第31話 小さな翼、空を望む者
港へ向かう道中、私は静かな林道を歩いていた。
西の村で見た、瘴気に汚された祠の残骸。
黒い布片と歪んだ印。
あれがただの獣害でないことは、もう疑いようがない。
(……影は、確かに広がっている)
胸の奥に重いものが沈む。
けれど、足を止めるわけにはいかなかった。
(セレスティア様。必ず助けるから、待ってて)
そう心で誓った、その瞬間だった。
――キィィッ!
鋭い鳴き声が空気を裂いた。
頭上を影が横切り、枝葉がざわりと揺れる。
私は反射的に立ち止まり、空を見上げた。
舞い降りてきたのは、小さな影――幼いグリフォンだった。
体はせいぜい中型犬ほど。
まだ幼い毛並みのふわふわした獅子の胴体に、鷲の翼がちょこんと付いている。
羽ばたきは頼りなく、空を切る音もどこか必死だ。
着地した途端、よろめいて尻もちをつき――
自分でも驚いたのか、慌てて羽をばたつかせた。
「……ふふ」
思わず笑ってしまうほど愛らしい仕草。
けれど、その金色の瞳だけは真っ直ぐで、迷いがない。
そして何より――どこか懐かしい光を宿していた。
私は息を呑む。
(まさか……)
『……やっと見つけた!』
脳裏に、澄んだ声が響いた。
私は肩を震わせる。
(今、頭の中に……?)
「あなた……私に、話してるの?」
問いかけると、幼いグリフォンは大きく頷くように首を振り、私へ駆け寄ってきた。
そして、私のマントを嘴でつつく。
甘えるような仕草。
でもどこか必死で――何かを伝えたくてたまらないようだった。
『父上が言ってたんだ。あの時、人の子に救われたって』
『その光を信じろって。だから僕……一緒に行きたい!』
『色んなものを見たいんだ! 空の外を知りたいんだ!』
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
山での出来事が鮮明によみがえる。
黒い瘴気に堕ちた聖獣。
黄金の羽根を託され、言葉を授かったあの瞬間。
『いずれ汝が歩む道に影が差すとき――我が子らが空より導きを与える』
(まさか……この子が……)
私は無意識に、マントの内側へ手を入れた。
そこにあるのは――グリフォンから託された羽根。
掌の中で、それがほんのり熱を帯びていた。
「でも……親から離れて、大丈夫なの?」
私がそう聞くと、幼いグリフォンは翼を広げた。
小さな翼なのに、誇らしげに。
ふわり、と浮き上がり、
くるくると私の周りを旋回してみせる。
……が、すぐにバランスを崩して、枝にぶつかりそうになり、慌てて高度を落とす。
それでも本人は大真面目だった。
地面に着地すると、胸を張るように鳴く。
『父上も母上も許してくれた』
『僕に必要なのは、空を飛ぶ力だけじゃなく……広い心を知ることだって』
その言葉に、胸が揺さぶられる。
幼いのに、まっすぐで。
勇気があって。
そして――孤独を知らない瞳をしている。
――その時だった。
私の掌の中の羽根が、不意に光を放った。
淡い金色の輝き。
それは木漏れ日のようにやさしく、けれど確かな“意志”を宿していた。
耳の奥に、低く懐かしい声が響く。
『……人の子よ』
私は息を止めた。
『これが我が子の名。太陽の輝きをもつ者――“ソル”』
光が幼いグリフォンを包み込む。
羽毛の一枚一枚が、温かな輝きを宿していく。
幼いグリフォンはぱっと顔を上げた。
『ソル……!』
自分の名を口にした瞬間、声が弾んだ。
『僕の名前……ソル!』
嬉しそうに翼をぱたぱたさせ、
照れたように羽で顔を隠す。
その拍子に、前足がもつれて転びそうになり、慌てて踏ん張る。
……かわいい。
そして、すぐに私を見上げる。
まるで――「ねえ、呼んで」と言うように。
私は笑って、小さく頷いた。
「ソル。よろしくね」
『うん!』
返事が元気すぎて、また少し笑ってしまった。
(ひとりじゃない)
(もう、孤独じゃないんだ)
私はそっと、ソルの頭を撫でる。
ふわふわの羽根は柔らかく、
ほんのりと陽だまりのような匂いがした。
胸の奥に、あたたかな灯がともる。
――怖さが消えたわけじゃない。
海の向こうには、二十五年の現実が待っている。
教皇代理の影も、すでに伸びている。
それでも。
この小さな翼が、私の隣にいるだけで、心が折れない気がした。
私は夜空を仰ぐ。
(セレスティア様……私、必ず行く)
(ソルと一緒に)
小さな翼が寄り添い、私の歩みに重なる。
羽ばたきはまだ幼く、不格好で。
でも確かに、空を望む音だった。
そしてその音は、やがて――海を越えて続く道へと繋がっていく。




