電信柱の独り言
最近、自分が何を書きたかったのか分からなくなってきました。
寒い、とても寒い。
季節は冬。世間ではクリスマスと呼ばれる特別な日。
寒空の下、凍てつくような冷風に晒されながらも、俺は黙して立ち続ける。
と、言うよりもそうせざるを得ないのだ。
やめられるなら今すぐやめてしまいたい。
それが偽らざる本音だ。つまりはそうできない事情があるわけで、だから今日も仕方なく立ち続けている。頑として立ち続けている。そろそろ座りたい。
俺は基本、暇を持て余している。
やることと言えば、人の話を盗み聞きしたり、身近な事柄について一人突っ込みを入れるくらい。自分でも悪趣味だとは思うが、こちとら身動きもできない身の上なのだ。不可抗力ということで勘弁して欲しい。
それはさておき、今日はクリスマスである。
一年に一度しか働かない例の白髭じいさんが、赤鼻のトナカイを従えて世界各地を奔走する日である。
あるいは、純真無垢な子供の夢を守るために、世のお父さんがサンタコスプレをする日でもあるが、そんなことはどうでもいい。
重要なのは、俺が独り身である、ということだ。
とても寂しい。去年も、一昨年も、十年前ですらも、俺に恋人ができたことなど一度としてないのだ。
何故だろうか。顔はともかくスタイルは良いはずだ。だってスリムだし。きっと性格に難があるのだろう。だって人前で喋れないし。
いや、それ以前に。
大前提として、俺はそもそも人間ですらないのだが。
だからだろうか。
道行くカップル達を見ると、どうしようもない憤りを感じてしまうのだ。
叶わぬものだと分かっていても、見せつけるかのようにイチャイチャされたら流石に腹が立つ。リア充爆発しろ。
早速、風の噂で知った常套句を使ってみた。
世の流行に聡い俺である。
「寒い」
最近、人々は口々にそう言うが、俺と比べれば、彼らの感じている寒さなどたかが知れたものだろう。
きっちりと防寒具に身を包んでいるくせして、どこまでも贅沢な連中だ。羨ましい。
俺なんて、何も着てないのに。
ダイレクトに伝わる寒さに、身も心も冷え切っている。
この目に見えた格差。なるほど、これが世に伝え聞く格差社会と言うやつか。
などと、この世の中の不平等さを理解した時ーー。
突如、俺の体を衝撃が襲った。
痛いな、何事だ?
視線を走らせると、何やら悲惨なことになっていた。
「痛ぇ......」
そんな呻き声。
悲痛に暮れる少年は、俺にぶつかってきた自転車の乗り手なのだろう。
憐れにもかごが凹んだ自転車は地面に横倒しになっており、少年も地面に蹲っている。
ふむ。
少年の友達と思しき数人の反応と発言から見るに、余所見をしながら運転していたせいで、俺にぶつかってしまったのだろう。
紛うことなく自業自得である。少年には是非ともこの失敗を糧に、交通ルールを順守する真っ当な大人になってもらいたいものだ。
「お前、だっせえ!」
「格好悪!」
少年の友人らは余程、面白かったのだろう。
腹を抱えながら少年の痴態を笑っている。酷いものだ。
少年は目に涙を浮かべながら仏頂面で立ち上がり、唾とともに吐き出した。
「ちっ、こんなのがあるからいけないんだ」
何だと。
前言撤回だ。おい少年、俺にぶつかったことを謝罪しろ。
しかし少年は俺を無視して自転車に跨り、友人らと共に何処へと去っていった。
まったく、信じられない。
少年の両親はどんな教育をしているのだろう。
これだからゆとり世代はーーなどと言うつもりはないが、あの少年には誠意が少しばかり足りないと思う。
まあ、俺に誠意を見せる奴がいれば、それはそれで親の教育を疑うけども。
ーーーー
同日、夕暮れ時。
今度は少女の声がした。
聞き覚えのある声だ。これはまさかーー。
「わん、わん!」
耳障りな犬の鳴き声。
間違いない、奴がやってきた。
首輪に繋がれたブルドックのポチと、その飼い主の少女である。
俺の立つ道路を散歩道としているのか、毎日、この時間帯になると決まって現れる。
それ自体はいい。顔馴染みが増えるのは構わないし、むしろ喜ばしいことだ。暇も紛れ時間も潰せる。
だが。
「ポチ、本当にここが好きね」
いや、飼い主よ。
これは少しばかり困るのだが。
俺の足下を濡らす汚水。またの名を小便。
そう、俺はどうやらこのポチにしっかりとマーキングされてしまったらしく、毎日足繁く通われてはその度に汚されているのだ。抵抗できないのをいいことに、酷い。
畜生め。
いつか復讐してやる。
精一杯の復讐心を燃え滾らせて睨むと、ポチは余裕綽々と視線を返してくる。まるで「かかって来い」とでも挑発されているようで、余計に腹が立つ。
「わん!」
うるさい、どっか行け!
やっぱり一人の方が良いかもと思い始める今日この頃。
夕日に染められた茜色の空は、徐々に暗くなり始めている。
長い夜が今、始まろうとしていた。
ーーーー
時刻は深夜。
辺りは夜闇に閉ざされる。外灯のちっぽけな光が、俺の足下を照らしている。
夜は嫌いだ。
何故なら、昼間に比べて寒さが増すから。
寒さが増すと余計に人肌が恋しくなる。なのに俺は一人ぼっち。
かじかんだ手を温めてくれる恋人も、傷心を諌めてくれる友人もいやしないのだ。
だから今宵もまた、孤独と寒さに耐え忍ばなければならない。
明けない夜はないと言うが、明けるまでが長い夜など幾らでもある。
ああ、負のスパイラルだ。
思考がネガティブに染まっていく。
俺は何のために存在しているのだろう。
決まっている、各家庭に電力その他を安定して送り続けるためだ。
俺は何のために思考しているのだろう。
考えてみれば、何故だろう。俺は紛うことなく無機物である。本来、人のように思考することはないはずなのだ。にも関わらず、俺は平然とそれをやってのけている。
俺って、実は凄いんじゃね?
