少年、時折残酷に
メアリ・・・見習い魔導士
ダイキ・・・数ヶ月前に魔王を倒した勇者の一人
エーア・・・メアリの実姉で高名な宮廷魔導士
トモハル・・・勇者
ミノル・・・勇者
アサギ・・・勇者
吐息が白い、寒空の下。
滅多に雪の降らない国ではあるが、昨年末から時折雪がちらついた。珍しいので子供たちは大喜びだったが、大人は警戒している。
異常気象は、生活に支障をきたす。
今にして思えば、それは予兆だったのだろう。
……惑星が、大気が、人々が悲しみに明け暮れる前の。
魔王が倒された今、時代は移り変わろうとしている。各国は復興に尽力しており、活気づいていた。
とはいえ、新たな魔王が降臨することを懸念し、戦闘員の育成は続けている。人間たちは魔王を酷く恐れ、杞憂に過ぎないと願いつつ、人員を増やしていた。
ただ、一部の人間は気づいている。
新たな魔王が、『人間同士の戦争』となり得ることを。
手に余る武力は危険だとも、承知している。
だが、攻撃は最大の防御。
その考えが覆せないほど、魔王ミラボーは各地に深い爪痕を残した。
窓から小粒の雪が舞い降りるのを一瞥する。
姉と同じ宮廷魔導師になるという夢を掲げ、メアリは授業を受けているが。
「ぷくー」
頬を膨らませ、魔導書に目を落とした。
肌寒いので、目が冴えている。しかし、退屈だ。
尊敬している姉エーアは非常に有能な魔導士で、先の戦いでも名を挙げた。しかし、妹のメアリには能力がないのか、いつまでたっても魔法を覚えることができない。
初歩的な魔法ですら、ほぼ成功しないのだ。
まだ若いが、『あのエーアの妹』という肩書のせいで期待が寄せられ、多くの者が群がった。他国から引き抜き話も出ていたが、現状を知るや否や、皆手の平を返して離れていく。
姉のエーアですら、魔導士への道を諦めるよう諭しているほど絶望的。
けれども、メアリはめげなかった。未来を担う一員であると志を高く持ち、懸命に励んでいる。
「メアリ。君に来客だ、すぐに受付へ」
文字とにらめっこをしていると、教師に声をかけられる。
「来客ですか? 私に?」
首を傾げつつも、上ずった声を出す。
授業を抜けても問題ない相手など、メアリにはそういない。
すぐに誰が来たのかピンときて、大急ぎで立ち上がった。
息を切らせ、一階の受付へ向かう。
来客手続きをすませた彼が、静かに立っていた。
「ダイキ! 久しぶりっ」
「こんにちは」
声をかけると、勇者ダイキは微かに微笑む。
急な来訪に胸を弾ませ、駆け寄ったメアリは破顔する。
体躯の良い均整の取れた身体は彫刻のようで、思わず見とれてしまった。きゅーんと胸が苦しくなって、メアリは顔を真っ赤に染める。寡黙で感情の起伏がない彼だが、突然笑顔を見せるので心臓に悪い。
ダイキは数ヶ月前に魔王を倒し、安寧の世をもたらした勇者の一人。
メアリより三つ下の少年だが、身長はダイキが勝っているので年上に見える。また、同年代の男より身体つきがしっかりしているし、会話も落ち着いているので頼もしく思えた。
会う前は、年齢を聞いて「子供だ」と小馬鹿にしていたのに。
メアリにとって、ダイキは勇者でも少年でもなく『男』。戦闘中の彼を思い出すたびに胸が震え、身体が飛散しそうになるほどむず痒い。
恋の吊り橋理論とするとメアリは怒るだろうが、要は一目惚れだった。
「ごめん、授業中だったね」
「ううん、いいの。退屈だったし」
苦笑し肩を竦めるメアリは、照れくさそうに微笑む。
勇者ダイキを一目見ようと、受付嬢が集まっていることに気づいた。羨望の的になっているので、誇らしく、嬉しく、気分が高揚する。
まるで、恋人同士。
そんな噂が広まることを願って、メアリは一歩近づいた。
「俺も勉強は苦手だから、分かる」
「勇者にも苦手なことってあるんだね」
「あるよ。アサギやトモハルと違って、俺は普通の勇者だから」
「ぷふっ、普通の勇者って何? 私から見れば、ダイキは立派な勇者だよ」
「ありがとう」
心が弾んで声が大きくなり、メアリは慌てて口を押える。
「それで、今日はどうしたの?」
「あぁ、うん。これを」
肩から下げていた鞄から、ダイキは小さな箱を取り出した。
促されるまま両の掌で箱を受けとめたメアリは、まじまじと見つめる。ダイキの故郷・惑星チキュウの物だとすぐに分かった。初めて見るキラキラした包装紙とリボンに、胸が高鳴る。
「もらって、いいの?」
「うん。気に入らなかったら、ごめん」
ダイキは照れくさそうに横を向いている。
もうすぐメアリの誕生日だ。つまり、これは誕生日の贈り物。
