3-16.混沌の化物
「退避準備!」
女王トゥエルノーラの判断は早かった。
声が洞窟の奥に鋭く響き、命令を受けた魔法騎士団が一斉に動き出す。
まだ息のある『魔王の後継者達』とバーメインを抱え、入り口方向へと集合を始めた。
一方、魔物討伐隊は二手に分かれる。前線で武具を構えたまま迎撃の構えを取る者、そして来た道を駆け戻る者。
逃げ腰ではない。彼らの目的は、撤退経路と安全な退避ルートの確保だった。
本来なら転移魔法で脱出するのが最も早い。だが、外で待機している魔法騎士団が『魔王の後継者達』の逃走を防ぐため、転移遮断の結界を展開していたのだ。
――しかし、間に合わなかった。
封印が完全に崩壊した瞬間、洞窟の空気が一変する。
眩い閃光とともに奔り出た衝撃波が、全員を壁際まで吹き飛ばした。岩が軋み、空気が震える。
「エル!」
セリフィアが咄嗟にトゥエルノーラの前へ飛び込み、その身体を庇う。
床に叩きつけられながらも、すぐに二人は身を起こした。
「ごめんなさい、セリ。大丈夫?」
「何とかね。強化魔法の余波が残ってて助かったよ。それで……あれは、何?」
視線の先、封印の中央から凄まじい魔力の奔流が立ち上る。
空気が焼け、髪が逆立つ。
トゥエルノーラはその気配を感じ取りながら、胸の奥でざらりとした恐怖を覚えた。
封印にはワタール様が閉じ込められていたというが、決して彼個人だけでこれ程の魔力は無かったはずだった。
「おお……魔王様!」
『魔王の後継者達』が歓喜の声を上げ、光へと駆け寄る。
だが、次の瞬間、土煙と魔力の渦が晴れ、彼らの前に現れた“それ”を見た者たちは、声を失った。
「……なんだ、これは……」
バーメインの喉がひゅうと鳴る。
封印の中から現れたのは、この広大な洞窟すら狭く感じさせる、胴の長い巨大な竜だった。
四本の腕に伸びた爪は鋭く、硬質な音を立てる。
一対の翼は禍々しい光を帯び、その羽ばたきに魔力の波が走る。
角からは稲光が散り、口元からは熱を帯びた息が漏れた。
その姿は、既知のドラゴン種に酷似していながら、どこか異質――“上位の何か”という確信だけが胸に刻まれた。
物語で語られる“魔王”は人間の姿だったはず。
ならば、これは一体――?
「ガァァァァァッ!!」
化物の咆哮が空気を裂く。洞窟全体が共鳴し、岩壁が崩れ始めた。
トゥエルノーラは震える地面に足を取られながら、叫ぶ。
「バーメイン! 一体、何を封印していたのですか!」
「封印したのは、あの誘拐してきたワータルとヒガンの二人だ!」
「ならば、これは何なのです! これが“魔王”だと?」
「知らん! こんな化物は聞いていない!」
化物の圧が強まる。逃げ場のない洞窟の中、魔力が肌を焼く。
魔物討伐隊が各々の詠唱を始めた。竜種に対抗するために温存していた、貫通魔法や高威力の攻撃魔法――だが、全てが虚しく弾かれる。
岩盤が砕ける音と、焦げた臭いが充満した。
「火の理よ――静かなる構成を見よ、我が眼に移れ。結びし理よ、割かれし時が来たれり。めぐりし魔力は炎と変じる。溶ける刃、浸す息、震える鼓動、砕ける意思。概念の滅びを齎せ! 炎の矢よ!」
「天の律、地の理、万象砕く雷皇――その威光、黄金にして破壊の咆哮と成れ! 雷皇顕現!」
トゥエルノーラの炎が空を裂き、セリフィアの雷が閃光となって化物を穿つ。
一瞬、周囲が白に染まった――が。
煙が晴れた時、化物は微動だにせず、ただこちらを見下ろしていた。傷ひとつ負っていない。
「うそ……あれで無傷?」
「これは不味いですね……各自、速やかに撤退!」
判断は即座だった。命を落としては、情報も伝えられない。
幸い、化物はこちらに興味を示していない。
誰もが息を詰め、わずかな隙を縫って退避を始めた。
最後に残ったトゥエルノーラとセリフィアは、振り返りざま、あの異形の姿を目に焼き付けてから洞窟を後にした。
――外の空気が肌を撫でる。だが、安堵はまだ早い。
地面は震え続け、遠くでは騎士団が混乱の中にあった。
「すぐに本国へ撤退します。結界の解除を――」
その瞬間、大地が裂けた。
轟音とともに、あの化物が地中から天へと舞い上がる。
混沌の翼を大きく広げると、無数の光が空へと散った。
「防御を!」
トゥエルノーラとセリフィアが即座に詠唱し、二重の障壁を展開する。
光が弾丸のように降り注ぎ、遠くの山々で爆発が起こる。
一つが、彼女たちの近くの森に直撃した。
――轟音。閃光。爆風。
最初の障壁が砕け、次の障壁が悲鳴を上げるように軋む。
奇跡的に衝撃の一部を受け流したものの、誰もが地面に叩きつけられ、砂と煙の中を転がった。
それでも、死者が出なかったのは奇跡と言ってよかった。
「エル……怪我してないね?」
「ええ、私は大丈夫。セリは?」
「私も平気。……ちょっと砂、噛んじゃったけどね。ぺっ。」
二人は顔を見合わせ、小さく笑う。
だが、その視線はすぐ空へと戻った。
化物は天を仰ぎ、重々しい羽ばたきで高空へと消えていく。
巨体が霞むにつれ、輪郭が揺らぎ――やがて、空そのものに溶け込むように姿を消した。
まるで、最初から存在しなかったかのように。
トゥエルノーラの胸に重い疑問が沈む。
あれは――本当にワータルなのか。それとも、ヒガンちゃんなのか。
何かを失ったような痛みが、胸の奥に残った。
答えは出ないまま、彼女は静かに拳を握りしめた。




