゴシップ記事とか、オカルト記事に紙面を割きすぎておるのう。文化人へのインタビュー記事には光るものがあったのじゃが、最近は減っておるし」
それは耳の痛い指摘だった。週刊新柳は文化人の発掘を目的とした雑誌で、お堅いインタビューと書評が中心だったはずだ。だが出版社全体の方針もあり、売れんがための記事、つまりは芸能ゴシップとオカルトを少しづつ取り入れ、雑誌のコンビニ化が進んでいる。
ニーズを増やすことで安定的な売上を、といえば聞こえはいいが、雑誌の特色が消えているという指摘は古参の読者からも寄せられている。
とはいえ、今そんなことを振り返っても意味はない、己の仕事に集中しようと居住まいを正す。
「それでその……最近、このあたりでUFO騒ぎがあったと小耳に挟んだんですけど、どうなのかなって。ついでと言ってはなんですけど、村に伝わるオカルト話でも聞ければと」
「ふむ」
竜興は言葉を喉で溜めるかのように少し間を作り、何とはなしに全員に気配を向ける。
「お爺ちゃん、じゃあ私が村を案内してあげるよ」
水穂が手を上げる。それを待っていたかのように竜興が深くうなずく。
「うむ、では水穂に任せようかの。レーテ、ついていってあげなさい」
「はい」
レーテはほとんど身動きせぬままそう答える。そういえば彼の存在が頭から消えていた。どう考えても目立ちすぎる容姿なのに、なぜか発言していないときは気配が失せている。
「いえそんな、悪いですよ、お店もあるのに」
「ガイド料、2500円です」
「あ、お金とるのね」
思わず素の突っ込みが出てしまう。観光業までやっているわけか、手広いことだ。
母親の瑛子も水穂に向き直っていう。
「水穂、夕方までに帰ってきなさいよ。今日は暑いから帽子かぶっていきなさい」
「うん」
すぐに出かける流れのようだ。草苅記者も急いで食事を終わらせて烏龍茶で流し込む。けっきょく最後まで味はよくわからなかった。
「水穂、流れのもんに気ぃつけぇよ」
竜興老人がそう言うが、よそ者に気をつけろという意味だろうか。
それをよそ者の自分の前で言うはずもないのだが、そのときは深くは考えなかった。