「見てもいい?」
「うん」
真正面では、煌めく雪が祝福するように振っている。
受付嬢がこぼした嫉妬混じりの溜息が聞こえ、優越感に浸った。
最高の気分だ。
公衆の面前で渡された贈り物に陶酔し、震える手で包みを開く。
気温は低いのに、身体は熱を帯びて熱い。
「わぁ、綺麗! ありがとう」
木製の耳飾りだ。
丁寧に磨かれた雫型のそれは光沢があり、惑星チュザーレではお目にかかれない一級品だろう。
「女の子が何を欲しがるのか、分からなくて……。初めて買ったから、不安だけれど」
「とてもいいよ、最高! お洒落だし、一番のお気に入りになったよ」
照れ隠しで、やはり声が大きくなる。
王家の宝より希少な物に思え、メアリは上機嫌だった。ダイキが初めて異性に買った贈り物、というだけで箔がつく。
「気に入ってもらえたなら、よかったよ」
もしや両想いなのでは? そんな淡い期待に胸が跳ねる。隠しきれない想いが迸り、過剰に反応した。
急いで両耳につけると、耳飾りを指ではじき、これみよがしに揺らす。
「ふふ、どーう?」
「うん、いいと思う」
「あっりがとー! こんなに素敵な物を選んでくれて、感謝感激だよっ」
くるりとその場で回転し、ポニーテールを揺らす。
「えっと……お誕生日おめでとう。少し、早いけれど」
やはり誕生日の贈り物だった。
メアリは涙が零れそうになるのを堪え、懸命に笑う。照れ隠しに、おちゃらけて。
「あ、ありがとう……。わ、悪いね、年下君に買ってもらっちゃって。私はお姉さんなのに……」
「歳は関係ないよ、仲間だろ」
「う、うん! でも、お礼に今度一緒にご飯を食べに行こうよ、奢るから。こんな珍しい物を貰って、何もしないなんて……おねえちゃまに怒られちゃう」
さりげなく食事に誘った。こう言えば、承諾してもらえると思ったのだ。
しかし、必死なメアリに気づかず、ダイキは微笑む。
「気にしなくて良いよ、高い物じゃないから。トモハルがさ、「仲間だし、女の子だから、何かあげたほうがいい」って。そう言うから、買ってみたんだ」
「……トモハルが?」
若干、心が沈んだ。
人に指摘されて買った物だと知ったからだ。
つまり、言われなければ買わなかったのだろう。
これは、その程度の物なのだ。
人間とは非常に不思議なもので、貰えて嬉しい筈なのに、真実を知って気落ちする。
トモハルというのは、ダイキの仲間で勇者だ。
物静かなダイキと違い、仲間の中心にいるトモハルは統率力に長け、人の機微に聡い。メアリの恋心を見抜き、あえて伝えたのかもしれない。
遠回しに。
だが、そうと知らないダイキは、メアリに話してしまった。
「そんなに喜ばれると心苦しいな、ついでだったし」
「ついで?」
値段にして千円程度、最も目立つ物を購入しただけ。メアリに似合う物を選んだのではない。ダイキにしてみれば、メアリの大層な喜びぶりに身の竦む思いだった。
そもそも、本来の目的は。
「ほら、今さ……。その……ミノルもトモハルも、動いているけれど」
「あ……あぁ……ん、うん」
急に、耳飾りの重みが消える。
目の前でダイキの表情が翳り、眉根に皺を寄せて遠くを見つめると、切なそうに溜息を吐いた。
ここで、メアリは気づいた。
贈り物を購入したい相手は、自分ではなかったのだと。彼女の『ついで』に買って貰えたのだと。
「アサギを励ましたくて……トモハルたちと買い物に行ったんだ。そうしたら、メアリももうすぐ誕生日だって教えてくれて」
ダイキは実直な人間だ、悪気はない。ありのままを素直に口にしている。
だからこそ、余計に辛い。
「うん、ありがと。それでも、嬉しいものは嬉しいよ! それなら早く行きなよ、どうせまだ渡していないんでしょ?」
急に、大人ぶった口調になった。
だから、声も低く、小さくなる。
「はは、分かる? ……こういうのは、トモハルが向いているし。ミノルは復縁を渇望しているし。正直、渡すべきか迷っている」
「勇者がそんな気弱でどうすんの? こういう贈り物はね、気持ちが大事なんだよ。……時間を割いて贈り物を選んでくれたってことは、物が何であれ、とても嬉しいことだから」
「そうだな。うん……ありがとう、渡してくるよ」
「うん、頑張れ! 私は勇者ダイキの味方だよ。……ちなみに、何を購入したの?」
「アサギに似合いそうな、髪飾り。雪の結晶を象った、キラキラ光る可愛い感じの。きっと、似合うから。笑顔が戻ればいいな、って」
「いいじゃん! ダイキの見立てなら、きっとお洒落だよ。私が保証する」
「ありがとう、また」
「うん、またね!」
