2
しばらく進めば村の中を流れる小川へとつく。
この川は釣りをしたり、夏になると同性同士で連れ立って浅瀬で水浴びなんかもする、大人から子供まで親しまれている憩いの場だ。
わたしも友達と水遊びに来たり、おかず捕り……ううん、魚釣りに来たりしているお気に入りのスポットなの。
あ、じっとしてることでもね、釣りは好きで結構得意なんだよ。炊事の一環というよりは、もう趣味に近いかな。
そんでもって、目的地の川には水車小屋があって、そこではある人物が仕事をしているのだ。
コホン、し、仕方ない。
釣りのついでにあいつの様子を見てあげようかな! うんうん、ついでに、だからね。
「おはよう、トムじいちゃん」
レンガと石造りの水車の小屋。
そこで荷馬車に小麦粉袋を積んでいるトムじいちゃんに声をかける。
「おや、マナか。今日も早いのぉ」
「うん、家ですることもおわっちゃったしね」
「そうかい。一刻も早く、お目当てのラグに会いたくて頑張ったのかの」
「わ、わたし、別にラグに会いに来たわけじゃないよ? た、ただ、水車に興味が、ね。そう! 水車が好きだからここに来てるの。あの子は関係ないもん」
「ふぉふぉふぉ、そうかそうか。水車のほうか。じゃあ、そういうことにしておくかい」
「も、もう!」
トムじいちゃんにからかわれながら、誤魔化すように水車を見る。
この中では大きな歯車がゴトゴトと音を立て、石うすが小麦を挽いている。ここで作られた小麦粉は、この村の主要産業だそうだ。
農業と畜産が盛んな豊かな村。村民は荒くれ者も多いけれど、みな気立てのいい人ばかり。
世の中の動きに目を瞑れば、一応の表面上、この村の中は平和だ。
「そ、それで、ラグはどこ?」
「なんだい。やっぱり気になるんじゃないか」
「ち、違うもん。ただ、あのヘナチョコがしっかりお手伝いをしているか気になっただけだし」
「ほうほう、マナから見たらラグはヘナチョコかい」
「そうよ。だってあの子、まだまだ子供よ? わたしが見ててあげないとね」
「ふむ、お姉さんが引っ張ってやらないとってとこかの」
「うん、わたしがいないと心配でしょ。だから、しっかり監視しなくちゃ」
そう、他の女の子の魔の手から、ね。
「ヘナチョコはひどいなあ、マナ姉ちゃん」
「あ」
「姉ちゃんに監視されるまでもなく、ぼくはちゃんと働いてるよ」
うわー、この声は聞きたかったけれど、今の話は聞かれたくなかった声の主は。
「お、おはよう。あのね、べつにサボってるなんて思ってないから。あ、あと子供ってのは悪い意味じゃないというか、えっと、その、ヘナチョコもそういうアレなワケじゃなくて」
「ははは、なに言ってるかわけわかんないよ」
「ご、ごめん」
「おはよ、姉ちゃん。うん、わかってるよ」
作業着姿の華奢な少年が、小麦袋を乗せたネコを押して小屋の中から出てきた。
彼はラグノア・オルニ。
私より一歳年下の、今年で十二歳になる男の子。
代々村の名主さんを務める家の息子で、わたしの幼馴染。
ラグは父親の意向で、午前中は簡単な仕事というか、村の大人の手伝いをしている。
ここ最近の仕事は製粉業を営むトムじいちゃんのお手伝いだ。
あー、ラグは相変わらず可愛いなー。
肩まであるサラサラの金髪と綺麗なブルーアイ。それらに彩られたきらめく笑顔が今日も素敵。
日差しよりも眩しい彼を見ていると、ついつい抱きしめたくなる誘惑にかられる。
いやいやいや、トムじいちゃんの目もあるし。
いくらなんでも、さすがにそんな大胆なことは実行しないわよ? うん。
「あの、姉ちゃん」
「なに? ラグ」
「突然抱きつかれても困るんだけど」
