ぽやぽや令嬢が婚約破棄を切り出されたなら ―婚約破棄された理系令嬢、物理法則でアホ王子を自滅させる 〜「落ちますわよ」の予言は現実になりました〜
「トリスモード公爵令嬢ソフィスティア!本日をもって、貴様との婚約を破棄させてもらう!」
王立学院の卒業パーティ。シャンデリアが輝く広間のど真ん中で、王太子カイルは高らかに吠えた。その腕には、これ見よがしに一人の令嬢がぶら下がっている。
その場にいた卒業生たちの心は、驚愕ではなく、見事なまでに一つの「確信」で一致した。
(((やりやがった……あのアホやりやがったよ……)))
対するソフィスティアはといえば、虚無の表情でカイルを眺めていた。
「おい、聞いているのかブス!」
「……。はい、ありがとうございます」
ソフィスティアは、まるで「お中元をいただいた時」のような丁寧さで深くお辞儀をした。
「はぁっ!? お前、何を言っているのか分かっているのか?」
「ええ、重々。わたくし、殿下と結婚しなくていい(ラッキー!)のですね?」
「……お前、今カッコの中に本音が漏れてなかったか? まあいい、そうだ! お前のような可愛げのない女と一緒になる気はない!」
「はい、ありがとうございます(二回目)」
カイルは毒気を抜かれたが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「う、うむ! そうだ、理由を聞け! 貴様が断罪される理由をだ!」
「はい、承っております(無表情)」
従順なのか、あるいは極上の嫌がらせなのか。カイルは混乱しつつも、隣の令嬢をグイッと引き寄せた。
「お前はこのイザベルに、陰湿な嫌がらせを繰り返しただろう!」
ソフィスティアは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で首を傾げた。
「……失礼ですが、その『イザベル様』とやらは、どなたでしょうか。初めまして?」
「はあああああ!? いたわ! ずっと学院にいただろうが!」
「左様で。しかし殿下、学院には数千人の生徒がおりますのよ。関わりのない生徒を覚えるほど、わたくし物好きではございません」
会場がざわついた。実際、イザベルは学院内でカイルと年中無休でイチャついていた超有名人である。だがソフィスティアは「興味のないものは視界に入らない」という、ある種、最強の特殊能力の持ち主だったのだ。
「お前はイザベルを目の敵にし、階段から突き落としただろう!」
「あり得ませんわ。そもそもわたくし、重力に逆らうような非効率的な運動はいたしません」
「よろしいでしょうか」
そこで、ソフィスティアの背後に「圧」のある影が立った。
「わたくし、ソフィスティア様の護衛ステラと申します。登校から下校、果てはトイレの個室前まで、わたくしが常に同行しておりますが、お嬢様がそちらのご令嬢に近寄った事実は一度もございません。階段から突き落としたことも、当然ございません。……ただ」
「ただ、なんだ!」
「そちらのご令嬢が、自爆テロのようにソフィスティア様に突っ込んできて、勝手に転んだことは数え切れないほどございます」
「はあああ!? 何を言っている!」
「……一応、念のために。すべて魔法映像で記録し、すでに宮廷と各関係機関に送信済み(アップロード)です」
「そ、んなもの、でっち上げだ! 証拠なんてどこにも――」
「証言なら腐るほどございますわ。……お集りの皆様、ご令嬢の自爆タックルを目撃したという方は挙手を」
スッ、スススッ!
広間にいたほぼ全員が、無言で、かつ力強く手を挙げた。その光景は、もはや宗教の儀式のようであった。
カイルの顔から血の気が引く。
「う、嘘だ……お前ら全員、グルなんだな! 卑怯者め!」
(((いや、お前の頭が卑怯なだけだよ……)))
広間にいた全員の心が、再び美しく一つに重なった瞬間であった。
「あのう、よろしいでしょうか」
ソフィスティアが、おずおずと手を挙げた。
「な、なんだ貴様! 命乞いか!?」
「いいえ。現在、殿下と、その左腕に癒着している『物体A』は、力学的にきわめて危うい均衡状態にあります。特に物体Aが右20度方向に重力加速度を……」
「ええい、やかましい! 物体Aとはなんだ、物体Aとは!」
「失礼いたしました。では、便宜上、殿下を『物体B』とお呼びしましょうか」
「名前で呼べ! おれが言いたいのは、そんな理科の実験みたいな話じゃなくて――」
「黙ってお聞きなさいませ(低音ボイス)」
ソフィスティアの、鼓膜に響くほど冷徹で毅然とした一喝。カイルは思わず「ヒッ」と喉を鳴らして硬直した。
「いいですか、物体AおよびBは、現在ひどく不安定なバランスを保っているのです。もしここで物体Bが不用意に動けば、慣性の法則に従い、物体Aは遠心力に耐えきれず、階段を落」
「うるさーーーーーーい! 貴様は何をブツブツ言っているのだ!」
ぽやぽや天然令嬢だと思っていたソフィスティアに、あろうことか完膚なきまで言い負かされた(気がした)カイルは激昂した。そして、威嚇のために力強く一歩、グイッと踏み出した。
その瞬間。
「ギャアアアアアアーーーーーーッ!!!」
物体A……もといイザベルが、発射された。
カイルの腕からスッポ抜けた彼女は、舞台の上から全15段の階段を、文字通り「頭から」ダイブしたのである。
ガコン! ズドン! バキッ!
