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そのときまで

作者: 池畑瑠七
掲載日:2026/07/04

 面会に訪れても会話にならないことが度々あるようになった。


 ひと月ほど前に急に発熱 持病の腎障害からの膀胱炎が原因だった。

 介護施設にお世話になる前から自宅でもたびたび発熱と通院を繰り返していたけど、此処での発熱は久しぶりだった。

 今回はそれが長引き、熱が下がっても体力や意欲の回復は薄かった。

 面会に行くと少し腫れた顔でゆめうつつの時もあれば、雑音の混じる呼吸音で寝息を立てている時も。

 昨日はかろうじて車いすの上。どっか痛いとこある?の問いかけに首を微かに横に振り「痛くないよ…かったるいんだよね…」とぽつり、呟いたんだそうだ。


 1カ月ほど前 発熱から肺炎を起こした。

 2週間近く抗生剤の点滴を受け、幸いにして熱は収まって肺炎は初期段階で回避されたけど、それ以来食欲が戻らず。

 最初の2-3口以降は自分で食べる気力も意欲も失せるらしく、介助して頂いて何とか食事を終える毎日が続いていた。


 その間の検査で、肺に影が見つかったと知らせが来た。

 医師の見解では、肺炎の影というよりも元の病巣からの転移性腫瘍である可能性が極めて高く、そうであればおそらく残念ながら末期と言える、とのことだった。

 今は幸いにして痛みは無く。そのかわり食欲がない、脱力感疲労感を訴え食事時以外はほぼ一日中、うつらうつら半睡眠のような状態が続いている。


 今後は注意深く経過を見ながら、痛みを訴えるのであればそれを減ずる処置をしていただく。

 説明を受け退出の際、看護師さんから「万一の際の延命措置を、ご家族はどう望まれますか」と訊かれた。

 この手続きは二度目になる。1年半前危篤で運ばれた時は急性期だったこともあり、別れを惜しむ会えてない兄弟親族が沢山いる事を思うと義母もさぞや心残りだろう、と〇印をつけたのだった。

 それから1年半。緩やかな回復を奇跡のように感じながら、穏やかな日々が流れた。


 温かな職員さん達との触れ合い。一時帰宅や孫の結婚、ひ孫の誕生。若夫婦と赤ちゃんの笑顔に目を細め、新しい命の輝きを喜び笑い合った。

 つい先日も、半分眠っている状態での面会だったが、それでもと差し出したタブレットの画面。

 映し出されたひ孫。ここに訪ねてきた2カ月前よりさらに成長し、ハイハイしながらきゃっきゃと遊ぶ様子に義母は急に眼を見開いて「まあ~可愛いねえ…ほんとに可愛いねえ…」と幾度も幾度も、とろけるような菩薩様のような笑顔を浮かべ、しきりに喜んでくれた。


 無垢な魂の放つお日様の如き純粋な輝き。その光にはどんなものも叶わない、大きな貴い力が宿っている事をつくづく感じた瞬間だった。

 そして命のリレーというものを、同時に強く感じざるを得なかった。



 そんな日々があるなかで、緩やかに義母の命の時は流れ続けた。

 病も身体の衰えも、自然の呼び声に逆らうことなく進み続けていた。


 あのとき。生死の境をさまよい目覚めた時には体の自由を失い。ほぼ24時間をベッドの上で過ごす毎日が彼女に訪れた。

 その悲しみや苦難をもあるがまま受け入れながら、恨み言を言う事も一切なく、笑顔と人への感謝・優しさを持ち続け己の命を全うすることを頑張り続けてきた義母。


 その旅を終え漸く亡き夫の手を安らかに取ろうというその時に、〇印の一つでただ苦痛だけをいたずらに長引かせることになるのだとしたら。

 果たして彼女がそれを望むのか?と思えば、答えは一つしかないように思われた。


「それでよかったね」と静かに別れを迎えられますように。


 ただ。あと一度だけでも、慣れ親しんだ安らぎの我が家で過ごさせてあげたい。

 来週末、2時間だけの一時帰宅を許可してもらった。ひ孫を連れ次男一家も交え過ごす団欒。

 どうか、安らかなひとときを味わわせてあげられますように。叶いますように。


 間に合いますように。


 じいちゃん。もう少しだけ、時間をちょうだい。



 どうか 頼んだよ。








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