第28話 真実の告白
聖域の光はやわらかく、アウラの表情は変わらない。
それでも、その口から出る言葉の一つひとつが、私の胸を突き刺してくる。
ここは静かで、優しくて。
なのに、話される内容だけが冷たい刃みたいだった。
「……詳しく話してください。何が、どうなったのか」
震える声で問いかけると、アウラはゆっくり息を吐いた。
ためらいはない。慈しみの奥に、怒りと悲しみが滲んでいる。
『姉が治めるルミナス大陸――セレスティアの地では、あなたが去ったあとから不穏が静かに広がりました』
アウラの声は穏やかだが、語られる内容は残酷だった。
『最初は小さな毒牙でした。誰も気づかないほど些細な綻び。ですがそれは次第に根を伸ばし、やがて国を蝕む大きな腐蝕へと変わっていったのです』
私の喉が、からからに乾く。
(……嘘でしょ)
セレスティアは、あの国は。
私が守った場所なのに。
『勇者であり皇太子であった彼は、民の希望でした。ですが――暗殺されました』
「……っ」
息が止まった。
頭が理解を拒否する。
言葉が、意味を持って胸に落ちてくるまで、時間がかかった。
『皇太子の側には優しい妃がおり、彼女は毒に侵されて眠り続けています』
視界が揺れた。
(殿下が……死んだ?)
あの人が。
不器用で、真面目で、でも誰より民を見ていた背中が。
私が「初恋」だと気づいてしまった、あの人が。
「……そんな……」
声が、かすれる。
アウラは淡々と続けた。
優しいのに、容赦がない。
『皇帝も、次の王位を継いだ者も、相次いで死にました。政は乱れ、後継は次々と潰される。国力は削がれ、民は翻弄されました』
『皆が疑心の中で暮らすようになったのです』
私の胸の中で、何かが崩れていく音がした。
(あの国が……そんなことに)
(私がいない間に)
怒りなのか、悲しみなのか、もう分からない。
「でも……どうしてそんなことが……?」
必死に絞り出した問いに、アウラの瞳がわずかに細まった。
『教会の中に“教皇代理”と名乗る男が現れました』
その言葉に、背筋が冷たくなる。
『彼は表向きは神に仕える者を装っていましたが、その実、権力を握り、毒や儀式を密かに用いて王室を操っていったのです』
(教会の中に……狼がいる)
思わず拳が握り締められる。
『姉は真実に手を伸ばそうとしました。民を守るため、勇者とともに矛を取った。しかし、その代償は大きかった』
『姉は力を使い果たし、その隙をついてさらに多くの“聖なる気”が奪われました』
『守護獣も囚われ、聖なる地は縮小していったのです』
言葉が、頭の中で一本の線になって繋がっていく。
酒場で聞いた噂。
立ち入り禁止の村。
妙な祈祷。
全部、冗談なんかじゃなかった。
『姉は今、本来の力を奪われ、かつての威厳も失いつつあります』
『多くの民が苦しみ、王家は薄氷の上に立たされています』
『あなたには、その状況を変える望みがかかっているのです』
胸が締めつけられる。
初めて召喚されたあの日。
城で受けた温かさ。
皇帝夫婦の柔らかな笑顔。
幼い第三王子の無邪気な笑い声。
そして――。
皇太子が、妃に優しく接していた姿。
あの背中が、痛いほど鮮明に蘇る。
(殿下は……本当に……)
涙が出そうなのに、喉が詰まって呼吸ができない。
私は震える手を握りしめ、やっとの思いで口を開いた。
「……アウラ様」
「私に、そんなこと……できるんですか?」
その問いは、弱音だった。
覚醒したからって、私は急に英雄になったわけじゃない。
私はただの元OLで、ただの異世界召喚者で。
――二度目でも。
怖いものは怖い。
アウラは少しだけ目を伏せ、そして静かに言った。
『できます』
迷いのない声。
『いいえ……正確には』
『あなたにしか、できません』
その言葉が、胸に突き刺さる。
「……どうして?」
アウラは優しく微笑んだ。
けれどその微笑みは、祈りのようで、決意のようで――どこか悲しかった。
『あなたは一度、この世界を救いました』
『そして、あなたは“外の世界”を知っている』
『同じ魂でありながら、別の時間を生きた者。二度目の召喚者』
『それは奇跡であり、同時に……唯一の鍵なのです』
私は唇を噛んだ。
(鍵……)
(私が?)
