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夏に手向ける

「いやいや、年々暑くなりすぎでしょ。ほんとに……」


 7月の朝、私は通学路である人気のない線路わきを溶けるように歩いていた。

 田舎で、夏は暑く冬は寒いという、私に対する嫌がらせのような立地だ。いや、それはもちろん私だけではなく、


「はよー」

「うんー」


 親友である、み子ちゃんも同じだ。溶けてる、み子が言う。


「いや、朝からこれって。どうすんのさ、がっこ終わって帰るころには蒸発してるんじゃね? 私たち。いや、全人類」

「主語デカ……いや、かもねー。私も、み子ちゃんも溶けてるなあと思いながら、歩いてたよ」

「もー、ほんとに! 夏休みが待ち遠しい! 今日からテストもあるし、負の先払いだね!」

「テストはよくないことなの? いや、わかるけどね……」

「よくな-いー。だって居残りさせられるし!」

「始まってもないのに」

「これは明らかなことなんだよ。この世は、その人がイメージできることならば可能! 今や世界は小さくなったけど、無限は心の中にあった。この世界は可能性に満ちてるってくらい明らかなことなんだよ!」

「なら。可能性を活かして平均点取れると思うことから始めようねー」

「それはさ、無理。どれだけ人類がこれから先発展しても、100メートルを1秒で走りきるくらい無理なことだよ」

「その理論の飛躍は、一人暮らしの男性の洗濯物のようだね」

「どういうこと? ちょっと興味ある」

「なんでも一緒くた」

「イケメンでも?」

「多分」

「かー! さすが、なー。男がいると違いますなあ!」

 

 

 なーとは私のことだ。


「兄ね」


 と、私たちが暑さを忘れるために騒いでいたが、私のテンションが落ちたのを

み子は見落とさなかった。


「どしたー? なーの中で本格的に夏到来?」

「う、うーん」

「んー? あ」


 み子もソレを後ろを振り返り、見つけたようで、会話が途切れた。踏切を超えるところで、瓶と中に花が添えられていたのだ。

 少し、汗が冷たくなった。別に、自分とは関係ないのだけれど。

 

 空を見上げて、考える。

 こんな毎日が続くこと。それは幸せなのだろう、と。

 本心でいえば、そんなことは思っていなくて。いや、み子やほかの友達、学校は別に嫌いじゃないけれど、うんざりもしている。

 今は中二だから、まだあとこれから最低でも五年は、この牢獄に閉じ込められるんだ、と。

 しかも、それが終われば労働という、これまた地獄の中に放り込まれるらしい。目の前が常に暗い。それが素直な感想だった。


「お姉ちゃん、こっち来る?」

「え?」


 私はハッとしてあたりを見回す。


「何してんの? なー」

「え、ああ。ううん、なんでもない」


 お腹が痛くなってきた。

 額に浮かんだ汗が、ボタッと落ちるのに。腕時計についた気温計を見ると、三十五度を超えているのに。喉はカラカラなのに。



 学校につき、み子とクラスが別なので別れる。その時に、み子がニヤッとして去っていった。突然のことで、何? とは尋ねられなかった。

 教室に入ると男の友人の一人がニコニコしていた。より詳しく言うと、喜びを抑えきれず、花が咲いたように陽気にしゃべっていたのだ。

 私は彼に尋ねた。


「どしたの?」

「ん? おー、七海か。へへっ」

「なに? すごくうれしそうじゃない」


 私は彼の手を見る。彼の手は野球部のそれで、熱心に素振りをしているからだろう、血豆ができていて

ごつごつなのだ。それから体格。ここ最近で急に大きくなってきた彼は、男として逞しくなっている。

 彼が嬉しそうにしていると、私もうれしくなり、つられて笑顔で聞き返す。


「道子。彼女と付き合えたんだ、俺」

「へー! よかったじゃない」


 私はにっこりとほほ笑んだ。

 道子、とは、み子のことだ。知らなかった。言ってもくれなかったな。そんな風に思う。


「ああ、お前ら友達なんだろ? あいつの好きなもの、教えてくれよ」

「うん、わかった。あー、でもちょっと待って、ごめん。トイレを我慢しててさ」

「はー? デリカシーないなあ。わかった、あとでいいよ」

「う、うん。ごめんね」


 私は駆けた。百メートルを一秒は無理だけど、自己最高記録って感じで。

 それから授業開始までの間、そこにいた。ティッシュがなくなっちゃったけど、トイレットペーパーで代わりにした。


 私の気持ちは顧みられることもなく、テストが始まった。

 いつもならそこまで悪い点数は取らない。けれど、いまは、別だ。数字がぼやける。式が思い出せない。計算が合わない。このテストがよくないと、私も、お母さんも困るのに。

 特待生だから。困るのだ、成績が悪いと。うちにはお金がないし、ね。

 静かな中にカリカリとシャープペンの音が煩い。


 私は、具合が悪いといって早退した。


 心がつぶれそうになりながら、歩く。

 あの踏切の場所に来た。少しその場で待つ。あの聞こえた声がもう一度しないかと思って。

 短絡的だけど、何かないかと思って。

 けれど、いくらまっても、あの声はしない。周りを見ても何もない。

 怒りがこみあげてくる。

 手向けられた瓶を蹴ろうかと思って、さすがにやめる。代わりに地面を殴った。

 そんなことをしても、やはり一向に何もなく。


「う、ううっ。ああ、ああ。ああーーーー!」


 死にたいって思ってるんだからさ! そっち側行くよ! 声は空耳だったの!?

 土を握りしめ、踏切に投げつける。花にひどいことすれば現れるかも? と思うが、やっぱりやめる。

 情けなかった。

 けれど、そっちへ行きたい。そう思う。

 特待生。別に、み子に勝ってたと思ってたわけじゃない。

 テストの点がすべてだと思ってたわけじゃない、けどさ。


 カンカンカンカンカン!

 ハッ、として後ずさる。ジャリ!

 小石を踏んだ。前に倒れそうになって――怖い!


 列車が来る。

 息をのむ。

 あ! と思ったときに、ポケットから小銭袋がはねた。私はびっくりして、横に尻もちをつく。

 列車は過ぎてしまった。


 死ねなかった。


 サーっと、何かが引いていく。


「思い出した。新聞で見たなって。4歳なんだっけ」


 花に語り掛ける。やっぱり返事はない。

 けれど、今度、花を買ってこよう。

 だって、助けられた。そんな気がしたから。

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