書院門文化街
宿を出発してから徒歩で10分もしないうちに、2人は最初の観光スポットに到着した。
古都 西安でも随一の骨董品街「書院門通り」だ。入り口には中華風の鳥居のような門が佇んでいて、今日の日本語や中国語とは逆に、右から左に向けて「門院書」と書かれている。
しとしと降りしきる雨。そのためか名所であるにも関わらず、人通りはあまり多くない。だが、古風な情緒を感じさせる街並みの中にいると、雨天でさえも不思議と趣があるように思えてくる。天から降り注ぐ水滴・・・それに濡れる事にすら美しさを見出す、温暖湿潤気候ならではの極めてアジア的な感覚である。
もっとも、実利的な事を言ってしまえば、彼女たち以外の観光客が少ない分・・・お店の一件一件を心行くまで物色できるというメリットも有るのだが。
「なんか買うの?」
「場合に因ります」
照とマリアは歩きながら頻りに周囲をキョロキョロと見回す。どのようなものが売られているのか、注意深く品定めしているのだ。
山積みにされた箱詰めの安いお菓子。ご当地に因んだキーホルダーやマグネット、バッジや置物といった雑貨の類い。翡翠を始めとした宝石や装身具も陳列されているが、大学生のアルバイト程度で稼げるお金では、やはり高くて手が出ない。
「わ、見て! これ全部、筆だよ!」
通りを進んで行く途中で特に目を引いたものと言えば、書道用具の専門店の数々だろう。
行けども行けども、膨大な量と種類の筆、硯、紙、墨を扱うお店が軒を連ね、さながら書道用具が通り沿いに延々と壁の如く立ち並んでいるようにすら見える。
「いかにも古都らしい光景ですね」
照もマリアも書道にはとんと詳しくないが、恐らく書院門通りで手に入らない道具ものは無いに違いない。ここはまさに書道家の聖地なのだ。
他にも、中国の詩や格言がつらつらと記された書道の作品や、水墨画など中華風の絵画を、木枠に挟み込み、壁掛けできるようにして売っているお店も多数ある。
学生寮では設置する場所もないのでこれらを買って帰る事はできないが、2人とも目を輝かせながら作品に見入っていた。たとえ買わずとも、お土産はただ見ているだけでも面白いものなのだ。これを「冷やかし」という。
「あ、こちらの髪の薄いおじ様は……」
「毛沢東おじさんだぁーー!!!」
よく見ると、至るところに手書きの毛沢東の肖像画が掲げられている。その奥には、恐らく毛沢東作と思われる詩や、彼の語録から抜粋された名(迷)言が、やはり書道の作品として飾られている。毛沢東を信奉する共産党員が買っていくのだろうか。
「欲しい・・・」
「え゛!!!」
ここにも若干1名。ただし、日本人の大学生だ。
「ネタとして1枚・・・」
「部屋に飾んの!?」
「その日から共産趣味者になれます」
「自室に毛沢東の肖像画を飾ってる美人女子大生とか(笑)」
「嫌ですよ、美人だなんて・・・」
「ハゲのおじさんの絵は嫌じゃないんだ!?」
共産趣味というジャンルがある。共産主義そのものの信徒ではない。共産主義が残した兵器や軍装、映画やポスターなどのプロパガンダ作品、果ては「同志」「万歳」「シベリア送り」といった言葉までを対象に、あくまで趣味の範囲内で愛でる事をいう。
このような趣味を持つ人は俗に“共産趣味者”と呼ばれているが、もちろん彼らは共産主義など信じていない。単に「兵器が格好いい」「芸術のセンスが好き」「ただのお笑いネタ」と思っているだけなのだ。
そして、照もまたそのうちの1人である。
道すがら、大量の印鑑を扱うお店も多く目に付いた。その場で削っている職人も幾らか見掛ける。日本に帰国した後に調べて分かったのだが、これは書道や絵画が完成した後に落款を押すためのものらしい。つまり、これも一種の書道用具なのだ。
「本当に面白いところですね」
「何にも買ってないけどね!」
心を弾ませながら通りを歩く照とマリア。相変わらず人通りは少なかったのだが、進行方向からやって来た歩行者1人が今まさに2人とすれ違おうとした、その時・・・。
「カーーーッ、ペッ!!!」
目の前で盛大に痰を吐いた。この静けさの中でなら多分、100メートル先からでも聞こえそうな大きな音を立てて・・・。
「・・・・」「・・・・」
昨日までいた上海と打って変わって、西安入りしてからというもの、痰を吐く人々の多さには驚かされる。道端を歩いていると、平均して10分に1回は、あの嫌な音が聞こえてくるのだ。
雨で路面も洗い流されるとは言え、見ていて心地良い訳がない。
(もしかすると・・・内陸部の田舎ほど痰を吐く文化がある、或いは残っている、のでしょうか? 成程・・・)
照は心の中でそう自問し、そして納得した。
たとえ旅行先で不快な出来事に遭ったとしても、それが耐えられる範囲内であれば、「この国はそういう国なのだ」と素直に受け入れる。それが旅行者に求められる精神・・・。