「……でも、この国には……聖女様がいるんじゃないんですか?」
ふと、疑問が口をついた。
あの国は勝手に聖女を作り上げていた。
そしてこの大陸でも、聖女の噂があった。
なら、私じゃなくても――。
アウラの表情が、わずかに曇った。
『……います』
静かな肯定。
でも、続く言葉が冷たかった。
『ですが、彼女は“聖女”ではありません』
「……え?」
『ただ祭壇に立たされ、祈りの形を教え込まれただけ』
『人々の不安を鎮めるための象徴にすぎません』
『癒しも浄化も、結界も張れない』
『――力は、ないのです』
私の背中に冷たい汗が流れた。
(じゃあ……あの国がやってたのも)
(全部……)
『偽りの聖女を立てれば、民は安心します』
『しかしそれは、希望ではなく……支配です』
アウラの声には、怒りが滲んでいた。
私はふと、思い出したように呟く。
「……そういえば」
「私、ギルドで……アイテムボックスを使ったんです」
「前の召喚のときに持ってたのに、今回はもう無いはずなのに……」
あれは確かに、咄嗟だった。
なのに、手が動いた。
出てきた。
まるで最初から、そこにあるのが当たり前みたいに。
「……あれ、どうして……?」
アウラは、少しだけ申し訳なさそうに目を伏せた。
『あなたが危険に晒されたとき』
『私は封印をほんのわずかだけ緩めました』
『完全に解けば、あなたはすぐに目を付けられ、利用される』
『ですが、死なせるわけにもいかない』
『……だから、必要な分だけ』
私は息を呑んだ。
(じゃあ、あのとき――)
(助かったのは、偶然じゃなくて)
『あなたの力はまだ不完全です』
『けれど確かに戻り始めている』
『それが、グリフォンを救えた理由でもあります』
アウラの言葉は、慰めではなく事実だった。
私の中で、恐怖と安堵がぐちゃぐちゃに混ざり合う。
『あなたに伝えておくべきことがあります』
アウラは続ける。
『真実には、人を守るための知恵と、時に危険が伴います』
『だから、細部まですべてを今明かすことはできません』
その声は、静かで強い。
『ですが、一つだけ』
『あなたが着手すべき順序は明確です』
アウラは指を折るように言った。
『まず、力を完全に回復すること』
『次に、教皇代理の影響を薄め、守護獣や眠る者たちを解き放つこと』
『そして最後に――姉に会うこと』
私は何度も頷いた。
分からないことは多い。
怖いことも、山ほどある。
でも。
目の前にいる人々を、放っておけない。
二十五年という時間は残酷だ。
それでも、時間の流れが違うからといって、私の責任が消えるわけじゃない。
私は震える息を吐き、口を開いた。
「……私、何から始めたらいい?」
問いは震えながらも、確かに前を向いていた。
アウラは柔らかく笑った。
『力の精度を上げなさい』
『戦場は教科書通りには動きません』
『浄化の力、結界の張り方、長時間の回復――あなたが持つ力は多い』
『だが、それを自在に扱うには、実戦での鍛錬が必要です』
『私は導きます』
『けれど、歩むのはあなたです』
その言葉を受けて、私は胸の奥にある決意を確かめた。
失った時間は取り戻せない。
皇太子が戻ることも、もうないのかもしれない。
それでも。
今ここにある命を守り、国の混乱を正すことはできる。
(殿下のことも、みんなのことも、私はまだ知らない)
(でも、知るために行く)
(救うために行く)
(姉に会うために、準備をする)
『よろしい』
アウラの瞳に、揺るぎない信頼が宿った。
『あなたが動けば、いくつもの歯車が動き出します』
『だが気をつけなさい』
『教皇代理は狡猾で、教会という殻を利用して人の心を操る』
『正面からだけではなく、智慧をもって進むのです』
最後の言葉は警告だった。
けれど同時に――祝福でもあった。
私は深く息を吸い込み、拳を固める。
耳には遠く、山の向こうから聞こえてきそうなグリフォンの鳴き声が、希望のように反響した。
(行こう)
(私は行く)
(すべてを知るために)
(すべてを変えるために)
聖域の光は私を包み、アウラの声は祈りのように余韻を残した。
外の世界では、二十五年の時間が静かに進んでいる。
だが今――私が歩き始めれば、その時間は再び動き出すのだ。




