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作者: 中原純軽
掲載日:2026/04/08

「僕」の体験談。

短編ホラーです。

一時期は海外のホラーばかり見ていました。

サスペリアは今でもトラウマ。

 母の様子がおかしいと病院から連絡が入った。

 今から四年前の、七月のある日のことだった。

 病院から電話が入った日、僕は会社にいた。

 見慣れない電話番号から着信が入った。

 もしもし、と携帯電話を取ると、少し忙しなさそうな女性の声が聞こえてきた。

 ◯◯さんの携帯電話で合っていますでしょうか?

 僕はええ、と答えた。

 彼女は、母が定期的に通う病院の看護師だった。

 母は二ヶ月に一回、通院しているのだが、このところ来ていないのだという。

 何回もキャンセルの電話が続いているので何かおかしい。

 様子を見にいってくれないか、と彼女は続けた。

 もしかしたら、病院に来る元気もないのかもしれません。

 看護師の不安げな声に、僕は胸に詰め物をされたような何とも言い難い重みを感じる。

 分かりました。今日行ってみます。

 よろしくお願いします。

 電話ありがとうございます。

 礼を言って電話を切ると、僕はすぐに母に電話した。

 しばらくして母が電話に出た。

 大丈夫?

 母は言った。

 ここのところ貧血がひどくて……。

 救急車呼んだ方が良いよ。

 母は渋った。

 そんな大事じゃないよ。

 僕は母が昔から変に頑固なのを知っていた。

 とにかく仕事終わったらすぐ行くから。

 そして、僕が電車とバスを乗り継いで母の家に着いた時には、母は倒れていた。

 母は末期の大腸がんだった。

 がんに冒された腸は、もう元には戻れないほどに疲弊していた。

 母はそれから程なくして亡くなってしまった。

 あっという間の出来事だった。

 僕は失った時間を埋めるように母の入所したホスピスに通ったが、指の間から砂がこぼれ落ちるように、それは虚しい行為だった。

 幾度も涙を流したが、母への罪悪感は消えることがなかった。

 母とはこの一年間ほど会っていなかった。

 母は僕に気を遣って電話をかけてこなかったのだ。

 仕事が忙しいからと、無駄な電話はかけてこなかったのが容易に想像できた。

 僕もそんな母に甘えて、病気の母を一人放っておいたのだ。

 数少ない肉親の僕が、もっと一緒にいてあげるべきだったのだ。

 母の死に目にも会えなかった。

 僕が少し目を離した間に母は硬くなっていた。

 僕は泣いた。

 全てが不甲斐なかった。

 見送る時でさえ僕はそばに入れなかった。

 いや、もしかしたら母は僕に悲しんでほしくなくて、僕のいないところで空に帰ったのかもしれない。

 それもただの僕の妄想だ。

 僕はただ母に謝ることしかできなかった。

 実家と縁を切っていた母の葬儀には、母の妹しか来なかった。


 それから母の家の本格的な整理が始まった。

 母と僕が二十年近く住んでいた家だ。

 貧しかった僕たち二人は、駅から離れた古いアパートの一室を借りていた。

 久しぶりに家に帰ると、母以外の入居者は一人もいなくなっていた。

 薄暗い部屋に入ると、母との思い出が蘇ってくる。

 狭い室内。

 小さなキッチン。

 ひび割れた浴室のガラスドア。

 薄ら寒さを感じるようなタイル張りのトイレ。

 奥には二つの部屋。

 一つは物置き小屋のようだ。

 捨てられない大量の、僕の昔の服やらアルバムやらおもちゃやらが積み上げられている。

 もう一つは僕の部屋だ。

 ベッドと本棚と、勉強机が置かれている。

 本棚は本好きだった僕が買い集めた書籍で埋め尽くされている。

 くたびれたベッドの向こうには、小学生の時に買ってもらった茶色い勉強机が鎮座している。

 改めて見ると、暗い部屋だった。

 部屋全体が明度が低い。

 部屋を囲む壁も土壁だった。

 左右から僕を囲いこむ土壁は、僕の前の勉強机の付近で崩れ落ちていた。

 ところどころ下地が露出している。

 僕は近づく。

 母の生前の言葉を思い出す。

 上の階から水が漏れてきた。

 なんでも上の住居人の水槽が落下して、中の水が漏れてきた……。

 その時からおかしくなったのだろう。

 不動産に電話すれば良かったのに。

 そう考えて、しかし、それができないほど体調が悪かったのだろうと、僕は思い直した。

 僕は再び罪悪感が上ってくるのを感じる。

 と、その時、壁に何か穴が空いているのに気がついた。

 勉強机に隠されて初めは気が付かなかったが、上から覗き込むと大きな穴が空いている。

 僕はあまりにも大きな穴だったので、不動産に文句を言われるのではないかと思って、慌てて机をどかした。

 それは僕の手のひら一個分ほどの穴だった。

 その穴の中には何かが入っている。

 奥の方だ。

 僕は四つん這いになって、手を伸ばし入れる。

 何か固いものが手に当たる。

 小さい。

 僕はそれを掴み、腕を穴から引き抜いた。

 それはイヤホンだった。

 先日会社からの帰り道でなくした僕のイヤホンだった。

 僕はもう一度穴を覗き込む。

 まだ奥の方に何かある。

 僕は手を入れる。

 また何かが手に当たる。

 掴む。

 見ると、それは半年前に紛失した僕の社員証だった。

 まだある。

 掴む。

 僕の文庫本だ。

 一年程前になくしたものだ。

 手を穴に入れる。

 何か柔らかいものが手に当たった。

 それは僕の手を掴んできた。

 僕はすぐに手を引っ込めた。

 声にならない声が漏れた。

 僕は立ち上がる。

 体をあちこちにぶつけながら、急いで机で穴を塞いだ。

 押された机が畳を傷つける。

 ずりずりという摩擦音がいつまでも耳に残った。

 しばらくすると不動産の担当者が家の様子を見にきた。

 僕は穴のことを話さなかった。

 担当者は崩れた土壁を見たが、これは経年劣化ですから心配しなくて良いですよ、と言った。

 そうですか、なら良かったです。

 僕はそう言って胸を撫で下ろした。

 壁の中に塗り込めるように。

 穴の中から僕を見る何かと目が合わないうちに、僕はそれにしっかりと蓋をした。

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