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京都にての物語

日向大神宮~天の岩戸~

作者: 不動 啓人

 立花朝美たいばなあさみは本当に機嫌が悪かった。どうしてこんな所に来てまで、こんな思いをしなければいけないのかと考えると、益々機嫌が悪くなる。振り向きもせず前を進んでいく鍋谷雅哉なべやまさやの背中が恨めしい。この場で拗ねてしゃがんでやろうとも思ったが、そこまで子供ではなかった。腹が立つけど、付いて行くしかない。

「ちょっと、待ってよ!」

 けれど、本当に腹が立つ。普段ならば朝美の手を一時も離さずに並んで歩くのに。

「早く、しろよ」

 返ってきた答えはぶっきらぼうで。

 その背中を蹴り飛ばしてやりたかった。


 せっかくの京都旅行。着いた早々の大喧嘩だった。きっかけは些細な事だけれど、原因なんてどうでもよかった。とにかく結果として二人の仲は気まずくなった。

 喧嘩をすると二人は言葉を交わさなくなる。三日か四日して、どちらからともなく相手の機嫌を確かめるように言葉を交わして、その内に仲直りをしている。そんなパターン化された喧嘩の流れで、決して性質の悪い話に発展する事はないのだが、それでも三日四日は必ず冷戦状態となる。それでは二泊三日の京都旅行は終わってしまう。

 腹が立つやら悲しいやら。普段ならば顔を合わせるのも避ける二人だが、一夜明けて、とりあえず当初の予定通り観光には出た。

 初秋の頃で、風はだいぶ涼しくなってきているが、寒さは感じない。楓を紅に染めるには、まだ時期が早かった。

 晴天の下、京都駅からバスに乗る。最初の目的地は日向大神宮ひむかいだいじんぐうだった。お昼は南禅寺なんぜんじの湯豆腐を考えていて、それまでの時間潰しとして雅哉がネットで調べていて見付けた紅葉の穴場だった。まだ紅葉には早いのだから穴場もなにもあったものではなかったが、有名観光寺社ではない自分達だけの特別な場所を見付けたような気持ちで、二人は事前に訪れる事を決めていた。

 南禅寺前のバス停で降り、南禅寺の境内に入る前に南下し、金地院こんちいん前を通って水道橋沿いに東へ向う。そうすればやがて日向大神宮への参道に出る。

 参道と言っても民家の間に走るコンクリートの坂道で、古びたコンクリートの鳥居だけがなんとか雰囲気を搾り出していた。

 先を行く雅哉は、地図を片手にどんどんと進んでいってしまう。そんな背中に朝美は蹴りを入れたかった。いや、本当に蹴るつもりで少し走った。けれど追い付いてみると、少し走っただけなのに息が切れて蹴るどころではなかった。日頃の運動不足を後悔する。悔しいから、雅哉のTシャツを引っ張った。雅哉は口を尖らせて振り返ったが、何も言わずにまた前を向いた。その態度に益々腹がたったので、朝美はTシャツを放さずに後を歩いた。

 参道は意外に長かった。勾配のある坂道が、まだか、まだかと続いている。左右には木々が茂り、太陽の光を遮っている。その木々を押しのけるように民家が立ち並んでいるのだが、人の気配がなかった。これだけ民家が立ち並んでいるのに、誰一人として擦れ違わない。よく見れば、明らかに空き家だと分かる家がある。

 明美は、疲れた体と頭に妙な涼しさを感じ始めた。なんだか今まで歩いてきた道とは急に雰囲気が変わったと。雅哉への怒りが静かに引いていく。 入れ替わりに微かな恐怖が湧いてくる。霊感とかそういう難しいものではなく、身が触れる空間が持つ重々しい雰囲気。

「ねぇ、本当にここであってるの?」

「あ?あってるのって、なんだよ」

「本当にこの先?」

「じゃないの」

「なんだか薄気味悪いよ」

「……まぁ、な」

 どうやら空気の変化を雅哉も感じていたようだ。

 二人の足音だけが響く。

 坂道を歩き続けると、やがて視界が広がりを見せた。コンクリートの道と雑草の生えた地面が半々程度の広場。車が一台止まっているから駐車場なのだろう。歩いてきた正面には小さな社があり、朱の鳥居の額を見れば『神田稲荷かんだいなり』とある。左右から狐の鋭い視線が二人を捕らえていた。

 御手洗の水の音が細々と響く。

 御手洗の左手に石段があり、その先に日の光に白く映る鳥居が立っていた。

 日向大神宮は第23代・顕宗けんぞう天皇の御代に筑紫日向の高千穂たかちほの峯の神蹟しんせきを移して創建されたと伝えられる京都最古の宮で、神明造しんめいづくりの社殿は、内宮ないぐう外宮げぐう奉斉ほうさいされ「京の伊勢」として親しまれ、昔は東海道を往来する旅人で賑わったという。

 だが紅葉シーズンならまだしも、石段を登った二人の目に映る境内の光景は、賑わいという言葉からはかけ離れていた。深い山の緑に包まれ、玉砂利が敷かれ美しくあるものの雑草が目立ち、社殿は味わい深さはあるものの華やかさはなく、参拝する人の姿は皆無だった。ばかりか社務所の窓は締め切り、管理する人間さえいない有様だ。