もちろん反応してくれる者は、どこにもいない。
俺の声は決して人に届かないのだ。きっと生物にも届きはしないだろう。いや、憎き駄犬ことポチとは辛うじて意思の疎通が取れているような気がしないでもないが。まあ、どちらでもいいか。
そこで思考を一端打ち切る。
で、コイツは誰なんだ。
俺は足下を見下げる。そこには外灯に照らされたおっさんがいた。
おそらく仕事帰りなのだろう。使い込まれたビジネス鞄を手に持っている。酒を飲んだのか、酔っぱらっているようだ。
「君は凄いよ、ホントに」
......はい?
「毎日毎日こんな所に立ち続けて、偉いなあ......」
え、偉い。俺は偉いのか。
いや待て、それより、アンタは俺の言葉が聞こえているのか?
「もちろん」
返答が、あった。
たったそれだけのことに、俺は心底驚く。
くたびれたスーツを着た男は、頬を赤く染めながらにへらと笑った。
「夜風が気持ちいいな~」
言われてみれば、確かに気持ちいいかもしれないな。
先ほどまで感じていた寒さや孤独など何処かへ行ってしまったのか、今の俺は希望や活力で溢れているようだ。ネガティブがポジティブへと転換した証拠である。
「だろう?」
またもや、俺の思考を読んだかのような返答が帰って来る。
間違いない。この男には俺の言葉がしっかりと届いているようだ。
「はあ...」
男はため息を吐く。
どうした、何か悩み事か?
「ああ、娘のことなんだがねえ......」
ふむ、娘か。
男の年齢からして、さぞや難しい年頃だろうな。
俺に子を持つ親の気持ちは分からないが、ここは一つ相談にでも乗ってやろう。
「娘は今年で中学生になるんだが、最近僕に対する態度が酷くてねえ...」
反抗期、というやつか。
「それに僕もつい反発するものだから、余計に仲が険悪になって...。こちらにも非があるのは分かっているんだが、いらないプライドが邪魔するんだ」
まさに悪循環だな。
「今日はクリスマスだってのに、娘の欲しがるプレゼントすら分からない。妻に尋ねても本人と仲直りしろって聞かないし、打つ手がなくてこの有り様さ」
なるほどな。
それで酔っぱらって夜帰り、と。
「笑えるだろう?」
笑えないよ。
アンタは娘を大切に思っているんだろう?
それならクリスマスの夜に俺なんかと話してる場合じゃないことくらい、分かっているはずだ。
「いや、しかし」
娘さんの下に行けよ。
プレゼントなんてなくてもいい。何なら本人に欲しいものを訊けばいいじゃないか。少なくとも、一晩中帰らないよりその方がマシだろう。
そう言って男を説得する。
考えてみれば、何を馬鹿なことを言っているのだろうか。折角の話相手なのだから、帰宅を勧めて俺が得することなどない。むしろまた孤独な夜に逆戻りするだけの大損だ。
でも、それでいい。
「そうか、僕は何を悩んでいたんだ...」
男は立ち上がり、俺を振り返って言う。
「ありがとう、僕は帰るよ。酔いも醒めてきたし、娘に会わなければいけないからね」
男はそう言い残し、はっとして頭を掻いた。
「そうか、電信柱と話すほど酔ってたのか...」
たまげたなあ、と男は笑う。
そして不恰好に走り出した。男の後ろ姿が暗闇に遠ざかっていく。
きっと。
きっと今の会話はなかったことになるだろう。酔いが男の記憶を忘却させて、きっと俺が人と話したという事実もなくなってしまう。もしかしたらたまたま会話が成り立っていただけで、そもそも言葉など通じていなかった、と言うことも十分に有り得る。
人と電信柱。それらが意思を疎通することなど不可能なのかもしれない。
どちらにせよ、過ぎたことだ。
今は夜を越えることだけに専念しよう。
いや、男が無事に娘と仲直りできるように祈っておこうか。
月の浮かぶ夜空を眺めながら、俺はそんなことを考えた。
ーーーー
それから少々時を経て。
冬が春へと次第に移り変わろうとしていた。
あの夜以降、誰かと話せた試しはない。依然として暇に尽きる日々を送っている。
最近、ふと思い悩むことがある。
やはり、あれは泡沫の夢だったのだろうか、と。
それならそれでいいと思う一方で、現実であって欲しいという願望もある。
儘ならないなあ。
そう痛感し、嘆息する。
すると、親子と思しき二人がふと俺の前を通った。
「パパ、これが前に言ってた電信柱なの?」
親子の娘が、父親に訊ねる。
「ああ、そうだよ」
聞き覚えのある声だった。
どうやら男は無事に娘と仲直りできたらしく、二人は仲睦まじい様子で去って行く。俺はそれを晴れやかな気分で見送った。憑き物が落ちたような、どこか救われた気がした。
今日も俺は立ち続ける。
これまでも、そしてこれからもーーずっと立ち続ける。
ただ立っているだけじゃ辛いから、暇潰しに他愛ない独り言でも呟きながら。
「変な物語を書こう」
そう考えて出来上がったのがこれでした。
少しでも楽しんで頂けたなら、幸いです。