軽く片手を振り、去っていくダイキの大きな背中を見つめた。
「……ついで、か。なるほど、あちらは髪飾り」
ぼそ、と独り言。
同じように髪飾りを買ってくれてもよかったのに、何故耳飾りだったのだろう。
「……私が髪飾りを集めていること、ダイキは知らないもんね」
長い毛先を指に巻き付け、大きな溜息を吐く。
その息とともに、体内の黒いもやを吐き出してしまいたかった。
でも、出て行ってくれない。
アサギとメアリの誕生月は、同じだ。『初めて買った』日、二人分に購入したのだろう。
「恋敵が勇者なんて、聞いてないよー……」
情けなく、笑った。
ダイキが想いを寄せる相手は、勇者アサギと知った。
鮮烈な印象の彼女は、同性から見ても眩く、愛らしい少女だった。
知らなかった、いつ恋心が芽生えたのだろう。
「勝てないよー、ずっと一緒にいる相手に、立ち向かえないよー。恋敵なんて、烏滸がましい」
身体中から力が抜けて、突っ立っているのもやっとだった。
「髪飾り、かぁ。いいな」
はにかんだように購入した物を告げるダイキの表情を見た瞬間に、恋の終わりを悟った。
勝てない。
あんな表情で想い人を思い出す相手に、どう自分を売り込めばいいのか分からない。
「少年は無邪気で鈍感、故に、乙女心に気づかない」
「おねえちゃま! ……いつからいたの?」
「ごめんなさい。立ち聞きするつもりはなかったのだけれど、次の授業に呼ばれていて。最初のほうからずっと見てた」
「あわー」
隣に姉のエーアが立っていた。
彼女は気配を消すのが上手い、だが、忍び寄って来たのではない。放心状態のメアリは、外部に目を向ける余裕がなかった。
誰が来ても同じで、気づけなかっただろう。
「解っているでしょうけれど、伝えるわね。ダイキにも、その耳飾りにも、悪気はない」
「うん」
これは仲間の誕生日を知った彼の、『他意のない』純粋な贈り物。
先走ったメアリが、はき違えただけで。
「授業中でしょう? 教室へ戻って」
「はい」
「でもね、メアリ。ダイキとアサギは恋仲ではないの、落ち込む必要はないわ」
「…………」
エーアの言うことは理解出来る。
メアリもダイキも、一方通行の片思い。
メアリが抱いていた苦い恋心を、ダイキも抱いていた。それだけだ。
ここからどう動くかで、未来は変わる。
けれども。
「嬉しかったの、とても。素敵な耳飾りをもらえたから」
「えぇ」
「私の誕生日を知っていて、私の為に選んでくれたと思ったの」
「そうね」
「だから、勘違いをしてしまったの。私のことを、好きだって」
「好きな人から贈り物をされたら、誰だって舞い上がってしまうわね」
「でも、違ったの。私はついでだった。……私は馬鹿だけれど、分かるよ。この先も、ダイキは」
続きを言おうとして、メアリは口を噤んだ。
言葉にしたら泣きそうになってしまったのだ。
恋に破れた、それは、ダイキの想いに触れてしまったから。
自分には、あそこまでの熱量はないと、打ちのめされたから。
だから、敵わない。
アサギにではなく、ダイキのひたむきな想いに。
「初恋は実らないって、言うよね」
苦笑したメアリの頭を撫で、エーアは肩を竦めた。
「早退したら? 私が話をしておくから」
「ううん、大丈夫。私は魔導士になりたいから」
魔導士になりたいのも、本当はダイキの隣で胸を張りたかったからだ。
そうすれば、逢える時間が増えると思った。
異界の地の耳飾りと共に、最初の恋は封印する。
けれど、魔導士への夢は諦めない。
「失恋は女を成長させるのよ!」
微笑んだエーアは、強がってそう告げるメアリをそっと抱き寄せた。
「でも、メアリが魔導士になる必要はないの。魔王も戦争も、その芽は私たちが摘み取ってみせるから。大人は、子供たちが平和に暮らせる世界を維持せねばならないの。そのために生かされ、生きている」
「子供は、いつか大人になる。その時、おねえちゃまの隣に立っていたいの」
洗脳され、魔王の伏兵として暗躍していたエーアは、数年間メアリと離れていた。
記憶の中のメアリは幼く常に泣いていたが、随分と逞しく成長したものだ。
魔導士になりたいと言い出した時は止めたものの、彼女の決意は揺るぎ無い。
「では、身を粉にして勤勉なさい」
「うん」
「それからね、メアリ。失恋は女を美しくもするのよ」
ぐじぐじと想いを引きずるのではと思っていたが、過剰な心配だったらしい。
今はひよっこの妹が、いつか自分の隣に並び立つと信じ、エーアは背を押す。
女は、強い。
本編はムーンライトノベルズにて連載しています。




