3-11.狼狽のシード
探究府の下位組織――古代研究室は、古代文明の遺跡や文献を専門に扱う部署である。
未開拓地の奥深くには、神々の時代に築かれたと思しき建造物が今なお姿を留めており、時折その発見が報告される。
魔法万能のこの時代にあっても、過去の叡智に惹かれる者は多く、古代の技術が現代を凌駕していたのではないかという淡い期待が人々を掻き立てていた。
しかし実際には、長年の研究にもかかわらず決定的な成果は得られておらず、研究室にはどこか倦怠の空気が漂っていた。
その古代研究室の長、シード・フェザーは、自然と魔物との共存を訴える思想の持ち主であった。
彼は文明の進歩の陰で失われていく自然や命を何よりも憂えていたが、その主張の強さがしばしば周囲と軋轢を生む。
普段は穏やかで理知的な男だが、自然破壊や魔物討伐の話題になると、まるで人格が変わったかのように激しく反発するのだった。
能力の高さゆえに一室の長を任されてはいるものの、彼の強烈な信念が他者を遠ざける一因にもなっていた。
その日、女王トゥエルノーラは静かに古代研究室の扉を叩いた。
重厚な木製の扉の向こうから、落ち着いた声が返る。
「どうぞ」
扉を開けると、そこには整然とした書類棚と金庫、そして壁際や窓辺にまで並ぶ観葉植物が目に入った。
その緑の配置や光の取り込み方には、自然を愛するシードの性格が如実に表れていた。
トゥエルノーラは思わず、室内の心地よい調和に感心する。
「失礼します。シード様にご用件があって参りました」
彼女の柔らかな声に、シードはわずかに目を見開く。
「閣下が……直々に? この古代研究室に何の御用でしょうか?」
「古代研究室ではなく、あなた個人に少しお話を伺いたくて。お忙しいところ申し訳ありません」
「いえ、それは構いませんが……どのような御用でしょう?」
シードの声は穏やかだったが、その奥にはかすかな緊張が漂っていた。
「実は昨晩、襲撃事件が起きました。現場に――結界具が残されていたのです」
言葉の意味を理解した瞬間、シードの表情に一瞬だけ影が走る。
すぐに取り繕うように問い返した。
「……そうでしたか。その襲撃されたのは、どなたの屋敷です?」
「ふむ……“貴族”とよくご存じですね?」
トゥエルノーラの声には、わずかに探るような響きがあった。
「昨晩の襲撃と聞けば、結界にぶつかったワイバーンの件と思うのが自然でしょうに」
「そ、それは……魔法騎士団が話していたのを耳にしただけです。それで、その話かと」
「魔法騎士団が? では、その話をしていた者の名を教えていただけますか?」
「い、いえ……通りすがりに聞いただけで、誰が話していたのかまでは……。ただ、貴族が襲撃されて結界具まで使われたと聞いて、驚いてしまいましてね。それが印象に残っていたのです。なので、その話かと」
――わざとらしい、と女王は心の中で呟いた。
表情には出さず、柔らかく微笑む。
「なるほど、ありがとうございます。話を戻しますが、現在、個人所有の結界具を総当たりで確認しているのです。シード様も一つお持ちでしたね。お手数ですが、見せていただけますか?」
「あ、ああ……少々お待ちを」
シードは机の引き出しに手を伸ばし、魔法認証を解除する。
その手の動きは一見落ち着いていたが、目元の汗が僅かに光っていた。
彼は掌に結界具をのせ、女王の前に差し出す。
「この通り、ございますので……ご心配には及びません」
「本当ですか? 念のため確認を――」
「す、すみません! 急用を思い出しましたので、またの機会に!」
トゥエルノーラの手が触れる寸前、シードは慌てて結界具を引き戻し、机に仕舞い込んだ。
その動きに、焦燥が露わになる。
女王は冷静に状況を見定めた。
彼の立場を考えれば、強引に詮索すれば政治的火種になる。これ以上の追求はしない方が良いだろう。
だが、それでも――確信は深まっていく。
「……わかりました。また改めてお伺いします。その際はよろしくお願いします」
「ええ」
居なくなった隙に確認される事を恐れてだろう。急用があると言ったにも関わらずシードは動こうとしない。
仕方なしにトゥエルノーラが先に退出した。
――襲撃に使われた結界具の持ち主は、ほぼ間違いなくシード・フェザー。
女王は階を降りながら、冷静に思考を整理した。
事件の直後、彼女は現場で結界具が見つかったことを極秘扱いとし、口外を厳禁としていた。
ゆえに、外部の者がその情報を知るはずがない。
シードが知っていたという事実こそが、彼の関与を裏付けていた。
ゆさぶりで動揺し、言わなくてもよい所を「聞いた」と言ってしまったという訳だ。
あの襲撃で、シードが結界具が使われたと知っているという事は、襲撃に本人が加わったか、理解して襲撃者に貸し与えたかのどちらか。
机の上にあった結界具――あれは形だけを模した偽物だろう。
本物は、既に“何か”に使われて、回収不可能な状態にある。
女王は静かに息を吐き、唇の内側で呟いた。
「……どうやって、彼にあの偽物を使わせましょうか」
夕暮れ。
シードはその日の研究を終え、古代研究室の隣に設けられた小さな庭園にいた。
風に揺れる草花の手入れをしながら、胸中のざわめきを抑えようとする。
「はやく……何とかしないと……」
そう呟いた瞬間、建物が低く震えた。
次の瞬間、壁が爆ぜるように砕け、そこからトゥエルノーラと巨大な影が転がり込んできた。
「陛下!? 一体――!」
「理由は分かりません。ですが、ワイバーンがこの施設内に現れたのです!」
女王の前方で、灰銀の鱗を持つワイバーンが咆哮を上げる。
爪が振り下ろされ、女王の防御魔法が火花を散らして受け止めた。
空気が震え、壁に飾られた植物が吹き飛ぶ。
「援護を!」
「え、しかし……その魔物を……」
シードは動けなかった。
――魔物を傷つけたくない。その理念が、身体を縛り付ける。
だが、今この瞬間、女王を救えるのは自分だけだった。
「くぅ……そうでしたね。では、貴方が所有している結界具を持ってきて使用してください」
「そ、それは……」
ためらいの一瞬。ワイバーンがさらに力を込め、障壁が軋む。
女王は膝をつき、汗が頬を伝う。周囲を見回しても、衛兵の姿はない。
「早く! これ以上は持ちません!」
それでも、シードは動かない。
恐怖か、罪悪感か。
その眼に浮かぶのは、理想と現実の板挟みの苦悩だった。
ついに障壁が砕け、轟音と共に粉塵が立ち上る。
「あ……どうすれば……!」
その時、いつの間にか衛兵たちが彼を囲んでいた。
「なぜ来るのが遅い! 早く陛下をお助けしろ! だが、ワイバーンに傷を――」
「それには及びません」
「なっ……?」
粉塵が晴れた先で、トゥエルノーラは無傷のまま立っていた。
ワイバーンは爪を床に突き立てた姿勢のまま、動きを止めている。
「この状況でも結界具を使わなかった理由――お聞かせ願えますか?」
「な、何を……?」
「申し訳ありません。一芝居打たせていただきました。このワイバーンは、私の命により奴隷化された個体です」
女王の瞳が、静かな威圧を帯びてシードを射抜いた。
逃げ場は、もうなかった。