”ぐぐぅううぅぅううぅうううううぅぅ”
「!?」
「ごめん・・・」
照のお腹が盛大に鳴り響く音が響いた。先ほどの痰吐きといい勝負である。2人はその瞬間から、昼食を頂けるお店を探し始めた。
骨董品街の中にも、小規模ながら大衆食堂がある。その名も、書院餃子館だ。
午後1時すぎ、照とマリアの姿はこのお店の中にあった。全部で20席程度しかないが、ひっきりなしに地元の常連客と思しき人々が訪れては、さっと平らげて足早に去って行く。
何を注文するか訊ねられたので店員にお勧めを聞いたところ、彼は2人の頭上に掲載された写真を指差した。見た目からして辛そうなスープの中に、餃子と思われる白い塊が幾つも浮かんでいる。
「あ、これ美味しそうですよ!」
「すっごい辛そう・・・まぁ、いいか」
彼女たちが頷いてから、10分程度でそれは出てきた。餃子の1個1個がぷっくり膨らんでいて、それが丼を埋め尽くすかの如くたくさん詰まっている。最早、スープが見えないくらいだ。2人で1杯分しか頼んでいなかったのだが、やはり正解だった。もう大人とは言え、これは女子大生2人の胃袋を満たすに足りる量である。
「はふ、はふ」
「ン゛・・・辛!」
「熱っ! ・・・あ、でも美味しい」
「わ、悪くはないね」
日本語で表現するなら”激辛!水餃子スープ”といったところか。流石は激辛料理大国と言いたいところだが、この国の基準からすれば、これくらいは案外普通なのかも知れない。
しかし、本来は海外でやたらと辛いもの、脂っこいものを食べるのは禁物である。日本人では大抵、腹を下してしまうからだ。
現に翌日の晩、照もマリアも揃ってお腹が緩くて大変な目に遭う事になる。だが、今はまだ知る由もないのであった。
「・・・おや?」
「どうしたの、照?」
「これって、もしかして・・・!?」
昼食を取った後、2人は書院門通りの各店舗を物色しながら、さらに奥へ奥へと進んでいた。
そして、ある1件の土産物屋に入ってしばらく経った時。店内で流れていたBGMに、照はハッとさせられた。哀愁漂う緩やかなブルースに、彼女は殊更聴き覚えがあったのだ。
「『絲綢之路』のアレンジじゃないですか・・・!!!」
「なぁに、それ?」
「ある年齢層以上の日本人なら、誰でも知ってるくらい有名な曲ですよ!」
「え、じゃあ照って実は、相当なババァ・・・」
「んんんんん何ですかぁあああ゛???」
「ごめんて」
1980年代。石油危機すら乗り越えた日本は、アメリカが羨むほどの工業力を持ち、世界に冠たる経済大国となっていた。
その繁栄と絶頂の中で、日本人の琴線を掻き鳴らした珠玉のテレビ番組があった。NHK特集の傑作『シルクロード』である。
かつて長安と呼ばれた古都 西安から、中央ユーラシアを東西に二分する世界の屋根、パミール高原まで。中国国内のシルクロードに関係する史跡や都市を巡り、紡がれてきた歴史や文化を遺物とともに紹介する。
そんな番組構成がノスタルジックで悠久の時の流れを感じさせる音楽と見事にマッチした結果、日本のお茶の間は俄かに「シルクロード」という聞き慣れない概念に沸き立ったのだ。
かつて栄華を極めたであろう壮麗な建築物の群れが長年の風雨で土塊の廃墟と化している。その一方で、今なお諸民族の豊かな文化が各地に息付いている。
そこに日本人は言い知れぬ儚さと尊さを見出し、中国西部や中央・西アジアは一躍、訪れるべき憧れの地となった。ここに空前の「シルクロードブーム」が起こり、本来は考古学の用語に過ぎなかった「シルクロード」という言葉が、我々日本人を惹き付けてやまない魔力を放つようになったのである。
なお、絲綢とは中国語で「絹織物」を指す言葉らしい。
「テーマ曲『絲綢之路』は、あの素晴らしい番組の全てを象徴するほどの名曲です。まさか、こんなところで聴けるなんて・・・」
「ふーむ、そんなものがここで流れてるってのはつまり・・・中国人も結構知ってるし、そこそこ人気がある、って事だよね?」
「きっとそうなのでしょう。なんだか、誇らしい気分になりますね!」
遥かなる西方への憧れは、日本人も中国人も等しく抱くものらしい。そう思うと、照の胸の内には、不思議と隣国の人々への親近感が湧いてきた。
彼女は『絲綢之路』のメロディを小声で口ずさんだ。そして、ラクダの背に乗って厳しい砂漠の道を進み行く、往年の隊商たちの姿を思い浮かべるのだった。
再度しばらく投稿日が不安定になるかも知れません。同じく「小説家になろう」に投稿中の拙著『エルフの戦乙女、異世界(茨城県)に転生させられる』も宜しくお願い致します。
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