「きゃっ!」

 朝美の足元を小さな蛇が過ぎた。咄嗟に朝美は雅哉の腕にしがみ付き、見送った蛇はやがて草むらの中へ身を隠した。

「雰囲気、抜群だな」

 雅哉の顔には引き攣った笑みが浮んでいた。

 朝美はこれ以上先に進む事に躊躇いを覚えたが、雅哉は先へと進んでしまう。仕方がないから腕を掴んだまま後に従う。

 外宮に参拝し、更に奥に進んで内宮に参拝する。朝美は一応手を合わせて目を閉じるも、祈願するよりも周囲が気になり気もそぞろで、すぐに目を開けては辺りを窺ってしまう。静けさが生み出す荘厳さを、愛でる余裕もなかった。

 参拝も済み、朝美は帰ろうと鳥居の方向に足を向けるが、

「待てよ、まだあま岩戸いわとを見てないだろう」

「そんなの、もういいじゃん」

「ここまで来て、帰れるかよ」

 雅哉は強引に朝美の腕を取り『天の岩戸』と表札の立つ山の中へと足を向けた。

 天の岩戸。朝美はその言葉自体は聞いた覚えがあったが、何を意味しているかまでは知らなかった。ただ雅哉のいう事によれば、日本神話の物語にて、今参拝した内宮に祭られている天照大御神あまてらすおおみかみが弟の素盞嗚尊すさのおのみことの乱行に怒り、その身を隠したという。その身を隠した場所こそが天の岩戸とのこと。

 その天の岩戸が日向大神宮の裏山にある。ネットでそれを読んだ時、雅哉は酷く興味を惹かれたようだった。

 山道を歩いていくと、程なく岩戸が現われた。岩肌にぽっかりと穴が空き、注連縄から幣が垂れ『天の岩戸』と表札が立っていた。中を覗けば真っ暗で、その先に何があるかは窺い知る事はできなかった。

「これをどうするの?入るの?」

「通り抜けるって書いてあった」

「私は嫌。怖いもん」

「出口はどこにあるんだ?」

 掴んでいた朝美の腕を放して、雅哉は一人岩肌を回りこむように先に走った。待って、と朝美が言う間に雅哉の姿は岩肌の奥に消えた。

 残された朝美は岩戸の闇を見る。囲む木々の深さを見る。どれもこれもが恐怖を引き出す材料になる。

 幸い、雅哉はすぐに戻ってきた。

「大丈夫、出口はある」

 わざわざ出口を確認してきたところを見ると、雅哉も少し臆しているようだ。だったら止めればいいのにと朝美は思うのだが、雅哉は再び朝美の腕を取ると、

「行くぞ」

 と声を掛けた。

 朝美は渋々従う。

 二人の向う闇は深い。踏み締める砂利の音が嫌に響く。朝美は覚悟を決めて雅哉の腕を強く引き寄せた。

 二人はついに岩戸の中へと足を踏み入れた。恐怖が二人の足を速める――と、あっという間に光が差し込んだ。突き当りを左に曲がれば出口だった。余りの短さに、二人は拍子抜けした足取りで外へと出た。振り返る。そこには闇がある。けれど、その闇は最早恐怖を生み出す事はなく、ただの視覚的なものに過ぎなかった。

「……終わり?」

「……だね」

「終わりかい!」

 雅哉は苦笑いを浮かべた。その表情に、

「あはは、ほっとしてるし」

 朝美も釣られて笑った。

「違うよ」

 照れ隠しの笑いに変わった雅哉の表情に、朝美はえもいわれぬ愛しさを感じた。


 天の岩戸の伝説には続きがある。事態を憂慮した八百やおろずの神々は、天照大御神を説得するも功をそうせず、一計を案じて岩戸の前で宴を開いた。歌い、舞い、奏でる。楽しげな笑いのさざめきはやがて岩戸に篭もる天照大御神にも伝わり、ついにはその笑いに惹かれるようにして天照大御神は岩戸を開いたのだった。


 微笑み合う二人の、閉ざされていた戸も――


「ねぇ、中に小さなお社みたいなのがあったじゃない。お参りしない?」

「そうだな」

 二人は再び岩戸の中に入り、入り口からの突き当たりに安置された小さな社に手を合わせた。この時ばかりは朝美の心に平静が訪れた。手を合わせ、目を閉じ、隣に並んで手を合わせている雅哉との幸せを素直に願えた。


 辿ってきた山道を、手を繋いで下る。

 静かな社殿の佇まいに朝美は、今は安らかなる気持ちを持てた。

 鳥居の方から初老の男性がやってくる。擦れ違いざまに挨拶を交わした。

 鳥居に至った二人の背中で、大きな拍手かしわでが響く。

 朝美は振り返り、内宮に手を合わせる男性の背中とその光景に、静かなる感動を覚えた。


「そういえば、なんで喧嘩していたんんだっけ?」 

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