不穏な打撃音が静かな広間にリズミカルに響き渡る。階段の下には、ドレスがめくれ上がり、髪が芸術的なまでに爆発したイザベルが転がっていた。
あまりの衝撃映像に、会場の全員が石化した。誰も動けない。誰も声が出ない。
そんな静寂の中、ソフィスティアだけが、ぽつんと言い残した。
「……ちますでしょう」
((((((ちますでしょう……!?))))))
広間にいた全員の脳内に、謎のパワーワードがこだました。
数秒後、ようやく人々は理解した。先ほどの「落」の続きだ。
つまり――『階段を、落ちますでしょう』。
その予言めいた言葉を合図にするかのように、イザベルが「ガバッ!」とゾンビのごとく立ち上がった。驚異の生命力である。
彼女は般若のような形相で、ソフィスティア目掛けて猛然とダッシュしてきた。
「殺してやるわあああああ!!」
「お嬢様、下がって」
守護騎士ステラが瞬時に前に出る。抜剣はせず、鞘に収まったままの剣を左手で突き出し、イザベルの突進を「物理的」に阻止した。これ以上近づけば叩き斬る、という無言の圧力だ。
しかし、正気を失ったイザベルはその鞘を両手で掴み、獣のような咆哮を上げながらガタガタと揺らした。
((((((……王太子の女の趣味、絶望的に悪すぎないか?))))))
カイル以外の全出席者が、深い同情の念を込めて王太子の背中を見つめた瞬間であった。
「もうよい、イザベル。下がって休んでいろ」
カイルのその言葉に、イザベルは般若の顔で吠えた。
「嫌ですわ! あの女が泣いて謝る姿をこの目に焼き付けるまで、わたくし、ここを動きませんわ!」
彼女はしばらくぎゃあぎゃあと叫んでいたが、微動だにしない護衛ステラの「無言の圧力」にようやく業を煮やし、「覚えてなさいよ!」と三流の捨て台詞を残して舞台へと引き返した。
脱げたハイヒールは放置。裸足。ガニ股。
ドレスはボロボロで髪は爆発、おまけに額には立派なタンコブ。
そんな姿でずんずん階段を上る姿は、令嬢というより「戦場から帰還したばかりの兵士」である。
((((((……頑丈すぎないか、あの女?))))))
あまりのタフさに、カイルすら若干――いや、相当引いていた。
(なんか、隣に立つの嫌だな。あと声うるさいな……)
そんな「恋の終わりの一歩手前」のような感情が芽生えるも、バカな彼はこの場を収める術を知らない。引くに引けなくなったカイルは、無理やり話を続行した。
「ソフィスティア! お前はイザベルが落ちそうなのに気づいていながら、それを口にすることなく眺めていたな! 陰湿な女め!」
((((((いや、めちゃくちゃ言ってたわ!!!!))))))
((((((なんなら落ちる角度まで物理演算してたわ!!!!))))))
((((((あと落としたの、お前の『踏み出し』のせいだからな!!!!))))))
会場の全員が、ツッコミで喉を震わせながらカイルを冷ややかに見つめた。
分が悪くなったカイルは、慌てて次の「言いがかり」を繰り出す。
「それにだ! お前、試験で不正をしていただろう! 学年首位なんて、お前のようなぽやぽやした女にできるはずがない!」
「わたくし、不正などしておりませんが……?」
ソフィスティアが不思議そうに首を傾げた、その時。
「それについては、僕がお答えしましょう」
爽やかに手を挙げたのは、第二王子ショーンだった。
「ショーン! 卒業生でもないお前がなぜここにいる!」
「ええ、たまたま通りかかったら、兄上があまりに面白い自爆ショーをしていたので」
ひょうひょうとした態度のショーンは、会場を見渡して言った。
「ソフィスティア様の学力は本物ですよ。僕も勉強を教えてもらいましたし。……ねえ、みんな? 彼女に勉強を教わって助かった人は、手を挙げてくれる?」
スッ……スススッ!!
先ほどの「自爆目撃」を上回る勢いで、ほぼ全員の右手が突き上がった。
広間にいた誰もが知っていたのだ。ソフィスティアのあの「ぽやぽや」は、すべてを包み込む慈愛と、自己研鑽の賜物である高い知性の表れなのだと。
((((((……この方こそ、真の国母だ))))))
学院スタッフ、教授陣、果ては国王夫妻までがそう確信していた。
ただ一人、そのことに気づかなかったバカ、カイルを除いて。
【後日談】
この醜聞まみれの断罪劇が決め手となり、カイルはあっさりと王太子の座を追放された。
代わって王太子に据えられたのは、あのショーンである。
ショーンはその後、公爵邸を頻繁に訪れては、ソフィスティアやその家族と食事を楽しんだ。
「あら……?」
ソフィスティアが「あれ、もしかして、わたくしたち婚約してます?」と気づいた時には、すでに外堀も内堀も完全に埋まっていた。やはり、少しぽやぽやしているのである。
一方、伝説の「物理的階段落ち」を披露したイザベルは、その時のダメージが後を引いたのか、首が右に20度傾いたまま固定されてしまった。
その姿を見た人々は、ヒソヒソと噂しあった。
「あれが、物理演算令嬢に予言された通りの角度で落ちた、例の令嬢よ……」
カイルと彼女がその後、上手くいかなかったのは言うまでもない。
広間にいた全員が、その結末を「ですよね(物理的に)」と納得したのであった。
最後までお付き合いいただき、心から感謝申し上げます。
執筆初心者のため、一歩進んでは二歩下がるような試行錯誤の連続でしたが、 悩みながらも物語を紡ぐ楽しさを知ることができた、大切な時間となりました。
また次の作品で、少し成長した姿をお見せできるよう精進します。本当にありがとうございました!