おっと、いけない。
無意識のうちに妄想を現実のものとしてしまったようだ。
「ごめんごめん。ラグがフラフラしてるように見えて、とっさに支えちゃった」
「ちゃんとネコも安定させてたはずなんだけど」
ラグ、男は細かいことは気にしちゃだめなのよ。
ちなみにネコとは運搬に使う手押しの一輪車のことだ。残念ながら「にゃあ」と鳴いてはくれない。
「おお、急ぎの配達を忘れとった。わしゃ、ドーマのパン屋に小麦粉を卸してくるから、ラグは小麦袋を台の上に積んでおいておくれ」
「まかせてよ、トムさん。いってらっしゃい」
「じゃあね、トムじいちゃん」
「マナ。じいちゃんがしっかり気を利かせたんだから、ちゃーんとうまいことやっとくれよ」
「もおもお! 変なこと言わないでよ! それより早くいかないとドーマおばさんにどやされるよ」
トムじいちゃんんはワハハと笑いながら荷馬車で去っていく。
酒好きな彼は酔うと大声で歌い、夜の村に騒音をまき散らす困ったおひとだ。
けど、わたしの乙女心を解するあのおじいさんは、じつに好ましい人物なのだ。
積む荷物はまだあるはずなのに、わたしがここに来た途端に、わざわざドーマおばさんのパン屋に『だけ』急いで行って、わたしとラグのふたりだけにしてくれるのだから。
「袋は、まだたくさんあるの?」
「あと十袋ってところかな」
「じゃあ、さっさと積んじゃおうよ。わたしも手伝うから」
「ありがと、姉ちゃん」
水車小屋の中に入ると、粉っぽい室内は今日も元気に石うすが回っていた。
小麦袋は結構重い。一袋で二十ギロもある。十二歳の少年が、これを運ぶ手伝いなんて普通は無理だ。
けれど、ラグは慣れた手つきで重い袋をネコに乗せると、これまた慣れた所作でネコを押す。その間わたしは見ていただけ。手伝うと言ったクセに観覧モード丸出しだ。
でもね、見ているだけなのには、ちゃんと理由があるんだ。
以前、感心するわたしにラグは「ぼくは筋力強化の魔法を施してもらっているからね、これくらいなら簡単なんだ」と説明してくれた。
筋力強化とは付与魔法のひとつで、光の女神ルンを信奉するルン教団の神官に掛けてもらう。そうすると誰でも力持ちになれるといった魅力的な代物なのだ。
ただし、その効果は永続ではなく、せいぜい半日くらい。
切れれば魔法を掛けなおす必要があるから当然、料金も毎回発生する。それも結構な額のお布施が必要らしい。
なので、わたしのような貧乏人には縁のない魔法である。
というわけで、重い袋を積み下ろす仕事をわたしが手伝う理由なんか、これっぽっちもない。
どうせ横から手を出しても、足手まといになることうけあいだし。
「んしょっと。こんなもんかな」
ほらね?
御覧のとおり、ラグはさほど時間を掛けずに袋を積みおえてしまうのだから。
「これでトムさんの手伝いはおしまいだね。あとは戻ってくるまで番をしてればいいんだ」
「おつかれさま、ラグ。いま、水持ってくるね」
「ありがと、姉ちゃん」
ラグは扉の外にある椅子に腰かけた。わたしは小屋の中に入ると戸棚を開ける。
この戸棚は氷の魔法が施された魔道具だ。だから中はつねにヒンヤリと冷たい。
魔道具とは魔法使いが魔法を吹き込むことによって、その魔法だけを限定的に使える道具のこと。いちど魔法を設定してしまえば、大気に漂う魔力を吸収して動き続けるから半永久的に使えるって話だ。だいたい、どこの家庭にも一つや二つはあって、我が家にも台所とお風呂にそれぞれ火の魔道具がある。
ほんと、すごい便利だよね。こういうのがなければ火とか使う時大変そう。魔道具がない生活とか、ちょっと想像できないなあ。